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名無しの龍は愛されたい

ナナシのお姫さま 

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 それは何気ない昼に唐突にやってきた。強い男の子になりたいと何故かやる気を見せるナナシが、フンス!と意気込んでエルマーに宣ったのだ。

「ナナシ、えるみたいにたたかうやつするしたい!」

 おっぽを振り回して、元気よくおねだりをする姿を前に、当然、エルマーは手にしていた虫取り網──── ナナシからカブトムシを捕まえてくれと強請られていた────を落とした。
 一体何を言うのやら。目を輝かせてエルマーを見上げるナナシを前に、エルマーは日差しだけが理由じゃなくじわじわと汗をにじませる。しかし黙りこくっていたのは、ほんの一分にも満たない時間であった。
 エルマーが言葉を失っている間、みるみるうちにナナシのおっぽをふる速度が失速し、ご自慢のやわらかなお耳もへにゃりと下がっていったのだ。目に見えてわかりやすい。脳内のナナシが「だめなのう?」と情けない声で口にする。

「わかった。だけど、お前の言う戦うってもしかして」
「えるみたいなの!」
「とんだりはねたり?」
「ぐーでえいってするですよ!」
「物理かあ……」
「ぶつり!」

 ふんふん!とやる気を見せている。多感な時期なのかもしれない。エルマーはかごに詰まったカブトムシを木の根元に置くと、手にしていた虫取り網を木の幹に立てかけた。

「まずは逆立ちができねえとなあ」
「さか……なあに?」
「手で立つんだあ。バンザイして逆さまになる。ほら、こんな具合によ」
「ふぉ……」

 どんくさいナナシなら絶対にできないだろう。エルマーはそうふんで、両足で空を支えるように逆立ちをした。エルマーの長い髪が地べたにたまると、何を思ったのかナナシはあわあわとしゃがみこんで髪を持ち上げた。

「ん?」
「つちついちゃうから、ナナシもっててあげるねぇ」

 一体何をいうかと思えばそんなこと。褒めてと言わんばかりにふにゃふにゃ笑うナナシを前に、エルマーは肘の力を抜くようにして地べたに這いつくばった。

「える! うでいたいしちゃったのう? だいじょぶ?」
「だいじょばないから、よしよししてくれぇ」
「つよいこですよう、えるよいこよいこ」

 ちんまいお手々でさわさわと頭を撫でられる。絶対にナナシは男らしくはなれない。そう断言してもいいだろう。その柔らかな手を汚す日が来るとしても、間違いなくエルマーが阻止する。頬に土をくっつけたまま、ナナシを見やる。きょとんと首を傾げる姿は、今も出会った頃も変わらないのだ。
 じわじわと日差しは暑くなってきたのに、土はわずかにひんやりとしている。エルマーは地べたの匂いを肺に取り込むと、口を開いた。

「いいかあ、人を殴るのは、殴られる覚悟があるやつだけだあ。ナナシはその覚悟があるのかあ?」

 エルマーの言葉を、おっきなお耳が受け止める。ぴくんと震えると、春色の唇がきゅうっと引き結ばれた。

「できない……」

 ちっちゃな声でつぶやく。ふるふると素直に首をふるナナシを前に、エルマーはむくりと起き上がって胡座をかく。柔らかな手を取ると、その手に重ねるように己の手の甲を晒す。
エルマーの手は、細かな傷がついている。手で記憶した痛みが雨の日に疼いて、唐突に戰場の匂いが鼻腔をくすぐることさえある。
そんな手が、ナナシの手を守るようにしまいこむ。人の血をたくさん吸った手が、今は守る手になっているのだ。

「できねえっていうことも勇気だあ。なんで戦いてえっておもったのかわかんねえけど、ナナシにはナナシの得意分野ってのがある。俺はお前ほどできの良い結界張るやつしらねえしよ」
「うぅ……」
「お前は人の痛みがわかるだろお。俺はあんま鼻がきかなくなっちまったから、そういう部分でも助けられてるよ。俺が人間らしく振る舞えてるのは、ナナシがいるからだあ」

 だからナナシは、ナナシのお手々は綺麗なままでいてほしい。
 エルマーのお話を、ナナシは金色のお目目をとろめかせて聞いている。ずびりと鼻をすすると、赤くなった目元をこしこしと擦った。その姿はまだあどけない。泣かせるつもりはなかったが、必要なことだと思ったから口にした。旅を終えてから、エルマーは随分と人間じみてきた。それも、家族を作ってくれたナナシのおかげだ。
 嗚咽を堪える姿が可愛くて、ちょんとナナシの鼻先を摘んで鼻水を拭ってやった。今口付けたら怒るだろうから、その代わりでもある。

「な、ナナシもおとこのこだもん、す、すきなこまもる、するしたい、かったもん」

 ふぐぅ、と情けない声とともに、ナナシは鼻の頭を真っ赤にしながら宣った。なるほど、なにかに影響されたらしい。ナナシの手をにぎにぎと手遊びしながら、エルマーはこしょばいきもちの行場を探しあぐねる。

「え、える、にかこいい、いってほしかったんだもん」
「そっかあ、ナナシも男だもんなあ」
「お、おうじさまじだかったんだもんん……」
「ん?」
「お、おひめさままもりたかったんだもんん……っ」

 ついに、話の途中でぶびゃっ、と決壊した。ナナシにしては、随分と長く持った方である。いつもなら泣くと抱きしめてあやすのだが、それをする前にエルマーは確かめなければならないことがあった。ナナシの言葉の中に、聞き流すには難しい単語が混じっていたように思ったのだ。
 エルマーはにっこりと笑みを浮かべた。ナナシの手を握りながら、その言葉の真偽を確かめる。

「一応聞くけどよ。……ナナシが王子さん?」
「ぁい……」
「俺がおひいさん?」
「お、おひめさまあ……っ」

 ひんっ、と泣くナナシの前に、エルマーはようやっと理解した。何もこれは難しい話ではなかったと。肩にギンイロを二匹乗せたような重みがどしりとくる。つまりナナシは、エルマーとごっこ遊びがしたかったというやつだろう。
 素直にねだれるほど成長したというわけだ。エルマーは小さな頭を引き寄せ抱きしめた。

「ナナシがお姫さんならいいぜえ」
「やだあ!」
「俺がひめさんってなりかあ?」
「える、ナナシのおひめさまするもん……‼︎」
「……でもほら、そういう服が似合うやつの方がいいんじゃねえの」
「えるやるもん」

 ふぐふぐと宣う。ナナシの話を最後まで聞かずに泣かせたのはエルマーの方である。見慣れた白銀を見下ろす。白い肌だから、泣くとわかりやすく赤くなる。腕の中のナナシはというと、拗ねているときの癖がしっかりと出ていた。己の服を咥えたまま愚図るナナシを見ると、ようやっと折れることにしたらしい。

「わかったわかった、じゃあ俺がお姫さんなあ」
「ふぉ……」
「やるよ、だから機嫌なおしてくれえ」

 エルマーの腕の中で、泣きべそを描いていたナナシの顔がみるみるうちに輝き出す。翡翠色の育ちきってないどんぐりを拾った時と、同じくらいにだ。尾っぽで地べたを摩擦して、砂煙を立てるくらいには機嫌は治ったらしい。エルマーは現金なナナシの柔らかな頬をむにむにと両手で揉みほぐしながら、少しだけ笑った。
 まあ、サジたちにはいうなと言いくるめればいいだろう。そんなことを思った時だった。

「じゃあ、トッドにおねがいするですよ!」
「やっぱなし」

 それはみごとな手のひら返しであった。呼吸をするような自然さでするりと出てきた否定の言葉は、ある種の防衛本能でもある。

「なんでぇ! いまえるいいよってナナシにいうするしたのにい!」
「嫌だそんなん悲しみしか生み出さねえ」
「おひめさまするいったあ‼︎」
「女装は嫌だああああ‼︎  いくらお前の頼みでもそれだけは絶対に嫌だああ‼︎」
「やだああえるずるい‼︎ おとこにごんはいないするいうだのにぃ‼︎」
「ごんってなんだあ! どこのどいつだその男お‼︎」

 木の下でぎゃいぎゃいと騒がしい。ナナシをしっかりと抱きしめたまま大人気ない駄々をこねるエルマーの背後では、脱出に成功したらしいカブトムシの最後の一匹が飛び立っていった。



 
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