だいきちの拙作ごった煮短編集

だいきち

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ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-

馬頭と鐘楼と地獄の手綱 3

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 やったかと思った。饒河は金色の瞳をぎらつかせながら、息を殺して燃え盛る炎を見つめる。
 饒河は怯えていた。椎葉の山に唐突に膨れ上がった恐ろしいまでの禍々しい神気。山の妖かしたちが一様に騒ぎ立て、皆こぞってお前のお迎えが来たんだよと喜んだ。
 波旬は何をしている。まさかこんな禍津神の侵入を許したとでもいうのか。やはり弛んでいる。みすみす己の縄張りに干渉させるなどと、能天気が過ぎるのだ。それか、この饒河を殺させるために招いたのか。そこまで思考を巡らせて、犬歯が食い込んだ口端からは血が滲んだ。
 
「戯れか。」
「くぁ、っ!」
 
 火炎を纏った黒い腕が饒河の細首を鷲掴んだ。信じられない。己の持てる最大火力の狐火で焼き殺したはずなのに。力の強いその腕に、縋り付くような形で手を回す。生きたいという本能がそうさせたのだ。下駄が脱げ、あっという間に背後の壁に身を押し付けられる。背中にざらついた木を感じ、そうして視界の端を木っ端が舞う。
 恐ろしいほどの膂力りょりょくで、饒河は壁を突き抜ける。男に地べたに縫い止められると、肺に溜まっていた空気がかふりと口から出た。くるしい、目の前の火炎を纏った男が身震いをするようにしてその火を振り払った。
 
「お前の狐火はぬるいなあ。そんなので我を焼き殺すのは無理というものだ。」
「ぐ、ぎゅ…っ、」
「暴れるでない。全く警戒心が強いのも考えものだなあ。」
 
 赤く染まった瞳が饒河を見下ろす。射干玉の黒髪が頬を撫でるように一房垂れると、男にしては綺麗な手がそれを耳にかける。
 
「怯えるでないよ。お前を害そうとしているわけではないのだ。」
「ど、どの口、が、っ」
「お前、随分と痩せこけているね。ろくに飯を食らっていないんじゃないのか。」
「ぅぐ、あ、は、離せ、えええ!!」
 
 犬歯を剥き出しにして饒河が吠える。己を見透かすような瞳が許せなかったのだ。何にも知らないくせに、何も饒河のことを知ろうともしないくせに。悔しい、ああ、これは悔しいのだ。決してただでは死んでなんかやらない。こいつが地獄の使いだろうと、禍津神だろうと関係ない。私は化け狐だ、そこらの妖かしなんぞとは違うのだから。心の内側で軋むような音を立てて、饒河が理性を引きちぎろうとした。いっそ、狐に化けて腹に収めてやろうかと思ったのだ。この際禍津神でも、神気は神気だ。たとえ呪われようとも力がつくのであれば、どうだっていい。
 
「ふむ、」
 
 鐘楼は目を見張った。己の手が回ってしまうくらいの細首だというのに、その目はまだ矜持を捨てていない。稲穂のような髪をざわめかせ、己の腕の下で見る見るうちに饒河の全身に纏う妖力の質が研ぎ澄まされていく。目元に朱のようなものが入ったかと思えば、まるで隈取りのようにその赤い模様がその整った顔に走り、鐘楼の腕をがしりと掴んだ饒河の手は、もう人のものではなかった。
 
「ぎゃ、っ」
 
 そのまま、鐘楼の手を引きちぎるつもりだった。しかし、饒河の予想を遥かに超える動きを鐘楼が見せたのだ。
 
「まあ落ち着きなさい。」
「ぐゥ、あ、ああやめろ離せえええ!!!」
「おお、よしよし。怖かったなあ、ほうら、もう大丈夫だ。」
「ぅ、ぅぎゃ、や、やめ、あ、あぐっ」
 
 醜悪な顔に変わったというのに、物おじすらせずに鐘楼が饒河を抱きしめたのだ。しかも、何を思ってか鐘楼はどこぞから出した黒い帯のような妖術で、饒河の顎下をこちょこちょとくすぐる。
 
「ギュウうううガァああ!!!」
「よーしよしよし」
「ぎゅ、ギュウ、あ、アゥ…う、く、クゥン…っ」
「わはは、可愛らしい声が出たなあ。いいぞ、いいこだ。」
「お前絶対にゆるさ、ぁうぅううぅ…」
 
 先程の獣じみた咆哮をしていたものとは思えない。饒河は初めて顎下をくすぐられ、これは抗えぬといわんばかりにフルフルと身を震わせる。信じられないほどに心地がいい。これで太陽が出ていて、ポカポカと暖かければ文句なんかないのに。口端から涎を垂らしながら、だらしのない顔ではふはふと吐息を漏らす。気がつけば饒河は拘束を外されても大人しく喉を鳴らし、鐘楼も帯ではなく己の手で饒河を可愛がる。顎を押し付けるようにして甘えてくる様子が顔に似合わず、本人は威嚇しているつもりらしいが、キュウキュウと鳴る喉と、豊かな金の尾がわさわさと土埃を立てているのが何よりの証拠であった。

「いやなにこれェ!!」
「おや馬頭。遅いぞ。」

 一足遅く駆けつけた馬頭は、目を丸くした。あの偏屈で底意地が悪く、業突く張りで可愛げもない化け狐男がお利口さんに四肢を揃えてすわっていたからだ。
 鐘楼の手元を見れば、よだれを垂らしてうっとりと顎を押し付けるようにして恍惚の表情を見せている。恐ろしい爆発音と共に、馬頭の前に降り注いできた木っ端は明らかに饒河の妖力をまとっていたというのに、鐘楼は全くの無傷というのも意味がわからない。

「ういなあ、馬頭。犬の飼いかたは知っているか。」
「いや確かに狐はイヌ科だけども!!」
「ぐるるぁきさまこのじょうがをあぅぅ…い、いぬあつか、きゅぅ…」
「よしよしよし。」

 はへぇ、と背筋を痺れさせ、こてりと地べたに寝転がる。研ぎ澄ませていた妖力も霧散させ、饒河はすっかりと人の姿に戻って腹を上に向ける。土埃をたてながら、赤い舌を見せて肩で呼吸する姿は本性を知っていても目に毒だ。

「うちに持ってかえる。いいだろう馬頭。きちんと面倒を見るから。」
「おま、そりゃあ確かにいずれは連れて行かにゃならんけどよお…」
「なら今でも良いだろう。それに今回のこれはおかしいとは思わぬか。なぜ此奴が何某かを企てているなどと把握したものがおる。居場所も分からぬというのに。」
「余程嫌われてんだなあってのはわかる。」
「ぐっ」

 鐘楼の言葉に馬頭が続くと、息をつまらせるような声が下から聞こえた。どうやら今の言葉には刺さるものがあったらしい。鐘楼は饒河の腹をなでてやりながら、柔らかく微笑んだ。

「我はお前が悪さをした内容などは興味がない。所詮己の力に胡座をかいての振る舞いだろう。」
「ふん、貴様の足らぬ脳みそで私を図るな、この鉤爪の餌食になりたいというなら話は」
「話が長い。お前は随分と悪事に精通しているような振舞いをするなあ。ならばきくが、お前は仲間を犠牲にしたことはあるか?」

 緩い笑みを讃えた鐘楼の、その表情とちぐはぐな言葉に、饒河の口が止まる。

「死ぬとわかっていて、旅をともにしてきた仲間を唆して敵の前に差し出したことは?陥れたことは?見殺したことは?」

 まるで聞き分けのない子に諭すような、そんな声色で宣う。鐘楼の手が優しく表情を強張らせた饒河の頬に触れる。

「呪いを移したことは?その者のたった一本の腕を奪ったことは?己のものにならぬなら、殺してしまおうと思ったことは?」
「……、」
「なんだ、どれもないとは。」

 鐘楼の淡々とした独白によって、その場にいた馬頭も饒河も口を閉ざした。いや、言葉が出なかったのだ。つま先から冷えていくようなそんな心地に襲われて、ぴくりとも動かなかったのだ。

「お前はまだ悪になりきれていないな、お前の悪が椎葉の者にとっての最悪だというのなら、ここの妖かし共は余程平和に暮らしてきたのだろう。」

 饒河よりも一回り大きな手のひらが、細首を覆って柔らかく締める。

「本当の最悪を知れば、お前の撒いた火種などすぐに鎮火するぞ。我にはそれができる。お前のままごととは違うさ。」
「し、鐘楼。」
「馬頭、まだ俺が話している。」

 鐘楼の赤い瞳が暗く染まる。首を絞めていた手のひらがその口元を覆うと、額をこつりと重ねた。

「どうでもいいと、お前は思ったな。我を腹に収め、呪いに侵されてもいいと。」

 鐘楼は、細く震える饒河の手を取る。その手を開かせ己の頬に寄り添わせると、そっと己の隠された左側を晒すかのように、その手のひらで髪をかき上げさせる。
 滑らかな頬の質感が変わった。手のひらはまるで木肌をなでているかのように引き攣れ、固くなった爛れた皮膚に触れた。

「ひ、」

 左目の眼窩は空洞だった。その中はポカリと口を開け、目の縁を焦がしたかのように黒く染まり、そうして鐘楼の隠された顔の左側は呪いの痕跡がくっきりと残っていた。

「この呪いを、我は自分の為に移した。ああ、お揃いが良かったのかもしれぬなあ。ふふ。」

 嫣然と微笑む鐘楼を見て、饒河は狂っていると思った。そんな可愛らしい言葉で纏められるものではない。己の咎を他人に移したのだ。普通の心があればそんなことはしない。声を出さずに怯える饒河の、その伏せられた大きな耳にそっと鼻先を埋めると、鐘楼はがじりと噛み付いた。

「ーーーっ、」
「腹が立っているのなら、我が椎葉の妖かしをお前のために呪ってやろうか。その身がどうなっても良いのだろう?ならばお前の心意気に免じて、お前の顔をたてて、なあ饒河。」

 だってそれがお前ののぞみなのだろう?そう呟いて、人差し指が饒河の心臓の位置をとんとんと叩く。

「…ぃ、」
「うん?」
「い、いぃ…」

 震えた声でか細く呟く。

「声帯が壊れているのか?」
「い、いい!!いらぬ!!必要ない!!」

 窘められて、声を震わせ饒河が叫んだ。鐘楼は口元だけを緩ませると、饒河の体をぐいと引き寄せて起き上がらせた。その腰をしかと抱き寄せたまま饒河を見ると、心底嬉しいと言わんばかりにその腕の中に閉じ込めた。

「呪ってやると恨んでいたくせに、己の責になるとわかった途端に手のひらを返すとは、お前は本当に可愛らしいなあ。うむ、可哀想なくらいに惨めで可愛らしい。」
「く、」
「鐘楼、ご機嫌なのは構わねえけどよ、縛るからそいつよこせ。」

 呆れた顔をした馬頭の言葉に、じわりと饒河の目に涙が滲む。言いたいことがあっても口にしないのは、目の前の鐘楼が怖いからだ。それでも、矜持だけは崩したくなくて無言を貫く。

「いらん、我が持って帰る。こうやって、抱き上げて持って帰るのがいい。」
 
 饒河の心情など、気に求めずに鐘楼が宣う。腕の中でおとなしい饒河を可愛がるのは鐘楼の特権だ。だって、鐘楼は誰からもいらぬと言われた饒河を拾ったのだ。誰のものでもないのなら、鐘楼が可愛がっても文句は言われぬ。我の強い鐘楼の言い分に馬頭は渋い顔をしたが、いずれにしろこうして爪弾きにされた饒河が、どのみち逆恨みをして害を加えることは簡単に想像がつく。ならば多少その連行が早まっても構わないだろう。眉を寄せながら渋々頷くと、饒河の頬を一粒の涙が零れた。


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