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吉崎は選ばれたい

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吉崎は自分の中の荒れる感情に振り回されていた。
片思いである片平喜一が三日間姿を表さなかったのだ。
それだけなら単純に体調不良かなと片付けるのみだ。だが久しぶりに顔を合わせた時。何かが違うと敏感に悟ってしまった。

匂いが違ったのだ。

「なんで、…」

無意識に力が入っていたらしい。パキリ、と軽い音をたててシャープペンの芯が折れる。

吉崎の大好きな、若葉のような爽やかな香り。背も高くスラッとしており、常に眠そうな幅広の二重を優しく細め、その実瞳の中の薄茶の虹彩にかすかな緑が滲む狼の目だ。
男にしては細身だが、背だって高い。だから勝手にアルファだと思っていた。

この三日間で何かが起こったのだ。そのなにかは、オメガである吉崎なら想像するにたやすい。
あの爽やかな香りの中に微かに交じる、瑞々しくも甘い果実のような香り。
あれは一体誰の匂いだ。
おそらく彼はヒートによって男をその身に受け入れ花開いたのであろう。アルファによる匂い付けをなされた身体は、吉崎の知っている片平喜一ではなかった。

「吉崎。」
「………、なに。」
「何に悩んでいる。」

放課後の生徒会室で、会長である末永と二人きり。
吉崎は昼間に纏めた予算案をデータとして入力する作業の途中であった。
徐々に日が傾き西日が差す室内。末永は青みがかった黒髪にその光を受けながら、吉崎の返事が帰ってきて当たり前だと言うように、返答を待っている。

吉崎はこの男が苦手だった。
寡黙で、何を考えているかわからない。生徒会役員は個性の集まりだというのはわかっているが、末永はとくに異質だ。一人だけ大人が混じったような、妙な落ち着きがある。

一重ながら、整った精悍な顔立ちだ。吉崎は末永の側にいると、少しだけ怖気づく。役員として選ばれて一緒の時間を共有するようになってからは、だんだんと慣れてきたが。
それでも何かを見透かすような、その曇のない真っ直ぐな瞳が怖かった。

「別に、なんもねーよ。」
「そうか。ならいい。」

低く落ち着いた声だ。末永も人間で、怒るときもあるのは知っている。人を従わせることを無意識にやってみせる彼が、それ以上追求してこないということは、あくまで社交辞令で聞いたのだろう。

こいつに気を使わせるほど、酷い顔してたってことかよ。

吉崎は苦手な末永が己の心配をしたのかと思った。だがそれは、勘違いだったと分かると自嘲した。
こんな、構ってちゃんみたいな情けない顔してたのかと思うと、周りがからかう姫というあだ名も顔だけを言ってるわけではないと思い至る。

吉崎は悔しかった。自分がもしアルファだったら。
そんな詮無きことを考えるなんて、今までの自分ではなかったからだ。生まれ持った性を否定することはしたくなかった。
オメガとして生まれ、馬鹿にされることも多かったが、吉崎は自分だけじゃないと言い聞かせて保っていた。だけど大嫌いなアルファに対する嫌悪は募っても、自分がなりたいなどと思ったことはなかったのだ。

それが、もし俺がアルファなら、片平は振り向いてくれるのだろうか。などという根底を揺るがすような疑問が湧き上がる。

オメガである吉崎が、その考えに至ったとき。それは今までの自我を保ってきたプライドごと、自分自身を否定することを無意識に行ってしまった瞬間だった。


「今日は仕事にならんな。帰るか。」
「…悪い。」
「悪いと思うなら、次で挽回してくれ。」

先程から入力をする手が完全に止まった吉崎の様子に末永が諦めたようにため息交じりに言う。
普段真面目な副会長の仕事っぷりを考えても、似ても似つかない様子だった。
末永は椅子にかけてあったジャケットを羽織ると、そのまま鍵を片手に資料をかたし始める。
吉崎自身もこのままではいつまでも終わらないということはわかっていた為、今日は言葉に甘えて帰ることにした。
データを保存して引き出しの中へ入れ、鍵をしめる。
先程シャープペンを走らせていたメモに進捗のみ書き込みをして生徒手帳に挟んだ。

「吉崎はマメだな。」
「あ?なにが。」
「俺は仕事の進捗なんてメモはとらん。」

末永が吉崎の行動を感心したように褒める。自分にとって当たり前のことを、末永は自分はやらないからと感心してくれるのは嬉しい。だが末永は吉崎とはちがう。メモなんかとらなくても出来てしまう男なのだ。

「お前とは頭の作りがちがうんでね。俺はこうしないとやらないからやってんの。」
「ふむ、俺も真似してみるかな。」
「いや、お前はそんなことしなくてもいいだろう。」

普段関心をもたない男が、なんでまた急に…と疑問に思う。末永は会長であるという立場であるため、支持を出す側だ。自分がソロプレイをしても、周りが合わせることが当たり前である。
こんなふうに歩み寄るみたいな言動は聞いたことがなくて、少しだけ戸惑った。

「とりあえず、鍵。職員室にもどしてくるから。」
「む、いいのか。」
「いーよ、何時もやってるし。末永は先帰ってな。」

半ば奪い取るかのような形で末永が持っていた鍵を奪い取る。なんだかんだ副会長として選ばれたからにはやるしかないと、遅くまで残ることが多い吉崎が取りまとめで鍵を返しに行くことが多い。
そう考えると、末永と二人だけでの仕事は初めてかもしれない。
他のメンバーは各々の仕事をある程度済ませたようで、残っているのは急ぎの決済書類と次年度の予算案のみだった。予算案も消して急ぎではないのだが、ただ吉崎がきいちと顔を合わすことが勝手に気まずくなってるだけだ。

好きな人が好きだったのは自分ではない。
簡単なことである。だけど、吉崎は選ばれなかった。

そして、おそらく選択肢すらなかったのだろう。
それがくやしくて、もどかしかった。

職員室に向かう吉崎の小さな背を、末永は黙って見送っていた。
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