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だって教えてくれないじゃない

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 胸の辺りがもやもやする。天嘉はまるでその心地を振り払うようにしてずかずかと廊下を歩いていると、ただ事ではないと思ったらしい影法師たちが、慌てて道を譲るようにして横にずれる。
 その気遣いはありがたくも申し訳ない。自身の苛立ちは他者から悟られるまでとなっているのだと、ようやっと理解が追いついた。

 素足で歩いていたから、足先が冷たい。腹を冷やさぬようにと靴下を履いていたりもしたのだが、今日はそれすらも忘れていた。
 このつま先も、己の腹で見えなくなるのだろうか。
 少しずつ自分のことが自分で出来なくなる日が来るのだろうか。
 そう思うと、何でも一人でやってきた自分が、自分でなくなっていくような気がしてならない。
 このまま駄目になってしまうのではないか。ここに来てから、天嘉が出来ることと言ったらたまに飯を作るくらいだ。
 家の一切はツルバミが取り仕切っているし、掃除でもするかと思っても、影法師たちがやってしまう。
 ただ蘇芳と営みをする位で、せっかくやりたいといった菜園も、天嘉がしゃがんでバランスを崩して尻餅をついてからは、蘇芳が触らせなくなった。

「……てか、その営みすらもしてねてえっつー。」

 ぽそりと呟いた。
 シたくないわけではない。それでも、引き締まった蘇芳の体を見ると、肌を晒すのを戸惑ってしまうのだ。
 妖力譲渡のことは、すっかり失念していた。口付けだけは偶にするくらいで、後は蘇芳がそういう雰囲気を出してきたときは寝たふりをして逃げていた。
 だから勘違いしてしまった。てっきり蘇芳がシたいからそんな褥の話をしてきたのかと思ったのだ。
 馬鹿だ、天嘉は蘇芳に対してそんな事を思ってしまった自分を恥じた。

 ああ、なんだか泣きそうだ。謝りたい、謝りたいけど自分のなかで折り合いがつかないから素直になれない。
 天嘉は一人になりたいけれど、ここだとまた蘇芳に出くわすかもしれない。
 散歩に行っている事など知らぬまま、あまり使われていない下座敷の中の押し入れを開くと、そこに座布団を突っ込んでもそもそと中に入った。

 狭いとこがいい。ここなら誰の邪魔にもならずにゆっくりと考えられるだろう。

「ごめんなあ」

 口にしたら、いよいよだめだ。子にも、蘇芳にもごめんと素直に謝れるのは一人の時だけ。誰にも聞かれていないなら、素直になれるのに。

 狭い押し入れの中、小さく膝を抱えるようにして丸くなる。
 腹が膨らむのだ、妖力を吸って元気に育っているのはいいことだ。しかし、天嘉の分まで吸ってしまうから、その体は疲れやすい。 
 蘇芳はそれを心配していた。腹の子もそうだが、母体だって大切だ。腹の子が十分に満腹であれば、天嘉の吸われる妖力だって少なくなる。だから悩みの種である目眩や、ぼうっとすることもなくなるのだが、天嘉自身は歪な体を見られるのを嫌がるのだ。
 だから腹に種をつけて妖力を与えることもままならない。しかし、それを蘇芳も説明をしないのだ。
 説明をしないと、天嘉はわからない。膨らんだ腹に細い手脚の不格好な体を見られたくなくて、寝た振りをして行為を拒否する。
 無理強いに種をつけることも出来る、しかしそれをすると天嘉が怖がると思うから蘇芳は出来なかった。不器用だ。互いにこういう惚れた腫れたが下手すぎる。

「やだなあ、」

 ぐすんと鼻を啜る。こんな筈じゃなかったのに。孕んだことを受け入れたら、体の変化も自然と受け入れられると思っていたのに。
 蘇芳の前で肌を晒すのが嫌になる、自分が思った以上に蘇芳の目を気にしているのだ。
 こんなので勝手に拗ねて、愚図っちまって、俺が旦那なら面倒くさいやつ認定をするに違いない。そんなことを思ってしまうと、天嘉のネガティブがヒョコリと顔を出す。
 嫌われたらやだなあ、俺の縁は腹の子だけなのに。一人でこうしているときだけは、人目を気にせずに腹を優しく撫でてやれるのだ。

 暗くて狭い押し入れの中。そんなことを思っていたら、なんだか睡魔が襲ってきた。
 天嘉のなけなしの妖力を腹の子が吸うのだから仕方がない。腹を抱えたまま、冷えないように座布団を抱きしめた。小さく蹲ると、疲れやすくなった体が休息を欲するままに眠りについた。
胎児のように丸まった天嘉の目元は、少しだけ赤くなっていた。




「はて弱りました。どこを探してもおりませぬ。」

 そんなことを言いながらも、あまり危機感は感じさせぬツルバミは、まあ腹が空いたらヒョコリと顔を出すでしょうと犬猫のように宣った。
 随分と長い散歩から帰ってきた蘇芳は、大福を片手にむすくれていた。

「む………。」

 帰ってきて、出迎えもない。いや、まあ喧嘩のようなやり取りをしてしまったので、いつものように迎えられるとも思っていなかった。しかし、それにしても顔を見せに来ないとは一体どういうことか。

「影法師によると、天嘉殿は表に出てはいないと申してますよ、おそらくどこかで寝こけているのかもしれません。」
「…納屋にいってくる。」
「おやあ、まずそこからですか。」

 ツルバミが名前を呼びながら屋敷をうろうろしても見当たらなかった。流石に納屋にはいないだろうと思ったが、各座敷もよいしょが名をよびながら回ったらしい。さて後はどこに隠れたのやら、ツルバミは室内のどこかで寝こけているなら無事だろうと、先んじて湯を沸かしに行った。
 おそらくだが、主はそろそろ限界であろう。天嘉が今晩辺り泣かされのだろうなあと予測しての行動であった。

「おいら見て回ったけど、返事はなかったぞー」
「そもそも、お前は仕切りが怖くて中には入れまいとぼやいていただろう」
「おうよ、だから廊下から天嘉ーって呼んだんだあ!」
「それは声をかけたと言って、探したということにはならん。」

 かろかろとよいしょが蘇芳の後ろからくっついてくる。納屋に顔をだし、箱の中やら棚の引き戸を開けたりと忙しない。
 よいしょがそんなとこにはいないだろうと思う場所まで探しては、外れるたびにドンドン顔が険しくなる。手に持っていた大福はよいしょの頭に乗っけられ、落とさないように気を使いながら後へと続く。奥座敷も上座敷も、広間や次の間もいなかった。ならば残るは下座敷。蘇芳は真っ直ぐに押し入れに向かうと、そっとその襖を開いた。

「……はぁ、」

 押し入れの隅、座布団で作った巣の中で、天嘉は丸く縮こまってスヤスヤと寝息を立てていた。なんとなく予測はしていたが、こんな狭くて暗い場所をわざわざ選ぶ意味がわからない。腹を温めねばと思ったらしい、座布団を布団のように腹に抱きながら細い手足をちまこく丸める様は胎児のようである。
 蘇芳は髪を避けて寝顔を晒すと、天嘉の目元は僅かに赤くなっていた。

「天嘉、おい起きろ。そんなところで寝ていたら体を痛めるぞ。」
「うう、う?」
「もう籠城はせんでもいいだろう。俺が悪かった、頼むから機嫌を直してくれ。」
「ふあ、んん、ぅ…」

 寝ぼけているらしい、蘇芳の頭を撫でる手をわしりと摑む。なんだとおもって黙ってみていれば、くんくんと鼻を引くつかせて匂いを確かめると、寝ぼけ眼でぼんやりと蘇芳を見上げた。
 とろけるような琥珀の瞳が、いまだ微睡みの中にいることを告げている。
 やはり妖力が足りていないのだろう、天嘉はのそのそと蘇芳の手を引き寄せ胸に抱き込むと、再びすよすよと眠りだした。

「………おい」

 可愛い。蘇芳は気難しそうな顔をしながら、悶えるのを耐えるかの様に顔を歪めた。自分の匂いに安心して、再びの夢路に旅立ったのだ。これが足りなかったと言わんばかりに手を胸に抱いて。

「………くう、ああ…もう、」

 たっぷりと数分間悩みに悩んだ。蘇芳は何かを決めたように顔を上げると、すよすよと寝息をたてる天嘉の体を引き寄せる。
 細い腕を首に回して寄りかからせるように抱き上げると、足で廊下へと続く障子を開ける。

「お、天嘉みつけたのかー!あはは、寝てるなあ。」
「ツルバミに言って奥座敷へと布団を用意しろと伝えろ。」
「用意してるとおもうぞー、さっき影法師に指示してたからなー。」
「なら湯を」
「それも終わってるそうだ。」
「…予測済みというわけか。」

 全く出来た蛙である。蘇芳殿のお考えなど手にとるようにわかりまする。そんなツルバミの声が頭の片隅で再生された。
 蘇芳は、首元に頭を寄せて眠る嫁の顔をちらりと見ると、溜息をひとつ。そのまま優秀な侍従蛙であるツルバミが準備をしたという褥へと向かうと、今夜こそは否が応でも妖力を蓄えさせねばならぬと決意を新たにした。

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