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誰が一番怖いのか

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 湯から上がったのに、未だ体の疲れが癒えない。天嘉の股関節はまだガクガクしていて、心做しか肩口の傷がうずいて仕方がない。

 お湯の中ではあんなに元気に動いていた我が子も、湯から上がってしばらくしたら眠ったらしい。天嘉は湯上り後の火照ったからだを蘇芳に扇いでもらいながら、ずっと腹に触れたいた。

「のぼせたか?」
「のぼせてないけど、腰と股関節がいたい。」 

 汚れ物は纏めて置き場に蘇芳が持っていった。天嘉はそれを嫌がったが、そういう事はこちらでは普通だと言うと、顔を赤くしながら渋々納得をしていた。
 今は新しい寝具の上に腰を掛けた蘇芳の膝枕で、その身を横たえている。
 傷んだ金髪の根本が黒く染まっている。蘇芳は手触りの違う毛質を撫でるのが好きだった。

「横になっていると幾分か楽か?」
「うん、お前が程々にしてくれれば良かったんだけどな。」 
「お前が強請るから答えたまで。実に甘やかなひと時であった。」
「…覚えてねえな」

 もぞもぞと身を動かし、天嘉が蘇芳の腹に顔を埋めた。女のように柔らかな体でもない蘇芳の腹筋に触れてドキドキするなんて、自分の気は狂っているのだろうか。
 ごつんと頭突するように頭で押すと、ウッと息を詰めた蘇芳が腹筋を固くする。

「なぜ頭突きする…」
「やらかくねえ」
「お前は俺に何を…股の間なら今は柔らかいぞ。」
「ちんこはもういらねえ」

 頬を染めながらむすくれる。もそもそと起き上がると、ぐいぐいと蘇芳の体を押して横にさせる。何だ戯れるなと少しだけ楽しそうにした蘇芳が、天嘉に促されるままに横になる。天嘉はというと、蘇芳を放置して立ち上がると、カクカクとした動きで卓袱台に載せられていた茶菓子の詰め合わせを手に持った。
 どうやらずっと気になっていたらしい。蘇芳は色気よりも食い気かとしょっぱい顔をしたが、天嘉が盆を片手にのそのそと戻ってくると、寝転がる蘇芳の腹を背もたれのようにして寄りかかる。

「随分と上等な座椅子だなあ。」
「自分で言ってたら世話ねえぜ?あぐ、」

 まくりと包み紙を取って大福を齧る。半分を蘇芳の口元に運ぶと、菓子を摘んでいた天嘉の指ごとぱくんと食べる。

「お前のが美味いなあ。」
「………ふうん。」
「おや?照れたのか?」
「うるへー!」

 上等な顔をして、そんな睦言じみたことを言うのだ。蘇芳は偶に自分の顔の良さをわかっているんじゃないかと思うときがある。現に、天嘉は今の一言で照れた。
 蘇芳は楽しそうにくつくつと笑うと、腹に腕をまわしてそっと膨らんだそこを撫でた。

「明日は少し獄都を見て回ろうか。お前も気になっているのだろう?」
「え、いいの…?だって湯治だから、出ちゃいけないんだろ?」

 少しだけ期待するような顔で蘇芳を見た。天嘉は湯治とは、それ以外のことをしてはいけないのだと思っていたのだ。
 蘇芳はその反応に、本当にうちの嫁は素直であどけないなあと心配と可愛さが綯い交ぜになった不思議な心地になりながら、別に構わぬよ。と続けた。

「蜜月だ、楽しもう。順序は逆になったがな。」 
「なあ、そのみつげつってなに?」
「新婚旅行だ。まあ、今更だが。」
「ほええ…」

 しんこんりょこう…天嘉は妙な相槌と共に言い慣れぬ言葉を口にすると、なんだか妙に尻の座りが悪く感じた。だって、新婚旅行だ。なんとなくだが、もっと爽やかなイメージがあったのに。
 あんな、数時間前のように肉欲にまみれた濃厚な旅は、絶対に違うと思う。しかし蘇芳が蜜月とそう言うのならそうなのだろう。こちらの世界での天嘉の常識の基準は、蘇芳なのだから。

 蜜月にしては順序は逆、それは先に蘇芳が天嘉を孕ませたからに他ならない。蘇芳の愛しい嫁御は、実に表情に出やすいのだ。そして、手も出やすかった。
 天嘉は、無言でじとりと蘇芳を見ると、これ以上甘くささやくなと言わんばかりに、蘇芳の腹をどすんとぶん殴った。

「ぅごっ!」
「寝る!おやすみ!」
「…っな、…なんだというのだ…いつつ、」

 天嘉からの無言の一打に蹲る。そんな蘇芳の腕をガバリとひらいて、その腕の中に潜り込む。今日はツルバミも影法師たちも、青藍や宵丸もいない。だから人目を気にせずに、こうして懐にも素直に潜り込めるのだ。

 蘇芳は腹を擦っていた手を引き離された時の、中途半端に上げたままの状態で固まったかと思うと、己の懐の布生地を握り締めてちろりと見上げてくる嫁の姿に、口元をもにょりとモゾつかせる。
 獄都に来てから、デレてくれるのが可愛くて仕方ないのだが、これを口にすればすぐにやめてしまうだろう。
 まったく、懐かぬ猫のように気まぐれで面倒くさい性格が大変によろしい。
 蘇芳はそっと背に手を回して抱きしめると、実に嫁の可愛さにご機嫌な表情を見せ、抱き込んだ体を温めるかのように互いの素足を絡める。
 性欲を伴わない接触も心地よくて好きだ。腕の中の体温がこんなにも愛おしい。

「明日、楽しみだな。」
「うん、」

 胸元から籠もった声で天嘉が答えた。まるでそれに同意するかの様に、腹の中側からもぽこんと反応してくるものだから、それがなんだか嬉しくてむず痒い。
 おやすみを呟いた。二人の間に子を挟みながら、家族三人で静かな夜を過ごすのだ。












 ヒァアアアーーーー!!ワァアーーー!!!
 翌日の早朝。日も出ぬ薄暗い獄都で、そんなけたたましい悲鳴を聞いて、天嘉は飛び起きた。

「っ、なに!?」
「んん…、なんだ、」
「わ、わかんね…でも、悲鳴が…!」

 ギャァァァーーーー、まるで断末魔の悲鳴だ。天嘉は耳に手を当ててビクリと身体を縮こませた。蘇芳は呑気に欠伸をしていて、驚く様子もない。天嘉は顔を青褪めさせた。まさか自分にしか聞こえないのかと思うと、それが怖くて仕方がなかったのである。

 爽やかな朝にそぐわない悲鳴だ、きっと、なにか事件が起きたに違いない。琥珀の瞳に怯えを宿し、蘇芳を見上げたときだった。

「悲鳴鳥だ。獄都の朝なら当たり前の光景だなあ。」
「はぇ…」
「うむ、こちらで言う雀のようなものだ。怖がることなどなにもないさ。」

 バサバサと大きな羽撃きの音がして、なんだと思って外を見る。出窓の欄干には見たこともない鳥がいた。
 見た目は尾長鶏のようだが、顔が猛禽の顔つきだ。その目はぎょろぎょろと忙しなく動き、真っ赤な羽毛を纏った大きな鳥が天嘉を見つめ返したかと思うと、イヤァァァア!!と悲鳴を上げて朝が来たことを知らせる。

 どうやらこの宿のサービスの一環らしい。朝餉を配膳しに回るから、起きておくようにという意味もあるのだとか。
 天嘉はそのけたたましさにビクリと体を揺らす。悲鳴鳥は首を数度傾けると、何事もなかったかのように飛び去っていった。

「地獄が悲鳴ばっかなのって、あいつのせいでもある?」
「あるなあ、なんだ。行ったこともないのによくわかるな?」
「なんとなく想像だとこうかなってのがさ…」

 引きつり笑みを浮かべながら宣うと、遠くの方で聞こえる悲鳴にぴくんと肩を揺らす。
 そこらで物騒な事件が起こっているような悲鳴に、天嘉はビクビクしっぱなしである。無言で窓を閉める様子に、蘇芳は怖がりだなあと笑いながら頭を撫でてきたが、そういうことではない。

「俺の住んでたところはマッポ事案なんだよ…悲鳴が聞こえたらポリス呼ぶだろう普通。」
「まっぽもぽりすもしらんが。」
「んと、悪いやつが出たらしょっぴくやつ?」
「ああ、岡っ引きのことか。」

 岡っ引きっていうんだ…と逆に感心したのだが、はたと気づいた。そう言えば牛頭も岡っ引きをしているとか言ってたか。
 どうやら獄卒は地獄の管理人であり、獄都にいるときは逃げ出した亡者や悪事を働いた妖かしをしょっぴくという。なるほど彼奴等は忙しいらしいのだと気づくと、尚更昨日の逢引を邪魔してしまって悪い気がしてきた。

「馬頭もそうだぞ。大体獄都の治安はあいつらが守っているなあ。地獄の獄卒が下っ端だとすると、獄都を任されている彼奴等は指示を出す側だ。まあ、尻拭いをする側ともいうか。」
「へえ…」

 なんだか全然にイメージが沸かない。蘇芳はあまり信じていなさそうな天嘉の顔に笑うと、まあ表にいれば嫌でもわかるさといった。

「獄都に来て、まず獄卒の大捕物が見れたら僥倖だと言われるくらいだからなあ。」
「それも観光の一貫なの!?」 

 どうやら獄都は一大観光地であるからして、悪さをする輩も一定数いるらしい。
 蘇芳は、見世物のようで目には楽しいけどなあと続けると、いっそ言わないでほしかったことまで抜かす。

「獄都のみかじめ料が資金源だからなあ。」
「それは聞きたくなかった…、なにそれ岡っ引き兼やくざ!?」
「まあ、独自の治安部隊というか。まあそんなところだなあ。」
「そ、うっすか…はは…」

 だから牛頭馬頭はあんなに顔が怖いのかと変な納得をしたが、それは妖かしによる。蘇芳は、義骸を言いくるめた天嘉のほうが余程怖いと思うがなあと思ったが、それは言わないでおく事にした。


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