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隠し事

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 十六夜は、その仮面の下で、ただ感心したように琥珀の暴れっぷりを見つめていた。大天狗は雷しか使わぬ、そう思われているのは、先代の蘇芳が好んで使っていたからに違いない。だからこそ、挑んでくるもののほとんどが、そう言った偏った対策しかしてこぬのだ。
 
「炎は雷に引き寄せられるってか。そりゃあこええ。」
 
 故に、この二人もそういった考えで挑んできたのだろう。琥珀の放電に合わせて、その炎が襲いかかってきたと言うのに、等の琥珀はというと慌てもせずに、腰から大きな扇子を取り出した。
 
「紫峰!」
 
 着物をきたまま、大きく舞うように、琥珀がそれを振り上げた。途端に、扇子の中に仕舞い込んでいた水を操る九十九妖怪共が姿を現し、大きな金魚のような姿をとると、その炎をバクリと飲み込んだ。一筆描きをしたかのような大きな金魚の妖かしは、一雨降らせるときに使う配下のものであった。紫峰と呼ばれた複数の九十九妖怪たちは普段は扇子の絵巻の中に住んでいる。それらが久方ぶりの出番であると、嬉々として琥珀の周りに侍るように回遊した。
 
「お前も紫峰の腹の中に飲み込まれてえわけじゃねえだろう。蝦蟇油に輪入道の共同戦線は利口だったが、もう少し調べてから挑んでこい。」
「琥珀殿、そのへんで。」
 
 十六夜は、紫峰の感情のない瞳に映され、戦意消失をしたらしい輪入道を見ると、もう勝負はついたとばかりに仲裁に入る。琥珀もこれ以上やりあう気はないらしい、扇子を閉じるようにして紫峰を仕舞い込むと、それを元あった位置に差し込んで襟元を正した。
 
「帰るぞ十六夜、睡蓮が待ってる。」
「は、」
 
 がしょりと音を立てて、輪入道が倒れ込む音を聞きながら、琥珀が帰ろうと背を向けた時であった。
 
「ま、まて!お前、睡蓮と言ったか!」
「あ?」
 
 思わず、治安の悪い声を漏らした琥珀に、引き止めたふんどし姿の蝦蟇はびくりと体を揺らした。しかし、何か譲れぬものがあったらしい。蝦蟇は慌てて地べたに膝をつくと、大きな声で宣った。
 
「お、お前の言う睡蓮は、玉兎の睡蓮で違いはあるまいな!?」
「…なんだてめえ、」
 
 冷や汗を吹き出した蝦蟇と、どうやら己が本分を思い出したらしい、再び燃え上がるようにして起き上がった輪入道が、血相を変えて宣う。
 
「わ、我らはそいつを探しておる!!乱暴を振るって悪かった、もし存じているならば、会わせてはくれまいか!!」
「そうだ、この通りだ!!」
 
 大きな声で、とりすがるようにそんなことを宣うものだから、遠くで諍いを見守り、そして睡蓮を存じ上げているものたちは、なんだなんだと野次馬をする。
 琥珀の眉間の皺が深くなる。また、己の知らぬ睡蓮の顔を存じているものがしゃしゃりでたのだ。不機嫌な空気を纏ったのを察した十六夜が、牽制をするように琥珀の前に出た。
 
「囀るな。先に仕掛けてきたのは貴様らだ。我らが口にすることは何もない。筋も通さぬ輩の前には、門は開かれぬ。」
「いくぞ十六夜、時間の無駄だ。」
「御意。」
「そ、そんな…、待ってくれよ!!」
 
 下で喚くものたちの様子は、配下の天狗に任せることにして、琥珀は十六夜と共に飛び立った。ああ、一体なんだと言うのだ。腹が立つ。行きよりも余程荒々しい飛び方で、琥珀が帰路へ向かう。そんな様子を、十六夜は黙って見つめていた。
 
ーもしかしたら、睡蓮殿が以前支えていたとか言う神に関係するもの達だろうか。
 
 そんなことを思ったが、口にして機嫌を損ねるのもよろしくない。十六夜は一度、この件は蘇芳に確認を取るべきやもしれぬと思うと、そっと心の中に書き留めた。

 そして、そんなことがあった晩のことである。

「琥珀、今いいか。」
「ん?」

 珍しく、蘇芳が声をかけてきたのである。睡蓮が発情期ということもあり、中に入ることはしなかったが、障子の外から、こちらを伺うようにだ。
 琥珀は横で寝ている睡蓮をちらりと見ると、今行くと言って、起こさぬように布団から抜け出した。薄い肩に布団をかけてやると、身形を整える。

「何。」
「睡蓮は寝ているか。」
「ああ、起こしたくねえ。」

 蘇芳は琥珀が睡蓮を隠すようにして立つのを見て、小さく微笑む。息子が一人に執着するのが成長の証と言わんばかりに、柔く笑うものだから。琥珀は少しだけバツが悪くなった。

「わかった、居間に行こう。睡蓮のことで話さねばならんことがある。」
「…昼間のことか。わかった。」

 仕事の出来る十六夜が、早速報告をしたらしいことを察すると、ちろりと睡蓮を見る。すよすよと寝ている様子を確認した後、音を立てぬようにそっと障子を閉めた。

「昼間はご苦労だったな、椎葉の方から手練が来たのだろう?」
「手練ぇ?あんなん、ただの挨拶まわりだろう。十六夜一人でも十分さな。」
「はは、お前は血気盛んかと思えば老成している部分もあるからなあ。まあいい、若いんだから喧嘩も楽しめばよろしい。」
「よろしいっつか、さっさと帰ってきた方は俺なんだけど。」

 のんびり口調の父親と話していると、やはりこの性格は天嘉に似たのだと自覚する。背丈は変わらない程にまでなったが、この大きな存在を超えるのはまだ先だろう。

「琥珀、おいで。」
「母さんもまだ起きてたんか。」
「おう、まあ居たほうがいいかなって。」
「先に褥を温めておけといったんだがな。」

 居間に胡座をかいて待っていた天嘉は、二人を見るとひらひらとて招いた。畳の感触を足裏に感じながら、天嘉の横に腰を下ろした蘇芳が、琥珀にも座るように促した。

「なはは、なんか面接みてえ。」
「めんせつ?」
「や、こっちの話。」

 また天嘉が聞き慣れぬ言葉を宣う。琥珀が座布団に腰を下ろしたのを見ると、天嘉は湯呑に三人分の茶を淹れた。

「ほい、」
「あんがと。」

 天嘉の好きな梅昆布茶だ。ずっ、と一口啜る。なんだか団欒というよりかは、家族会議のようである。真面目な雰囲気なぞあまり無い家だ。少しだけ琥珀は気を張っていた。

「睡蓮のことなんだけどさ。」

 口火を切ったのは、以外にも天嘉の方であった。

「あ、うん。」
「あー、えっと、睡蓮がこっちに流れてきたのは知ってるよな?」
「ああ、元々どっかの神に仕えてたんだろう?」
「うん、まあ神っていうかなんてーか。」

 言い淀む天嘉に、琥珀が怪訝そうな顔をする。蘇芳はふむ、と一つ頷くと、ずっ、と茶を啜った後に口を開いた。

「ただの化け狐さ、其奴が神に化けて睡蓮をこき使っていてな。」
「あ?化け狐?」
「そう、椎葉の沼御前が大人しいからって、取って代わってでけえ顔してる奴な。」
「母さん、見たことあんのか?」

 けっ、という顔で言い放った天嘉を見て、そんな疑問を持った。天嘉が嫌う妖かしなんぞ、まず蘇芳が里に降りさせぬだろう。基本的にどんなに嫌な奴でも、嫌いになるには時間がかかる。天嘉は鼻が利く。何か抱えているものや、そういった振る舞いをせざるおえない者などは、その話術で宥め賺してきた。故に、今の御嶽山総大将の抱え込む妖かし共は、忠義心が強く、天嘉の号令一つで来るものもいる。本人は蘇芳の男気の賜物だと思ってはいるが。


「椎葉の化け狐は神気を纏っていた獣上がりよ。しかし半端者で性根も悪い。まあ、纏う神気を剥奪されているのが理由だろう、持て余した沼御前が窘めたのをきっかけに傅くようになってな。」
「ああ、沼御前のが力が強いのか。」
「強いというよりも、物の道理をわかっておる。」

 蘇芳は煎餅に手を伸ばす。それを一枚引き寄せると、ぱきりと食らう。

「んで、その化け狐の元に侍ってたのが睡蓮。」
「沼御前じゃねえの?」
「沼御前なら逃げてねえよ、多分。」

 その化け狐の元で、どういう扱いを受けてきたのかはわからない。しかし睡蓮は、命からがら逃げてきたらしい。そうして山を越えて、ここに来た。身形はボロボロ、自己肯定感も低く、ここに逃げ延びた数日は、ずっとビクビクと震えていたらしい。

ー何でもしますから、ここに置いてください。お願いします、お願いします!

「何もないといいんだけどね、」

 天嘉は思い出していた。あの時の、睡蓮の必死な懇願を。地べたに額を擦り付けながら、居場所を求めた必死な姿に、何も思わぬわけがなかった。
 琥珀は、黙って聞いていた。また己の知らぬ睡蓮の一面を突き付けられ、それがなんとも言えぬほど不満だった。何だというのだ、一体。腹の凝りは表情に現れる。だって、睡蓮は俺のなのに。 

「しゃしゃり出て、掻っ攫われるようなヘタは踏まねえ。あいつは俺んだ。」 

 そう言って、出された梅昆布茶を勢いよく呷る。飲み終えた茶碗をゴトン!と置いた。そして琥珀は立ち上がり、荒々しい振る舞いで部屋から出ていった。
 乱雑に閉められた障子が僅かに隙間を開ける。天嘉も蘇芳も、そんな琥珀の様子にちろりと顔を見合わせる。

「琥珀の不器用は、お前に似たのだろうなあ。」
「嘘だろ、俺ぇ?」
「はっはっは、まあ、わからぬのならそのままで良い。可愛らしいことには何も変わらぬからなあ。」
「なんかムカつく…」

 むくれる天嘉とは正反対に、蘇芳は実に天狗らしくなってきたとニンマリ笑う。不服そうな嫁の腰に手を回し、ぐっと引き寄せる。

「好いたものは手放せぬよ。それはなにがあってもだ。」
「む…」

 お前がいっとうわかっておるだろう。そう言って、酷く甘やかな瞳で天嘉を見つめるのだ。お陰様で、その圧にやられるかのように天嘉の形のいい唇はにゅんと出る。不満そうな、そんな照れ隠しの顔は、琥珀によく似ているのであった。

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