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ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-
未完成な二人 5
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柊那と朔那と名付けられた二人の子供は、柊那がお兄ちゃんで、朔那が弟であった。二人共見事な黒髪で、天狗の血が強い。兎耳をぴんとたてた柊那は、母に似て泣き虫な朔那をいっつも背中にくっつけて、二人で小さなお手々を繋いでちょこちょこと走り回る。
「おかぁさぁあん!!」
「おかあしゃーーー!!」
短い手足をたくさん動かして、柊那と朔那は起き抜けから元気いっぱいだ。天狗のお父さんと、玉兎のお母さん、天狗のおじいちゃんと、人間のおばあちゃんにたくさんたくさん愛でられて、今年で四歳になった二人は今日も、お父さんとお母さんの取り合いをする。
「はーあい!」
「どこぉーーー!」
「裏庭にいるよう!」
柊那の黒兎のお耳が、ピンと立つ。背中に羽があるくせに、それを使わずにとてとてと走る気弱な朔那が、睡蓮の姿が見えない!と朝から大泣きしたのだ。お父さんが飛んできて朔那をあやそうとしたけれど、朔那が泣けばお母さんが絶対に抱っこしてくれるから、お父さんの手を器用に避けて柊那と一緒に今に至る。
「睡蓮は朝から飯の支度があるから、おっとうが抱っこしてやるって!」
「やだおかぁさんがいぃーーー!」
「しゅうなはおとしゃんでもいい!」
「さくなはおかしゃがいいぃー!!」
「まてまてまて!」
ばたばたと可愛らしい足音を立てながら、柊那も朔那も襖を開け放つ。見慣れた白髪頭の睡蓮が、人参の入った籠を片手に目を丸くした。二人して手を繋いで、縁側から仲良く飛び跳ねる。兎譲りの見事な跳躍は、捕まえようとした腕をすり抜けて、二人の背後で琥珀がべしょりと転ぶ。お口をあんぐりと開けた睡蓮は、己の背丈よりも飛び跳ねた愛息子二人を見上げると、びゃっと長いお耳を引き伸ばし、人参の籠を放り投げる。
「だっこぉおーーー!」
「しゅうなもぉ!!」
「うわぁーーーーーっ!!」
真っ青な顔をした琥珀の声なんて物ともせずに、片腕を伸ばした睡蓮が柊那を受け止めると、ちまこい羽根をぱたつかせた朔那が睡蓮の肩口にしがみ付く。柊那は飛べないけれど、お母さんの片腕が使えないことを二人はきちんと知っていた。だからいっつも、朔那はこういうときしか羽撃かないのだ。
「うっ!ふ、ふたりともいっぺんは駄目ですようってお母さんはいいましたよう!」
「柊那、さっき俺でもいいって言ったろう!おら、抱っこしてやるからこっちにおいで!」
「いまはおかーさんがいい!!」
「なんでだあ!!」
首に朔那、片腕で柊那を支えた睡蓮はというと、嬉しいやら申し訳ないやら。子育てをし始めてから、実に琥珀の小さな頃によく似ていると天嘉からお墨付きを貰った双子に、毎日琥珀と二人でてんやわんやであった。
「お父さんもだっこしたいんだよう!人参よりも朔那と柊那がいいって顔してるよう?」
「まさにそれ。」
睡蓮が放り投げた人参を籠に戻しながら、琥珀がよいせと立ち上がる。籠を縁側に置き睡蓮の元に歩み寄ると、どんとこいと言わんばかりに両手を広げた。
「おとしゃ、あとで!」
「おかーさんじゅんばんっこですよう!」
「そうだけど、そうじゃない…」
琥珀までもが睡蓮に甘えたいのだと思われたらしい。何も間違いではないのだが、琥珀は照れが混じったかのような、なんとも言えない表情で双子を見る。
「二人合わせて米袋二つ分あるんだから、おっかあが折れてもいいのかって。」
「おれちゃうのう!?」
「おれちゃうのう!?」
「お、折れないと思うけど、」
二人合わせて、睡蓮の体重の半分近くあるのだ。折れないにしろ、腰には来る。嬉しい悩みの種は、今日も元気である。結果、内密な協議を行ったらしい。飛べない柊那が琥珀に抱っこされるといったところで落ち着いた。いわく、朔那は飛べるので体重はかけないから、らしい。
「おとーさん、きょうおちごとしないひ?」
「しない。十六夜のおじいちゃんに任せた。」
「おかしゃ、さくなとあそぶひ?」
「毎日二人とあそんでるよう?」
二人の腕の中で、赤眼をキラキラさせてふくふくと笑う。いつも睡蓮と三人で琥珀の帰りを待つことが多いから、琥珀が居るというだけでふたりはソワソワしてしまう。先程の大立ち回りも、嬉しすぎて暴走したらしい。一刻も早く睡蓮に抱っこをしてもらわなくては、この胸の高まりは落ち着かないとなったのだ。柊那が短めな兎の立ち耳を、ぴこぴことくっつけて琥珀を見上げる。双子のまんまるな紅玉の瞳は、睡蓮の血だ。太陽の光が当たると、目の中に金箔をちらしたように細かな金が交じる。そこは琥珀と揃いであった。
「久しぶりに、市井で買い物でも行くか?それとも由春んとこの滝壺で弁当でも食うか。」
「それ、しってるよう!」
「てんちゃがいってたよう!」
ぴくにっく!可愛らしい声で、そんなことを宣う。睡蓮は首を傾げたが、琥珀は知っているらしい。それだそれ、などと言って、慣れぬ片仮名の言葉を復唱する。
「ぴくにっくって、遠出しておんもでごはんたべるのう?」
「ほかもみる!」
「おんものきとか!」
「陰摩羅鬼なんかいるかあ?」
「おんもらきってなあにー!」
柊那と朔那が琥珀の聞き間違いに首を傾げたが、そこはしっかりと睡蓮が、おんもの、木だよう。と訂正をしておいた。
こんな小さい子が陰摩羅鬼を見たら泣くでしょうと言うと、ようやく納得したらしい。確かに。などと呑気に言う。
それからは、双子にせがまれた睡蓮が、琥珀とともにお弁当をつくる準備をした。一人でも時間はかかるができないこともない。けれど、琥珀が休みのときはこうして二人でくっついて炊事場に立つ。琥珀は背中に柊那を括って、睡蓮は朔那を括りながらなので、実質家族四人である。二人して、お父さんとお母さんの背中にくっつきながら、いいにおいだね、ごはん、たまごやきはあまいのがいいなあ、りんごはうしゃぎしゃん。などと、可愛いお口を時折ムグムグさせて、食べる真似っこをしながらおねだりをするものだから、答えぬわけにはいかないだろう。
双子が産まれてから、兎さんのりんごを剝くのは琥珀の仕事であった。ここ数年で随分と上達したそれは、睡蓮が隣で見ていて関心するほどだ。
そんな、人知れず嫁から見られている琥珀はというと、睡蓮が器用に動かぬ左腕を重し代わりに添えて、手際よく調理をしていく様子に、逆に感心するばかり。
味噌汁なども、お玉の先端に手を添えて、器用に菜箸で混ぜていくのだ。
「器用なもんだな、」
「切っちゃおっかなぁとも思ったんだけど、」
睡蓮の、可愛らしい顔つきでとんでもないことを抜かすものだから、思わず琥珀が二度見した。あんぐりと開けたおくちに、菜箸で摘んだ甘めの玉子焼きの切れ端を口に突っ込む。むぐりと口を動かして、うまいとだけ宣うと、背後で双子がずるいー!と鳴く。
「きき、き、きる!?」
「お父さんからあーんしてもらってくださぁい。」
「あ、ああ、あーん。」
双子の給餌を行いながらも、睡蓮の言葉に琥珀は頭に疑問符を散りばめるばかりだ。乳歯がかわいいお口をあけて、琥珀はほのかに癒やされはしたが、それはそれである。
「切るう!?」
「なにきるのう?」
「おべべきてるよう!」
「ちょ、ちげ、ちょっとおっとうは今おっかぁと話してっから!」
きゃあきゃあと楽しそうに笑う双子と、それを嗜める琥珀に笑いながら、睡蓮はお玉で掬った味噌汁を味見する。天嘉から賜った、保温機能がついた背丈の短い水筒に入れていくのだ。琥珀が水筒の蓋を開けて支えるように持つ。睡蓮が礼を言って味噌汁を注ぐと、琥珀は蓋を締めた。
「腕を切るって、何恐ろしいこと考えてんだ。」
「切らないよう、思っただけだもの。」
「…ならいいけどよ、」
渋い顔をする琥珀を、睡蓮がちろりと見上げる。あれ以来、腕はずっと晒しを巻いて隠している。白い布の内側で、浅黒く変色した睡蓮の左腕を見せられるのは琥珀だけであった。
「枕になるもの。」
「…うん?」
琥珀が思っている以上に、なんとも間抜けな返答が返ってきて、思わず聞き返した。
「この子達の枕になるし、琥珀もよく噛むじゃない。」
閨のとき、琥珀はいつも睡蓮の左腕を甘噛みをするのだ。だからてっきり、口寂しいのかと思っていた。睡蓮がおっとりとした口調でそんなことを宣うものだから、琥珀は口をパカリと開けて、一瞬ほうけてしまった。
「噛んでたか?」
「噛んでるよう?」
「かむのう?」
「がぶがぶするのう?」
「わかった、わかったからしーってしなさい!」
双子が元気よく反応する。琥珀はあやすように体を揺らしながら、もう少しだけ待ってくれとお願いをすると、チンマイお手々を口にぺたりとくっつけて、二人して顔を見合わせる。
「もし切ったら、その…どうするつもりだったんだ。」
「どうする?」
「お前の腕。」
琥珀が口をもぞつかせながら言う。睡蓮は琥珀が取り出したお弁当箱を受け取ると、菜箸で卵焼きを詰めながら、うーん。と逡巡する。
「異国では、兎のおてては御守なんだって。」
生命の象徴、幸福の証、魔除けの意味もあるらしい。国によって捉え方は様々だが、睡蓮が腕を切ろうか悩んでいると天嘉と青藍に相談したときに、そんなことを言われたという。
「あ、だから切って琥珀にあげようって話にはならなかったんだけども。」
「いやおま、それは…」
いらないのなら琥珀がほしいとは思うけど。まあ、切り取った腕が兎の本性に準ずるかは別として。
「そんなちっさいお手々に力が宿るってんなら、本体まるごとあったほうがお得じゃんって言われた。」
「は?おとく?」
「あ、多分天嘉殿は慌ててたから、その場しのぎかもしれないけど、」
青藍と天嘉で、己の人生が変わるかのような選択の道筋を相談されたときは、大いに慌てた。睡蓮の動かぬ腕を切ってしまえば、きっと後悔する。邪魔なんかじゃないと諭しても、その時の睡蓮は頑なだった。なにより、琥珀がこの腕を見てトラウマになるのではと思ったのだ。ならば、腕がない方が潔くていいじゃないかと、睡蓮は勝手にそう思い込んで、また一人で暴走仕掛けたらしい。
「それで、お得じゃんか…」
琥珀の中で、天嘉が大いに慌ててとりなす姿が容易に想像がつく。また、博学な知識の中から睡蓮が興味を引きそうなものを引きずり出して間に合せで言ったに違いない。それでも、睡蓮は己の腕が御守りになるのだと聞いて、尚更切ろうかと思ったのだが、その後に言われた、本体まるごとのがいいじゃんという言葉に、確かに。となってしまったのだ。
「僕が琥珀のお守りになれるのが一番嬉しいから、じゃあいっかぁって。」
「ああ、そりゃあ…」
確かに。である。
「おかしゃ、おまもり!」
「しゅうなとさくなも、おまもり?」
「君たちは僕らから守られる側ですよ?」
「おとしゃ、おまもり?」
「お前らが俺の御守り。」
家族がいるから、命の覚悟は決まるのだ。御守り、護る側の御守りは、いつだって暖かく存在する。
「おとしゃ、おかーしゃんのおまもり!」
「さくとしゅうなも、まもるよう!」
可愛い声で、ころころと喋る。勇ましい双子の言葉に顔を見合わせると、睡蓮も琥珀も照れくさそうに小さく笑う。
守るものも増えたので、やはり睡蓮はまるごとのほうがいいなあと、また一つ腑に落ちた。それに、思いの外使えぬと思っていた腕は引っ張りだこで、時折琥珀に噛まれたり、気付かぬうちに柊那と朔那によってお花で飾られたりしているのだ。
ならば、なおさらいいかなと思ったのである。
小鍋から甘く煮た人参さんを摘んで、お弁当に詰める。双子の為に飾り切りをしたお花の人参も、琥珀ががんばったものである。
「なんだっていいやな、お前がよけりゃ。」
少しだけ逡巡して、そんなことを宣う。本当は、ちょっぴり嫁の一部を持っていたいと思ったのだが、それはそれで双子と取り合いになりそうな気がするなあと思い至って、やめたのだ。
天狗の愛は重いので、睡蓮がいらぬといって切った腕も、一等大事にするのはわかっていた。
睡蓮が気にしていた、腕を見て琥珀が嫌な思いをするのでは。という気遣いがとくに可愛らしい。
琥珀は、己無しじゃままならなくなった睡蓮をこの世の中で一番愛している。子も生まれた。これ以上の上等は、きっと三千世界探してもないだろう。
「琥珀の羽の内側で、家族四人が幸せ。」
こつんと睡蓮の頭が肩口に当たる。素直な言葉はほんのりと淡く色付いて、琥珀の胸の内側にじんわりと染み渡る。
そんなことを言われたら、天狗に冥利に尽きるだろう。
琥珀はきゅうんと胸を鳴らすだけじゃ飽き足らず、喉奥からクルルと甘やかな声を漏らしてしまうものだから、取り繕うように口をへの字に引き結ぶのであった。
「おかぁさぁあん!!」
「おかあしゃーーー!!」
短い手足をたくさん動かして、柊那と朔那は起き抜けから元気いっぱいだ。天狗のお父さんと、玉兎のお母さん、天狗のおじいちゃんと、人間のおばあちゃんにたくさんたくさん愛でられて、今年で四歳になった二人は今日も、お父さんとお母さんの取り合いをする。
「はーあい!」
「どこぉーーー!」
「裏庭にいるよう!」
柊那の黒兎のお耳が、ピンと立つ。背中に羽があるくせに、それを使わずにとてとてと走る気弱な朔那が、睡蓮の姿が見えない!と朝から大泣きしたのだ。お父さんが飛んできて朔那をあやそうとしたけれど、朔那が泣けばお母さんが絶対に抱っこしてくれるから、お父さんの手を器用に避けて柊那と一緒に今に至る。
「睡蓮は朝から飯の支度があるから、おっとうが抱っこしてやるって!」
「やだおかぁさんがいぃーーー!」
「しゅうなはおとしゃんでもいい!」
「さくなはおかしゃがいいぃー!!」
「まてまてまて!」
ばたばたと可愛らしい足音を立てながら、柊那も朔那も襖を開け放つ。見慣れた白髪頭の睡蓮が、人参の入った籠を片手に目を丸くした。二人して手を繋いで、縁側から仲良く飛び跳ねる。兎譲りの見事な跳躍は、捕まえようとした腕をすり抜けて、二人の背後で琥珀がべしょりと転ぶ。お口をあんぐりと開けた睡蓮は、己の背丈よりも飛び跳ねた愛息子二人を見上げると、びゃっと長いお耳を引き伸ばし、人参の籠を放り投げる。
「だっこぉおーーー!」
「しゅうなもぉ!!」
「うわぁーーーーーっ!!」
真っ青な顔をした琥珀の声なんて物ともせずに、片腕を伸ばした睡蓮が柊那を受け止めると、ちまこい羽根をぱたつかせた朔那が睡蓮の肩口にしがみ付く。柊那は飛べないけれど、お母さんの片腕が使えないことを二人はきちんと知っていた。だからいっつも、朔那はこういうときしか羽撃かないのだ。
「うっ!ふ、ふたりともいっぺんは駄目ですようってお母さんはいいましたよう!」
「柊那、さっき俺でもいいって言ったろう!おら、抱っこしてやるからこっちにおいで!」
「いまはおかーさんがいい!!」
「なんでだあ!!」
首に朔那、片腕で柊那を支えた睡蓮はというと、嬉しいやら申し訳ないやら。子育てをし始めてから、実に琥珀の小さな頃によく似ていると天嘉からお墨付きを貰った双子に、毎日琥珀と二人でてんやわんやであった。
「お父さんもだっこしたいんだよう!人参よりも朔那と柊那がいいって顔してるよう?」
「まさにそれ。」
睡蓮が放り投げた人参を籠に戻しながら、琥珀がよいせと立ち上がる。籠を縁側に置き睡蓮の元に歩み寄ると、どんとこいと言わんばかりに両手を広げた。
「おとしゃ、あとで!」
「おかーさんじゅんばんっこですよう!」
「そうだけど、そうじゃない…」
琥珀までもが睡蓮に甘えたいのだと思われたらしい。何も間違いではないのだが、琥珀は照れが混じったかのような、なんとも言えない表情で双子を見る。
「二人合わせて米袋二つ分あるんだから、おっかあが折れてもいいのかって。」
「おれちゃうのう!?」
「おれちゃうのう!?」
「お、折れないと思うけど、」
二人合わせて、睡蓮の体重の半分近くあるのだ。折れないにしろ、腰には来る。嬉しい悩みの種は、今日も元気である。結果、内密な協議を行ったらしい。飛べない柊那が琥珀に抱っこされるといったところで落ち着いた。いわく、朔那は飛べるので体重はかけないから、らしい。
「おとーさん、きょうおちごとしないひ?」
「しない。十六夜のおじいちゃんに任せた。」
「おかしゃ、さくなとあそぶひ?」
「毎日二人とあそんでるよう?」
二人の腕の中で、赤眼をキラキラさせてふくふくと笑う。いつも睡蓮と三人で琥珀の帰りを待つことが多いから、琥珀が居るというだけでふたりはソワソワしてしまう。先程の大立ち回りも、嬉しすぎて暴走したらしい。一刻も早く睡蓮に抱っこをしてもらわなくては、この胸の高まりは落ち着かないとなったのだ。柊那が短めな兎の立ち耳を、ぴこぴことくっつけて琥珀を見上げる。双子のまんまるな紅玉の瞳は、睡蓮の血だ。太陽の光が当たると、目の中に金箔をちらしたように細かな金が交じる。そこは琥珀と揃いであった。
「久しぶりに、市井で買い物でも行くか?それとも由春んとこの滝壺で弁当でも食うか。」
「それ、しってるよう!」
「てんちゃがいってたよう!」
ぴくにっく!可愛らしい声で、そんなことを宣う。睡蓮は首を傾げたが、琥珀は知っているらしい。それだそれ、などと言って、慣れぬ片仮名の言葉を復唱する。
「ぴくにっくって、遠出しておんもでごはんたべるのう?」
「ほかもみる!」
「おんものきとか!」
「陰摩羅鬼なんかいるかあ?」
「おんもらきってなあにー!」
柊那と朔那が琥珀の聞き間違いに首を傾げたが、そこはしっかりと睡蓮が、おんもの、木だよう。と訂正をしておいた。
こんな小さい子が陰摩羅鬼を見たら泣くでしょうと言うと、ようやく納得したらしい。確かに。などと呑気に言う。
それからは、双子にせがまれた睡蓮が、琥珀とともにお弁当をつくる準備をした。一人でも時間はかかるができないこともない。けれど、琥珀が休みのときはこうして二人でくっついて炊事場に立つ。琥珀は背中に柊那を括って、睡蓮は朔那を括りながらなので、実質家族四人である。二人して、お父さんとお母さんの背中にくっつきながら、いいにおいだね、ごはん、たまごやきはあまいのがいいなあ、りんごはうしゃぎしゃん。などと、可愛いお口を時折ムグムグさせて、食べる真似っこをしながらおねだりをするものだから、答えぬわけにはいかないだろう。
双子が産まれてから、兎さんのりんごを剝くのは琥珀の仕事であった。ここ数年で随分と上達したそれは、睡蓮が隣で見ていて関心するほどだ。
そんな、人知れず嫁から見られている琥珀はというと、睡蓮が器用に動かぬ左腕を重し代わりに添えて、手際よく調理をしていく様子に、逆に感心するばかり。
味噌汁なども、お玉の先端に手を添えて、器用に菜箸で混ぜていくのだ。
「器用なもんだな、」
「切っちゃおっかなぁとも思ったんだけど、」
睡蓮の、可愛らしい顔つきでとんでもないことを抜かすものだから、思わず琥珀が二度見した。あんぐりと開けたおくちに、菜箸で摘んだ甘めの玉子焼きの切れ端を口に突っ込む。むぐりと口を動かして、うまいとだけ宣うと、背後で双子がずるいー!と鳴く。
「きき、き、きる!?」
「お父さんからあーんしてもらってくださぁい。」
「あ、ああ、あーん。」
双子の給餌を行いながらも、睡蓮の言葉に琥珀は頭に疑問符を散りばめるばかりだ。乳歯がかわいいお口をあけて、琥珀はほのかに癒やされはしたが、それはそれである。
「切るう!?」
「なにきるのう?」
「おべべきてるよう!」
「ちょ、ちげ、ちょっとおっとうは今おっかぁと話してっから!」
きゃあきゃあと楽しそうに笑う双子と、それを嗜める琥珀に笑いながら、睡蓮はお玉で掬った味噌汁を味見する。天嘉から賜った、保温機能がついた背丈の短い水筒に入れていくのだ。琥珀が水筒の蓋を開けて支えるように持つ。睡蓮が礼を言って味噌汁を注ぐと、琥珀は蓋を締めた。
「腕を切るって、何恐ろしいこと考えてんだ。」
「切らないよう、思っただけだもの。」
「…ならいいけどよ、」
渋い顔をする琥珀を、睡蓮がちろりと見上げる。あれ以来、腕はずっと晒しを巻いて隠している。白い布の内側で、浅黒く変色した睡蓮の左腕を見せられるのは琥珀だけであった。
「枕になるもの。」
「…うん?」
琥珀が思っている以上に、なんとも間抜けな返答が返ってきて、思わず聞き返した。
「この子達の枕になるし、琥珀もよく噛むじゃない。」
閨のとき、琥珀はいつも睡蓮の左腕を甘噛みをするのだ。だからてっきり、口寂しいのかと思っていた。睡蓮がおっとりとした口調でそんなことを宣うものだから、琥珀は口をパカリと開けて、一瞬ほうけてしまった。
「噛んでたか?」
「噛んでるよう?」
「かむのう?」
「がぶがぶするのう?」
「わかった、わかったからしーってしなさい!」
双子が元気よく反応する。琥珀はあやすように体を揺らしながら、もう少しだけ待ってくれとお願いをすると、チンマイお手々を口にぺたりとくっつけて、二人して顔を見合わせる。
「もし切ったら、その…どうするつもりだったんだ。」
「どうする?」
「お前の腕。」
琥珀が口をもぞつかせながら言う。睡蓮は琥珀が取り出したお弁当箱を受け取ると、菜箸で卵焼きを詰めながら、うーん。と逡巡する。
「異国では、兎のおてては御守なんだって。」
生命の象徴、幸福の証、魔除けの意味もあるらしい。国によって捉え方は様々だが、睡蓮が腕を切ろうか悩んでいると天嘉と青藍に相談したときに、そんなことを言われたという。
「あ、だから切って琥珀にあげようって話にはならなかったんだけども。」
「いやおま、それは…」
いらないのなら琥珀がほしいとは思うけど。まあ、切り取った腕が兎の本性に準ずるかは別として。
「そんなちっさいお手々に力が宿るってんなら、本体まるごとあったほうがお得じゃんって言われた。」
「は?おとく?」
「あ、多分天嘉殿は慌ててたから、その場しのぎかもしれないけど、」
青藍と天嘉で、己の人生が変わるかのような選択の道筋を相談されたときは、大いに慌てた。睡蓮の動かぬ腕を切ってしまえば、きっと後悔する。邪魔なんかじゃないと諭しても、その時の睡蓮は頑なだった。なにより、琥珀がこの腕を見てトラウマになるのではと思ったのだ。ならば、腕がない方が潔くていいじゃないかと、睡蓮は勝手にそう思い込んで、また一人で暴走仕掛けたらしい。
「それで、お得じゃんか…」
琥珀の中で、天嘉が大いに慌ててとりなす姿が容易に想像がつく。また、博学な知識の中から睡蓮が興味を引きそうなものを引きずり出して間に合せで言ったに違いない。それでも、睡蓮は己の腕が御守りになるのだと聞いて、尚更切ろうかと思ったのだが、その後に言われた、本体まるごとのがいいじゃんという言葉に、確かに。となってしまったのだ。
「僕が琥珀のお守りになれるのが一番嬉しいから、じゃあいっかぁって。」
「ああ、そりゃあ…」
確かに。である。
「おかしゃ、おまもり!」
「しゅうなとさくなも、おまもり?」
「君たちは僕らから守られる側ですよ?」
「おとしゃ、おまもり?」
「お前らが俺の御守り。」
家族がいるから、命の覚悟は決まるのだ。御守り、護る側の御守りは、いつだって暖かく存在する。
「おとしゃ、おかーしゃんのおまもり!」
「さくとしゅうなも、まもるよう!」
可愛い声で、ころころと喋る。勇ましい双子の言葉に顔を見合わせると、睡蓮も琥珀も照れくさそうに小さく笑う。
守るものも増えたので、やはり睡蓮はまるごとのほうがいいなあと、また一つ腑に落ちた。それに、思いの外使えぬと思っていた腕は引っ張りだこで、時折琥珀に噛まれたり、気付かぬうちに柊那と朔那によってお花で飾られたりしているのだ。
ならば、なおさらいいかなと思ったのである。
小鍋から甘く煮た人参さんを摘んで、お弁当に詰める。双子の為に飾り切りをしたお花の人参も、琥珀ががんばったものである。
「なんだっていいやな、お前がよけりゃ。」
少しだけ逡巡して、そんなことを宣う。本当は、ちょっぴり嫁の一部を持っていたいと思ったのだが、それはそれで双子と取り合いになりそうな気がするなあと思い至って、やめたのだ。
天狗の愛は重いので、睡蓮がいらぬといって切った腕も、一等大事にするのはわかっていた。
睡蓮が気にしていた、腕を見て琥珀が嫌な思いをするのでは。という気遣いがとくに可愛らしい。
琥珀は、己無しじゃままならなくなった睡蓮をこの世の中で一番愛している。子も生まれた。これ以上の上等は、きっと三千世界探してもないだろう。
「琥珀の羽の内側で、家族四人が幸せ。」
こつんと睡蓮の頭が肩口に当たる。素直な言葉はほんのりと淡く色付いて、琥珀の胸の内側にじんわりと染み渡る。
そんなことを言われたら、天狗に冥利に尽きるだろう。
琥珀はきゅうんと胸を鳴らすだけじゃ飽き足らず、喉奥からクルルと甘やかな声を漏らしてしまうものだから、取り繕うように口をへの字に引き結ぶのであった。
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