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そして新たな日常へ

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「まさかお前までついてくるとはなあ。」
「だってやだろ、住処荒らされんの。」

 あの後、気絶をした四人組を蘇芳が纏めて山のホテルのそばの林にぽいっと放置して、そうして漸く終いの運びとなったのだ。

 まさかニニギもよいしょも楽しそうだからと言って、影鰐に飲み込んで貰い、質量を縮めてまで外界に降りて参加するなんて思わず、まあ、そんなこと言ったら自分もなのだが。とにかく思った以上に妖かしたちは楽しんだようで、影鰐はご機嫌でしばらくは元の法師の姿に戻らなかったくらいである。

「怪異とひとくくりにされるだけある。あそこまで怯えられると、確かに加虐心は満たされるなあ。」
「物騒なことを言うんじゃねえって。たく、でもまあこれで悪さはしないだろうよ。」
「今後もし同じように害されることがあったなら、またやってもいいかもしれんな。じつに愉快であった。」
「だからぁ!」

 まあ、蘇芳も蘇芳で腹に据えかねていた部分はあったので、こればっかりは仕方がないのだろうか。天嘉は難しい顔をしながら溜息を吐くと、その頭の上に蘇芳の手のひらが乗せられた。

「実によろしい。」
「あ?」

 そう嬉しそうに一言漏らした蘇芳に、天嘉は怪訝そうな顔で見上げた。

「ここは大切な場所だ、あとは、地主ではなく嫁だっけか。」
「バッ、」
「実によろしいなあ。お前の勇姿、しかとこの目に焼き付けた。なあ影法師。」

 声には出さないものの、嬉しそうにその影を踊らせながら反応する影法師に、天嘉はたじろぐ。バカ野郎と言いたかったのに、ここで言ったら影法師まで一括にしてしまうようで、口には出なかった。だから代わりに蘇芳の腹に一発決めておく。ニコニコと微笑んでいた蘇芳が口をつけた茶を吹き出したが、そんなものは見ないふりだ。

「おやあ?また乳繰り合っておられるのですか。全く仕方のないご夫婦ですなあ。」

 呆れたような声色で、ツルバミがゲコゲコ言いながら茶を持ってくる。床についている天嘉の側に静々と近寄ると、こほんと咳払いを一つ。

「青藍殿から絶対に安静にしていろと申されましたなあ天嘉殿。」
「でも暴れてねえもの。」
「それは言い訳というものですぞ!」

 あまりにお転婆がすぎるとお子に障りますぞ。そう言いながら、いれた茶を手渡す。天嘉がうまいと言ってから、たまに梅昆布茶が出るようになったのだ。
 ツルバミは今回の件に関しては、いの一番で反対を示していた。
 なりません、天嘉殿がご無理をなさるのは明白ですと宣って、やまのけの件で守れなかったことを悔やんでいるような、そんな気持ちが汲み取れる言葉で止めようとしていた。
 だから天嘉は、その気持ちが嬉しかったけれど、トラウマになってほしくないなあと思ったのだ。

「蘇芳もいたから、平気だったよ。ありがとな。」
「べっ、別に天嘉殿の心配をしたわけじゃないんですからねっ!!」
「なにそれツンデレじゃん!」

 げこ!と器用に顔を赤らめながら声を張り上げたツルバミに、蘇芳は少しだけ羨ましげな顔をする。狭量な大天狗は、嫁からのありがとうを全部自分だけのものにしたいのだ。

「天嘉、」
「お前にはいわね」
「不満だ。」

 ムスッとした顔で見てくる己の旦那の視線から逃げるようにして目を反らす。だって、蘇芳にはありがとうだけでは足りないだろう。ちろりと天嘉の琥珀の瞳が伺うように蘇芳を映す。おや?といった顔で見つめ返すと、頬を染めながらぽそりと呟いた。

「よ、」
「よ?」
「夜な。」

 たったの三文字。それでも、天嘉から蘇芳に対してそんな事を言うのは、滅多に、というか無いかもしれない。
 蘇芳は目を丸くしたまま、はくはくと口を動かし言葉を紡ごうとした。が、上手く言葉にできていない。それだけ驚きすぎて、蘇芳の頭の中の整理がうまいこと行かなかったのだ。

「睦まじいことは良きことです、が。」

 げこ!とツルバミが、そんな二人を見て口を挟む。

「胎動からして、産み月もまもなくかと青藍が申しておりました。くれぐれも、くれぐれも!!蘇芳殿には、よくよく言い聞かせるようにとも!!言付かっております故。おわかりか。」
「お、おわかりっす…」

 何ともまあ物凄い力説であった。産み月、そうかあ。天嘉は丸くなった腹を撫でながら、まるで他人事のように思ってしまう。
 ここに来て一年経っていないのだ。人としての常識に凝り固まっていたはずなのに、落とし所を見つけてからは息がしやすくなったというか、まあなんだろうか、諦めがついたというのも違う気もするが。
 まあとにかく、なんだか色々な事が起こりすぎて、天嘉の情緒がここの生活に合わせるほうが心身的に負担がないと判断して、勝手にそうなったのかもしれない。

「馴染んじゃったなあ…こっちのが不便なのに、満足しちまってるし。」

 天井には鬼火がぷよぷよしているし、蛙が侍従だし、近所付き合いには水龍がいる。
 今だって影法師がツルバミの指示で動いているし、天嘉のお医者は化け鼬だ。男でも孕むし俺の旦那はそもそも天狗だし。そんなことを考えながら、梅昆布茶をすする。

「そうさなあ、男子なら琥珀にしようか。」
「え、はやくね?」
「産まれてから名を呼ばれぬのは寂しいだろう。」

 蘇芳の手のひらが腹に触れる。腹の中の子がくるんと動いて、まるで同意をするかのように蘇芳の手の平にとんとん、とお返事を返す。
 天嘉は、なんとなくだが男の子のような気がしていた。だって、夜寝るときだって活発すぎるくらい動き回るから寝れないときもあるのだ。けれど、我が子が元気なのは嬉しい。天嘉の目元が自然と柔らかく緩むと、蘇芳によって与えられた名前を小さく呟く。

「琥珀かあ、」

 その声色は、まどろみの中にいる時のような、ゆったりとした優しい声色だ。蘇芳は嬉しそうに微笑むと、その細い肩を抱き寄せた。







 あれから幾日か経った。その日は、天嘉とツルバミは共に朝餉の支度をしており、だし巻きを作るために、かしゃかしゃと菜箸で卵を溶いていたところだった。

「う、」

 ちくんとした痛みが腹に走った。天嘉はなんだろうと思い、その手を腹に添えて撫でてみる。なんだか心なしか張っているような気がして、朝餉を作ったら少し横になろうかなあと思っていた。

「だし巻きには明太子がよろしいかと思いまする。」
「ツルバミ好きだなあそれ、まあいい、け、っ」

 じくん、声が詰まるほどの痛みが、今度は唐突に来た。ばくんと心臓が跳ねて、体中の神経が座喚く。不自然に途切れた天嘉の言葉に怪訝そうな顔をしたツルバミが、なんでしょうかと天嘉の顔を見上げた時だった。

「いっ、…いっ、つつ、つ…」
「天嘉殿!!」

 腹を抑え、ゆっくりと膝をついて流し場に凭れ掛かる天嘉は、額に汗を滲ませていた。ただならぬ様子で細い声を漏らす。緊迫した空気がその場を支配した。
 天嘉の異変を目の前で見ていたツルバミが、慌てて天嘉の側に駆け寄ったその時。小さな天嘉の悲鳴と共に、ついにはぷつんと音がして、足の間からぱしゃんと音を立てて破水してしまった。

「す、す、蘇芳どのーーーーーーーーー!!!!!」

 ツルバミはそれが何なのか、事前に青藍から聞いていた。もしやこれは産まれる予兆と言うものではないか。ツルバミは横長の目を見開いて、今まで出したことのないような素っ頓狂な声を上げて高く叫んだ。
 聞き慣れぬ侍従の悲鳴で、よほど差し迫った状況にあると言うのがわかったらしい。奥座敷の方から、ばたばたと足音を立てて蘇芳が転がり出てきた。

「敵襲か!?」
「ご出産でござりまする!!!!」
「ご出産!?!?!?」
「う、うるせ…っ、いて、っ!」

 スパァンと勢いよく扉を開いた蘇芳が、天嘉の破水をした姿を認めると目を見開いた。突っ掛けも穿かずに炊事場へと降りると、その細腕を己の肩に回してゆっくりと立ち上がらせる。

「破水だけか!?陣痛は!?」
「き、てる…けど…ぅ、へー、き…っ、」
「それはお前ではなく青藍が決めることだ!」
「なら、聞くなよば…かっ、」

 ふうふうと荒い呼吸を繰り替えす天嘉を支えながら、ゆっくりと板の間に上げる。異変を聞きつけた影法師達が大慌てで座布団を持ってくる。丸めた座布団を枕がわりに、蘇芳は板の間に横にさせると、ツルバミは大慌てで青藍を呼びに出て行く。
 天嘉はじくんじくんと痛み始めた骨盤に声を震わしながら、頭の中はずっと痛みでパニック状態であった。

「ひ、っ…い、いてっ…ん、んぅ、うっ…」
「腰か?ああ、さ、さすれば楽になるか…?」
「ふ、…っ、く…」

 天嘉はまるで唐突な高熱に魘されているかのような感覚であった。破水以降、急激に何かが腹の中を満たしてきたのだ。
 じわりと涙が滲む。もしかして、これは今まで子が溜め込んだ蘇芳の妖力だろうか。産まれてくるための力に変換しているのだとしたら、女のように柔らかくもない体が悲鳴をあげるのも無理はない。

 ああ、これは知らない痛みだ。体が熱くて仕方がない。天嘉は震える足をピタリと床にくっつけたまま、死んでしまうかもしれないと思った。
 腹の内側で、内臓が圧迫される感覚がある。痛くて、ちょっと余裕がなくなってきた。床が冷たくて気持ちがいい、天嘉の体はそれ程までに熱を宿していた。経験のない痛みは身の内を支配し、思考する力も奪っていく。
 涙目で見上げた蘇芳の顔が、見たこともないくらい怖い顔をしていたのには少しだけ笑いそうになったが、口元を緩めたら間抜けなうめき声しかでないだろう。
 大きな手のひらが己の手を握りしめる。それを強く握り返したくても、天嘉の体力は少しずつ奪われていくのであった。

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