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ささやかな夢の話

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「いやなんでだよおかしいだろ。法務じゃねえしホームだし、専科じゃねえしセンターだし。」
 
 俺は一体どこから突っ込めばいいわけ。そんなことを言いながら、買い物の終えた天嘉率いる妖かし二人は、併設されている軽食スペースでご褒美にたい焼きを買い与えられていた。
 
「…なんと、」
「ふむ、…」
 
 天嘉の言葉は見事に聞き流されてしまっていた。何せ、この魚を模した饅頭もどきが肺腑を突くほどの美味であったのだ。これはいけない。口の中が至上の花園である。まさかこのような脳髄に染み渡るほどの甘やかな幸福を物理的に噛み締めることとなろうとは思わなかった。この魚はいい。これはおそらく神の食べ物だろう。鼻に抜けるふくよかな香りと、滑らかな餡が非常にいい。天嘉はくりいむと言っていた。くりいむ、くりいむか。なんと甘美な響きだろう。こんなものが出回れば、たちまち争いが起きてしまうのではないか。十六夜も蘇芳も、深呼吸をし、その豊かな香りと口の中をもったりと包み込む温かみのあるまろやかな甘さに胸を熱くしては、感嘆の吐息を漏らすばかりである。
 
「…朝日奈殿、このような天上の菓子までたまわるなど、この十六夜、死ぬにはまだ未練がありまする…」
「死なねえから安心しろ。」
「天嘉、これは国盗りが起きてもおかしくはないぞ…ああ、これぞまさしくオオカムヅミ…よもや外界にこのような禁忌の実があろうとは、俺も視野が狭かったようだ…。」
「実じゃねえしたい焼きだし。」
 
 二人揃って馬鹿じゃねえかななどと思いながら、二口ほどしか齧っていないたい焼き片手にトリップする姿を見て、天嘉は白けた目を向ける。天嘉の舌には慣れ親しんだ味だが、もしや妖怪にしか聞かないマタタビ的なものが入っているのだろうか。天嘉はまくりと最後の一口を喰らうと、信じ得ないものを見る目で見られた。解せぬ。
 
「…二度と相見えぬかもしれん菓子だぞ…」
「お、思い切りがよすぎやしませんか。」
「いやなんでだよ。また行こうぜホームセンター。たい焼きは土産にすりゃあいいだろ。」
「このような誉を一度ならず二度までも…!?」
「これぞ総大将の番いである。配下の者へのその心配り、実に見事である!」
「うるせええええ黙って食えや!!」
 
 なんでこいつらは人を羞恥の沼に引き摺り込むのだろう。天嘉は大袈裟な賞賛を受け顔に紅葉を散らしながら、妖かし二人大好評であったたい焼きのクリームを買い占める。暖かいたい焼きを袋に詰めてもらうと、途端に己の背後に感じる二人の視線が、崇めるようなものに変わった。 
 その後、そんなに好きならいつでも作ってやると安請け合いをしたせいで、店でも開くのかと思うほどの業務用のホットケーキミックスを買わされる羽目になったのは余談である。

 無論荷運びは十六夜と蘇芳である。土産のたい焼きを抱きしめながら、風呂敷を買うべきじゃないのかなどとアホを抜かす二人を適当にいなしながら、天嘉の久方ぶりの外界進出は終了した。
 十六夜は、若者語録を使いたかったようだったが、黒ジャージにサングラスの輩感の強い美丈夫に声をかける強者がいてたまるかと宣うと、なるほど然りと言って誇らしげにしていた。
 訳は分からなかったが本人が満足そうだったので、天嘉はもう何もいうまいと口を閉ざす。どちらにせよ満足のいく買い物はできたが、引き換えに無駄な心労を負う羽目になった天嘉は、しばらくは外界に行かなくていいやと言ったという。
 
  


   
「いやあ、実演販売だっけ?あれ、まじでいいよ。俺麓の商店街で薬研擦りながら試しに薬売ってみたんだけどさ、意外とみんな興味示してくれててさ。」
 
 個人販売で要望や効能に合わせた薬売ることになったんだよねえ。そう楽しそうに語る青藍は、どうやら天嘉以外に上顧客がついたらしい。外界での話から興味を持った実演販売を実際に行い、反響を得たという。おかげでちまちま訪問するよりも余程効率がいいやと、商店街の一角を商い用に借り受けたと言う。なんとも思い切りがいいこの鼬は、今日も実に見ていて気持ちの良い手際で薬を作る。
 
「ほい、これが二日酔いの薬な。」
「まじで悪い。この馬鹿のせいで時間作らせちまって…」
 
 天嘉の呆れた視線の先。そこにはぐったりとした蘇芳が布団に横になっていた。
 どうやら定期的に行われる総大将どもの集まりで、義骸から詫びだと渡された上等な酒を一人で飲んだらしい。曰く、妊娠している天嘉に酒など飲ませられぬと持ち帰る前に上機嫌で飲み干して、日の出前に義骸によって運ばれてきた次第である。
 
 まだ景色が青みをおびていた明け方。申し訳なさそうな顔をした平次と義骸が奥座敷に蘇芳を担ぎ入れた物音で、天嘉は飛び起きた。
 闖入者かと思い冷や汗を吹き出したが、見慣れた狸と旦那の泥酔っぷりに事情を察した天嘉が、うちのが迷惑をかけてすまんと平謝りするところから朝がスタートしたのだ。
 
「気が滅入るわあ…。」
「まあまあ、天狗は酒に目がないからねえ。これ飲んどきゃ夕刻までには良くなるよ。あとこれ、しじみ。」
「何から何まですまねえなあ…、」
「借りは返す…。」
「なんでお前は上から目線だよ。」
 
 ビチャっと受け取ったしじみの袋を氷嚢替わりに蘇芳にのせた。ウッとその冷たさに息を詰めたようだが、よほど参っているらしい。これもやむなしと大人しくなった蘇芳に青藍が笑いを堪える姿を、蘇芳は恨めしそうな顔で見上げていた。
 蘇芳の診察を終えた青藍から、少し余分に薬をもらった。どうやらストックしておけということらしい。青藍が手慣れた様子で薬を用意する様子から、蘇芳の悪酔いは天嘉と知り合う前からの悪癖らしい。
 一応病人だから優しくしてやんなという嫁目線での一言をもらうと、俺はもう行くわと言って帰ってしまった。全く頭が上がらない。手製のたい焼きでも作ったら差し入れするかと心に決めた。
 
 こんもりと膨れる布団の小山を撫でる。天嘉は胡座に肘をつき、呆れた目で蘇芳を見つめていた。
   
「ったくよ、父親ならしっかりしろってんだ。水持ってくるから寝てな。」
「いやだ。ここにいろ。水なんて影法師たちに頼めばいい。」
「寝込んでいるとは思えねえほどの厚かましさ…いいから大人しく待ってろ馬鹿。」
 
 布団をかぶりながら子供のようにむくれる馬鹿者を残し、しじみ片手に炊事場に入る。どうやらツルバミも呆れているようで、ため息交じりに粥を作っていた。
 
「ご苦労さん。」
「ああ、天嘉殿。ともに召し上がられますか?」
「お、俺ミツバ大好き。食おっかな。あ、あとこれしじみ。」
「おや、ではこれは砂抜きをしておきましょうか。」
 
 天嘉から受け取ったしじみを水の張った桶にツルバミが移している間に、天嘉は椀と匙の準備をする。お盆には漬け物の小鉢もつけると、ツルバミが前掛けで手を拭ながら宣った。
 
「どうか甘やかしてやってください、蘇芳殿はどうしようもない男ではありますが、今まで誰かに看病などされたことはございませんから。」
 
 おそらく周りの番の話も相まって大層な憧れをお抱きになっているかと思います。などと言ってくるツルバミに、天嘉はなんとなく面映い思いをした。まあ、少しくらいなら優しくしてやってもいいだろう。天嘉は、おう。とだけ返すと奥座敷に戻った。
 
 未だ小山の様子は変わらぬままである。どうやら拗ねているらしい。いや、これは寂しかったのだろうか。
 
「蘇芳、粥。食える?」
「食わしてくれるのなら食う。」
「仕方ねえなあ。」
 
 布団の隙間から不機嫌声でそんな細い声が聞こえてきた。天嘉が了承したのによほど驚いたのだろう。恐る恐る布団の隙間から顔を出すと、ちろりと窺うように見上げてきた。
 
「…それはまじでか」
「まじだ。だけど次泥酔するまで飲んだら怒るかんな。」
「心得た。」
 
 全く現金な男である。いそいそと布団から起き上がったかと思えば、ワクワクした様子で天嘉を見る。これって看病じゃなくて介護じゃねえかな。そんなことを思いながら、碗に移した粥を匙でひと掬い。冷ますように息を吹きかけると、熱さを確認するように唇で触れる。
 
「…いやらしいな。」
「なんか言った?」
「実にうまそうだといった。」
「そうかよ。ほら口あけな、」
「ん、」
 
 かつりと少し歯にあたりはしたものの、そっと口に含ませてやる。蘇芳は自分で言い出した割には少し面映そうであった。
 ムグムグと口を動かしその一口を飲み込むと、口元が緩みそうになるのを誤魔化すかのようにモニモニと唇を動かした。
 
「…いいな、うん。実にいい。」
「味が?」
「違う。…こう、嫁に看病されるというのはなんとも照れ臭いが、実に良い。」
「そーかい。」
 
 蘇芳が笑ってそんなことを言うものだから、天嘉は胸の奥が女々しくきゅうんと鳴いてしまう。看病されるのが憧れとはなんとも細やかな夢である。
 照れ臭そうにしながらも、雛鳥に与えるかのように、蘇芳のペースで食べさせてやる。仄かに頬を染めながら、嬉しそうに給仕してもらう蘇芳を見ていると、天嘉は照れと切なさがないまぜになって、少しだけ情緒が忙しない。蘇芳を前にツルバミの言葉を思い出した天嘉は、なんとも言えないこころ模様になってしまった。しかし、それでもこの感覚は、不思議と悪い気分ではなかった。
 
 
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