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君のためだよ

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 とは言っても、まだ傷も治らぬうちに追い出すわけにもいかぬ。気ままな蘇芳であれど、流石にそちらは理解が及んでいたらしい。
 というか、まあ天嘉によって脅されていたので、そういうことにはならなかった。というのが真実である。
 
 
 
 
「よかったじゃんか。んで、家はもう決めたのかい。」
 
 からりと涼やかな氷の滑る音がした。冷たいお茶も、湯呑みでいただく仕様なので、宵丸は呑気に茶の中に指先を突っ込んで、溶けた氷を再び凍らせながら、そんなことを言った。
 
「松風の知り合いの山童に頼んで建ててもらうことにした。ったく、睡蓮のやろう、由春様が心配だとかいって、あいつの縄張りの中に住みたいとかいうんだぜ?」
 
 どうやら、早速琥珀は尻に敷かれている、というと語弊があるやも知れぬ。言うなれば、可愛くおねだりをされて、断れなかった。の方が正しいだろう。
 好きだは言ったが、まだ番の話は口にしていない。当人たちを差し置いて、勝手に蘇芳が言っているだけとのことだったが、もう腹は決まっている。ただ、あまりにもそういった雰囲気を出すには睡蓮が慌ただしく過ごしており、琥珀はどうやら放って置かれて拗ねているようであった。
 
「あはは、可愛いじゃんか。由春んとこの近くなら、水喰んとこまでも楽だしなあ。あれだろ、お前は飛べるから妥協しろとか言われた口かい。」
「そんなんじゃねえけどよ。まあ、俺も山ん中のが巡回してすぐ帰れるしいいかってな。」
 
 とか言って、格好を付けたのだろう。宵丸はにやつきながら琥珀に意味ありげな視線を送る。
 睡蓮はというと、片腕ながらも実によく働くらしく、毎度水喰の家から帰ってくるたびに、琥珀の着替えやら風呂やらの手伝いを行っているらしい。その甲斐甲斐しい世話の中に、ぜひ下の世話も組み込んでいただきたいのが本音なのだが。
 
「背中の怪我が治るまではお預けしやがった。」
「おいおい、そんなん睡蓮ちゃんが跨りてえって意味合いに聴こえんだけど。」
「…なるほど、つまりそういうことなのか…?」
 
 男子二人、揃いも揃って昼間っからの猥談にうつつを抜かす。琥珀としては組み敷く方が性に合っているのだが、まあ睡蓮が跨りたいというのなら吝かではない。そんな下世話なことにうつつを抜かしていれば、茶菓子を持ったツルバミがひょこりと顔を出した。
 
「むむ、またそんなところで油を売って。天嘉殿がちるどがおらぬと探しておりましたぞ。はよう行ってしまいなさい。」
「おっとぉ、人妻からのご指名とあっちゃこうしちゃいられねえ。悪いな琥珀、また構ってやるから、いいこにおねんねしておきな。」
「うるせいやい、さっさと行けっての。」
 
 けっと不貞腐れる琥珀の横に、ツルバミが腰を下ろす。盆に乗せてきたのは、睡蓮がこさえた饅頭であった。白くつるりとした饅頭が、月見団子のように積み上げられている。
 
「いや、多いわ…。」
「誠に美味しゅうございますよ。小太郎のところの小豆を使うておりますからね、ツルバミもいただきましたが、これくらいならペロリと平らげられるかと。」
「ったく、連日ご苦労なこった…。」
 
 睡蓮が水喰の屋敷へと方向に出ている間、琥珀はなぜかおやつどきになると睡蓮の手製の菓子を食わせられる。ツルバミは理由を知っているようであるが、答えるつもりはなさそうだ。
 毎度茶と共にそれを食らうのだが、あいつは太らせたいのだろうかと邪推もしてしまう。
 バクリとてっぺんの一つを食らう。やはり、なかなかにうまい。
 
「ね、なかなかに美味でしょう。」
「…なんか二人して企んでねえか?」
「おやおや人聞きの悪いことを。」
 
 水掻きのついた手をひらつかせて否定をする。ツルバミはちろりと琥珀が二口目を頬張るのを見遣ると、うんうんと頷いた。
 
「して、琥珀殿の背中のお加減はいかがでしょう。変わりはありませんか。」
「…まあ、よくはなってら。翼生やす時にひきつれるくらいだァな。」
「そうでしょうそうでしょう。うむぅ、やはり愛情というのは傷にも効くのですなあ。」
「……。」
 
 怪訝そうな顔をしてツルバミを見やる。琥珀はまくまくと饅頭を食いながら、三つ目に手を伸ばしたところで、睡蓮が帰ってくる声が聞こえた。
 
「ん、帰ってきやがった。」
「おや、若大将自らお出迎えでございますか。愛されてますなあうふふ。」
「ツルバミ、お前さっきからちっと喧しいぜ。」
「おや私めとしたことが、つい浮かれてしまったようですなあ。」
 
 ひょこひょこペタペタと琥珀の後についてくるツルバミに茶々を入れられながら、琥珀がひょこりと玄関の間に顔を出すと、見慣れた白髪頭が長い耳を垂らしながら座り込んでいた。上り框に腰を落ち着け、片腕で下駄を脱ぐ。背後に気配を感じたのか、顔を上げるように琥珀を見上げると、睡蓮は可愛らしくふにゃりと微笑んだ。
 
「ただいま、琥珀。」
「おかえり。なんだか今日は随分と早いじゃねえか。」
「うん、幸様が早くおかえりなさいって言ってくれたんだ。琥珀に嫌われたくなからって。」
「あ?なんでまた…」
 
 と口に出かけて、己が拗ねているかもしれぬと察せられたのかと思い至る。なんだかしてやられた気分だ。琥珀はばつが悪そうに頭を掻くと、ツルバミがニヤニヤしながら、やっぱりなあ。などと顔で表すので、ついうっせぇ!と威嚇してしまった。
 
「琥珀殿も十分に照れ屋でいらっしゃる。幸様の読み通り、睡蓮殿のおかえりを今か今かとお待ちになっておりましたよ。」
「へへ…、あ。饅頭食べた?傷は?」
「だから、なんで饅頭と傷の治りを一緒くたに聞いてくるんだお前ら。」
 
 琥珀の顔を見上げながら、そんなことを言う睡蓮の頭をワシリと撫でる。言っていることとやっていることの行動が合わないのは今に始まったことではなく、睡蓮は、毎度その手を嬉しそうに受け止めながら、琥珀の右手はきっと素直なの部分の表れなのだろうなあと、オッポを振って受け止める。
 琥珀の左腕に、睡蓮の細い腕を絡ませる。自分だって怪我をしているのに、こうして歩きやすいように配慮してくれる琥珀の優しさが、睡蓮は大好きだ。
 
「ったく、あの饅頭になんか仕込んでんじゃねえの?」
「んとね、天嘉殿から頼まれたお薬が混じってるんだけど、琥珀には内緒だから言わない。」
「ああそう…、うん?」
「え、何どうしたの?」
 
 キョトンとする睡蓮の背後で、ツルバミが真っ青な顔で口元を押さえる。どうやら存じ上げていたことらしく、グルが確定した。未だ己が大暴露をしたことなど気づかぬ、お頭の足りない睡蓮はというと、もうお外は緑が青々としていて、お外を散歩するのには丁度良い気温だよう。などと呑気に宣って、己の失態には気がついていないようであった。
 
「通りで傷の治りが早えと思ったあ…」
「え!そうなの!やっぱり効いたんだあ、よかったぁ…あ。」

 ふくふくと微笑んで喜んでいたのだが、ようやっと己の失態に気がついたらしい。ぱかっと口を開けて間抜けっ面をすると、それはもう恐ろしいくらいご機嫌な笑みで琥珀が見下ろした。

「うぶっ!」
「なぁに仕込んだんだお前は。」
「へ、へんひゃろはらほらっはほふふひ」
「そんな頬を潰されてては、応えることもままなりませんぞ琥珀殿…」

 大きな手のひらで両頬をぶにりとされた睡蓮は、ふひゃふひゃ宣って琥珀のツボを擽ったらしい。くっ、と笑いを堪えるかのような仕草をすると、まるで取り繕うかのように咳払いをして手を放す。

「おら、そんでなんだって?」
「天嘉殿から、こはが飲まねえと思うから工夫してって言われたんだよぅ…にっがいおくすり!」
「ああ…青藍の万能薬か…」

 天嘉が傷の治りを早めるために服用していたその薬は、青藍が編み出した特別な配合の漢方薬であり、それは天嘉の腹の傷の治りも早めた代物だったのだが、いかんせん恐ろしく苦い。睡蓮はそれをちまちまと団子に混ぜて味を誤魔化して作っていたらしい。なるほど、だからあんな月見団子もかくやと言わんばかりの量が連日出てきたのかと理解した。
 あの苦い味を思い出したらしい、琥珀が小さく身震いをすると、渋い顔をしながらわしりと頭を撫でる。

「だ、だって…」
「あんだよ。」
「こ、琥珀に早く元気になってほしかったんだもの…」

 じんわりと頬を染めてぽそぽそと言う。睡蓮のその言い分に、琥珀はぴんときた。どうやらこの可愛らしい妖かしは、体調を整えて早く契を結んでほしいらしい。琥珀が横向きかうつ伏せにしか寝ないことから、尻だっていじってやれぬのだ。下心ありきで一生懸命画策したなどと告白されては、許さぬわけにもいかないわけだ。

「やらし。」
「や、やらしいとかそういう話ししてないもの!!」
「おーそうかい、マ、そういうことにしといてやんよ。」

 睡蓮の素直な顔色を誂いながら、琥珀は酷くご機嫌な様子で腰を抱く。ツルバミはそんな二人の睦まじい様子を背後から見守りながら、こりゃあことを成したら子を孕む日も近いかもしれぬなあと思ったという。


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