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シュマギナール皇国編
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「さて、ここからが本題なのだが。」
え、まだあったの?といった顔をしてしまったのは許してほしい。
ジルバが口端を吊り上げて魔女らしく笑う。大抵その笑みを浮かべるときは、面倒臭いを言うのだ。
サジはそれをしっかりと察したのか、ちょっと出掛けてくると言ってさっさとその場を辞そうとするのを、エルマーはしっかりと手を握って捕らえる。一人だけイチ抜けだなんて絶対に許さないと言わんばかりに。
「貴族の名前がいくつか消える。」
「あ?」
二人のやり取りなど意に介さず、ジルバは唐突にそんなことを宣った。足元から影が伸び、黒い装飾が施されている本の一冊を棚から選ぶ。
ジルバはそっとページをめくると、文字を撫でる事で呪いを解き、その内容を知覚できるようにした。
本の中身は、何やら名前のようなものが細かく書き連なったリストのようにも見える。エルマーとサジがその本を覗き込むと、ジルバは話を続けた。
「善良なものではない。だから無視をしても良かったんだがな。ただ、こいつらの名前を見ていて少し気になる点があった。」
「なんだこれ。」
「まず、マルク辺境伯、そしてニルギア伯爵。あとはまあ、宮中職の貴族だから別に説明してもなあ。」
「おい、急に面倒くさがるな。」
エルマーはマルク辺境伯ときいてピクリと反応した。彼は、西の国との境を守る国境地帯の警備の要である。
マルク辺境伯は独自の私設軍を保有しており。教会を挟んで始まりの大地一帯を聖地として守護している。
国からの命だ。シュマギナール皇国の領地奪還の為に、マルク辺境伯率いる私設軍が進軍することになったあの時、エルマーは随行する形で、義勇軍として参加していた。
当時は若かった。己の力を奮えるならと、考えなしに参加した。ポッと出の平民のエルマーが、武功を上げて国軍にまで召し上げられたが、結局左目を失い、それを理由に勇退という形でトカゲの尻尾きりだ。なけなしの慰労金で買った義眼は今も左目にお行儀よく収まっている。
「マルクの狸はしってらあ。ニルギアはしらね。」
「王の側近だ。行政を取り仕切っている。まあ、こいつがいなくなれば物流も改善されるだろう。」
ジルバは俗世についてもっと興味を示せと小言を言いながら、先を見通すかのように灰色の瞳を柔く細めた。
「皇国は腐っている。もはや貴族の言いなりの愚王は傀儡だ。」
「今に始まったことじゃねえだろう。まあ、宰相まで腐ってんのはやべぇけど。」
領地の拡大の為に、皇国は西の国と始まりの大地を取り合ってきた。豊かな資源のなかに、鉱山もある。そこから取れる鉱石や、領地内では小麦を含めた農作物、果実、そしてそれらの豊かな食料は軍事力にも変わるのだ。主な産業はその地で取れる鉱石の輸出の他に、重火器などの物騒なものもあれば、鉱石をつかったアクセサリーなどの貴金属、そして新たな産業として根付かせようとしている絹織物などだ。
「今の皇国がまともなのはダラスがいるからだとも言うな。まあ、大方お告げなどと言って手綱を握り締めているのだろう。ニルギアもマルクも国力が上がるならと口出しはしていないが、こいつらが消えるということは戦争が起きると同義じゃないか。」
「…またか。なら防ぐとしたらマルクを殺されねえようにすんのか?てかダラスってお告げできんの?」
「…ああ、おまえは依頼を受けていたのだっけか。まあ…本当かどうかは知らん。だが神頼みという言葉もあるだろう。あいつが関わってからは、まあ産業も増えたしな。」
「まてまて。一介の神職が諸侯を抑えて発言するなど反感をかわんのか。サジなら無理だ。外野は黙れと殺してしまう。」
「ああ、普通はそうだろうな。」
「普通は?」
サジの当たり前の意見にくすくす笑うと、ジルバはそっと羽ペンでサジの顔を掬い上げる。
「どうやって取り入るかなど、お前が一番良くわかっているはずだが?」
「む、成程。」
エルマーはというと、ナナシをしがみつかせたまま眉間にしわを寄せる。
ジルバの言うダラスの人物像と、自分の目で確かめた儚げな男のイメージがリンクしなかったのだ。
「あいつが?昔の男の形見に縋ってるような野郎だったぜ?手籠めにされてるとかじゃねえんか。」
「城は強かでないと生きてはいけない。ましてやあの若さで城が管理する大聖堂の司祭だぞ。」
サジががじりとジルバの羽ペンに噛みつく。真面目な話が続いて飽きたらしい。暇で仕方ないと言った顔だ。
「なあ、もう難しい話はつまらん。要するにそのリストに乗ってる奴らを殺せばいいのだろう?」
「間違いではないが、こちらが手を下さずとも勝手に死ぬだろう。もう死期が近い。俺が言いたかったのは、また争いごとが起こるということだ。」
ジルバの言葉に、エルマーはそっと左目に触れる。もう、これを落としてきた場所も忘れた。
再び戦争が起こるとして、自分はもう若気の至りといって、燥いで参加する歳でもない。
しかし、ジルバに頼まれた土の出処とやらを調べるにしても、その戦火に関わらなければ見つからないだろうな、ということも理解はしていた。
「お前はどうするんだ、エルマー。」
「やりたくねえ。俺はナナシとゆっくり旅だけするつもりだったんだ。戦火に巻き込まれるのはもうゴメンだぜ。」
「える、」
ぼそりと小さく名前を呼ぶ。エルマーは、ナナシが怖い思いをするのが嫌だ。だから危ないこともしたくはない。だが、これから呪いの土を追っていくとして、その戦火をうまく避けられるとも思わない。ならば戦はやりたい奴らにまかせて、エルマーは出方を伺えばいい。
「ジルバ、てめえだって傍観者だろうが。」
「ふふ、俺はいつだって好きなことだけをする。」
「サジはエルマーについているからなあ。まあ、なるようになるさ。」
話は終わったとばかりに、サジは己の唾液にまみれた羽ペンをジルバに差し出す。
エルマーもサジも、小難しいことは考えたくはない。こういう時は成るように成れという精神だ。長生きしたいので、降りかかる火の粉は払わねばならないが、この二人にはそれが出来る力がある。
「まあ、俺の根城は皇国だ。蜘蛛の巣の内側にお前達がいるうちは力を貸そう。」
「おーおー、おやさしいこって。」
ジルバが羽ペンを一振りして元の形に整えると、つい、と指先で空中に円を書いた。
「さあ帰るがいい。話は終わりだ。俺は貴様らの前途が良いものになるように祈っておこう。」
瞬きの合間に現れた黒い空間に、エルマーとナナシ、サジが吸い込まれるように消えていく。
ジルバは含み笑いをしながら、その背中を静かに見送った。
「ああ、俺にとっての、というのを言い忘れていた。」
頬杖をついて、少しだけ抑揚をつけた口調のそれは、暗闇に飲み込まれて静かに消えていった。
ジルバによって追い出されたと言っても過言ではない。そんな具合に突然の解放であった。
そして作り上げられた影の扉。そこに吸い込まれるように、手から先に突っ込んだエルマーの手首を、唐突に誰かが掴んだのだ。
「あ?」
ナナシをぶら下げたまま、確認するように握り返す。すると、今度は結構な力の強さで握り返され、そのままぐいっと体を引き抜かれた。
現れた手首に動じもせずに、にゅるりとエルマーを壁から引っこ抜いた男は、首に子供をぶら下げたまま影の中から現れたエルマーに、ぎょっとした顔をした。
しかし、後には引けなかったようだ。そのまま背を逸らすようにして体を引き抜くと、二人分の体重を支えきれぬまま男を巻き添えにする形で、三人は無様にも地べたへとドスンと落ちた。
「いってぇ!!」
「あぅっ、」
「うぎゃっ!!」
その後に続いて、サジがにゅるりと姿を表す。地べたに折り重なる三人を面倒くさそうな表情で見下ろせば、三人を避けるようにして隣に降り立った。
「おやおや、なんだこれは。知り合いかエルマー」
「ざっけんな!何なんだてめぇ!あぶねえだろうが!」
サジがしゃがんで覗き込もうとした。それとほぼ同時に顔を上げたエルマーは、鼻を抑えながらも唐突な出会いに苛立ちを向ける。
エルマーの下で、不届き者認定をされた身なりのいい男は、二人分の体重をその身で支えていた。男は組み敷かれたまま、頭を押さえ悶絶をしている。
従者のような姿を取って入るが、怪しいことはこの上ない。痺れを切らしたエルマーの恫喝じみた抗議に、ようやく男は慌てて起き上がった。
「も、申し訳ない!!突然手が出てきたので、つい掴んでしまった!!」
「くそ、無駄に鼻血だしたわ…ナナシは平気か?」
「びっくしした…」
ギンイロによって服を掴まれていたらしい。エルマーが倒れ込むときに上半身だけ持ち上げてくれていたようで、ナナシの衝撃はそこまでではなかった。
男からしたら、上半身だけ妙な体制で浮いている。ぽかんとした顔で見つめられると、ギンイロは取り繕うようにゆっくりとエルマーの背にナナシを降ろした。細い腕でエルマーの首に抱きついて、おんぶのような形でやり過ごす。
「つか、なんでここ知ってんだ。んでお前誰。」
「ぼ、僕は…すまない!今は名前を明かせないんだ!どうか何も言わずについてきてはくれまいか!?」
金髪の顔の整った男が、悩ましげな顔で懇願する。
こいつ自身も己の顔の使い方をわかっているらしい。が、それはあくまでも対象が淑女や世間知らずなお嬢様の場合である。目の前の酸いも甘いも知っているエルマーに対しては無効以外の何物でもない。
顔に釣られてついて来ればいい。そんな、男の心の内側がありありと見て取れたせいか、エルマーが顔に嫌悪感を張り付けると、ぴくりとこめかみに血管を浮かび上らせる。
自分が顔を使って心に入り込むのはいいが、されるとなると話は別なエルマーは、おもむろに立ち上がると吐き捨てるように言った。
「サジ、行くぞ。衛兵に突き出そうぜ。不審者ですって。」
「ふむ、縛り上げるか。」
「まかせるぅ。」
「ま、まてまてまてまて!!」
エルマーの一言に、サジが嬉々とした顔で杖を構える。
己の身の危険を感じたらしい。サジは男の静止を無視をして、繰り出した蔦で体を縛り上げた。何処からともなく生えてきた蔦によって、ふわりと持ち上げられた男は、エルマーが頭上から降ってくる声がムカつくというので、再び引きずり降ろされるかの様にして地面へと逆戻りをした。
うぎゃ、と情けない声が漏れた。地べたに頬を擦り付けながら、男が縋るような目つきでナナシを見やる。
「える、いいのう?」
「こんな不審者、構ってやる必要はねえ。」
「でも、かわいそうだよう。」
しょんもりとした顔で男を見つめるナナシの優しさに、縛り上げられた男はかすかな光明を見出したらしい。這いつくばったまま、背筋だけで体を起き上がらせると、身も蓋もないほど必死な声で、乞い願った。
「美少年!頼む、この哀れな男をたすけいだだだだっ」
「だぁーーれが口開いていいって言ったぁ。オイコラ不審者。ナナシに変なこと言ったらてめえの舌を三枚におろしてやるからなあ。」
ぎゅむ、と腰を踏みつけて見下ろすエルマーの開いた瞳孔に、サッと顔が青褪める。これは踏んだエルマーの地雷が大きいことを知らしめていた。
しかし、男には使命があった。その為にはどうしても魔女の力が必要だったのだ。物怖じはしてしまったが、慌てて気合を入れ直す。そして、瞳に揺るがぬ使命を宿したまま、腹に力を入れて声を上げた。
「ま、魔女の!!魔女の力を貸してくれ!!頼む!!」
「ああ!?」
「む。魔女だと?」
「ひぇっ」
エルマーのその恫喝地味た治安の悪い声に、男は思わず引きつり声を上げ肩を跳ねさせる。
どうやらこの男は、やり手の魔女が住んでいると聞いて、この辺り一帯を探し回っていたらしい。ここの主はジルバなのだが、そんなことは知るよしもない。
男は白い装束を着た美しい顔立ちのサジを見ると、今にも額を地べたに擦りつけるかのように土下座した。
「頼む!!呪いを、主の呪いを解いてはくれまいか!!」
「呪いだと?」
ナナシはエルマーの足を男の上からどかしてやると、キョトンとした顔で首を傾げた後、聞き返したサジを見上げる。
「つち?」
「土かはしらん。が、呪いかあ。」
それは確かに治癒術でも治らないだろう。
呪いは魔女の専売特許だ。もちろん、光や聖属性を持つ者がいれば解くこともできるが、その為には呪いの種類を見分けなくてはならない。
魔女はありとあらゆる魔術に精通をしている。無論、苦手な分野もあるが、ある程度なら見ることができた。
ふむ、と逡巡をする素振りのサジを押しのけ前に出たエルマーは、男を見下ろしながら吐き捨てる。
「やらねえ。なんで名も名乗らねえ野郎にうちのサジ貸さなきゃなんねえんだ。」
「エルマー!!うちのサジだと!?何だその言い草は!!身体が高ぶりを抑えられない、抱いてくれ!!」
「お前喧しいから黙っててくんねえ!?」
エルマーの一言に反応したのか、目を輝かせて飛びつくサジを振り払う。最高に締まらない。
男はサジとエルマーの関係に戸惑いながら、藁にも縋る思いでナナシを見つめた。その瞳は取り持ってくれと言わんばかりである。
ナナシはというと、戸惑ったように男を見下ろすと、少しだけ後ずさりをした。勢いに押されたと言ってもいい。
「あう、え、あ…」
「帰んぞ。相手にするこたあねえ。」
エルマーはがしりとナナシの肩にを抱くと、そのまま男から背を向け、ナナシを抱き上げ歩き出そうとしたときだった。
「主を死なせたくないんだ!!頼む、この国の未来の為にも!!」
悲痛な叫びに、ぴくりとエルマーが反応する。この国の、というワードが引っかかったらしい。サジはくるりと振り向くと、軽い足取りで男の目の前に近づくとしゃがみ込む。
「お前、もしかして城勤めか?」
「んぐっ、あ、いやあ、そのっ」
「口を割らせようか。うふふ、真実を言わねばお前の寿命を縮める呪いをかけても良いのだぞ。」
「ま、まて!それじゃミイラ取りがミイラになる!!城の関係者だ!!だがそれ以上は言えな、っぐぇっ」
ドスンとサジが男の上に腰を下ろす。先程からナナシを抱いたまま、エルマーは黙りこくっている。
サジはニヤリと笑うと、跨った男の髪を梳く様にして、細い指に髪を巻き付け手遊びする。
「なあエルマー、さっきのジルバはこの事を知っていたんじゃないかあ?」
「…前途が良いものとか言ってたろ。」
「まあ、あやつに都合良くという意味だろうなあ。」
「ひぃ!」
サジの細い指が男の唇を撫でる。いやらしい手付きにじわりと顔を赤らめる様子が面白かったのか、褒めるように頬を擽る。
「える、」
「いやだ。俺はマイペースに行きてえ。」
眉を下げたまま、ナナシはエルマーを見上げる。だって、なんだか必死で可哀想だなあと思ったのだ。
ナナシの声色からして、助けてあげたいのだろうというのは読めていた。
でも、エルマーはジルバの手のひらの上に転がされているかのようで、とにかく嫌だったのだ。
それでも、この場を立ち去りたいエルマーをそっちのけで、サジはなにやら新しい玩具を見つけたように、男で遊んでしまっている。サジによって尻を鷲掴まれ、もにりと揉み込まれた男の情けない悲鳴が背後に響く。
「なあ、エルマー!サジが面倒を見るからこいつを拾ってもいいか!」
「だめだ。捨ててけそんなもの。」
「えー、だって国に恩を売るチャンスかもしれんぞ。トイレの世話もきちんとするからだめか。」
「ひ、人としての尊厳だけは残しておいて頂きたい!!」
どうやら加虐心に火を着けたらしい。サジは興奮したように男の後頭部へと、己の昂った性器を押し付けるようにして遊んでいる。
エルマーは教育に宜しくないと、その手のひらでナナシの視界を塞ぐ。そのまま、国に恩を売るという一つの選択肢を悩むかのように、顔を顰め逡巡する。
小さなナナシの手のひらが、エルマーの手に重なる。顔を隠されるのが気になったらしい、可愛らしい抵抗も、今のエルマーの前では意味を成さない。溜息一つ、渋い声でエルマーが宣う。
「面倒くさいのは嫌なんだよお。ああ、くそが、これもあいつの予想通りだって思うとムカつく…。」
「た、頼むから上の男をどかしてくれ!」
「あん、逃げるな。もうすぐでイきそうだ。」
「ひいいいい!」
ナナシを抱き込んでしゃがみこんだエルマーの頭を、小さな手が優しく撫でる。漸くナナシは視界が開けると、エルマーの肩口から顔を出すようにして男を見る。
方や美少年を抱き込んで膝をつく男、方や変態に跨がられてマーキングをされている男。なんだこれ、と言わんばかりに、男は羨ましそうな目でエルマーを見る。しかし天国と地獄は変わりそうにない。
ナナシの目の前で、サジの嬌声と男の悲鳴、エルマーの舌打ちが重なった。ナナシは困ったように眉を下げると、ぎゅっとエルマーの頭を抱き込んだ。
「える、」
「……なに。」
「たすける、して。」
「……………………やだ。」
「かこいい、えるすき、おねがい。」
「ぐうううううう、」
エルマーの頭の中で、優雅に足を組んだジルバの勝ち誇った笑みが浮かぶ。エルマーの損得勘定の天秤が、国への恩と自身のプライドをかけても傾かなかったのに、ナナシの格好いいエルマーが好きという言葉が更に相乗される。こんなの、傾かないわけがない。
エルマーはナナシの胸から顔をあげると、じっと見上げる。
「ナナシから俺にやらしいキスしてくれンならやる。」
せめてやるならそれ程のご褒美がないとしたくない。そうありありと顔に書いたエルマーは、その整った顔で作為的に刹那そうな表情を作る。
無論、その効果は言うまでもない。ナナシはそんなエルマーの様子にじわりと顔を赤らめると、こくん、と小さく頷いた。
「う、うらやまし、」
「こっち見んじゃねえ。殺すぞ。」
「ひぃ。」
男の呟きはエルマーの殺気とサジの押し付けた下肢によって遮られる。
こうして、ナナシによってなんとか男の頼みは聞いてもらえたものの、乞い願った男の内心は、なにか大切なものを捨ててしまったかのような空虚感に苛まれた。しかも、このままでは、変態魔女の玩具決定である。代償がメンタルを削るもの程辛いものはない。
しかし、目の前の性格の悪い美丈夫と少年の耽美な光景を見せつけられながら、顔のいい男に自慰の道具にされた男は、目覚めてはいけない新たな扉を開いてしまうことになるとは、このときはついぞ知ることもなかった。
え、まだあったの?といった顔をしてしまったのは許してほしい。
ジルバが口端を吊り上げて魔女らしく笑う。大抵その笑みを浮かべるときは、面倒臭いを言うのだ。
サジはそれをしっかりと察したのか、ちょっと出掛けてくると言ってさっさとその場を辞そうとするのを、エルマーはしっかりと手を握って捕らえる。一人だけイチ抜けだなんて絶対に許さないと言わんばかりに。
「貴族の名前がいくつか消える。」
「あ?」
二人のやり取りなど意に介さず、ジルバは唐突にそんなことを宣った。足元から影が伸び、黒い装飾が施されている本の一冊を棚から選ぶ。
ジルバはそっとページをめくると、文字を撫でる事で呪いを解き、その内容を知覚できるようにした。
本の中身は、何やら名前のようなものが細かく書き連なったリストのようにも見える。エルマーとサジがその本を覗き込むと、ジルバは話を続けた。
「善良なものではない。だから無視をしても良かったんだがな。ただ、こいつらの名前を見ていて少し気になる点があった。」
「なんだこれ。」
「まず、マルク辺境伯、そしてニルギア伯爵。あとはまあ、宮中職の貴族だから別に説明してもなあ。」
「おい、急に面倒くさがるな。」
エルマーはマルク辺境伯ときいてピクリと反応した。彼は、西の国との境を守る国境地帯の警備の要である。
マルク辺境伯は独自の私設軍を保有しており。教会を挟んで始まりの大地一帯を聖地として守護している。
国からの命だ。シュマギナール皇国の領地奪還の為に、マルク辺境伯率いる私設軍が進軍することになったあの時、エルマーは随行する形で、義勇軍として参加していた。
当時は若かった。己の力を奮えるならと、考えなしに参加した。ポッと出の平民のエルマーが、武功を上げて国軍にまで召し上げられたが、結局左目を失い、それを理由に勇退という形でトカゲの尻尾きりだ。なけなしの慰労金で買った義眼は今も左目にお行儀よく収まっている。
「マルクの狸はしってらあ。ニルギアはしらね。」
「王の側近だ。行政を取り仕切っている。まあ、こいつがいなくなれば物流も改善されるだろう。」
ジルバは俗世についてもっと興味を示せと小言を言いながら、先を見通すかのように灰色の瞳を柔く細めた。
「皇国は腐っている。もはや貴族の言いなりの愚王は傀儡だ。」
「今に始まったことじゃねえだろう。まあ、宰相まで腐ってんのはやべぇけど。」
領地の拡大の為に、皇国は西の国と始まりの大地を取り合ってきた。豊かな資源のなかに、鉱山もある。そこから取れる鉱石や、領地内では小麦を含めた農作物、果実、そしてそれらの豊かな食料は軍事力にも変わるのだ。主な産業はその地で取れる鉱石の輸出の他に、重火器などの物騒なものもあれば、鉱石をつかったアクセサリーなどの貴金属、そして新たな産業として根付かせようとしている絹織物などだ。
「今の皇国がまともなのはダラスがいるからだとも言うな。まあ、大方お告げなどと言って手綱を握り締めているのだろう。ニルギアもマルクも国力が上がるならと口出しはしていないが、こいつらが消えるということは戦争が起きると同義じゃないか。」
「…またか。なら防ぐとしたらマルクを殺されねえようにすんのか?てかダラスってお告げできんの?」
「…ああ、おまえは依頼を受けていたのだっけか。まあ…本当かどうかは知らん。だが神頼みという言葉もあるだろう。あいつが関わってからは、まあ産業も増えたしな。」
「まてまて。一介の神職が諸侯を抑えて発言するなど反感をかわんのか。サジなら無理だ。外野は黙れと殺してしまう。」
「ああ、普通はそうだろうな。」
「普通は?」
サジの当たり前の意見にくすくす笑うと、ジルバはそっと羽ペンでサジの顔を掬い上げる。
「どうやって取り入るかなど、お前が一番良くわかっているはずだが?」
「む、成程。」
エルマーはというと、ナナシをしがみつかせたまま眉間にしわを寄せる。
ジルバの言うダラスの人物像と、自分の目で確かめた儚げな男のイメージがリンクしなかったのだ。
「あいつが?昔の男の形見に縋ってるような野郎だったぜ?手籠めにされてるとかじゃねえんか。」
「城は強かでないと生きてはいけない。ましてやあの若さで城が管理する大聖堂の司祭だぞ。」
サジががじりとジルバの羽ペンに噛みつく。真面目な話が続いて飽きたらしい。暇で仕方ないと言った顔だ。
「なあ、もう難しい話はつまらん。要するにそのリストに乗ってる奴らを殺せばいいのだろう?」
「間違いではないが、こちらが手を下さずとも勝手に死ぬだろう。もう死期が近い。俺が言いたかったのは、また争いごとが起こるということだ。」
ジルバの言葉に、エルマーはそっと左目に触れる。もう、これを落としてきた場所も忘れた。
再び戦争が起こるとして、自分はもう若気の至りといって、燥いで参加する歳でもない。
しかし、ジルバに頼まれた土の出処とやらを調べるにしても、その戦火に関わらなければ見つからないだろうな、ということも理解はしていた。
「お前はどうするんだ、エルマー。」
「やりたくねえ。俺はナナシとゆっくり旅だけするつもりだったんだ。戦火に巻き込まれるのはもうゴメンだぜ。」
「える、」
ぼそりと小さく名前を呼ぶ。エルマーは、ナナシが怖い思いをするのが嫌だ。だから危ないこともしたくはない。だが、これから呪いの土を追っていくとして、その戦火をうまく避けられるとも思わない。ならば戦はやりたい奴らにまかせて、エルマーは出方を伺えばいい。
「ジルバ、てめえだって傍観者だろうが。」
「ふふ、俺はいつだって好きなことだけをする。」
「サジはエルマーについているからなあ。まあ、なるようになるさ。」
話は終わったとばかりに、サジは己の唾液にまみれた羽ペンをジルバに差し出す。
エルマーもサジも、小難しいことは考えたくはない。こういう時は成るように成れという精神だ。長生きしたいので、降りかかる火の粉は払わねばならないが、この二人にはそれが出来る力がある。
「まあ、俺の根城は皇国だ。蜘蛛の巣の内側にお前達がいるうちは力を貸そう。」
「おーおー、おやさしいこって。」
ジルバが羽ペンを一振りして元の形に整えると、つい、と指先で空中に円を書いた。
「さあ帰るがいい。話は終わりだ。俺は貴様らの前途が良いものになるように祈っておこう。」
瞬きの合間に現れた黒い空間に、エルマーとナナシ、サジが吸い込まれるように消えていく。
ジルバは含み笑いをしながら、その背中を静かに見送った。
「ああ、俺にとっての、というのを言い忘れていた。」
頬杖をついて、少しだけ抑揚をつけた口調のそれは、暗闇に飲み込まれて静かに消えていった。
ジルバによって追い出されたと言っても過言ではない。そんな具合に突然の解放であった。
そして作り上げられた影の扉。そこに吸い込まれるように、手から先に突っ込んだエルマーの手首を、唐突に誰かが掴んだのだ。
「あ?」
ナナシをぶら下げたまま、確認するように握り返す。すると、今度は結構な力の強さで握り返され、そのままぐいっと体を引き抜かれた。
現れた手首に動じもせずに、にゅるりとエルマーを壁から引っこ抜いた男は、首に子供をぶら下げたまま影の中から現れたエルマーに、ぎょっとした顔をした。
しかし、後には引けなかったようだ。そのまま背を逸らすようにして体を引き抜くと、二人分の体重を支えきれぬまま男を巻き添えにする形で、三人は無様にも地べたへとドスンと落ちた。
「いってぇ!!」
「あぅっ、」
「うぎゃっ!!」
その後に続いて、サジがにゅるりと姿を表す。地べたに折り重なる三人を面倒くさそうな表情で見下ろせば、三人を避けるようにして隣に降り立った。
「おやおや、なんだこれは。知り合いかエルマー」
「ざっけんな!何なんだてめぇ!あぶねえだろうが!」
サジがしゃがんで覗き込もうとした。それとほぼ同時に顔を上げたエルマーは、鼻を抑えながらも唐突な出会いに苛立ちを向ける。
エルマーの下で、不届き者認定をされた身なりのいい男は、二人分の体重をその身で支えていた。男は組み敷かれたまま、頭を押さえ悶絶をしている。
従者のような姿を取って入るが、怪しいことはこの上ない。痺れを切らしたエルマーの恫喝じみた抗議に、ようやく男は慌てて起き上がった。
「も、申し訳ない!!突然手が出てきたので、つい掴んでしまった!!」
「くそ、無駄に鼻血だしたわ…ナナシは平気か?」
「びっくしした…」
ギンイロによって服を掴まれていたらしい。エルマーが倒れ込むときに上半身だけ持ち上げてくれていたようで、ナナシの衝撃はそこまでではなかった。
男からしたら、上半身だけ妙な体制で浮いている。ぽかんとした顔で見つめられると、ギンイロは取り繕うようにゆっくりとエルマーの背にナナシを降ろした。細い腕でエルマーの首に抱きついて、おんぶのような形でやり過ごす。
「つか、なんでここ知ってんだ。んでお前誰。」
「ぼ、僕は…すまない!今は名前を明かせないんだ!どうか何も言わずについてきてはくれまいか!?」
金髪の顔の整った男が、悩ましげな顔で懇願する。
こいつ自身も己の顔の使い方をわかっているらしい。が、それはあくまでも対象が淑女や世間知らずなお嬢様の場合である。目の前の酸いも甘いも知っているエルマーに対しては無効以外の何物でもない。
顔に釣られてついて来ればいい。そんな、男の心の内側がありありと見て取れたせいか、エルマーが顔に嫌悪感を張り付けると、ぴくりとこめかみに血管を浮かび上らせる。
自分が顔を使って心に入り込むのはいいが、されるとなると話は別なエルマーは、おもむろに立ち上がると吐き捨てるように言った。
「サジ、行くぞ。衛兵に突き出そうぜ。不審者ですって。」
「ふむ、縛り上げるか。」
「まかせるぅ。」
「ま、まてまてまてまて!!」
エルマーの一言に、サジが嬉々とした顔で杖を構える。
己の身の危険を感じたらしい。サジは男の静止を無視をして、繰り出した蔦で体を縛り上げた。何処からともなく生えてきた蔦によって、ふわりと持ち上げられた男は、エルマーが頭上から降ってくる声がムカつくというので、再び引きずり降ろされるかの様にして地面へと逆戻りをした。
うぎゃ、と情けない声が漏れた。地べたに頬を擦り付けながら、男が縋るような目つきでナナシを見やる。
「える、いいのう?」
「こんな不審者、構ってやる必要はねえ。」
「でも、かわいそうだよう。」
しょんもりとした顔で男を見つめるナナシの優しさに、縛り上げられた男はかすかな光明を見出したらしい。這いつくばったまま、背筋だけで体を起き上がらせると、身も蓋もないほど必死な声で、乞い願った。
「美少年!頼む、この哀れな男をたすけいだだだだっ」
「だぁーーれが口開いていいって言ったぁ。オイコラ不審者。ナナシに変なこと言ったらてめえの舌を三枚におろしてやるからなあ。」
ぎゅむ、と腰を踏みつけて見下ろすエルマーの開いた瞳孔に、サッと顔が青褪める。これは踏んだエルマーの地雷が大きいことを知らしめていた。
しかし、男には使命があった。その為にはどうしても魔女の力が必要だったのだ。物怖じはしてしまったが、慌てて気合を入れ直す。そして、瞳に揺るがぬ使命を宿したまま、腹に力を入れて声を上げた。
「ま、魔女の!!魔女の力を貸してくれ!!頼む!!」
「ああ!?」
「む。魔女だと?」
「ひぇっ」
エルマーのその恫喝地味た治安の悪い声に、男は思わず引きつり声を上げ肩を跳ねさせる。
どうやらこの男は、やり手の魔女が住んでいると聞いて、この辺り一帯を探し回っていたらしい。ここの主はジルバなのだが、そんなことは知るよしもない。
男は白い装束を着た美しい顔立ちのサジを見ると、今にも額を地べたに擦りつけるかのように土下座した。
「頼む!!呪いを、主の呪いを解いてはくれまいか!!」
「呪いだと?」
ナナシはエルマーの足を男の上からどかしてやると、キョトンとした顔で首を傾げた後、聞き返したサジを見上げる。
「つち?」
「土かはしらん。が、呪いかあ。」
それは確かに治癒術でも治らないだろう。
呪いは魔女の専売特許だ。もちろん、光や聖属性を持つ者がいれば解くこともできるが、その為には呪いの種類を見分けなくてはならない。
魔女はありとあらゆる魔術に精通をしている。無論、苦手な分野もあるが、ある程度なら見ることができた。
ふむ、と逡巡をする素振りのサジを押しのけ前に出たエルマーは、男を見下ろしながら吐き捨てる。
「やらねえ。なんで名も名乗らねえ野郎にうちのサジ貸さなきゃなんねえんだ。」
「エルマー!!うちのサジだと!?何だその言い草は!!身体が高ぶりを抑えられない、抱いてくれ!!」
「お前喧しいから黙っててくんねえ!?」
エルマーの一言に反応したのか、目を輝かせて飛びつくサジを振り払う。最高に締まらない。
男はサジとエルマーの関係に戸惑いながら、藁にも縋る思いでナナシを見つめた。その瞳は取り持ってくれと言わんばかりである。
ナナシはというと、戸惑ったように男を見下ろすと、少しだけ後ずさりをした。勢いに押されたと言ってもいい。
「あう、え、あ…」
「帰んぞ。相手にするこたあねえ。」
エルマーはがしりとナナシの肩にを抱くと、そのまま男から背を向け、ナナシを抱き上げ歩き出そうとしたときだった。
「主を死なせたくないんだ!!頼む、この国の未来の為にも!!」
悲痛な叫びに、ぴくりとエルマーが反応する。この国の、というワードが引っかかったらしい。サジはくるりと振り向くと、軽い足取りで男の目の前に近づくとしゃがみ込む。
「お前、もしかして城勤めか?」
「んぐっ、あ、いやあ、そのっ」
「口を割らせようか。うふふ、真実を言わねばお前の寿命を縮める呪いをかけても良いのだぞ。」
「ま、まて!それじゃミイラ取りがミイラになる!!城の関係者だ!!だがそれ以上は言えな、っぐぇっ」
ドスンとサジが男の上に腰を下ろす。先程からナナシを抱いたまま、エルマーは黙りこくっている。
サジはニヤリと笑うと、跨った男の髪を梳く様にして、細い指に髪を巻き付け手遊びする。
「なあエルマー、さっきのジルバはこの事を知っていたんじゃないかあ?」
「…前途が良いものとか言ってたろ。」
「まあ、あやつに都合良くという意味だろうなあ。」
「ひぃ!」
サジの細い指が男の唇を撫でる。いやらしい手付きにじわりと顔を赤らめる様子が面白かったのか、褒めるように頬を擽る。
「える、」
「いやだ。俺はマイペースに行きてえ。」
眉を下げたまま、ナナシはエルマーを見上げる。だって、なんだか必死で可哀想だなあと思ったのだ。
ナナシの声色からして、助けてあげたいのだろうというのは読めていた。
でも、エルマーはジルバの手のひらの上に転がされているかのようで、とにかく嫌だったのだ。
それでも、この場を立ち去りたいエルマーをそっちのけで、サジはなにやら新しい玩具を見つけたように、男で遊んでしまっている。サジによって尻を鷲掴まれ、もにりと揉み込まれた男の情けない悲鳴が背後に響く。
「なあ、エルマー!サジが面倒を見るからこいつを拾ってもいいか!」
「だめだ。捨ててけそんなもの。」
「えー、だって国に恩を売るチャンスかもしれんぞ。トイレの世話もきちんとするからだめか。」
「ひ、人としての尊厳だけは残しておいて頂きたい!!」
どうやら加虐心に火を着けたらしい。サジは興奮したように男の後頭部へと、己の昂った性器を押し付けるようにして遊んでいる。
エルマーは教育に宜しくないと、その手のひらでナナシの視界を塞ぐ。そのまま、国に恩を売るという一つの選択肢を悩むかのように、顔を顰め逡巡する。
小さなナナシの手のひらが、エルマーの手に重なる。顔を隠されるのが気になったらしい、可愛らしい抵抗も、今のエルマーの前では意味を成さない。溜息一つ、渋い声でエルマーが宣う。
「面倒くさいのは嫌なんだよお。ああ、くそが、これもあいつの予想通りだって思うとムカつく…。」
「た、頼むから上の男をどかしてくれ!」
「あん、逃げるな。もうすぐでイきそうだ。」
「ひいいいい!」
ナナシを抱き込んでしゃがみこんだエルマーの頭を、小さな手が優しく撫でる。漸くナナシは視界が開けると、エルマーの肩口から顔を出すようにして男を見る。
方や美少年を抱き込んで膝をつく男、方や変態に跨がられてマーキングをされている男。なんだこれ、と言わんばかりに、男は羨ましそうな目でエルマーを見る。しかし天国と地獄は変わりそうにない。
ナナシの目の前で、サジの嬌声と男の悲鳴、エルマーの舌打ちが重なった。ナナシは困ったように眉を下げると、ぎゅっとエルマーの頭を抱き込んだ。
「える、」
「……なに。」
「たすける、して。」
「……………………やだ。」
「かこいい、えるすき、おねがい。」
「ぐうううううう、」
エルマーの頭の中で、優雅に足を組んだジルバの勝ち誇った笑みが浮かぶ。エルマーの損得勘定の天秤が、国への恩と自身のプライドをかけても傾かなかったのに、ナナシの格好いいエルマーが好きという言葉が更に相乗される。こんなの、傾かないわけがない。
エルマーはナナシの胸から顔をあげると、じっと見上げる。
「ナナシから俺にやらしいキスしてくれンならやる。」
せめてやるならそれ程のご褒美がないとしたくない。そうありありと顔に書いたエルマーは、その整った顔で作為的に刹那そうな表情を作る。
無論、その効果は言うまでもない。ナナシはそんなエルマーの様子にじわりと顔を赤らめると、こくん、と小さく頷いた。
「う、うらやまし、」
「こっち見んじゃねえ。殺すぞ。」
「ひぃ。」
男の呟きはエルマーの殺気とサジの押し付けた下肢によって遮られる。
こうして、ナナシによってなんとか男の頼みは聞いてもらえたものの、乞い願った男の内心は、なにか大切なものを捨ててしまったかのような空虚感に苛まれた。しかも、このままでは、変態魔女の玩具決定である。代償がメンタルを削るもの程辛いものはない。
しかし、目の前の性格の悪い美丈夫と少年の耽美な光景を見せつけられながら、顔のいい男に自慰の道具にされた男は、目覚めてはいけない新たな扉を開いてしまうことになるとは、このときはついぞ知ることもなかった。
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