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こっち向いて、運命。ー半神騎士と猪突猛進男子が幸せになるまでのお話ー

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「俺はきちんとやって見せます」

 グレイシスの訪問に顔を明るくして喜んだカインを前に、少しだけ胸が痛んだ。
 まだ声変わりも終えていない。あどけなさの残る声色で宣ったカインは、ジルバによく似た灰の瞳を緩めて微笑んだ。きっと甘えたいことだろう、小さな手を後ろ手に回して、左手を右手で隠すようにして手を押さえている。
 グレイシスは、気丈にふるまう息子の指通りの良い金色の髪に触れると、額の丸みを確かめるように優しく撫でた。

「お前は、まだ幼い。そんな無理に背負う必要はないのだぞ」
「いいえ、俺は今自分に足りないものを学びたい。これは、きっと成長のいい機会になると思います。だから母様は言ってきてください!父上と新婚旅行!」
「し、新婚りょ……いいか、カインこれは違う。旅行というより視察だろう。それに、行くのなら俺は身分を明かすつもりはない。お忍びで行くことに意味があると思うからな」
「おしのび……そうですか。ならば俺もいずれおしのびができるように、必ずや王を任されるような立派な男にならねば」
「カイン……」

 おしのびの意味をきちんと理解していなさそうであるが、息子の意気込みにグレイシスは困ったような表情を浮かべた。
 小さな体を引き寄せるように、グレイシスは抱きしめた。きっと、この幼い息子にいろいろな我慢をさせてしまっているだろうと思ったのだ。王であり、母でもあるグレイシスの息子であるカインに、己はどれほどの愛情を向けてやれているのか。
 ジルバもまた愛情を向けてはいるのだろうが、あの顔だ。カインが五歳の頃に戯れるように行った高い高いで、夜空の星に仕掛けた男だ。
 互いに親の愛情を歪に受け取ったもの同士の育児。カインがここまで真っ直ぐに成長したのも、きっと幼いながらに多くのものを飲み込んでいるからに違いない。
 そんな、親としての一抹の寂しさを抱えながらのグレイシスを前に、カインは甘えるように腰に抱きつく。幼い王子が親に素直に甘える様子は、その容姿も相まってとても美しい光景だった。グレイシスが見えぬカインの瞳が、銀の光を宿して歪まなければ。
 カインはしっかりとジルバの血を受け継いでいる。それを理解しているのは、カイン付きの侍従だけだろう。
 
 こうしてジルバの予想通り、グレイシスはカインに城を任せることになった。
 出発前日は、ねだられるままに共寝をした。ジルバはあまりいい顔をしなかったが、グレイシスが城を開ける不安を口に出さない息子のおねだりを、グレイシスが拒否するわけもないのだ。

「見違えたな」
「慣れぬ衣服だ。仕方あるまい」

 侍従たちによって用意されたのは、市井の若者のような衣服だ。グレイシスのしなやかな体を包む見慣れぬ衣服は、実に似合っている。金髪の髪をハンチングで隠し、きなりのシャツにインベントリ機能を持つベスト。細く長い足には深緑色ボトムスを合わせ、焦茶色の皮のブーツを履いていた。
 整った顔を隠すように、黒縁の眼鏡をかけている。横に並ぶジルバはというと、相変わらず全身に黒い服を纏っていた。

「影渡りをして向かう。そちらの方が移動時間は短くて済むからな。ほら、これを持っていろ」
「なんだこれは」
「懐中時計に見せかけた召喚機だ。お前がこれを開けば俺の兄弟が応えてくれる。何かあれば使うがいい」

 グレイシスのベストのボタンホールに鎖を通す。時計の本体を内側のポケットに忍ばせると、ジルバは満足そうに頷いた。

「向かう先はシュマギナールの東側、フィルハウンドの街だ」
「……俺の記憶が正しければ、そこは確かお前が目をつけている密売人が拠点にしている街じゃなかったか」
「密売人はいない。いるのは密猟人だ」
「おま、っ」

 お前それに巻き込むきか!というグレイシスの言葉は空中にとけた。支度をするために使っていたジルバの部屋の床が丸く切り取られ、ポカリとあいた黒い穴が二人の体を飲み込んだのだ。
 悲鳴をあげるような無様はしなかった。ただ絶句したまま体の浮遊感に身を任せたグレイシスが次に見たのは、長方形に切り取られた青空だった。

「どこだここ」
「だから言ったろう、ここはフィルハウンドの街だ」

 そしてお前が見ているのは路地裏から見える空だ。そういったジルバは、横抱きに抱えていたグレイシスの体をゆっくりとおろしてやった。
 皮のブーツの底が、絨毯とは違う硬さを踏み締める。埃っぽい路地裏の中、グレイシスは久しぶりに市井の匂いを肺に収めた。
 風に吹かれて、細かな砂利が足元を滑る。灰色の路地裏の、細長い道を翡翠の瞳が捉える。大の男二人が横並びで肩が触れ合うくらいの道幅だ。路地の隙間から元気な子供が二人横切るのを見かけると、思わずグレイシスの足は誘われるように一歩を踏み出した。

「こっちだ」
「ぅく、っ」

 グレイシスの体が背後に引っ張られる。道順を教えるかのように、ジルバによって襟首を摘まれたのだ。
 国王でもあるグレイシスにこんな不敬が許されるのもジルバくらいだ。思わず泳いだ手をジルバが絡めとると、手を引かれるようにして路地裏を抜ける。
 数発の空砲が、空気を震わせる。その音に身を固くしたグレイシスを揶揄うように、ジルバは空を指差した。

「花火だ。定刻通り観劇を行うという合図らしい」
「祭りでもあるまいに……」
「祭りさ。劇を目当てに足を運ぶ者たちによって経済は回る。市井の者たちは会場までの道でここぞとばかりに商いをするぞ。お前も楽しめ」

 握られた手へと目を向ける。この人混みだ、手を離せば途端に逸れてしまうだろう。これは恋愛的な手を繋ぐという行為よりも、のちの面倒ごとを引き寄せないためだろう。
 グレイシスは握り返すこともせずに、ただジルバの歩みに身を任せる。
 いろとりどりの屋台が目ににぎやかだ。狭い道をさらに狭くしているというのに、誰も文句を言わない。小さな子供が綿菓子片手に駆け回るのを眺めながら、気がつけばフィルハウンドのギルド前まで来ていた。

「なんでここに」
「依頼を見にきたのさ」
「お前、俺に隠れて小遣い稼ぎでもしているのか」
「違う。これも業務の一環だ」

 グレイシスの言葉を軽くいなしたジルバは、蝶番を軋ませてギルドの中に入った。先程まで市井で感じていたものとは違う種類の、汗と泥臭い匂いが充満したギルドに、グレイシスは思わず息を止めた。
 毛色の違う粗野な喧騒の中を歩く。ギルドの中では、グレイシスもジルバも小綺麗な身なりで線も細い。不躾な視線が向くのは当然なことでもあった。
 無骨な手が、グレイシスの腰に刺していたレイピアに触れた。思わず鞘を揺らすようにして振り向くと、不快な笑みを浮かべた男が両手を挙げるようにしてグレイシスを見つめていた。

「……」
「大人しくしていろグレイ。すぐに出る」
「グレイとは俺のことか」
「わかったなら、俺から離れるな」

 ジルバの瞳がグレイシスを窘めるように向けられる。グレイと聞き慣れぬ名前で呼ばれるのも気に食わないのに、なんで俺が怒られなくてはいけない。そんな不服を顔に貼り付けながら、グレイシスはギルドの職員とやりとりをしているジルバの横で腕を組む。
 近寄りがたい美貌は、身分を隠しても滲み出る。毛色の違う麗人が周りを牽制するかのように睨みを聞かせる姿は、時として人の好奇心を煽るのだ。

「見慣れない顔だなああんた。帯剣してるってことは、あんたも依頼を受けに来たのかい」
「……」
「んだ、綺麗どころは喋る男も選ぶってか。お高く止まってるやつが来るところじゃねえぞここは」

 先程の鞘に触れてきた男だ。
 昼間に、己の体躯を晒すようにして素肌の上半身に皮のベルトを巻いている。背負う斧に手入れが施されている気配はない。グレイシスは冷たい瞳で男を射抜くと、ハンチングの隙間から睨みを聞かせるように細い顎を上げる。

「ならば貴様はなんだというのだ。依頼を受けるなら得物の手入れぐらいしろ。威勢だけで食える仕事でも探しにきたのなら別だがな」
「なっ……」

 グレイシスの言葉に、ギルドの粗野な男たちからは笑い声が上がった。
 気持ちのいいくらいの切り返しだったのだ。舐められた方が負けというのは空気感から理解していた。故にグレイシスは、正々堂々とこの場に則ったやり方で言い返したのだ。
 周りからの野次に顔を真っ赤に染めた男が、斧の柄に手をかける。勢いのままに振り抜こうとした男の喉元に、グレイシスはレイピアの鞘を突きつけた。

「ここで剣を抜くのは御法度だ。そんなルールも知らぬまま利用をしているのか貴様は」
「はしゃぐなグレイ、用事は済んだ。暇つぶしはそれまでにしておけ」
「お、俺のことを暇つぶしだと……⁉︎」
「暇つぶし程度の価値すらない」

 ジルバの腕が、グレイシスの腰を抱くようにして引き寄せる。
 レイピアは美しく回転をすると、再びグレイシスの腰へとおさまった。鞘から抜かぬままの、一瞬の攻防。力量がどちらにあるのかは一目瞭然だ。
 依頼の紙を片手にギルドを出ようとする。いけすかない二人組に上下関係を教えようと、追いかけようとした時だった。

「いてぇっ‼︎ な、なんだあ⁉︎」

 床を揺らすようにして、男は無様に転がった。
 慌てて足元へと目を向ける。見れば、男の影はギルドの床に縫い付けられるようにして固定されていた。

「おっとすまん、俺の兄弟がいたずらをしたようだ」
「ひ、ヒィイ、っ……‼︎」

 黒髪褐色の男の、冷たい笑みが向けられた。
 空気が揺れて、鋭い何かが床を削る音がした。ギルドにいた男どもが引き攣った声を上げた瞬間、床に這いつくばった男の上を、大きな蜘蛛が這うように通り抜けていった。
 恐ろしい肉食の蜘蛛の魔物、アラクネがゆっくりと黒髪の男の影へと入っていく。予備動作なしの召喚だ。その場にいたものは、顔を真っ青にしたまま硬直していた。
 蝶番の音が再び耳障りに鳴く。硬質なブーツの音を響かせながらギルドを出ていったジルバたちを、再び呼び止めるものは誰一人としていなかった。

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