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思いを唇にのせて

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「そもそも計画を立てるにしても気が早すぎだって。正親さんも大学はしっかり出てほしいと思うだろうし、卒業してからでもよくない?働くの。」
「万が一を考えて行動したっていいだろ。多分大丈夫、で行動するほうが不味い。」
「それはそうなんだけどさ…僕だって一緒に卒業したいよ。」
「だから卒業はする。親父の会社で、働きながらだけどな。」

この話は終わり、とばかりにため息をつく俊くんに、お前にはわからないと一方的に突き放された気がして、顔を顰めた。
僕のことを思って行動してくれるのは嬉しい。だけどそれで俊くんの人生設計を狂わすのは違うと思うのだ。番だけど、それ以前に親友でもある眼の前の男には、僕のことで我慢をしてもらいたくなかった。


「僕は嫌なんだよ!俊くんが自分の時間を削ってまで、僕に縛られないでほしい!」
「は…?別に縛られてるつもりなんてないけど?」
「ならなんで両立するとかいうわけ!?縛られてないって言うなら卒業してからでもいいじゃん!」

噛み付いた僕に一瞬意外そうな顔をするも、聞きづてならない言葉でもあったのか、俊くんの声色に怒気が交じる。今まで僕に向けられたことのないそれは、諭すということよりも意見を通すことに特化した威圧が含まれていた。

「お前、はき違えてるぞ。俺は俺のために行動するんだ。こうしたいからする。それの何が行けない!?」
「僕は、焦ってほしくない。生き急いでほしくないんだよ。どっちかが時間を犠牲にするのはいやだ。あるかもしれない近い将来なんかに、俊くんの時間を取られるのが嫌だ。」

じわりと涙がでてくる。僕は口が下手だ。本当は、同じ高校だったらと何度も思った。僕は馬鹿だから頭の良い俊くんの高校に編入することだってできない。だから、大学にあがれば一緒に過ごす時間も必然的に増える。それをたのしみにしていたのに、俊くんがそれを潰そうとする。
わがままだと笑えばいい。僕は、同じ学校で俊くんと過ごしたいのだ。
一緒に大学へ行こうといってくれて、嬉しかった。
妊娠したとしたら、僕はバイトも就職もしばらくは難しいだろう。だからこそ俊くんは万が一を考えてくれたのだろう。俊くん一人でも養えるようにと。

「番なのに、一人で頑張るのが正解なの?俊くん一人だけ頑張って、僕が嬉しいって言うと思うの?」
「きいち、俺は」
「思わないよ!!全然思わない!!番なのに、家でも大学でも一人で頑張るのが俊くんのしたいことなら、僕なんていなくたっていいじゃか!」
「いなくていいわけないだろ!?お前のために考えたんだろ!!それをお前が否定するのか!」
「僕のためって言うならわがまま聞けよ!!」

口調を荒らげた俊くんの胸倉を掴んで怒鳴り返した。ぼたりと一粒こぼれた水滴が、呆気にとられた俊くんの頬に一粒落ちた。僕の目が水滴を溜めていることに気がついたのか、面白いくらいに顔を青褪めさせて狼狽えた。それはそうだ。僕は俊くんが原因で泣いたことなんてなかった。

「同じ時間を、全部共有したい。重いって笑えよ。でも、…それが出来ないなら、一緒に住んでたって、きっと今と変わんないよ…」
「きいち、…」

ぽすんと跨った俊くんの膝に座る。そのまま呆然としている俊くんの首に腕を回すと、肩口に顔をうずめてぐすぐすと鼻をすすった。そうでもしないと情けなくて泣いてしまいそうだったのだ。
恐る恐る俊くんの腕が背中に回る。宥めるように背を撫でられながら、内心は大荒れだった。

重いって引かれないだろうか、わがままだと思われないだろうか。僕の楽しみは俊くんにとっては他愛もないことだったのか。今だって、休みの日に会うだけでも足りないと思うのだ。常にそばにいたいと思うこの渇望が、自分ひとりだけのものだと判るのが怖かった。

「やだよ、全部おそろいがいい。休みの日以外も、全部一緒に居たいんだ。同じ大学に居るはずなのに、忙しくて会えないのはいやだ。」
「……、そうか、そうだな。」
「あと、出来るかもわからないって言ったけど…まだ宿ってすらない僕らの赤ちゃんのことで喧嘩するのも悲しい…」

僕らのまだ見ぬベイビーちゃんの話をするなら、こんなリアルな話よりもハッピーな話のほうがいい。
産まれる前から、産まれたことを想定して重ねた議論がデメリットの応酬だなんて、まるで妊娠を望んでいないかのようで悲しかったのだ。

「それは、俺が悪かったわ…ほんと、ごめん」
「僕はほしい。俊との赤ちゃん。だから、あとはこの子のことしか考えられませんってなるくらい、最後の学生生活は二人で満喫したい。」
「ああ、そうだな。…あと、わがままなんかじゃない。それはきいちが望んでいいやつだ。むしろ我慢させてごめんな。」
「ばかやろ。俊くんのばか、ばーか…」

ぎゅうと、抱きしめられたまま苦笑いされる。さっきまでの張り詰めた空気はもうそこにはない。今はご機嫌取りに必死な、情けない僕のアルファとしての俊くんがそこにいるだけだ。
どれくらいたっただろう。僕のぐずりが落ち着いたタイミングでゆっくり体を離した俊くんが、そっと目尻に口付ける。柔らかいそれにムスッとしていた顔は不本意に緩んでしまった。

「体育祭で、」
「ん…」
「晃さんたちと話してたんだ。」

こつりと僕の額に額を合わせた俊くんが、優しい目で僕のことを見つめながらゆっくりと話す。とろけるような濃密な空気に、情欲はない。背中を撫でるその手がなぞるように僕の項に触れ、すり…と優しく大きな手のひらでそこを覆う。
弱いそこに触れられて、思わず吐息が漏れた。愛している人にそこを触れられると、思わず気持ちが溢れてフェロモンが制御できなくなってしまう。
微かに香る僕のそれを敏感に嗅ぎ取った俊くんが、首筋に顔を埋める。

「…大学まで待てない。次の発情期、噛んでいいか。」
「え、…」

くぐもった声で紡がれた言葉に、目の奥がじわじわと熱くなる。猫っ毛の俊くんの髪に指を通すように触れると、微かに俊くんからもフェロモンの香りがした。

「大学入ってから噛むつもりだった、だけど無理だ。俺が限界。こんな余裕がないアルファで笑う?」
「…笑わない、僕もほんとは卒業なんて待たないで噛んでほしかった。」
「…本気にしていいのか。」
「してよ、僕のこと信じられないの?」

じっと俊くんの顔を見つめると、眉間にシワを寄せて何かを堪えたあと、小さくごめんと呟いてから口付けた。
熱くて濡れた唇をひと舐めすると、そのまま厚みのある舌が口の中を甘やかすように優しく絡む。
擦り合わされ、甘い唾液に溶けた俊くんの想いがゆっくりと染み渡る。本能のまま求められる幸せは、筆舌に尽くしがたい。僕はそれを、こんな素敵な人からもらえるのだ。喜びと少しの優越感、そして欲しがること、わがままを許された安心感が体をそっと包み込む。

「っ、ふ…ん…」
「は、…部屋は用意する。2回目のヒートは、辛いだろうけど俺がいる。」
「ふふ、おまかせしようかな。」
「貰うからな、そんときは。」
「ん…楽しみにしてる。」

泣いたり笑ったり、情緒が忙しい。卒業まで一年と5ヶ月、その間に何が起きるかわからないけど、俊くんがいるのだ。
喧嘩の内容も、結局はお互いのことを考えすぎたからにすぎない、後からこんな事もあったねと笑えるような思い出が、また一つ増えた日だった。
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