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まるで喜劇

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少しずつ、まどろみから覚めるように高ぶっていた感情が薄れ、体に馴染んでくる。僕は目の前で冷や汗をかく高杉くんの様子になんの感慨も持てず、ただ淡々とやるべき事として体を動かさないようにと押さえていた。

不思議な感覚だ。じくじくと痛む場所だけは鋭敏に存在を主張しているのに、心は完全に冷えていた。僕のだらしない格好も、楽しそうにして子供のようにはしゃぐ清水さんにも、それを押さえる益子、そして横で背中を擦る学にも。
今この場に、こんなにもたくさんの人がいるのに僕は一人だった。唇が乾いて張り付き、喉も痛い。風邪のようなだるさが全身を包んでいて何もかもが億劫だったのもあるかもしれない。

僕の手はこんなに白かったっけ、手入れの行き届いていない指先には逆剥けや、爪も折れている。
これから先生が来るとか、風紀も来るとか、学が服を着るように諭してくる。そうだ、こんなパンツも履いてないのにぼけっとはしてられない。僕は羽織っていた学のブレザーを返すと、のろのろとズボンと下着を引き寄せた。
胃液や精液で汚れたシャツは着れないので、下着とズボンを履いた後に脱ぐ。何も考えてなさすぎて、自分の両腕が歯型だらけだったことを忘れていた。

「っ、…んだそれ…はがた…?」

床に転がっていた高杉くんが掠れた声で呟いた。大方の絆創膏は取れていたけど、まだ右手首には包帯が巻かれている。俊くんの歯型は痣になって満遍なく両腕に散らされている。まるで入れ墨のようなそれに動揺したのは高杉だけじゃなかった。

「これ、…僕の宝物。」

両腕に刻まれた歯型は俊くんの執着だ。自分の体の中で一番愛しいと思える場所。夥しいと言ってといいかもしれない。もう少ししたら色も落ち着いてくるだろう。高杉に付けられた痣よりも、一層鮮やかなそれをうっとりと眺めた。

「狂ってんな、お前のアルファ。」
「それ、褒め言葉だね。」

バタバタと廊下が騒がしい。風紀や先生が何かを追いかけるようにこの部屋に近づいてくる。あまりの騒々しさに益子が覚悟を決めたように扉を開いた瞬間、ぼくの大好きなミントのようですこしだけ甘い香りを纏った俊くんが静止を振り切って飛び込んできた。

「うわっ!益子は先生に説明!」
「あーもう、こうなる気がしてた…」

俊くんと入れ違いざまに廊下に出ると、息を切らしながら追いかけてきた風紀や先生にことのあらましをざっくり説明するべく、益子が状況を話した。
吉崎は先に話していたのか、保険の先生が担架を持って入ってくる。
高杉の状態には見向きもせずに俊くんは真っ直ぐに僕のところへやって来ると、きつく抱きしめてくれた。

「はぁ、っ…はぁ…っ」
「走ってきてくれたの、嬉しい。」
「っ、…」

荒い呼吸を整えようと繰り返す大きな背中を優しく撫でる。俊くんの大好きな香りに包まれたら、なにもかもどうでもよくなってしまった。離れないと言わんばかりに力が込められる腕に、すこしだけ苦しかったけども、僕の肩に顔を埋めたまま動かなくなってしまった。俊くんに擦り寄りながら、落ち着くまで好きなようにさせた。

「きいち、救急車来るけどお前も乗るだろ?」
「乗らない、帰る。」
「は!?いやいや、だってお前…」

益子が忙しそうにしている風紀と青ざめたまま狼狽える大人などを背にして独断で救急車を呼んだらしい。先生が勝手に何を!とか言っていたが、そこは吉崎が取りなしていた。生徒の自主性を重んじるとか言ってるのはそちらですよね?と淡々とぶった切った学の言葉にぐうの音も出なかったのは少しだけ面白かった。

「今回の件はまじで大事になったからな、診断書でも貰っておくべきだ。」
「学の言うとおりだぜ。どのみち親は確実に巻き込む。これは隠しきれることじゃねーって、な?」

益子も学も正論を言っているのはわかる。だけど僕は一歩も動きたくないし、今はこの腕の中にいたかった。渋る僕を動かしたのは、ようやく喋れるようになった俊くんだった。

「俺が連れてく。このまま。抱いたまま。」
「えっ、…ま、まぁ…きいちがよければ。いんじゃね?」
「てこでも動かないだろ。先生が車出してくれるって言うから救急車の後ろからついていけ。」

俊くんが動揺しているのか、そのまま抱きかかえるようにして立ち上がる。腰と膝に手を入れてくれたので安定してるけど、慌てて首にすがりついた。
視界が俊くんより高い。ドアをくぐるのに頭を下げなきゃいけないくらいに。

先生が結局お前は誰なんだとか言ったから気がついたけど、俊くんまで不法侵入とかで悪者にされないかな?
益子も吉崎も風紀と一緒に病院までついてきてくれるらしい。不本意ながらの当事者だ。俊くんが歩く緩やかな振動が心地良い。メンタルは俊くんが来た事で少し落ち着いたけど、よっぽど疲れてたみたい。残念ながらそこからの記憶は曖昧になっていた。
だから、吉崎に先導されて僕を抱きかかえたまま歩く俊くんの、何かを決断したかのようなその表情には気づくことはできなかった。
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