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蘇芳家にて

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 怒ってくれてもいいのに。睡蓮は、静かに話を聞いてくれた琥珀を前に、そんなことを思った。二人して、心の内側では別方向を向いている。睡蓮が平気、と切り捨てた部分を琥珀は守りたかったし、睡蓮は何も言わずに黙って聞いていた琥珀の内なる後悔を愛しいと思う。
 気持ちが具現化することが出来たら、一体どれだけいいだろう。そんなことを思って、それは不毛な考えだと一蹴する。
 結局、腹に抱えているものなんてわからないのだ。だから、今がある。
 
「…とにかく、お前はうちにいろ。しばらくは青藍がお前を見てくれる。いいな。」
「うん、あの、」
「謝らなくていい、もう、お前が謝ることなんて、何もねえから。」
 
 なら、なんでこっちを見てくれないの。抑揚もなく、琥珀が言った。立ち上がる背中を引き留めたかったけれど、睡蓮にはそれが出来なかった。そばにいてくれるって言ったのに。そう思ったが、琥珀は忙しい。きっと、事後処理に奔走しているのだう、睡蓮は頭が良くないが、それくらいは理解できたから止めなかった。
 琥珀がこの部屋を出るときに、もし僕の方を見てくれたら、少しだけ勇気を出して、明日の朝そばにいて欲しいと言ってみよう。そう心の中で決め事をする。睡蓮は大人しく布団にくるまると、その赤眼で部屋の障子に手をかける琥珀の背中を見た。だけど、睡蓮の胸中とは裏腹に、その背中は部屋の外に消えてしまった。
 
  


「腕、あげれるかい?」
「ううん…」
「ありゃ、表情からやる気だけは伝わってくるね。」
 
 化け鼬の青藍が、苦笑いをしながら睡蓮を見る。青藍には、右手の指を左手に絡めて持ち上げてみろやら、その状態で肘を曲げるよう指示を受けたりもした。それでも睡蓮の心意気に左腕が反応を返すことはなく、何度も右手から滑り落ちるようにして外れてしまう。
 握力が足りないのだろうかと右手をワキワキとさせてみたが、関係ないからねとにべもなく切り捨てられた。この優秀なお医者さんはなんでもお見通しらしい。
 
「握り返せもしないや。はあ、僕の腕じゃないみたい。」
「自分の体のことだろう、他人事にするんじゃないよ。」
「今つねってる?」
「そこそこの強さでね。」
 
 睡蓮の二の腕をもにりと摘んだ青藍は、ここは少しだけ感覚が残ってるのかと理解すると、そこを包むように手のひらで温める。
 
「温度が違うな。ここと、この部分。左腕が寒いとかは?」
「ううん、何にも。」
「そうかい、生活に支障しかないね。」
 
 ひとまず包帯を巻き直すか、と左腕に手を添えると、青藍はゆっくりと包帯を外していった。
 
「青藍さん、琥珀は見回り?」
「昼頃には様子見に帰ってくるってよ。なんだ、寂しいのかい。」
「ううん、…うん、そ、そんなでもないけど、ちくっとね、」
 
 じんわりと頬を染めて言う睡蓮に、青藍はニンマリと笑う。天嘉が言う通り、やはり睡蓮は琥珀が好きなようだと思い至ると、チョンと唇を尖らせて誤魔化そうとする。そのウブな様子が青藍のお節介を刺激する。
 
「なら、出迎えてやりゃあいい。悪いのは左手だけだしな、床に伏せっぱなしよりも余程いいよ。それに、今なら表で面白いもんも見れるしね。」
「面白いもん?」
 
 睡蓮が興味深そうに聞き返すと、青藍は再びニンマリと笑う。先程のとは毛色が違い、今度の笑みはいたずらっ子のような顔であった。
 包帯を外す。白い腕に穿たれた凹み穴を無理くりに塞いだような、そんな歪な腕が外気に触れた。気味の悪いその腕を厭わずに、青藍は優しく撫でてくれる。
 
「こんだけ侵されて、痛かったろ。」
「へ、平気…」
「今は、だろうが。全く、」
 
 左腕はげっそりと痩せていた。琥珀は優しいから、この腕を見たら囚われてしまうかもしれない。睡蓮の右手が、そっと左腕に添えられた。触れている感覚すらない。なんの感触も感じないくせに、重みだけが残る。
 
「ほら、邪魔だよ。手ぇどけな。」
「あ、ご、ごめんなさい。」
「包帯、味気ないねえ。いっそ洒落た布でも巻いたらどうだい。」
「ええっ!ぼ、僕に華美な布は似合わないよ!」
「なら穴ぼこに金平糖でも詰めてさ、困った時の非常食入れにしちまえば?」
「金平糖!そ、それは有効活用かもしれない…」
「本気にすんじゃないよおばか。」
「あいてっ」
 
 本気にしかけた睡蓮の頭をぺちりと叩いて嗜める。なんというか、やはりこの兎は少しばかりずれていると認識を改めた青藍は、手際よく包帯を巻き終えると、睡蓮の右腕を引くようにして立ち上がることを催促した。
 
「ほら!お天道さまの下へ行くよ!面白いもん見れるって言ったろう!」
「わ、ちょ、ちょっと待って!今立つから!」
 
 よたよたとしながら起き上がると、青藍に腕を引かれるがままについていく。長い廊下を渡り終えて連れてこられた場所は、なかえの間から出てすぐの玄関の間横の庭であった。
 竹で組まれた横長の腰掛けに座るように促される。睡蓮は訳がわからないまま言う通りにすれば、その屋根の上から蘇芳が飛び降りてきた。
 
「ひゃっ!」
「おお、睡蓮。もう具合は、と、すまない後で話そう。」
「え、あ、は、はい!」
 
 背中から羽をはやし、降り立ったかと思えば身を翻して飛び退る。蘇芳のいた場所にベシャリと弾けたのは雪玉で、睡蓮は思わず時期を疑った。
 
「今って、」
「ここの敷地内は夏だねえ。」
「待てええええええ!!!!」
「で、です、よね…」
 
 青藍との会話を遮るように、天嘉の勇ましい声が降ってくる。恐る恐る見上げれば、蘇芳同様、棍棒のようなものを肩に担いだ天嘉が宵丸と共に飛び降りてきた。
 
「天嘉殿!!」
「あ、おはよ。今手合わせしてっから後でな!」
「睡蓮ちゃん!!風呂の介添えなら俺が手伝ってやるからいつでも声かけてね!!」
「は、はい…え、え!?」
 
 天嘉の背後に着くように、雪風を纏った宵丸がふわりと舞い降りる。指先一つで作り上げた雪玉を天嘉に放り投げると、見事な棍棒捌きでそれを思い切り蘇芳に向けて打ち込んだ。
 
「な、何してっ」
「嫁の戯れだ、気にするな。」
「あああむかつくううう!!」
 
 パチリと細い電流が蘇芳の身にまとわりついたかと思うと、向かってきた雪玉をいとも簡単に破裂させる。訳がわからないまま、夫婦喧嘩なのかと顔を青褪めさせる睡蓮に補足するように、青藍が実に明快にことの成り行きを説明した。
 
「ほら、この屋敷も穢が襲ってきたんだよ。」
「え、」
「ほんでさ、天嘉が人間だからかもねって話になった途端キレちゃって。」
 
 天狗の嫁が舐められてたまっかよ!そう意気込んで、己も戦えるように特訓しているらしい。
 
「んで、暇な旦那捕まえてあんな具合に遊んでるってわけ。」
「で、でも蘇芳さまだから、手心加えるんじゃ…」
「いいんだよ、蘇芳が手心加えて丁度いいんだから。」
「な、なるほど…」
 
 天嘉が踏み込んで、棍棒を思い切り振り切った。ブォンという音と共に、宵丸が繰り出した雪玉を二発まとめて蘇芳に飛ばすと、それを弾くために蘇芳が飛び退った。
 
「未だツルバミ!!」
「御意にございます!!」
「むっ、」
 
 草陰に隠れていたらしいツルバミが、思い切り地面に埋めていた紐を引く。蘇芳が足下に張られた紐をひらりと跨ぐと、天嘉が一気に駆け出した。
 雪玉が蘇芳の電流によって弾かれる。足元の紐に気を取られた蘇芳が、向かってきた嫁に気がつくと、両腕を広げて抱き止めようとした時だった。
 
「日頃の恨みいいいいいいい!!!!」
「げえっ!!」
 
 ツルバミのやかましい声と共に、蘇芳の左足がズボリと地べたに沈んだ。天嘉はたたらを踏むようにして急停止すると、間抜けな顔をして振り向いた蘇芳の額にべしりと指先を弾き当て、体を後ろに押しやった時だった。
 
「おおおおお!!」
「やった!!」
「うわあーー!!!!」
 
 砂埃と共に現れた大きな網に、蘇芳の体が飲みこまれるようにして持ち上がる。木端を撒き散らしながら、大きな松の木にぶら下がるようにして間抜けな顔を晒す蘇芳を指差すと、青藍はゲラゲラと大笑いをして喜んだ。
 
「つ、ついに蘇芳殿に泥を塗ることができましたぞ天嘉殿!!!!」
「流れるような連携プレーだったな!!見たか蘇芳!!参った天嘉さま許してくださいって言ってもいいんだぜ!?」
 
 ビョンっと飛び跳ねてきたツルバミを抱き止めながら大はしゃぎする天嘉の破天荒具合に、睡蓮は呆気にとられたように見つめると、ひょこひょこ近づいてきた宵丸が、ニコニコしながらツルバミを抱きしめる天嘉ごと抱きしめようとした。
 
「全くわんぱくがすぎるのも可愛らしいが、連携ぷれいよりもそろぷれいとやらで強くならねばならんだろう。」
「イッテエ!!」
 
 いつの間にやら拘束から抜けたらしい蘇芳が、宵丸を静電気で弾くとツルバミをつまみ上げる。
 
「喧嘩で仕留めんのダメだって言ったのお前じゃん。」
「そうだぞ天嘉、お前の柔肌に痣なんぞできたらどうする。嫁は黙って守られていれば良いのだ。」
「ゲコォオ!!」
 
 ぺしりと投げられたツルバミが、ぽちゃんと音を立てて池に落ちる。天嘉は無言で抱きしめてくる蘇芳から抜け出すと、棍棒を肩に担ぎ上げてくるりと振り向き睡蓮を見た。
 
「わり、ほったらかしにしちまって。」
「旦那もほったらかしにしているぞ天嘉。」
「なんか奇襲受けて火ぃついちまったんだよなあ。体調どう、腹減ってない?」
「あ、はい…」
 
 聞いているのか天嘉。と背後で蘇芳が語りかけているのだが、どうやら無視を決め込むことにしたらしい。お山の総大将でもある大天狗の蘇芳さまを雑に扱う天嘉に、若干の尊敬の眼差しを向けてしまう。
 
「さて、若君がお戻りになる前に昼食の支度をしてしまわねば。」
「おい。」
 
 池から這い上がったツルバミが、蘇芳の着物の裾で顔を拭う。腹いせらしい、そのままぴょこぴょこと天嘉の後に続いた。
 
「迷惑かけてすみません、」
「なんの、構わんさ。なあ、お前からも言ってくれないか。最近天嘉がつれないのだ。」
「そ、それは…ど、どうしましょうかね…」
 
 困ったものだと宣う蘇芳に、夫婦とはなんたるかを説かれる。睡蓮の申し訳なさなんて汲み取らずに、随分と自然に迎え入れられていた。その事実に、睡蓮はもぞりとした気持ちになったのであった。
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