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守り人は化け物の腕の中
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孕ませるってなんだ。あの夜の言葉はヤンレイの聞き間違いではなかったのか。
あれから、人としての体裁を整えたヤンレイは、これ以上の醜態は見せられないと言わんばかりに、タイランとドウメキを追い返した。
体が万全になるまでは城にいると喧しかったが、今更どんな情緒で兄と過ごせというのか。一方的に息苦しくなるのが明白で嫌だったのだ。あと、普通に山主のことが怖かった。
九魄によってあてがわれた部屋は、ひとまずの仮住まいらしい。後にも先にも、あんなに怖い顔のイェンは初めて見た。無理もない、九魄が朱院の部屋の一つを消し炭にしたのだ。
事情が事情でも、ことの発端はヤンレイだ。原因であるイムジンがイェンに告げ口をしたら、いよいよ説教だけでは済まされない。ヤンレイはひどくしおらしく、そして腹の中では大人しくするのは今だけだと妥協をする太々しさだけは内心に残しつつ。大人しく謹慎という名の療養期間を受け入れた。
夕陽が差し込む室内で、九魄が茶を入れる音だけが静かに響く。ヤンレイが好んで飲んでいる、白桃烏龍の豊かな香りが部屋に染み渡っていた。
下半身が動かぬまま、しばらくは九魄の介護を受け入れる他はない。文句の一つでも言ってやるつもりで睨みつければ、籠手を外した手に余計な記憶が呼び覚まされる。
「……珍妙な顔をしている」
「この俺が不細工だとでも言いたいのか」
「いや、お前は可愛い」
お前こそ、どんな顔でそんなことを言うのだ!ヤンレイの文句は口の中で窄まった。あの手のひらに散々にとろめかされたのだ。無意識に、下腹部に触れた。己のらしくない動作を誤魔化すように、寝具の中で握り拳を作る。
「妖魔は勝手な生き物だ。だから好きに奪い、犯し、手中に収めるものもいる」
「自己紹介か」
「俺はお前とのこう言うやりとりを気に入っている」
「あ?」
お綺麗な守城であるヤンレイが、タイランにするように雑に扱う。信用しきっている態度が好ましくて好きだ。ヤンレイの他人への線引きは敬語であった。九魄は、そう言った気遣いを一切向けられたことがない。最初は己が選んだ故の自負があるのだとも思っていた。
しかし、それではヤンレイのこれまでの努力に説明がつかないことに後から思い至った。
「術にしくじり爪が剥げても」
「……いつの話を」
「お前は泣きながら体得しようとした」
「……」
差し出された茶を受け取る。ヤンレイの白い手のひらには、目を凝らさねばわからぬほどの細かな傷が多い。金色の瞳は、歪さを隠すように塗られた爪化粧へと目を向けていた。
九魄の妖力が馴染まぬうちは、ヤンレイはその手にいくつもの火傷を負った。妖魔の能力と巫力を同調させることができず、生爪を何度も弾き飛ばしたこともある。九魄はそれを見ているだけだった。守城の匂いがついていた幼子を選んだのは、あの日の約束を果たすのに都合がよかったからだ。
それなのにだ。
「水ぶくれが潰れても、皮膚が禿げても、お前は俺に認められたいと努力をしたな」
「おま、」
「あれは俺の妖力の大きさに器が足りなかったからだ。しかしお前はそれを広げた。だから惚れた」
「はあああ……⁉︎っあぢっ」
唐突な言葉に、わかりやすくヤンレイの顔が染まる。
思わず力んだせいで、茶がこぼれた。鋭い熱を感じたはずである。それでも、九魄の炎になれたヤンレイは大げさを振る舞うでもなく、茶を小机に置く。
濡れた手のひらに、九魄の手が触れた。指を絡めるように目線の高さまで持ち上げられると、がじりと手首を甘噛みされた。
「なんだ」
「お前の目的は終わったのだろう、ならば次は俺の番だとは思わないか」
「は……?」
「今後、他の男に色目を使ってみろ。その時はお前の目の前で妖魔らしく振る舞ってやる」
獰猛な金色の瞳に収められ、支配された夜を思い出す。己が雌として扱われた。イムジンよりもよほど酷く、甘い抱き方でだ。
あの時の、息苦しいまでの九魄の支配が心地いいと感じてしまった己は確かにいる。曝け出すことのなかった部分を全て暴かれ、受け入れられ、その上で離さない言わんばかりに欲を打つけられた。
泣き喚いて、希って、その手のひらを欲しがった。炎よりもよほど熱い感情に飲み込まれて、ヤンレイは初めて何も考えずに溺れた。
「いい顔をしている。俺の好きな、雌の面構えだ」
「黙れ……」
「ならお前が口を塞げばいい」
「……そ、ういうのは、……やめろ」
気がつけばヤンレイは、近い距離を許していた。
底意地が悪い。己のことを棚に上げて、そんなことを思う。命令をする側だったはずだ。しかし、今は立場が逆転している。妄執に囚われていた日々は終わった。思えばタイランが山主と番ってから全てがおかしくなったように思える。
タイランはヤンレイを選ばなかった。それで良かったはずなのに、あの時己の名前を呼ばなかった兄としての姿を思い出すたび、肺が焼け爛れたような心地になる。
複雑で、消化しきれない感情がなんなのかはわからない。きっと、何かの形に収めれば楽なのだろうに、ヤンレイにはそれがわからなかった。
「俺はお前を見ている。今も、昔も」
「や、やめろ」
「お前は、俺だけの守城だろう。ヤンレイ」
「っ……」
泣きたくないのに、目の奥が熱くなった。ヤンレイの知らない過去で、九魄とタイランは繋がっていたくせに。知りたくはなかった。過去なんて、ヤンレイが一番どうしようもできない事象だ。
いつだって、誰かの一番でいなきゃいけなかったのに。
「お。お前が、……さ、最初に選んだのは……タイランのくせ、して……」
「……ヤンレイ」
「ぜ、前世なんて、か、敵うわけがないだろう……っお、お前は俺を最初からは、見ていないくせに……‼︎」
あの日から、ずっと胸の内で凝っていた熱を吐き出すように九魄に打つける。泣きたくなかった。醜い思いを吐き出せば、いよいよタイランに負けたと認める羽目になるのに。
静かな部屋に、ヤンレイの静かな啜り泣く声だけがする。好きな茶の香りでさえ慰めるには値しない。九魄の前で、まだ晒す無様が残っていたのだと自嘲すらした。
「お前、本当に可愛らしいな」
「は、っ……」
思いもよらぬことを言われて、思わず顔を上げた。視界が、九魄の纏う紫紺の上衣に遮られる。大きな手のひらが後頭部に周り、大切なものを守るかのように抱きしめられて、ヤンレイは息が止まりそうになった。
羽を収めるために作られた広い袖口が、巻き付くようにヤンレイの体を縛っているようにも見えた。指先が腰帯の金具に触れる。無意識に縋りそうになっていた腕をぎこちなく下ろすのが、精一杯であった。
「妖魔相手に、嫉妬するのか。お前は」
「し、っと」
「こうまでして、心地の良いものだとは。お前の炎も、なかなかに俺を惑わせてくれる」
「し、知らん、は、離せ」
「嫌だ。俺の好きにする。俺は今、お前に甘えているつもりなのだ、理解しろ」
息苦しいほどに抱き込まれて、声が出なかった。頭の悪いことを言っているはずなのに、それをいつもの調子で笑ってやることができない。
ただ、ヤンレイがわかるのは、この腕の強さが嫌じゃないと言うことだった。
肺一杯に広がる九魄の香りが、少しずつ情緒を穏やかにしていく。体が痛いはずだ。誰かさんのせいで酷使された体は、痛いと言って突き放す理由にもなるはずだ。
馬鹿者が。そう言おうとして、ヤンレイの口から出たのは違う言葉であった。
「くるしい……」
なれていない。そう言う真っ直ぐな気持ちを向けられるのも、向けるのもなれていなくて、息苦しい。
頭の回転は早い方だ。だから嫌味の一つでも言って、いつもの調子を取り戻したかった。それなのにできない。九魄の手のひらが、優しくヤンレイの頭を撫でるから、紫紺の色味を濃くすることしかできなかった。
「俺を縛れヤンレイ。子を産め、今はそれが理由でも構わない。お前が安心するように、お前の良いように振る舞え、許す」
「お、俺に育てられると思う、のか」
「産むつもりはあると捉えるが、いいのか」
耳元で小さく笑う。九魄の甘い囁きに小さく身を震わせる。
気がつけば、ヤンレイの手は広い背中に回っていた。閨事では躊躇なく行っていたのに、こんなにも己の腕が重いとは知らなかった。
「産ませると言ったのはお前だ、バカめ、やれるものならやれば良い」
「お前は本当に、人だけではなく妖魔まで煽るか」
くつくつと笑う声がする。ご機嫌だ。九魄が、やけにご機嫌で少しだけ可愛い。
口の中に唾液が溜まって、それを誤魔化すように飲み下す。この腹が宿す未来は想像もつかないが、この妖魔ならやってのけそうで少しだけこわい。
啄まれた肩口が熱い。鼻腔をくすぐる九魄の匂いが、脳まで侵食してバカになる。
いつから手綱を握っていると思っていた。そんなことを、言外に言われたような気になって、ヤンレイは少しだけ悔しかった。
あれから、人としての体裁を整えたヤンレイは、これ以上の醜態は見せられないと言わんばかりに、タイランとドウメキを追い返した。
体が万全になるまでは城にいると喧しかったが、今更どんな情緒で兄と過ごせというのか。一方的に息苦しくなるのが明白で嫌だったのだ。あと、普通に山主のことが怖かった。
九魄によってあてがわれた部屋は、ひとまずの仮住まいらしい。後にも先にも、あんなに怖い顔のイェンは初めて見た。無理もない、九魄が朱院の部屋の一つを消し炭にしたのだ。
事情が事情でも、ことの発端はヤンレイだ。原因であるイムジンがイェンに告げ口をしたら、いよいよ説教だけでは済まされない。ヤンレイはひどくしおらしく、そして腹の中では大人しくするのは今だけだと妥協をする太々しさだけは内心に残しつつ。大人しく謹慎という名の療養期間を受け入れた。
夕陽が差し込む室内で、九魄が茶を入れる音だけが静かに響く。ヤンレイが好んで飲んでいる、白桃烏龍の豊かな香りが部屋に染み渡っていた。
下半身が動かぬまま、しばらくは九魄の介護を受け入れる他はない。文句の一つでも言ってやるつもりで睨みつければ、籠手を外した手に余計な記憶が呼び覚まされる。
「……珍妙な顔をしている」
「この俺が不細工だとでも言いたいのか」
「いや、お前は可愛い」
お前こそ、どんな顔でそんなことを言うのだ!ヤンレイの文句は口の中で窄まった。あの手のひらに散々にとろめかされたのだ。無意識に、下腹部に触れた。己のらしくない動作を誤魔化すように、寝具の中で握り拳を作る。
「妖魔は勝手な生き物だ。だから好きに奪い、犯し、手中に収めるものもいる」
「自己紹介か」
「俺はお前とのこう言うやりとりを気に入っている」
「あ?」
お綺麗な守城であるヤンレイが、タイランにするように雑に扱う。信用しきっている態度が好ましくて好きだ。ヤンレイの他人への線引きは敬語であった。九魄は、そう言った気遣いを一切向けられたことがない。最初は己が選んだ故の自負があるのだとも思っていた。
しかし、それではヤンレイのこれまでの努力に説明がつかないことに後から思い至った。
「術にしくじり爪が剥げても」
「……いつの話を」
「お前は泣きながら体得しようとした」
「……」
差し出された茶を受け取る。ヤンレイの白い手のひらには、目を凝らさねばわからぬほどの細かな傷が多い。金色の瞳は、歪さを隠すように塗られた爪化粧へと目を向けていた。
九魄の妖力が馴染まぬうちは、ヤンレイはその手にいくつもの火傷を負った。妖魔の能力と巫力を同調させることができず、生爪を何度も弾き飛ばしたこともある。九魄はそれを見ているだけだった。守城の匂いがついていた幼子を選んだのは、あの日の約束を果たすのに都合がよかったからだ。
それなのにだ。
「水ぶくれが潰れても、皮膚が禿げても、お前は俺に認められたいと努力をしたな」
「おま、」
「あれは俺の妖力の大きさに器が足りなかったからだ。しかしお前はそれを広げた。だから惚れた」
「はあああ……⁉︎っあぢっ」
唐突な言葉に、わかりやすくヤンレイの顔が染まる。
思わず力んだせいで、茶がこぼれた。鋭い熱を感じたはずである。それでも、九魄の炎になれたヤンレイは大げさを振る舞うでもなく、茶を小机に置く。
濡れた手のひらに、九魄の手が触れた。指を絡めるように目線の高さまで持ち上げられると、がじりと手首を甘噛みされた。
「なんだ」
「お前の目的は終わったのだろう、ならば次は俺の番だとは思わないか」
「は……?」
「今後、他の男に色目を使ってみろ。その時はお前の目の前で妖魔らしく振る舞ってやる」
獰猛な金色の瞳に収められ、支配された夜を思い出す。己が雌として扱われた。イムジンよりもよほど酷く、甘い抱き方でだ。
あの時の、息苦しいまでの九魄の支配が心地いいと感じてしまった己は確かにいる。曝け出すことのなかった部分を全て暴かれ、受け入れられ、その上で離さない言わんばかりに欲を打つけられた。
泣き喚いて、希って、その手のひらを欲しがった。炎よりもよほど熱い感情に飲み込まれて、ヤンレイは初めて何も考えずに溺れた。
「いい顔をしている。俺の好きな、雌の面構えだ」
「黙れ……」
「ならお前が口を塞げばいい」
「……そ、ういうのは、……やめろ」
気がつけばヤンレイは、近い距離を許していた。
底意地が悪い。己のことを棚に上げて、そんなことを思う。命令をする側だったはずだ。しかし、今は立場が逆転している。妄執に囚われていた日々は終わった。思えばタイランが山主と番ってから全てがおかしくなったように思える。
タイランはヤンレイを選ばなかった。それで良かったはずなのに、あの時己の名前を呼ばなかった兄としての姿を思い出すたび、肺が焼け爛れたような心地になる。
複雑で、消化しきれない感情がなんなのかはわからない。きっと、何かの形に収めれば楽なのだろうに、ヤンレイにはそれがわからなかった。
「俺はお前を見ている。今も、昔も」
「や、やめろ」
「お前は、俺だけの守城だろう。ヤンレイ」
「っ……」
泣きたくないのに、目の奥が熱くなった。ヤンレイの知らない過去で、九魄とタイランは繋がっていたくせに。知りたくはなかった。過去なんて、ヤンレイが一番どうしようもできない事象だ。
いつだって、誰かの一番でいなきゃいけなかったのに。
「お。お前が、……さ、最初に選んだのは……タイランのくせ、して……」
「……ヤンレイ」
「ぜ、前世なんて、か、敵うわけがないだろう……っお、お前は俺を最初からは、見ていないくせに……‼︎」
あの日から、ずっと胸の内で凝っていた熱を吐き出すように九魄に打つける。泣きたくなかった。醜い思いを吐き出せば、いよいよタイランに負けたと認める羽目になるのに。
静かな部屋に、ヤンレイの静かな啜り泣く声だけがする。好きな茶の香りでさえ慰めるには値しない。九魄の前で、まだ晒す無様が残っていたのだと自嘲すらした。
「お前、本当に可愛らしいな」
「は、っ……」
思いもよらぬことを言われて、思わず顔を上げた。視界が、九魄の纏う紫紺の上衣に遮られる。大きな手のひらが後頭部に周り、大切なものを守るかのように抱きしめられて、ヤンレイは息が止まりそうになった。
羽を収めるために作られた広い袖口が、巻き付くようにヤンレイの体を縛っているようにも見えた。指先が腰帯の金具に触れる。無意識に縋りそうになっていた腕をぎこちなく下ろすのが、精一杯であった。
「妖魔相手に、嫉妬するのか。お前は」
「し、っと」
「こうまでして、心地の良いものだとは。お前の炎も、なかなかに俺を惑わせてくれる」
「し、知らん、は、離せ」
「嫌だ。俺の好きにする。俺は今、お前に甘えているつもりなのだ、理解しろ」
息苦しいほどに抱き込まれて、声が出なかった。頭の悪いことを言っているはずなのに、それをいつもの調子で笑ってやることができない。
ただ、ヤンレイがわかるのは、この腕の強さが嫌じゃないと言うことだった。
肺一杯に広がる九魄の香りが、少しずつ情緒を穏やかにしていく。体が痛いはずだ。誰かさんのせいで酷使された体は、痛いと言って突き放す理由にもなるはずだ。
馬鹿者が。そう言おうとして、ヤンレイの口から出たのは違う言葉であった。
「くるしい……」
なれていない。そう言う真っ直ぐな気持ちを向けられるのも、向けるのもなれていなくて、息苦しい。
頭の回転は早い方だ。だから嫌味の一つでも言って、いつもの調子を取り戻したかった。それなのにできない。九魄の手のひらが、優しくヤンレイの頭を撫でるから、紫紺の色味を濃くすることしかできなかった。
「俺を縛れヤンレイ。子を産め、今はそれが理由でも構わない。お前が安心するように、お前の良いように振る舞え、許す」
「お、俺に育てられると思う、のか」
「産むつもりはあると捉えるが、いいのか」
耳元で小さく笑う。九魄の甘い囁きに小さく身を震わせる。
気がつけば、ヤンレイの手は広い背中に回っていた。閨事では躊躇なく行っていたのに、こんなにも己の腕が重いとは知らなかった。
「産ませると言ったのはお前だ、バカめ、やれるものならやれば良い」
「お前は本当に、人だけではなく妖魔まで煽るか」
くつくつと笑う声がする。ご機嫌だ。九魄が、やけにご機嫌で少しだけ可愛い。
口の中に唾液が溜まって、それを誤魔化すように飲み下す。この腹が宿す未来は想像もつかないが、この妖魔ならやってのけそうで少しだけこわい。
啄まれた肩口が熱い。鼻腔をくすぐる九魄の匂いが、脳まで侵食してバカになる。
いつから手綱を握っていると思っていた。そんなことを、言外に言われたような気になって、ヤンレイは少しだけ悔しかった。
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