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レンズの向こう

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ガシャン、と窓ガラスを割って経路を作る。持っていた鞄を小窓に押し付けるようにして、細かいガラス片やらをトイレの中に落とすと、壁伝いになんとか足を引っ掛けながら小窓から侵入した。
こういうときだけひょろっちい自分に感謝した。

「うう、器物破損…逮捕されたくないけど忽那さんどこ!!」

初めて、緊急事態とは言え悪いことをしたのだ、変な高揚感が身を包む。くん、と香りを追うようにしてトイレのドアから飛び出すと、丁度面通りから死角になるカウンターの中で、華奢な体が横たわっていた。

「ひっ、だ…れっ」
「忽那さん!!!」

いた。可哀想に、忽那さんは過呼吸のように荒い息を繰り返しながら小さくなって泣いていた。首から顔にかけて肌が赤らみ、変わって手足は小刻みに震えるように白くなっていた。
キツく何かを握りしめ、隠れようと身を縮こまらせながらカウンターの奥に這いずるようにして移動する。
忽那さんの元に駆け寄ると、慌ててカバンを漁った。こんな事もあろうかと持たされていたエピペンがあるのだ。備えあれば憂いなし、オカンの指定装備は伊達じゃない。

「忽那さん、窓割ってごめんなさい。僕は益子の友達のオメガのきいちです。だから僕はヒートに当てられないから安心して。」
「悠也の…っ、ごめ、なさ…」
「わー!!泣かないでください!!怖かったよね、僕エピペンあるからこれ使ってください。打てますか?」
「う、…っ…ごめ、ぁさ…力、はいらな…っ」
「おっけーっす!ちょっと脱がしますね、ごめんなさい。」

へろへろの忽那さんにエピペン打つ力があるわけなかった。となると、僕の出番だ。どこに打つかをしっかり習っておいてよかった…。着ていたカーディガンを忽那さんの下半身にかけると、そのままズボンを脱がせる。
初対面の高校生男子に身ぐるみ剥がされて恥ずかしいだろうに、頑張って腰とか浮かせてくれたからやりやすかった。
ひとまずズボンを膝下あたりに留めると、太腿の前外側部にエピペンを突き刺す。筋肉注射は戸惑いなくいけと病院の先生に言われていたので、ドキドキしながら一気に刺した。
ぐ、と眉間に皺を寄せる忽那さんに、僕も辛くなる。痛いし、効果が出るまで15分はかかるのだ。
僕は忽那さんの頭を膝に乗せて、汗で張り付いた髪を横に流した。

「あと15分だけ、我慢しててください。そしたらフェロモン薄くなるし、一時的だけどヒートも少しは楽になるから。」
「うん、っ…ごめんね…」
「へへっ、なんもないっす。大丈夫ですよ。」

にへ、と安心してもらいたい一心で笑いかけると、忽那さんも涙目でクスリと笑う。薄茶色の瞳は琥珀のようで、思わず見入ってしまうほど綺麗な人だった。

ガシャン、

先程の、僕の割った方向とは違う。調度通り側のドアから不穏な音がした。

「っ、大丈夫…大丈夫ですよ。僕が守りますね。」
「う、ぅっ…」

ぎゅ、と服をつかんでくる忽那さんを落ち着かせながら、ガラスを踏む不審な足音に警戒する。益子は、大丈夫なのだろうか。この足音が警察であれと強く願ったが、途端に薄い膜が全身を包むかのような不快感が襲う。
アルファのフェロモンだ。オメガの抵抗を弱らせる為のもの。それは番や両思いなら心地いいはずのものなのに悪意を持ち、意図的に使うと威圧的なものに変わる。
だから、この感じは悪いやつだ。
忽那さんはガタガタと震えが止まっていない。僕も、腹に力を込める。この不快感を表情に出したら、僕もオメガだってバレてしまう。

「ねこちゃんみーーっけ。」
「おじさん誰だよ。」

スーツをきた、40代位の真面目そうな男だった。残念ながらフェロモンに当てられて完全に目が飛んでいる。理性的にみせようとしている姿は、逆に滑稽に見えた。

「ベータのガキが、オメガの相手はできんだろう?ここはおじさんに任せなさい。」
「いやだ。あっちいけ!オメガを襲うのは犯罪だ。そんなこともわからないやつに任せられるわけ無いだろ。」

僕をベータだと判断したそいつは、優位に立ったことで強気になったのか、あくまで大人の対応で保護してやると言う。警察は、益子はどうしたんだろう。嫌な予感が過ぎったのは僕だけじゃなかった。

「悠也、悠也はどこ…」
「僕の友達はどうしたの。」
「暴れてたからね、大人の言葉のほうが警察は信じるんだ。」
「っ、最悪だ…」

僕が呼ぶように言った警察を逆に利用したということらしい。益子はまだ外にいるということか、こんなに汚い大人でもアルファになれるのか。  

「寺田、さん?」
「ああ、葵くん…ずっと見てたんだ!最近はガキが入り浸ってたから二人きりになれなかったけど、君は僕の為にヒートを起こしてくれたんだねぇ!?」
「うわ!っこっち来んなバカ!!」

忽那さんと知り合いらしいこいつは、興奮したように距離を詰める。僕の肩を無理やり掴んで退けようとしたのを慌てて振り払うと、今度は忽那さんの足首を掴んで引き寄せようとしてきた。
カーディガンで隠して入るけど、ズボンの裾溜まりを見てニヤリとする。その笑みに狂気じみたものを感じた瞬間だった。

パシャリ、と軽い音がフラッシュとともに響いた。

「撮った。お前の暴行の瞬間だ。会社にバラ撒かれたくなければさっさと離れろやクソジジイ。」

益子がボロボロの状態でカメラを構えていた。
押さえつけられたのを無理やり振り払ってきたのだろう、制服のボタンも飛び、いつも固められていたヘアスタイルもボサボサだ。
そんな状態の益子が、瞳に強い怒りを宿して証拠を武器に男と対峙する。この瞬間だけは、益子のカメラは獲物を追い詰める銃のスコープのように硬質な輝きを放っていた。

「聞こえてんの?俺の番から、離れろって言ってんだわ。」

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