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それぞれの役目

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 猛禽の羽を広げる。立派な羽だった。琥珀は四肢を鉤爪に変えて、蹴散らすように蔓延る穢を引き千切っていった。埒が明かない、左陣が戻るのを待って結界の穴を塞いだが、それでも入り込んでしまった穢はこうして処理をしていくほかはない。

「右陣は十六夜の指示を仰げ!戦えぬ妖かしは天狗屋敷へ、戦えるものは刀を取れ!一反木綿を見かけたら伝令役を頼むのだ!鬼火の一派は働いてもらうぞ、武具に取り憑いて好きに暴れろ!」
「左陣はこのまま琥珀殿と山へ。ニニギ殿もおる、食われる間抜けはいないと思うが、彼女の攻撃範囲の邪魔だけはするな!百足女房を見かけたら、援護に徹しろ!」

 琥珀と十六夜の的確な指示に、それぞれが散り散りになっていく。天狗の部隊は少数精鋭だ。それを可能にしているのは、蘇芳が長きに渡って里の者たちと交流し、そして総大将が頭を下げて市井の中に独自の頭を立てたことである。
 御嶽山は、こうしてそれぞれ力のあるものが指名され、総大将から頼まれてその位置に収まった。無論、有事がなければ活躍などはしない。御嶽山全体に散らばった頭達は、それぞれが皆と同じく穏やかに暮らすことを前提にしていた。しかし、有事の際はその手にそれぞれが武器を持つのだ。
 穏やかに暮らしていた妖かしが、まるで血を入れ替えたかのように血気盛んになる。妖かしの血が騒ぐのだ。だって、これは総大将が責任を取ってれるのだから、自分達は大暴れしていいよ。つまりはそういう祭りなのである。
 山頂の大首領をニニギが、そして山の中腹を甚雨、人里に近い境界は枯木の霊が。水源に近い場所一帯は水喰と由春。そして、赤橋から市井の大通りは小豆洗いの小太郎と姑獲鳥が。他大小の小さな村には、それぞれ獣上がりの妖かしで力自慢を配置した。天嘉は年が明けるたびに、それらの首領に筆をとり礼状を書いた。大天狗の嫁から、感謝の言葉が丁寧に届く。そして、皆に頭を下げに来る。気さくな嫁の人柄を気に入り、そして頼られることに喜びを見出す。だから皆、こうして号令一つでおのが役割をまっとうする。

「いやだわ、これじゃあゆっくりお洗濯もできないじゃない。」
「俺だってぱんけえきの仕込みがあるってえのに!」

 翼を持つ姑獲鳥が、市井の里に降り立った穢に困ったような顔をする。小豆洗いと二人、上空をせわしなく飛び回る烏天狗たちを見やり、今日も旦那の帰りは遅いのかしらとため息一つ。まるで矢のように姿を変えた真っ黒な穢が、それを隙と見て襲いかかった。

 旦那の高下駄を、今日は履いていない。あれから十六夜に足を挫くから履くなと言われたのだ。代わりに与えられた十六夜の草鞋に脚を通した姑獲鳥が、その艶めかしい御御足を晒す。質素な女物の小紋柄の着物の隙間から、小さな袋が鈴なりになって零れ出た。

「ほうら、もう少し集まって頂戴な。」
「げっ!!」

 姑獲鳥が広げた翼を見て、小太郎が悲鳴を上げる。慌ててそこらの家の扉を外して盾にすると、その巨躯を縮めるようにしゃがみこんだ。
 踏み出した足を軸に、着物の袖に通した羽を広げて優雅に舞って魅せる。放射線状に投げられた小さな巾着が、幾つも穢に当たってぶわりと中の粉が弾けた。あたりに霧のような煙が広がる。その時だった。

「坊や、出番ですよ。」
「はいよ、母さん。」

 とっ、軽い音を立てて空に躍り出た、坊やと呼ばれた姑獲鳥と十六夜の息子が、その身の回りに鬼火を遊ばせてバサリと羽を広げた。躍り出たのは鬼火と、そしてその羽から繰り出した見事な火炎の火の粉だ。雨のように降り注ぐ、粉をまとった穢に吸い付くように着火すると、またたく間に通りに蔓延っていた穢を一気に燃やし尽くした。

「おげぇ…その組み合わせだけは勘弁してもらいてえなあ。」
「嫌だよ小豆さん、人を化け物みたいに。」
疾太郎はやたろう、随分と鬼火扱いが上手くなりましたね。」
「父上の特訓のおかげですねえ。」

 疾太郎と呼ばれた、十六夜似の青年は、姑獲鳥のお市によく似た女性的な顔立ちでにかりと微笑むと、その藍色の瞳で小太郎の方を向いた。一つに高く結びあげた黒髪を風に遊ばせながら、姑獲鳥の腰に腕を回すと、瞬く間に屋根の上に飛び移った。

「小豆さん、後ろ。」
「どわあ!!」

 疾太郎の目の前で、情けない叫び声をあげた小太郎が体をひねるようにして一打を避ける。たたらを踏むようにして振り向くと、大蜥蜴のような体を模した穢が、しゅるしゅると舌を巻いているところであった。

「俺今舌で殴られかけたのか!?きんもちわりい!!」
「その男らしい腕毛に絡め取って殺しちまいなよ。」
「疾太郎!!てめえ一言余計なんだよ!!」
「おやまぁ、仲良くしなさいな。」

 がなるように言い返した小太郎が、その穢に向かって走り出す。口を開けて二打目を打とうとする穢には、扉を口に突っ込んで妨害をした。

「俺だってなあ!!別に小豆ばっか洗ってるわけじゃねえんだ!!」

 口に突っ込まれた扉を噛み砕こうともがく。しかし、その必要はなかった。ニヤリと笑った小太郎が、上半身を撚るようにして足を振り上げた。地面に手を付き、勢いのままに横面に蹴りを叩き込む。口の中で割れた木片が、その柔らかな腔内を切り刻む。

「いいかァ!俺ら出番がねえだけで弱えわけじゃねえんだぜバァァカ!!」
「そういうこと言うから弱いってみられるんだよおバカ。」
「あらまあ、男の人はいつまで経っても童心を忘れないのねえ。」

 腰に手を当てて高笑いをするように宣った小太郎を眺めながら、疾太郎もお市ものんびりと宣う。ここの通りの穢は払った。残りは黒い煤を放っているところを目印にして行けばいい。

「赤橋は牛頭馬頭がいるってさ、俺達は屋敷に向かって上がってきゃいい。っと…すげえ雷。旦那は相変わらずやることが派手でいけねえや。」
「いいじゃないの、天嘉殿が余程心配だったのよ。」
「琥珀のとこに加勢に行こうかな、母さんは小太郎に任せてゆっくりしてて。」
「それは俺が言うべき言葉だなあ!?」

 疾太郎が両腕を羽に転化させると、お市を優しく抱きしめた。十六夜同様、疾太郎もお市が大切なのだ。女性だし、母だし、こんな細腕で小太郎とともに市井の首領に抜擢されたときは驚いたが、やはり母は強しである。

「おめえさんが心配しなくてもよ、お市は強いぜ。ひょっとしたら十六夜よりもな。」
「あらもう、小豆さんたら嫌だわ。」

 今はただの女ですもの。そう言って気恥ずかしそうに笑うが、姑獲鳥は十六夜と番う前は山賊狩りをしていた女傑だった過去を持つ。
 着物の袖から出した豊かな羽を折りたたみ、そうして広げる。羽の端を刃のように硬質に変えた姑獲鳥が、なんとも呑気な口調で言った。

「市井は母と小豆さんにまかせて、疾太郎はお行きなさいな。お父様に会ったら、帰りにお葱を買ってきてくださいねと。」
「ああ、わかりました。今晩の夕餉が楽しみだなあ。」
「ええ、」

 柔らかく微笑む姑獲鳥が、そっと屋敷に続く空を見上げる。渡り鳥のような形をした穢が数羽飛んでいたのだ。

「美味しく食べて貰えるように、お母さんがんばりますからね。」
「穢は鳥でも流石に食えねえとおも、って聞いてもねえ!!」

 とっ、軽い音を立てて飛び立った姑獲鳥が、屋根の上をかけるようにして距離を縮める。疾太郎は見事な羽捌きであっという間に祓い終える母の勇姿を誇らしげに見つめると、さて己の本分を全うするかとこちらも飛び立った。羽は父親に似た黒色である。空中を己の特徴を活かして駆け抜けていく親子を見て、小太郎は渋い顔をしながら地面を這うちまこい穢を踏み潰した。



「あっはっは!食いでがないねえ!」

 檻のように連なる杉林の隙間を縫うように、硬質な黒い鎧のような外殻を纏ったニニギが、大顎を開いて蛇のような形をした穢を食い千切る。口端から煤のようになって消えていくそれに、つまらんといった顔で口元を拭うと、ニニギのもとまで穢を追い込んでいた烏天狗がバサリと木枝に舞い降りた。

「ニニギ殿、穢を喰ろうて障りは出ぬのか。あれは怨嗟そのものぞ。」
「あん?獄卒ナメんじゃないよ。」
「そ、そうか…すまない。」

 若い烏天狗に見せ付けるように、ニニギは長い黒髪をかき上げ額を晒した。罪を重ねた分だけ文字に近づくその一筆、一度の収監を表す額の真一文字を見せたのだ。
 地獄に叩き込まれたものは、そもそも穢の中で生きていたようなものだ。ニニギは旦那を喰らって地獄堕ちした。逆恨みをして獄都で暴れようとしたところを天嘉に拾われたのだ。今は泣く子も黙る獄卒。罪を受ける側が裁く側になったのだ。なんの冗談だと自分でも思う。

「まさか恩義を感じるほど、お前に忠義心があるとはな。」
「なんだいそりゃ、アタイが忠義を尽くすとしたら天嘉だよ、あのこはかわいい。」
「その紅も贈り物か。」
「こりゃ琥珀からだ。」

 十六夜の言葉に、にやりと笑って返す。真っ赤な口紅はよく似合っていた。おびただしい数の足で器用に木々の間を泳ぐと、その身を絡み付けるようにして一本の杉の木の上に顔をだす。広い森を見渡していれば、甚雨の守護する土地付近で大きな音を立てて木が倒れた。


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