74 / 94
ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-
馬頭と鐘楼と地獄の手綱 5
しおりを挟む
「お前は随分と不器用に生きてきたのだなあ。」
かちゃかちゃと茶器の音がする。饒河は鐘楼が淹れた茶を目の前にして、唇を真一文字にして俯いていた。
饒河はお前が管理しろ。そう、牛頭によって任された鐘楼は、あいわかったと頷くと、こうして饒河を己の寝床に招いたのだ。
岩屋戸というくらいだから、余程薄暗いのかと思っていた。しかしそれは饒河の勝手な思い込みで、実際のところはぼんぼりに灯りが灯るような、そんな温かみのあるやわこい光が四隅に吊るされていた。灯籠の中の火の玉が覗き込むようにこちらを見て揺れている。鐘楼は、彼奴も愛玩の一つだと言っていた。
「浮かれたのか。」
「は?」
蒸らし終えたらしい。鐘楼が茶器の蓋をとって饒河に進める。薄い黄緑のそれは暖かな湯気と共に饒河の前にその香りを広げる。
「野狐が長い年月を経て力をつけるというのは聞いておるよ。お前の尾は三つに分かれておるしな。」
「たかだか三本だ。唐国には九つに分かれている者もいると聞く。」
「何も尾の本数の話をしたいわけじゃないさ。」
訝しげな顔で鐘楼を見る。こいつの笑みは嫌いだ。まるで幼児に向けるかのようにこちらを見てくる。
「なんで神気を奪われた。」
「聞いてどうする。」
「自分のものを知りたいという欲求は当たり前のものだと思うが、違うのか。」
まただ。底抜けのような仄暗い瞳孔を、透き通った赤い瞳に隠している。饒河はもぞりと身じろぐと、なんとなく見つめられたくなくて、そっと目を逸らした。
「私の話を聞きたいのなら、お前の話からするがいい。」
「ふむ。なるほど道理だな。だが罪状は話した。ならば我の過去についてということか。」
「そうだ。お前が私の手綱を握っているのだろう?ならば素性を明かせ。私をきちんと飼う気が有るのなら。」
ぼんぼりの灯りと、鐘楼の背後の入り口の光しかない部屋の中で、饒河は必死で矜持を保っていた。馬鹿にされたくない。怖いが、こんな理不尽を振るわれるのなら、これくらいの要求は許されると思ったのだ。
鐘楼は己の中の道理が嵌れば何もを言わないらしい。饒河の金色の瞳が鐘楼を見つめる。
「そうさな。どこから話そうか。」
着物の合わせ目に手を入れ、鐘楼が煙管を取り出した。馬頭から貰ったものだった。無言でただ座っているままの鐘楼は圧がすごいからと、何か人となりがわかるような、そんな仕草の一つでも覚えろと文句を言われたのだ。そこから少しずつ、馬頭や部下の獄卒に話しかけて、感情の起伏を学んだ。煙管は場を繋ぐらしい。確かに、思考をまとめるのには丁度いい気がした。
吸い口に鐘楼の唇が寄せられる。饒河はその仕草を見れずに、目だけを逸らした。
「始まりはな、随分と昔であった。」
薄い唇から、薄紫の細い煙が伸びた。耳心地良い甘い声だ。空気を震わすその声は、何かを吟じるかのように間伸びした言葉を紡ぐ。
鐘楼が己の体に纏うものが、他と違うことに気がついたのは、もう百五十年以上前のことだった。
「異国のものがちらほらと混じり始め、人間の様相が変わった頃合いから、物事の意味を理解できるようになった。」
「意味?」
「水を飲むのは喉が乾くから、飯を食らうのは腹が減るから。そう言った当然ではないぞ。」
「ならば、なんだというのだ。」
かちりと鐘楼の歯が当たる。煙管を甘く噛んだのだ。
吸い口を口に含むとき、少しだけ舌が当たるのは鐘楼の癖である。
「邪魔なのだと。そう言った意味だ。」
発展は、実に目まぐるしかった。
「鉄の塊が走る道を作るのに、里は奪われた。」
「お前の最初の住処か。」
「お前のではなく、仲間たちのだ。」
共存してきたと思っていたのに。そう思っていたのはこちら側だけだった。
最初は、食える草が減ったなあくらいだった。そこから徐々に、身を隠す森が林になり、それが木が数本程度までになった。それでも、困ったなあくらいで、その理由がなんでだかわからなかった。年々、仲間たちの頭数は減っていった。それでも鐘楼は生きていた。番い、子をなし、群れで山を登りながら、てんてんと住処を変えていった。
妻が死に、子も老いて死に、仲間の家族が少しずつ減っていった。鐘楼だけがずっと変わらぬまま群れを率いているというのに、なんの疑問も抱かぬままに日常を過ごしてきた。
時代が変わり、山に人が混じり始まる。群れの一部は糧とされて、必死に逃げ惑う日々がしばらく続いた。
空からは火の玉が降ってきて、足の遅いものから淘汰された。疑問は鐘楼だけだった。人のように武器を持たない獣は、炎や鉄の筒の前ではただの肉にしかならない。
時代が変わり、今までの境遇が人間の住処を広げるためだったのだと理解した。
鐘楼の最初の住処であった山は灰色の道に変わり、その下には沢山の亡骸が埋もれている。人や獣。死だけが等しく平等の中、鐘楼だけが生きていた。
「そうだなあ。長生きばかりが良いことだと言うのは違うか。」
鐘楼の一つしかない赤眼が、戸惑った顔でこちらを見返す饒河に向けられる。
「お前が我に語れと言わなければ、こうして振り返ることもなかったのだろうな。」
「何だ、何が言いたい。」
「いいや、お前のおかげで今更ながらに気付かされた。ああ、俺がなんで禍津神になったのか漸く理解した。」
睡蓮に詫びなければ。ポツリと呟き饒河の手を握る。血の通った暖かな掌である。鐘楼は指の股を開くかのようにして饒河の手に己の指を絡ませる。
「先が見えぬ、お前は一体何がしたい。」
「怯えなくていい。」
「だから、なにを」
鐘楼は、長く生きすぎた。群れを率いて時代を渡り、仲間を看取りながら少しずつ恨みを積もらせた。鐘楼の神格はきっと神の気まぐれだろう。親の顔は知らぬ。もしかしたら、群れで育てられた中にいたのかもしれないが、死んだだろう。
一人だけ違和感に早くから気が付かねば、こうして知恵を得て生き汚く生を汚すこともなかっただろう。
「お前は、若い頃の我に似ているのだ。だからこうして放ってはおけぬ。大事にしたいと思うのだろう。」
「な、」
「我は人間に、お前は妖かしに理不尽を覚えただけのこと。やはり寄り添うべきは似た者同士というわけだ。」
似ていると言われたのは、初めてであった。
饒河は、物心がつく頃にはもう人が着物ではなくなっていた。随分と長生きのつもりではあったが、妖かしと括られるのならそれほど長く生きてはいない。それでも尾が三股に分かれ、神気を得た。稲荷神の元で、饒河の他に四匹の狐と共に修行をしたのだ。恵まれた環境であったと思う。鐘楼のような時代の狭間を縫うように生きてはいない。
「お前の言う似た者同士と言うのは、違う。」
「違わぬよ、お前も我も、互いに弾かれた身だろう。」
息が詰まる。鐘楼は、饒河が気づきたくないところばかり粗探しのように指摘してくる。
「………。」
「弱い者いじめをして嫌われたと聞いている。」
「そんなんではないわ。」
「しかし、そういう捉え方をされたということは事実だ。」
下手くそな生き方しか出来ないのは、饒河が四匹の中で追いかける側だったからだ。
神気を得たのが遅かった。他の兄弟達は皆早くに化け、術を得て、認められて次々と神の元から消えていった。
饒河は、ずっと落ちこぼれであった。なんで己だけ力が芽吹かぬのか分からず、ずっと歯噛みをしてその時を待った。なんでやどうしてで思考は埋め尽くされ、結局饒河が神気を得たのは、皆が消えてから数年後であった。
「浮かれたのだろう、己の価値を見誤ったのだ。お前の神気は分け与えるものであって、それを惜しんだから神気は消えたのだ。」
それぞれが持つ神気とは、それぞれの役割のことだ。鐘楼の神気とは、統率することに長けている力だ。統率するとは、率いるということ。率いるということは、守るということだ。鐘楼はふつふつと恨みを積み上げて、その守る力を執着へと変えた。禍津神としての執着は、文字通り個に固執することだ。そうして、一人を呪い陥れようとした。己と同じ場所まで引きずり下ろして、けっして離すまいと我欲を優先させた。思えば、群れも守れなかった鐘楼の救いを求めていたのだ。たった一人を守ることで、己の存在を許したかった。
「己の価値、」
「お前の神気は、分け与えるものだった。分け与えるとは、慈悲の心からくる。お前はそれを渋ったのだ。そこに、お前は当たり前として対価を求めた。」
饒河の神気は、分け与える慈悲の心で育むべきであったのだ。いっとう神として向いているはずだったその神気を失ったのは、その教えに背いたからに他ならない。
「与えたら、なくなるだろう。私の神気が消えたら、きっとあやつらはもう不要だと暴力を振るうに違いないのだ、だから、」
「だから、己を護るために対価を得たのか。」
「力を振るってやる変わりに、対価を求めるのは自然だろう。」
「自然だ。それに打算が働いてないのならな。」
四匹の中でいっとうのハズレ狐。そう言われていた。だから、神気を得てすぐに社を飛び出した。見返したかった。己の神気を振るって、馬鹿にした者共を見返してやりたかった。
椎葉の山を統治すれば、その名は響くだろう。己だけの群れを作りたかった。そうすればきっと兄弟たちも認めてくれる。
「私は悪くない、勝手に褒めそやして侍っていたくせに。媚を売ってきたくせに。」
「お前はそれの上に胡座をかいていたのだな。」
「誰にも教えてなんかくれなかった。」
「それはそうだろう、お前は周りが怯えるほど強く振る舞っていたのだから。」
大きな耳をへたらせて、俯いている。稲穂の髪で表情が見えないが、その肩がかすかに震えていた。
「我なら、お前を認めてやれる。似た者同士だ。愛してやれる、守ってもやれる。」
「爺、調子に乗るなよ。」
「そんな顔で言われてもなあ。」
鐘楼は饒河よりも強いから、道を正してやれるのだ。
金色の瞳が潤む。勝ち気そうな唇が微かに戦慄くのを抑えるかのように、真一文字に引き結ぶ。
「我が寂しいから、共にいてくれ。共にいてくれるのなら、我はお前を守ってやれる。」
「っ、」
鐘楼の手のひらが、そっと饒河に向けられる。その姿が、こちらに手を差し伸べた睡蓮のものと重なった。矜持が邪魔をして取れなかった掌だ、情けをかけられていると勘違いをしたあの時、饒河は馬鹿にするなと言って睡蓮の横面を張り倒した。
「後悔を知ったのなら、お前はもう道を誤らぬ。」
「どの口が言うのだ。」
「わは、全くもってそのとおりだなあ。」
茶器を挟んで、饒河の掌が遠慮がちに鐘楼のそれと重なった。手を引かれ、尻が浮いた。淹れたばかりの茶で膝を濡らした饒河が、その両腕に閉じ込められる。
温かい腕だ、背中が寂しくない。癪だから背に手は回さないが、こうして暫くは甘んじてやろうという気にはなった。
こいつのおかげで、饒河は心情が忙しない。己が地獄に堕ちたのは鐘楼のせいであるとして、しっかりと責任を取ってもらわねば。饒河はそう思って、むかっ腹が立つままにガジリと肩口に歯を立てたのであった。
かちゃかちゃと茶器の音がする。饒河は鐘楼が淹れた茶を目の前にして、唇を真一文字にして俯いていた。
饒河はお前が管理しろ。そう、牛頭によって任された鐘楼は、あいわかったと頷くと、こうして饒河を己の寝床に招いたのだ。
岩屋戸というくらいだから、余程薄暗いのかと思っていた。しかしそれは饒河の勝手な思い込みで、実際のところはぼんぼりに灯りが灯るような、そんな温かみのあるやわこい光が四隅に吊るされていた。灯籠の中の火の玉が覗き込むようにこちらを見て揺れている。鐘楼は、彼奴も愛玩の一つだと言っていた。
「浮かれたのか。」
「は?」
蒸らし終えたらしい。鐘楼が茶器の蓋をとって饒河に進める。薄い黄緑のそれは暖かな湯気と共に饒河の前にその香りを広げる。
「野狐が長い年月を経て力をつけるというのは聞いておるよ。お前の尾は三つに分かれておるしな。」
「たかだか三本だ。唐国には九つに分かれている者もいると聞く。」
「何も尾の本数の話をしたいわけじゃないさ。」
訝しげな顔で鐘楼を見る。こいつの笑みは嫌いだ。まるで幼児に向けるかのようにこちらを見てくる。
「なんで神気を奪われた。」
「聞いてどうする。」
「自分のものを知りたいという欲求は当たり前のものだと思うが、違うのか。」
まただ。底抜けのような仄暗い瞳孔を、透き通った赤い瞳に隠している。饒河はもぞりと身じろぐと、なんとなく見つめられたくなくて、そっと目を逸らした。
「私の話を聞きたいのなら、お前の話からするがいい。」
「ふむ。なるほど道理だな。だが罪状は話した。ならば我の過去についてということか。」
「そうだ。お前が私の手綱を握っているのだろう?ならば素性を明かせ。私をきちんと飼う気が有るのなら。」
ぼんぼりの灯りと、鐘楼の背後の入り口の光しかない部屋の中で、饒河は必死で矜持を保っていた。馬鹿にされたくない。怖いが、こんな理不尽を振るわれるのなら、これくらいの要求は許されると思ったのだ。
鐘楼は己の中の道理が嵌れば何もを言わないらしい。饒河の金色の瞳が鐘楼を見つめる。
「そうさな。どこから話そうか。」
着物の合わせ目に手を入れ、鐘楼が煙管を取り出した。馬頭から貰ったものだった。無言でただ座っているままの鐘楼は圧がすごいからと、何か人となりがわかるような、そんな仕草の一つでも覚えろと文句を言われたのだ。そこから少しずつ、馬頭や部下の獄卒に話しかけて、感情の起伏を学んだ。煙管は場を繋ぐらしい。確かに、思考をまとめるのには丁度いい気がした。
吸い口に鐘楼の唇が寄せられる。饒河はその仕草を見れずに、目だけを逸らした。
「始まりはな、随分と昔であった。」
薄い唇から、薄紫の細い煙が伸びた。耳心地良い甘い声だ。空気を震わすその声は、何かを吟じるかのように間伸びした言葉を紡ぐ。
鐘楼が己の体に纏うものが、他と違うことに気がついたのは、もう百五十年以上前のことだった。
「異国のものがちらほらと混じり始め、人間の様相が変わった頃合いから、物事の意味を理解できるようになった。」
「意味?」
「水を飲むのは喉が乾くから、飯を食らうのは腹が減るから。そう言った当然ではないぞ。」
「ならば、なんだというのだ。」
かちりと鐘楼の歯が当たる。煙管を甘く噛んだのだ。
吸い口を口に含むとき、少しだけ舌が当たるのは鐘楼の癖である。
「邪魔なのだと。そう言った意味だ。」
発展は、実に目まぐるしかった。
「鉄の塊が走る道を作るのに、里は奪われた。」
「お前の最初の住処か。」
「お前のではなく、仲間たちのだ。」
共存してきたと思っていたのに。そう思っていたのはこちら側だけだった。
最初は、食える草が減ったなあくらいだった。そこから徐々に、身を隠す森が林になり、それが木が数本程度までになった。それでも、困ったなあくらいで、その理由がなんでだかわからなかった。年々、仲間たちの頭数は減っていった。それでも鐘楼は生きていた。番い、子をなし、群れで山を登りながら、てんてんと住処を変えていった。
妻が死に、子も老いて死に、仲間の家族が少しずつ減っていった。鐘楼だけがずっと変わらぬまま群れを率いているというのに、なんの疑問も抱かぬままに日常を過ごしてきた。
時代が変わり、山に人が混じり始まる。群れの一部は糧とされて、必死に逃げ惑う日々がしばらく続いた。
空からは火の玉が降ってきて、足の遅いものから淘汰された。疑問は鐘楼だけだった。人のように武器を持たない獣は、炎や鉄の筒の前ではただの肉にしかならない。
時代が変わり、今までの境遇が人間の住処を広げるためだったのだと理解した。
鐘楼の最初の住処であった山は灰色の道に変わり、その下には沢山の亡骸が埋もれている。人や獣。死だけが等しく平等の中、鐘楼だけが生きていた。
「そうだなあ。長生きばかりが良いことだと言うのは違うか。」
鐘楼の一つしかない赤眼が、戸惑った顔でこちらを見返す饒河に向けられる。
「お前が我に語れと言わなければ、こうして振り返ることもなかったのだろうな。」
「何だ、何が言いたい。」
「いいや、お前のおかげで今更ながらに気付かされた。ああ、俺がなんで禍津神になったのか漸く理解した。」
睡蓮に詫びなければ。ポツリと呟き饒河の手を握る。血の通った暖かな掌である。鐘楼は指の股を開くかのようにして饒河の手に己の指を絡ませる。
「先が見えぬ、お前は一体何がしたい。」
「怯えなくていい。」
「だから、なにを」
鐘楼は、長く生きすぎた。群れを率いて時代を渡り、仲間を看取りながら少しずつ恨みを積もらせた。鐘楼の神格はきっと神の気まぐれだろう。親の顔は知らぬ。もしかしたら、群れで育てられた中にいたのかもしれないが、死んだだろう。
一人だけ違和感に早くから気が付かねば、こうして知恵を得て生き汚く生を汚すこともなかっただろう。
「お前は、若い頃の我に似ているのだ。だからこうして放ってはおけぬ。大事にしたいと思うのだろう。」
「な、」
「我は人間に、お前は妖かしに理不尽を覚えただけのこと。やはり寄り添うべきは似た者同士というわけだ。」
似ていると言われたのは、初めてであった。
饒河は、物心がつく頃にはもう人が着物ではなくなっていた。随分と長生きのつもりではあったが、妖かしと括られるのならそれほど長く生きてはいない。それでも尾が三股に分かれ、神気を得た。稲荷神の元で、饒河の他に四匹の狐と共に修行をしたのだ。恵まれた環境であったと思う。鐘楼のような時代の狭間を縫うように生きてはいない。
「お前の言う似た者同士と言うのは、違う。」
「違わぬよ、お前も我も、互いに弾かれた身だろう。」
息が詰まる。鐘楼は、饒河が気づきたくないところばかり粗探しのように指摘してくる。
「………。」
「弱い者いじめをして嫌われたと聞いている。」
「そんなんではないわ。」
「しかし、そういう捉え方をされたということは事実だ。」
下手くそな生き方しか出来ないのは、饒河が四匹の中で追いかける側だったからだ。
神気を得たのが遅かった。他の兄弟達は皆早くに化け、術を得て、認められて次々と神の元から消えていった。
饒河は、ずっと落ちこぼれであった。なんで己だけ力が芽吹かぬのか分からず、ずっと歯噛みをしてその時を待った。なんでやどうしてで思考は埋め尽くされ、結局饒河が神気を得たのは、皆が消えてから数年後であった。
「浮かれたのだろう、己の価値を見誤ったのだ。お前の神気は分け与えるものであって、それを惜しんだから神気は消えたのだ。」
それぞれが持つ神気とは、それぞれの役割のことだ。鐘楼の神気とは、統率することに長けている力だ。統率するとは、率いるということ。率いるということは、守るということだ。鐘楼はふつふつと恨みを積み上げて、その守る力を執着へと変えた。禍津神としての執着は、文字通り個に固執することだ。そうして、一人を呪い陥れようとした。己と同じ場所まで引きずり下ろして、けっして離すまいと我欲を優先させた。思えば、群れも守れなかった鐘楼の救いを求めていたのだ。たった一人を守ることで、己の存在を許したかった。
「己の価値、」
「お前の神気は、分け与えるものだった。分け与えるとは、慈悲の心からくる。お前はそれを渋ったのだ。そこに、お前は当たり前として対価を求めた。」
饒河の神気は、分け与える慈悲の心で育むべきであったのだ。いっとう神として向いているはずだったその神気を失ったのは、その教えに背いたからに他ならない。
「与えたら、なくなるだろう。私の神気が消えたら、きっとあやつらはもう不要だと暴力を振るうに違いないのだ、だから、」
「だから、己を護るために対価を得たのか。」
「力を振るってやる変わりに、対価を求めるのは自然だろう。」
「自然だ。それに打算が働いてないのならな。」
四匹の中でいっとうのハズレ狐。そう言われていた。だから、神気を得てすぐに社を飛び出した。見返したかった。己の神気を振るって、馬鹿にした者共を見返してやりたかった。
椎葉の山を統治すれば、その名は響くだろう。己だけの群れを作りたかった。そうすればきっと兄弟たちも認めてくれる。
「私は悪くない、勝手に褒めそやして侍っていたくせに。媚を売ってきたくせに。」
「お前はそれの上に胡座をかいていたのだな。」
「誰にも教えてなんかくれなかった。」
「それはそうだろう、お前は周りが怯えるほど強く振る舞っていたのだから。」
大きな耳をへたらせて、俯いている。稲穂の髪で表情が見えないが、その肩がかすかに震えていた。
「我なら、お前を認めてやれる。似た者同士だ。愛してやれる、守ってもやれる。」
「爺、調子に乗るなよ。」
「そんな顔で言われてもなあ。」
鐘楼は饒河よりも強いから、道を正してやれるのだ。
金色の瞳が潤む。勝ち気そうな唇が微かに戦慄くのを抑えるかのように、真一文字に引き結ぶ。
「我が寂しいから、共にいてくれ。共にいてくれるのなら、我はお前を守ってやれる。」
「っ、」
鐘楼の手のひらが、そっと饒河に向けられる。その姿が、こちらに手を差し伸べた睡蓮のものと重なった。矜持が邪魔をして取れなかった掌だ、情けをかけられていると勘違いをしたあの時、饒河は馬鹿にするなと言って睡蓮の横面を張り倒した。
「後悔を知ったのなら、お前はもう道を誤らぬ。」
「どの口が言うのだ。」
「わは、全くもってそのとおりだなあ。」
茶器を挟んで、饒河の掌が遠慮がちに鐘楼のそれと重なった。手を引かれ、尻が浮いた。淹れたばかりの茶で膝を濡らした饒河が、その両腕に閉じ込められる。
温かい腕だ、背中が寂しくない。癪だから背に手は回さないが、こうして暫くは甘んじてやろうという気にはなった。
こいつのおかげで、饒河は心情が忙しない。己が地獄に堕ちたのは鐘楼のせいであるとして、しっかりと責任を取ってもらわねば。饒河はそう思って、むかっ腹が立つままにガジリと肩口に歯を立てたのであった。
10
お気に入りに追加
177
あなたにおすすめの小説

青少年病棟
暖
BL
性に関する診察・治療を行う病院。
小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。
※性的描写あり。
※患者・医師ともに全員男性です。
※主人公の患者は中学一年生設定。
※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる