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青藍と蘇芳
しおりを挟む「ばーーーーかなんじゃないのかね。嫁の上半身、見事に痕だらけ。そら風呂に入りゃしみるにきまってらあ。」
「せ、せいら、っ、い、いたいっ!」
「出産よか痛くないってんだ。ほら、顔上げな。」
「いたいっいて、いてえっ!」
風呂上がり、ツルバミに呼ばれたらしい青藍は、蘇芳によって全身を噛み跡だらけにされた天嘉を見て、開口一番にお馬鹿。と宣った。
今は、蘇芳の噛み跡が化膿しないようにと、容赦なくアルコールを塗りつけていた。
しかもこれは神酒らしい。重宝するが、蘇芳の噛み跡と獄卒の縄紋は同じ扱いなのが笑える。
本当は蘇芳が手当をするつもりでツルバミから治療のための道具を受け取りに行ったのだが、手当に何を使うのか全く検討もついていない様子から、不器用な蘇芳殿よりも確実でござりますから、と素気なく断られて青藍を呼ばれたのだ。
天嘉の上半身は、青藍によって神酒を含ませた布で噛み跡を覆われ、その上から包帯をぐるぐる巻きにされた。大した怪我でもないと思っていたが、たしかに絆創膏なんて代物はないのである。
「青藍、優しくしてやれ。」
「してやりたいけどね旦那。どなた様が歯が痒いって噛みまくるせいでこんなことになってるんですからね。」
「そのどなた様はこの俺だな。」
「おやあ、嫌味も通じないとは。」
青藍は鼬の顔で犬歯を見せつけるように嗤うと、天嘉の首元の傷の手当を終える。
ただでさえ己がするつもりだった手当の機会を奪われて、むすくれたままの蘇芳の方にくるりと向くと、青藍はいかにも承服しかねると言った顔で宣った。
「旦那、番に本能を試されんのはわかるよ、でもな。俺たち下級は喉笛を噛みつかれると死ぬ覚悟なんだ。いくら本性が獣だからといって、人型のときはその理性を保ってもらいたいもんだね。」
「本性?」
「…おい、まさか本性を見せてないと?」
ぎこちなく顔を背ける蘇芳の様子に、青藍は威嚇をするかのように犬歯を剥き出しにして嗜める。ツルバミは、青藍の獣顔に本能が刺激されたらしい。ビビり散らかしながら早々に退散してしまった。
天嘉は首もとの包帯をぽりぽりと掻きながら、青藍が蘇芳に対して文句を言うのを、なんのこっちゃと首を傾げるようにして聞いていた。
「ちなみに、俺は甚雨に本性見せられて死にかけたことがあるぜ。こう首をバクっとやられてな。あっちはじゃれてても、体格がちげえんだ。危うく産む前にややこと黄泉へと旅立つところだった。」
ニッコリと笑って入るのだが、不機嫌そうに尾を鞭のように撓らせている青藍の言葉に、天嘉はぎょっとした。
「番に首噛まれて、死にかけんの?」
「俺の番は山犬だからな。」
「ああ…鼬と山犬…」
なんとなく、天嘉の頭の中に咥えられて運ばれる青藍のイメージができてしまった。
犬と聞いては、ゴールデンレトリバーとかラブラドールといった大型犬で温厚なイメージが付いてくる。
天嘉の想像がかけ離れたものだと察したらしい青藍が、ちげえ。と端的に返した。
「旦那、そんなに耐えられねえのなら、口輪でもするかい。」
「青藍、よもやお前。この蘇芳に畜生の真似事をしろというのか。」
「おや、そう言ったつもりだがね?」
「ま、まてよ二人とも…ちょっと空気わりーって。青藍も蘇芳もおちつけ、な?」
なんだこの空気!天嘉は慌てて止めいるように間に入ると、青藍に睨みを聞かせていた蘇芳の頭をがしりと抱き込む。
「青藍、なんかわかんねえけど、今は冷静じゃねえと思うから喧嘩はやめよう、な?俺だって医者頼みはお前だけだし、こんなんで疎遠になっちまうのもいやだからさ。頼むよ、」
「…たく、今回は天嘉の顔をたてるけどさ。それでも噛み癖が治んねえなら繁殖はするべきじゃない。互いの本性を明かさねえで番うと、どっちかがつらい思いをすることになるぜ。俺は忠告したかんな。」
「青藍…貴様、俺と甚雨を重ねるな。」
「っ、うるせえ!!俺の番のほうが、余程旦那より出来た雄だたわけ!!」
青藍の瞳が蘇芳の一言で揺らぐ。くしゃりと顔に皺を寄せて威嚇した青藍は、余程腹に据えかねたらしい。乱暴に笈を担ぐと、畳に爪を立てるようにして部屋を出ていってしまった。
鋭い音を立てて閉まった襖。その衝撃の強さで少しだけ開くと、天嘉が溜息混じりで立ち上がって、それを閉める。
全く、なんだというのだ。天嘉の知らない身内話をこうして話されると、どうしていいかわからない。
そっと締めた襖を撫でるように触れる。これで青藍が来なくなるのは嫌だと思った。せっかく仲良くなれたのに、これだ。
何があったのかはわからないが、首元の噛み跡に触れると、青藍のあの強い怒りを灯した瞳を思い出した。
そんなに駄目なのかな、これ。
確かに痛かったのだが、天嘉にとっての噛み跡は、蘇芳の執着に感じられてしまった。だから、青藍が心配をしてくれているのはわかっていても、体は喜んでしまったのだ。
畳みの擦れる音がして、背中に熱が当たった。襖に触れていた天嘉の手に手を絡めた蘇芳が、後ろからそっと抱き寄せる。
腹に回った男らしい血管の走る手をみて、なんだかこちらも弱っているなあと感じた。
「蘇芳、俺は気にしてねえけど。」
「…青藍に言われずとも、俺はきちんと反省しているぞ…」
「ぶは、わかってんよ、」
後ろから、子供のような拗ね方をするの声が降ってきて面白い。頬ずりするように抱きつく大男を宥めるように腕を撫でると、頭一つ分高い蘇芳を見上げた。
「しょぼくれてんなよ、落ち着いたら一緒に謝ってやるからさ。」
「…俺は間違ってないぞ」
「そういうんじゃねえって、こういうのは落とし所見つけねえと長引くの。火種ふっかけたのが蘇芳なんだから、お前から謝んねえとこじれたままになるぜ?」
わしわしと黒髪を撫でてやると、眉間にしわを寄せたまま拗ねる。まるで大きな子どもだ。天嘉の腹に回された腕は愛おしむように腹に触れるのに、蘇芳の中の心境は駄々をこねる子供のように忙しない。
蘇芳の掌の上から自分の手を重ねて見る。大きな手だ。一回りも違う。無言で抱きしめてくる蘇芳の甘え方にされるがままになりながら、なんだか施設にいた頃の子供の喧嘩を思い出す。
互いのプライドがぶつかり合う。上の子は下の子に正論を言われると、大抵こうなるのだ。だからいつも、天嘉は宥める側にまわっていた。
「俺は、お前の素直なところが好きし、かっこいいところも好きだけどな、」
ぴくんと蘇芳の指先が跳ねた。ぐっと抱きしめる手に力が入るのを感じて、小さく笑う。
「一回さ、飲み込んでみ?青藍だってただ単純にそんなこといってたわけじゃねえだろうし。蘇芳だって理由はわかってんだろ?俺だけ知らないの、ちょっと寂しいけど…」
「天嘉…」
「理由わかんないままの俺よりも、蘇芳のほうがわかるんだからさ。お前の納得いってないこととか、全部俺にわかりやすく説明してよ。そしたら一緒に悩むから。な?お兄ちゃんだろ。」
「旦那さんだな。」
ぎゅむりと抱きしめられ、笑いながら訂正される。確かにお兄ちゃんはねえなと思った。ちょっと恥ずかしい。
なんだかやけに期限が良くなった蘇芳の様子にほっとする。やはり小さな子たちと触れ合うことで培ったこの能力はどこに行っても使えるらしい。
蘇芳は少しだけ悩む素振りを見せ、わかったと言った。そして天嘉に向き直ると、両手を掬い上げるようにして手で握りしめ、額に口付けた。
「本性を見せるから、お前は怯えないでくれるか。」
「もう、ここに来てから驚きすぎて出玉出し尽くしたわ。今更お前が何であろうと、俺は気にしねえもの。」
「ふ、たしかにな。ならば、」
ふわりとした風が舞う。襖をかたりと揺らす風圧を肌で感じ、慌てて腕で顔を覆う。ふわりとした何かが肌を撫でたかと思うと、複音じみた蘇芳の声色が、いいぞ、と言った。
天嘉が恐る恐る腕を下ろすと、目の前にいたのは立派な金色にも見えるの羽を畳んだ大きな鳶がいた。狭そうに頭をやや下げながら、鋭い鍵爪で畳を踏みしめた蘇芳の本性は、空を飛ぶときの羽根と全く同じ羽毛を持つ猛禽の姿だ。
天嘉は呆気に取られたようにしばらく見上げていたが、はっとした顔で慌てて腹に手を添えると、青ざめた顔で蘇芳を見上げた。
「ど、どんなでけえ卵…尻から産むの…」
「…安心しろ、人型で産まれてくる。妖力を蓄えたものがこうして姿を変えるだけだ。俺は人型しか取らぬからな。」
己が想像していたものよりも、斜め上の反応を返した天嘉に、蘇芳は少しだけ張り詰めていた気を緩めた。
大きな羽がそっと引き寄せるようにして天嘉の背中に回る。抱き寄せられるままにもふりとした羽毛に体を埋め、そのふわふわな感触に目を輝かせあのも束の間で、天嘉はふとした疑問を抱いて蘇芳を見上げた。
「黒髪なのに、金なの?」
「おお、面白いところに気づいたな。所詮妖力の箍を外したのが今の姿でな、俺の持つそれは金の色をしているのだ。」
そう言うと、羽が風に攫われるかのようにして元の姿に戻る。背中に大きな羽は残しているが、天嘉はその幻想的な変貌に頬を染めると、小さい声で格好いいと呟いた。本音がついぽろりと出てしまったのだ。
怯えられるかと思っていた蘇芳は、この嫁の反応に大いに喜んだ。嬉しそうな顔ではにかむと、羽で包むようにして天嘉を抱きしめる。
「俺の姿を気に入るか、愛い奴め。天嘉を背に乗せて飛ぶことだって出来るぞ。」
「シートベルトできるなら頼む。」
「しいとべると…それは初めて聞く言葉だ…」
体を固定する襷のようなものだというと、それじゃあ羽が動かしにくいと断られた。確かに。
共に空を飛ぶことは、いずれの約束事として追加されたのだが、天嘉としては気球のように籠に入れてくれねえかなあとは思っている。
そっと抱き寄せた天嘉の体を、膝に乗せるようにして座らせる。蘇芳は首の包帯を手で撫でると、少しだけ曇った顔をした。
「俺たち妖かしは、というか獣の姿をとるものは、力の強いものが多い。本能に抗えずに番との褥で愛情を込めて噛むことがある。それは同じ体躯のものなら構わぬが、種族や体格が違うと危険を伴うのだ。」
「青藍が言ってた、甚雨って妖かしの話?」
「ああ、妖かしの姿のときは毛並みに隠れているが、人型のときの項には牙の跡が深く残っていてな。青藍は番いである甚雨に一度咬み殺されかけた。」
血まみれの青藍を前に、甚雨は酷く取り乱したという。一命は取留めたが、憔悴し、青藍を残して崖の淵から飛び降りようとした所を蘇芳によって止められた。腹に子がいることがわかり、認知する気はないのかと大怪我をしながらキレた青藍が押し掛けたおかげで正気を取り戻したが、青藍にとっては大きなトラウマになったらしい。
天嘉はそれを蘇芳で想像してしまい、胸の痛みがじんわりと広がった。
好きになった相手が、不可抗力で傷つけたことを悔いて身投げするというのは、悲恋だなんて簡単に纏められるものじゃない。
その事を蘇芳の口から聞いてしまったのは後で青藍には謝るとして、それは、確かに嫌だなと思った。
「青藍は、気にしないと言って甚雨と番ったがな。懐のでかい男だ、山犬を尻に敷く鼬なんぞ、三千世界さがしても他にいないだろう。」
「…青藍のことかってるんじゃん?」
「まあ、信頼はおけるやつだと思っている…」
じわりと頬を染めてむすくれる蘇芳の本音が聞こえたので、思わず天嘉は吹き出した。
やはり蘇芳だって、青藍のことは良き友人としておもっているのではないか。
ならば尚更仲違いしたままはよろしくない。
「なら、二人でちゃんと謝ろうな。」
手を握り、見上げながら言う。
まるで小さな子のような拗ね方をしていた蘇芳が、本当に渋々といった具合にこくんと頷いた。
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