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ブルースター 3
しおりを挟む大学終わり、バイトに行くと言って帰っていく学を見送った末永は、俊くんを巻き込んで桑原家へお邪魔していた。
「最低。」
「わかっている。」
端的な二文字を叩きつけたのはきいちだ。心底軽蔑しますといった今まで見ない顔で末永から事の顛末を聞くと、うんうんと噛みしめるようにして頷いたあと、そう言った。
「よーくんなにしたのぉ?」
「ん?まなちゃんをきずつけたんだよう。」
「傷つけるつもりは、」
「よーくん!いじめっこだめ!」
「す、まん…」
2歳児にも窘められる。助けを求めて俊くんをみると、肩は持たんとそっぽを向かれた。味方がいない状況にため息を吐くと、トン、ときいちが指でテーブルを叩いた。何だこの威圧。狼の目が末永を射抜く。まるで弁解があるなら述べてみよと言わんばかりの表情だ。
膝にのせた凪を撫でる手付きはやさしいのに、そのやさしさの一欠片も末永に対しての問いかけに滲ませてはくれない。
「学は、そんなことしなかった。だっけ?」
「言った。でもそれは、」
「元カノと比較するダメ男じゃあないですかあ。」
ぴくりと俊くんが反応したのはきいちの敬語だ。これが出ると死刑宣告といってもいい。メンタルタコ殴り座談会の始まりだ。
「俺は只、あいつが住みやすいようにと!」
「住みやすくするまえに気まずくしてどうされるんですかね?物理的にだけでなく心の距離までソーシャルディスタンス?さすができる男は一歩先まで手を打つんですねえ。」
トントン。テーブルを指で叩く音が強くなる。
俊くんは自分が怒られているわけじゃないのに、居心地が悪い。キュッと目を瞑りながら何も聞いてませんとばかりにおとなしい。自分の家なのに借りてきた猫のようになるのは、水を差して飛び火しないようにとの自己防衛の為である、
「学はそれでなんて言った?」
「ただ、わかったと…」
「ありがとうがでなかったんじゃ、それ全部末永くんの独りよがり、自家発電行為ですね。」
オナニー野郎と丁寧に罵ったきいちの笑顔に引きつり笑みを浮かべる。末永は、きいちはもっとおっとりとしていて穏やかだと思っていた。だが怒らすと俊くんよりも怖いオーラを出す。これが触らぬ神に祟りなしというものか。
「学くんの、今の状況をダイジェストにまとめてみようかなあ。」
「だいじぇすとってなにぃ?」
聞き慣れない言葉に、凪が反応した。子供を絡ませるのはまじでやめろと末永の心は叫んだ。1番リアルな痛みが来るからだ。
「お馬鹿さんに教えてあげることを言うんだよお。」
「よーくん、ばか?」
「救いようもないね。」
「ちんぢゃう?」
「まだいきてる。」
さらっと死刑宣告のようなことを言いながら、きいちはニコニコしながら凪のお絵描きボードを取り出した。
「その1、頭打って記憶消失、5針も縫う。
その2、記憶がないことを冗談と言われる。ねー俊くん?」
「ウッス、誠にスミマセンでした。」
「その3、気を使う男と同棲。
その4、突然前の自分と比較されて今の自分を全否定。」
可愛らしいカラフルな文字によって書かれた今までの学のみに起こった出来事を、文字に起こしてみるとなかなかにひどかった。途中で黙っていたのに飛び火した俊くんは即座に謝っていたが、続きはまた後でと執行猶予付きの仮釈放である。
「今の自分を全否定した男に、ありがとうなんていえないですよねえ。」
「ぐ、」
「学の味方って、どこ?どこのタイミングで出てくんの?出し渋ってるんじゃねえですよな。」
「きいち敬語壊れてきたぞ。」
「おっと僕としたことが。」
キョロキョロときいちと末永の顔を見比べる凪は、きいちの話口調に子供が認知するだけのトゲがないせいか、つまんなさそうにしながらお絵描きボードに手を延ばす。
俊くんが凪の両脇に手を差し込んで膝に乗せると、構ってもらえるのが嬉しかったのかニコニコしながら甘えてくる。今日も息子が可愛い。末永は恨めしそうに見つめてくるが見えていないふりをした。
「凪くんが、ありがとうって思うときっていつぅ?」
「んーとね、嬉しいなっておもったときぃ!」
「だよねぇ。じゃあ、わかったっていうときはぁ?」
「えぇとね、はいってしなきゃだめなとき!」
きいちに流石凪くんえらいねぇ!と褒められてはしゃぐ幼児ですら常識をわかっている。学は義務だと感じて分かったといったのだろう。
末永は学の為にした選択が、相手に対して押し付けたことと同意だということを理解した。
「俺は…」
「押し付けがましい善意ほど煩わしいものはございませんよねぇ。」
「すまん…」
「それを僕に言うんじゃなくてさあ。」
トントントントンときいちが苛立つたびに指が音をたてる。凪はのりのりで体を揺らしているが、俊くんの情緒は違う意味で揺らいでいる。これ以上墓穴をでかくするなと叫びたい。
「まともにすみませんが出来るように、俺がしつけてやろうかしら。」
真顔で口しか笑っていない状態でのきいちの凄みは、一体どこから出てくるのだろう。
末永は涼し気な顔を一気に表情を変えずに青ざめさせると、しゃんと背筋を伸ばした。
先代の説教よりも怖い。俺が出ると着火秒読みと事前に言われてはいたが、末永に対するきいちの導火線は極端に短い気がしてならない。
気づいたら俊くんは凪と逃げていた。まじか。
「はい、学と話し合ってきます。今から、すぐにでも。」
「俺、言われてからやる男って一番嫌いなんだよな。」
こっっっわ。
どうしろとと死にそうになっていると、助け舟が来た。
「ままぁー!!凪とあしょんでよぅ!」
「なぁにぃ、寂しくなっちゃった?ごめんね凪ちゃん、僕が末永ッカリくんに時間を割いてしまったばっかりに。」
「す、すえながっかり…」
ころっと笑えるくらいあっけなく怒りを収めると、愛しい我が子を抱きしめながらさり気なく末永を詰る。遠回しにガッカリ男と呼ばれた末永は、自分がアルファであるはずなのに自信を喪失してしまうくらいにはメンタルをやられた。マウント取られてタコ殴りである。
後から現れた俊くんは、貸しだからな。と言って逃げ道を作ってくれたらしい。そうだとしたら凪にじゃないかと思ったが、凪を抱き込みながら真顔できいちが見つめていることに気づいて心臓が止まるかと思った。
もしかして窮地に立つとヘタれるのかもしれん。末永は自分の欠点に気付かされたようなきがして、また明日大学で、と、月次な辞する言葉で逃げるようにして桑原家をあとにした。
時計を見るとそろそろ学の仕事が終わる時刻だった。少し迷ったが、意を決すると迎えに行くことにした。
花屋の明かりが近づく。どうやら店は忙しいタイミングだったらしい。
店の前で待っているのも変かと向かいにある喫茶店の窓際の席を陣取ると、スマホで学に連絡を入れる。終わったら一緒に帰ろう、カフェでまっている。そうメッセージを送ると、アイスコーヒーを飲みながら店先の様子をうかがった。
終わりまであと三十分程度だ、店先では学が出来上がった花束を笑顔で渡して店先で見送りをしている。勢いよく頭を下げるものだから、まだ病み上がりなのに倒れはしないかとヒヤヒヤした。
結ばれたバンダナの下には、まだ包帯が巻かれている。嫌がる本人に言い聞かせて、末永が朝に巻いたものだった。
「ん?」
喫茶店側の横断歩道のそばに、見知った女性が立っていた。あれは、吉乃か。
黒髪を腰まで伸ばし、清楚を体現するかのような日本人らしいたおやかな美しさをもつ元許嫁だ。
飲みの席での大人通しの口約束に一番翻弄された当人たちだったが、末永が学を娶ると決めた為に婚約破棄という大仰な言葉で締め括られた。
とはいっても、末永も吉乃も年末年始に顔を合わせるくらいで話したこともあまりない。時候の挨拶程度だった。
婚約破棄をするに当たって席を設けたときも、すまないと告げた末永に対してはただひと言だけ「そう。」と述べただけだった。
彼女は元々好意を寄せる人がいたという話を叔母から聞いていたし、互いに湿っぽくならなくてよかったとは思ったのだが、なんとなくここにいることに違和感を感じで目で追ってしまう。
吉乃は人混みに混じり消えていったが、花屋を見ていたような気がした。
なんだったのだろうか。末永はなんとなく気にはなったが、軽々しく元許嫁に声をかけるのも変かと気にすることをやめた。
ちょうど飲み終えたタイミングで学から着信が来る。向かいの喫茶店にいると話すと、今行くとだけ言われて通話が切れた。
どんな顔をして合えばいいのか。気を抜くとその細い腰を抱いてしまいそうになる自分がいる。
馴れ馴れしくして、戸惑わせるのだけは嫌だった。手を振り払われたら立ち直れないかもしれない。
末永は自制するようにギュッと目をつむると、深呼吸をした。
「おまたせ…」
とんとんと肩を叩かれて振り向くと、デニムに白いカットソーのみの学が立っていた。
ゆるい襟ぐりから見える鎖骨が眩しい。走ってきたのか少しだけ頬が赤いのが可愛い。ゆるく微笑むと、ホッとした顔をする学に胸が甘く鳴いた。
「おつかれ。忙しかったみたいだな。」
「なんか立て続けにブーケのオーダー入っちゃってさ。腹減ったぁ…」
「飯食って帰るか。学の好きなおでん屋とかどうだ。」
「いいね。なか西か。しみしみの大根くいてーなあ!」
学はその味を思い出してテンションが上がったのか、嬉しそうに笑う。末永が学の荷物を持ってやると遠慮をしてきたが、手を繋げない代わりにこれくらいはしたかった。
「おっちゃんはんぺんと大根とソーセージね!」
「俺は牛スジといわしのつみれ、焼酎をくれ。」
なか西の親父はしわがれた声で了承すると、渋い器におでんの具を盛り付けてだしてくれた。
薄味の優しい出汁が素材の味を引き立てる。いつもの定番を注文する学をみて、本当に普通だと思った。
「酒はのまないのか?」
「なんか気分じゃねー。」
箸で大根を切り分けながら、ちびりとジンジャエールを飲む。いつもなら角ハイジンジャーが至高とかいってぐびぐびいくのだが。
がやがやとやかましい店内は賑わっている証拠だ。無口な親父が作るおでんの虜はこんなにも多い。
追加で煮卵を2つ頼んだ学が、あれという顔をする。
「2個。」
「二人で一個ずつ頼むこともあった。」
「そっか、ほらよ。」
自分で無意識に頼んだのだろう、末永は高揚する気持ちを抑えて言うと、少し照れたような顔をして取り分けた。
ここで期待してしまっては、また戸惑わせる。末永は気持ちを整えるようにごくごくと焼酎を飲むと、ぎょっとした顔で学ぶが見上げた。それはそうだ、そもそもそんな飲み方をするものではない。末永は酒が強い。だけどもそんな事をするくらいには浮かれていた。
「げほっ!ん゛んっ、…う゛まい。」
「んな取り繕わなくたって…」
焼けた喉を隠すように若干涙目になる末永に小さく吹き出す。
しばらくみていなかった学の無邪気な笑いに、末永は照れたように口元をもぞりと動かした。
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