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夫婦の時間

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「さわんな!こっち来んなよばか!」
「なぜだ。俺は自分のしたいようにする。」
「んの、嫌いだ…!」
 
 天嘉の言葉を無視をして近づいてくる蘇芳によって、狭くはないはずの露天の中で追い詰められていた。長い腕が囲むように天嘉を閉じ込める。ぐ、と近づいてきた蘇芳の体にびくりとその身を跳ねさせると、泣きそうな顔を見られたくなくて慌てて顔を逸らした。
 
「こちらを向け、天嘉。」
「っ…ちかい、」
 
 天嘉の体を引き寄せる。強引なこの男が、こちらの言い分を聞かないで距離を縮めてくることが嫌だった。話を聞かない、なんでもダメだという。天嘉のことを嫁だと言うくせに、全然慮ってくない。同じ言語なのに、意思の疎通ができない。
 こんな傲慢で不遜な男のどこを愛せというのだ。
 近づいてくる体離すように、胸元に両手をおいて距離を取る。おや。という顔をした蘇芳が無骨な指で目元を撫でた。自分の予期せぬタイミングで零れた涙に気がつかれたのだ。それも恥ずかしくて嫌だった。
 
「なぜ泣く。」
「っ、…うるせえ、泣いてねえ…」
「小狐は嘘が下手だなあ。」
「俺、…狐じゃねえもん…。」
 
 意を決し、ついに言った。天嘉の寝ている時にしか帰ってこない馬鹿野郎だ。話そうと思っても、そもそもの機会がなかったのだ。
 
「青藍から聞いたぞ。紛れ込んでしまったのだと。」
 
 天嘉の背を、蘇芳の熱い手のひらが慰めるように撫でる。欲を孕んでいないその手つきがひどく優しく、泣いていた心がゆっくりと解きほぐされていく。
 
「正直腹がたった。なぜ嫁の話を他人の男から聞かねばならぬのかと。」
「嫁じゃねえもん。」
「お前はそればっかだなあ」
 
 くつくつと蘇芳が笑う声がする。天嘉はぎこちなく体を離すと、むくれた涙目で言う。
 
「俺たちは圧倒的に話し合いの時間が足りない。」
「ああ、そうだな。俺が浮かれたばっかりに。」
「まず、お前らの常識ばかり押し付けんな。こっちにだってやり方ってもんがあんだよ。」
「ほう、それは歩み寄ってくれるということか。」

 にこりと微笑んでそんなことを言う。しかし、天嘉がコチラの常識を説いて、蘇芳の失礼な行動を正すというのは、確かに歩み寄りに他ならない。
 大変に不本意ではあったが、天嘉は己の待遇改善の為にしぶしぶこくんと頷いた。

「俺がお前に惚れたら結婚してやらあ。」
「ほう、面白い。恋の駆け引きというものか。天嘉はそういった恋の謀が好きなのだな。」
「人をロマンチスト見たいに言うな馬鹿!」
「ろまんちすと。なるほど。」

 絶対こいつ意味わかってねえだろう。天嘉は目元をヒクリとさせながら蘇芳をみやる。
 乳白色の湯の下では、腰のあたりに蘇芳の長い脚で閉じ込めるようにして座っている。嫌味な男だ、自分勝手に天嘉を愛でて、人の体を好き勝手に扱う。
 身動きがとれないこの時点で、まずは、間違った距離の詰め方を正してやらねばならない。しかし、そろそろのぼせそうでもあった。

 顔を赤らめたまま、どん、と胸板を叩く。体が火照ってきた、くらりと視界が揺れたので、そろそろ離れてほしかったのだ。

「天嘉。」

 おやまあ。
 蘇芳は面白そうに、言葉を含むような笑い方をする。どうやら眼の前の嫁は、己の妖力に充てられたらしい。蘇芳の力を腹に溜めたこの男は、たった三日、放っておいただけでその体に蘇芳の匂いを馴染ませた。
 人というのは妖力がない分、匂いつけがしやすいのかとも思ったが、やはり蘇芳の子種が仕事をしたらしい。孕んでいないと喚いているが、その小さな種は確かに発芽しているようだった。

「もう、いやだ…うちにかえる…」
「そうだなあ。あまり湯に浸かるのも体に悪いだろう。今日は一緒に寝てやろうな。」
「それはいらねえ」
「つれないことをいう。」

 ふらふらと立上がろうとする天嘉の腕を掴んで静止すると、蘇芳はその体を抱き上げるようにして立ち上がった。
 ギョッとした顔をした天嘉だったが、なにか言いたげな視線を向けた後、自身の体調と体力の温存の方に天秤が傾いたらしい。諦めるような顔をしながらも、甘んじて蘇芳の行動を受け入れることにしたらしい。
 けして頭をもたれさせることなどはしなかったが、接触面を減らすために伸ばした背筋のせいで余計に疲れたし、なんなら屋敷に戻った後に蘇芳から言われた、天嘉は抱かれるのが下手くそだなあという言葉に、またひとつこめかみに青筋を立てることとなった。


「げ、げろおお!す、蘇芳様!?お、お召し物は何処に!?」
「ああ、そういえば忘れていた。まあいいだろう、自分の敷地だ。」
「だからといってそのように生まれたままのお姿でご帰宅など言語道断でございまする!!!」

 ぶひゃあっ!と喚きながら、ツルバミが青蛙顔をさらに青褪めさせた。腕の中に抱いている天嘉にはしっかりと着物を着せこんでいるというのに、なぜこの人はこんなにも無頓着なのだろうか。己の主人の適当さには振り回されているのが常であるが、やはり侍従からしてみればたまったもんではない。

「おろせ、自分で部屋に帰る。」
「そんなヘロヘロで何を言う。俺が直々に運んでやろうな。」
「旦那様は今すぐ召し物を取りにお戻りなさいませ!!!奥方との褥はそれを終えるまでは許しませぬぞ!!」

 今度は顔を真っ赤にして怒り散らかす。優秀な侍従と言うのは、主に対して物怖じしないという器量も大切なのである。ゲコゲコと口喧しく鳴くのは怒っているからだというのを天嘉も知っていたので、自ら影法師を呼び出すとその手を広げて運んでもらうことにした。

「俺は、コイツラに運んでもらう。おら、お前はさっさと取りに行け。ツルバミ困らせんな。」
「俺には手を伸ばしてくれないのにそいつらにはいいのか。」
「いやらしいことしねえからな。」
「したら、唯の鬼火に戻してやるとも。」
「びびらせんなっつの!ほらもう行かねえと先に寝るぞ!」

 しっしっと天嘉にすげなくされた屋敷の主は、なにか言いたげにチロリと影法師を見た。視線を向けられた影法師は、可哀想にその身を揺らがして慄くものだから、おかげで天嘉もぐらついた。

 結局、蘇芳は嫁を寝床に運ぶという楽しみを、自らの無精で諦める羽目になったのである。
 不満そうな顔をしながら装束を取りに戻ろうとする蘇芳の後を、ツルバミが羽織を持って追いかける。

「お待ちなさいませ!!せめてその逸物を隠してから行かれてくだされ!こら!蘇芳様!こら!!」

 先日からツルバミは蛙跳びばかりしている。慌ただしくその身を転がす侍従に可哀想なものを見るように目を向けた天嘉は、己で切った啖呵とはいえ、あの手のかかる男に惚れなければならんのか。と改めて頭の痛い思いをした。





 翌朝のことである。天嘉はあれだけ入ってくるなと言い聞かせていたはずなのになあ。と、寝ぼけた思考のまま、整った顔の美丈夫を見上げる。
 たくましい蘇芳の腕に閉じ込められるようにして寝ていたせいで、なんだか肩が凝って仕方がない。
 枕が変わると眠れないタイプの天嘉は、ただでさえこちらに来て寝不足だというのに、何が悲しくて太い男の腕枕で寝なければならないのか。

「あたまいってえ…」

 肩コリからくる頭痛が、なんだか加齢したような気にさせてくる。肩に手をおいて首をストレッチするかのようにぐるぐると回していると、なんだかぬとりとした感触がした。

「あ…?」

 ギョッとした。どうやら体の倦怠感は他人の体温と共に寝たからだけではないようだった。
 慌ててバサリと布団を捲くると、どうやら夢精していたらしい。布団は濡らしてはいなかったが、下肢は精液で濡れて張り付き、白い生地を透かすようにほんのりと色付いて性器の場所を主張する。

 慌てた。そもそも夢精は天嘉にとっては嫌な思い出しかない。ここに来て常に妖かしの目がある生活の中で、自慰に励むこともなかった。元々多い方ではなかったのだが、処理を怠ったしわ寄せが今になってきたのである。

 ちろりと横の蘇芳を見る。不味い、バレたら面倒臭そうだ。天嘉は何気なさを装って布団から出ると、未だスヤスヤと寝息を立てる蘇芳を気にしながら、そっと扉に手をかけた時だった。

「おおーい!蘇芳やーい!って、あ?」
「っ、」

 天嘉が扉を開けるよりも一手早く、唐突に障子の引き戸がスパンと開けられた。濡れたそこを隠すようにして握りしめていた天嘉は、突然の来訪者に目を丸くして固まった。

 男は大きな盥を担いで、法被のようなものを着ている。合わせ目から覗くのは見事な筋肉だ。逞しい体をしたこの者も妖かしらしく、なんというか、物凄く男臭い。

「なんだあ?雌くせえ。おまえ、蘇芳の寝込みを襲ったのか?ん?」
「や、ちょっ…ちげえ、はいってくんなよ!」

 くんくんと鼻を引くつかせながら、ずいずいと近寄ってくる。思わず後ずさりをすると、布団の裾を踏んづけた。

「うわぁっ!」
「おっと、」

 危うく寝ている蘇芳の体に尻餅をつくという所で、男は天嘉の手首を握って阻止する。
 揃いも揃って、同じ見た目なのに、何故こうも妖かしのほうが体格がいいのだろうか。
 天嘉は引き寄せられるようにして転びかけた体制を戻されると、男はなんだかぽっと頬を染めた。

「んだあ、粗相したのか。だーから雌臭えんだ。」
「あ、あっ…!」

 今度は天嘉が赤くなる番である。着物のはだけた合わせ目から覗く、胸元までを一気に染め上げる。まるで己の周りの空気が薄くなってしまったかのようにはくはくと口を震わせると、羞恥心からか神経を差喚かせるような鳥肌がブワリと身体中を走った。
 片付ける前に。見知らぬ相手にバレたのだ。恥ずかしすぎて声も出ない。震える手で口元を抑えると、晒された白い脚を精液の残滓が、肌の輪郭をなぞるかのように伝う。

「っ、」
「げっ!」

 天嘉が俯いたのが気にかかったのか、闖入者である男は、顔に心配の色を宿しながら覗き込んだ。
 蘇芳のお手つきだろう、上等な雌の匂いを香らせる目の前の男は、琥珀色の瞳をゆらゆら揺らして見上げる。羞恥に晒された天嘉の瞳からぽろりと一粒零れると、やっちまったとばかりに名も知らぬ男が慌てた。

「俺の嫁を泣かせるとはいい度胸だなあ。」
「ち、ちげ…っ、」

 その時、天嘉の後ろからゆらりと立ち上がった寝起きの蘇芳の瞳に、青い顔をした男が捉えられた。そのまま蘇芳の手によって、天嘉は泣き顔を隠されるようにして目隠しされると、その瞬間、情けない男の悲鳴が屋敷に響いた。


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