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ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-
馬頭と鐘楼と地獄の手綱 2
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犬猫なんざ飼ったことはないが、きっとこう言うことなんだろうなあと思った。
牛頭からよろしくと頼まれたのもあるが、嫌だと言って己の顔面に狢の棍棒がめり込む方が怖かった。馬頭は己の掌に握りしめている手綱を肘の下まで巻き付けると、今一度気合を入れ直した。
「いいか、牛頭の兄者がお前に何を頼んだかは聞き及んでいるが、お前が腕白を貫くと皺寄せが俺にくるんだよ!!」
「久しぶりの地上だなあ。うむ、やはり山はいい、ここは御嶽山とは違うみたいだが、一体我はどこにいるのだろうか。」
「会話してえ!?」
二人は今椎葉にいた。鐘楼はその両腕に獄卒の呪印が刻み込まれ、そこは馬頭の腕に絡まる縄の模様と見えぬ鎖で繋がっている。禍津神である鐘楼には注連縄で御するのが理想なのだが、そんな注連縄男を他人の領域で連れて歩いていたら、たちまち不審者扱いをされて信用を失くすだろう。
事前に波旬には禍津神を連れて饒河の様子を見に行くとは言ってはあるものの、やはり己の縄張りを汚されるというのは気分が良くないらしい。約束事として、波旬が守る池の中には入らないこと、そして波旬の妻たちである玉兎には決して触れぬことを約束させられた。まあ、妻達にはよくよく言い聞かせて家からは出さぬよとは言われたが。
「ははは、みろ馬頭。彼方に木霊がおるよ。チマこいなあ、踏み潰せそうだ。」
「脅すんじゃねえよお!!可哀想でしょうがあ!!」
「すまぬな、なんだか楽しくなってしまった。やはり一人は嫌だな、うん。誰かと外に出るというのは心地いい。」
「お前、そん、」
「しかし縛られるというのはなあ。やはり気質に合わぬよ。抗いたくなってくるなあ、うん。」
「やめろ頼むから大人しくしててくれ。」
ちょいちょい馬頭の情に熱い部分を刺激してくるのはやめてほしい。呑気な鐘楼の手綱を引きながら、馬頭と背丈の変わらぬ鐘楼は、木陰から恐る恐る覗き込んでくる木霊を視界の端に見とめては、ふわりと微笑む。やはり外は嬉しいらしい。鼻歌でも歌い出しそうなほどにご機嫌である。
「饒河という奴は、どういう奴なのだろう。」
「獣上がりだよ。神気を纏った狐だったが、まあ振る舞いがいけなかったらしいな。神気を剥奪されて、ただの力の強い妖になっちまった。」
「ほう、神気を。」
サクサクと草むらを踏む音を鳴らしながら、饒河のいる縄張りまで歩いて向かう。大変面倒なことに、饒河は妖術を使って己の居場所を分かりづらくしていた。己の力を振り翳して横暴を繰り返していたせいで、獄卒の監視がつくと知れ渡った頃から、饒河から酷い目に遭わされた妖かし達から嫌がらせを受けるようになったのだ。
ある程度居場所は聞いているが、入口は全て違う。獄卒が居場所を漏らすことを恐れて、都度塒への道筋を変えているのだ。
「饒河の私物はあるか。」
「彼奴の髪ならあるぞ。」
「ああ、ありがたい。どれ、それを我に貸してくれ。」
馬頭は、饒河を縛るための縄を編むのに切っておいた髪を取り出した。これはある種の戒めでもあり、次に何かことを起こしたらお前を捕まえに行くぞという脅しも含めているのだ。獄卒はお目溢しをしたものの髪を切り、それに呪をかけて専用の枷を作る。無論、鐘楼を普段縛りつけている注連縄も、牛頭が握る鐘楼の今の枷も、本人の髪が使われているのだ。亡者の場合はまた少しだけ話は変わってくるのだが、これらの枷は力の強いもののみに適用される。
半紙に包まれた饒河の稲穂の髪束に鼻先を近づけると、鐘楼はその赤い瞳を細めた。
「うむ、覚えた。」
「匂いを?」
「ああ、執念のようなものを。」
微笑んだ鐘楼が、馬頭の目の前でブワリと妖力を膨らませた。馬頭の腕に絡まっている手綱が、途端にほろほろと崩れていく。馬頭が目を丸くして己の腕と、目の前の黒い炎のような靄を見比べると、それは引きちぎれるかのようにして消え去り、中からは血のように赤い瞳と、木の枝のような角を持つ。長く黒い体毛の獣が現れた。確か、鐘楼の生前は雄鹿だったと聞いていた。しかし、その見目は鹿のような穏やかな獣のなんかではなく、もっと別物の、禍々しい何かであることには変わりなかった。
「お、おま、」
馬頭よりも大きな四つ足の獣が、ひずめを揃えて長い首で見下ろしてくる。鐘楼の髪を使って強化した呪いで縛っていたというのに、簡単にその枷が燃えてしまったとなれば、鐘楼は馬頭よりもよほど強いということになる。こちらにきた時は痩せこけ、今にも死にそうな顔をしていたというのに、御嶽山での一件で穢れが払われた今、己の力をずっと温存してきたということだ。
「馬頭よ。」
複音の、禍々しい声色で鐘楼が名を呼んだ。まずい、椎葉山で鐘楼を暴れさせでもしたら、馬頭は牛頭もろとも罰されて首を切られてしまう。これは隙を見せた己の落ち度である。馬頭の頭は一瞬にしてさまざまなことが駆け巡り、慌てて鐘楼から距離を取るように飛び退ると、懐から無いよりはマシな枷を取り出そうとした時だった。
「連れて行ってやるから、そばに寄りなさい。なあに、取って食ったりはしないさ。」
「ホェ」
四肢を揃えて、獣姿の鐘楼が口吻を動かして宣う。見た目は非常に怖いし禍々しいが、長く揺れる尾は犬のようである。
「ほうら、きなさい。お前の枷を焼いてしまったのは悪かったが、我の手綱はお前が握っているのだろう。」
そう言って、鐘楼は顔を上げると虚空で何かを加えるように口を動かした。黒い靄で形成されたそれは確かに手綱で、それを加えて差し出すように馬頭に近づくと、絶句している馬頭の顔に落とすように手綱を落とした。
「持ちなさい、我が自分で考えて動くのは気に入った雌の前だけだ。」
そう言って、こづくように馬頭の体を押してくる鐘楼に、馬頭はようやっと張り詰めた気を緩める。ばつが悪そうに鬣をボリボリとかく。馬顔を器用に歪ませると、大きくため息をはいた。
「ようやく居場所を得たからなあ、我は。みすみす己の過ちで失うのなんぞ、もう懲り懲りだ。」
「獄都が居場所とは、難儀な話だぁな。」
「禍津神を手中に収めたと思えば、心強いだろうよ。」
「ちげぇねえや。」
間伸びした口調は、獣姿になっても変わらぬらしい。馬頭は乾いた笑みを漏らすと、ぐいんと引っ張られたのち、己の足が地上を離れた。
「あにやってんだ。」
「面倒臭いから、背中に乗せてやる。安心しろ。穢れはもう無いからな、お前が障る事はないよ。」
「ドワっ」
そのままぶん投げられて、鐘楼の背中の上にボスンと落ちた。馬顔が化け物の背に乗っている絵面というのは、どうなのだろう。馬頭はそんなことを思ったが、鐘楼はのしのしと歩き始める。木々の切間から覗き込むようにして顔を出していた木霊や鬼火が、怯えたように逃げていく。しかしその背に馬頭を乗せている鐘楼は気分がいいらしく、道なき道を尾を引きずって歩いていくのだ。
明るかった木漏れ日が差し込む道が、どんどんと湿気の多い薄暗い山道になっていく。空気の質が変わり、なんとなく重々しいというか、進むのを戸惑うような道のりへと変わり始めたあたりで、鐘楼はその歩みを止めた。
「椎葉山に、こんなとこあるんだなあ。」
「違うよ馬頭。これは怯えがなせる技さ。きっと饒河とやらが作り出した領域だろう。可哀想に、随分と辛気くさい。」
目を凝らすと、廃村のようなものが見えた。周りの木立には引っ掻いたような傷や、焦げた後。獣の毛のようなものが散らばり、なんとも荒れた巣だなあと思う。
「饒河は荒れていると言ったな。」
「企てているとも言った。」
「牛頭は誰から聞いたのだ。
「椎葉の連中からの嘆願書だ。」
「ふむ。」
鐘楼が一歩踏み出した。廃村に向かってその歩みを進めながら、体躯をシュルシュルと縮めていく。馬頭は器用な鐘楼を見て渋い顔をしながらついていけば、獣の姿のまま廃村の中でも唯一形が残っている家屋に近づいていった。
「そこか?」
「ああ、だが留守なようだ。」
「あんだよ、無駄足かい。」
「馬頭はそこにおれ、我は散策してくる。」
ふん、と顔を上げた鐘楼が、耳をピクリと動かした。スンスンと空中に鼻先をむけてひくつかせると、馬頭が口を開く前に駆け出した。
「俺もつい、あ、こら!!」
砂利を跳ね上げ、ひずめを鳴らして唐突に駆け出した鐘楼にギョッとすると、馬頭は大慌てでその背を追うように走り出した。一体なんだというのだ。器用に崩れて地面に落ちた屋根やら、積み上がったままの生垣などを飛び越える鐘楼に、爺のくせになんて俊敏なのかと思った。いくら馬顔だからと言って、馬頭は馬になれるわけじゃない。獣姿の鐘楼に追いつくのはなかなかに骨が折れるのだ。
「ああもうなんでこんな役回りばっかなんだあ!!!!ふざけんな戻ってこいジジイ!!!!」
馬頭の声はしっかりと鐘楼には届いていた。だけれど、それよりも鐘楼の興味を引くものがあったから、その好奇心を止める術がなかったのだ。
鐘楼は高揚していた。この辛気臭くひねくれた妖力が満ちるこの領域で、これを作り出したであろう主の元に向かって全力で走っていた。
「…む、」
鐘楼の好奇心の行き着く先は、小さな掘建小屋であった。木の扉のわずかな下の隙間から、じわじわと漏れ出てくる妖力はジメジメしており、なんだかキノコでも生えてしまいそうな具合だ。鐘楼はもう一度空中に鼻先を突き出して匂いを確認する。ああ、間違いない。ここに鐘楼の心の隙間に入り込むものがいる。自分が憐れむことができて、懐に入れて愛でてやれるような、そんな鐘楼だけの縁。
「饒河と言ったな。我は鐘楼。獄卒の馬頭と共にきた。食い殺したりはせぬから、怯えずにこちらに出てきてくれまいか。」
空気を震わすような鐘楼の声が空気に溶ける。目の前の掘建小屋の中にいるであろう饒河はうんともすんとも言わぬまま、まるで空気に徹しているようであった。
「ふむ。どうだ饒河。お前が来ないなら俺が向かおう。構わぬな。」
かつりとひずめを鳴らして一歩踏み出す。鐘楼がその鼻先を扉に向けた瞬間、まるで内側から弾けるようにして飛んできた火球が、鐘楼の体を包み込むかのように、一気に飲み込んだ。
牛頭からよろしくと頼まれたのもあるが、嫌だと言って己の顔面に狢の棍棒がめり込む方が怖かった。馬頭は己の掌に握りしめている手綱を肘の下まで巻き付けると、今一度気合を入れ直した。
「いいか、牛頭の兄者がお前に何を頼んだかは聞き及んでいるが、お前が腕白を貫くと皺寄せが俺にくるんだよ!!」
「久しぶりの地上だなあ。うむ、やはり山はいい、ここは御嶽山とは違うみたいだが、一体我はどこにいるのだろうか。」
「会話してえ!?」
二人は今椎葉にいた。鐘楼はその両腕に獄卒の呪印が刻み込まれ、そこは馬頭の腕に絡まる縄の模様と見えぬ鎖で繋がっている。禍津神である鐘楼には注連縄で御するのが理想なのだが、そんな注連縄男を他人の領域で連れて歩いていたら、たちまち不審者扱いをされて信用を失くすだろう。
事前に波旬には禍津神を連れて饒河の様子を見に行くとは言ってはあるものの、やはり己の縄張りを汚されるというのは気分が良くないらしい。約束事として、波旬が守る池の中には入らないこと、そして波旬の妻たちである玉兎には決して触れぬことを約束させられた。まあ、妻達にはよくよく言い聞かせて家からは出さぬよとは言われたが。
「ははは、みろ馬頭。彼方に木霊がおるよ。チマこいなあ、踏み潰せそうだ。」
「脅すんじゃねえよお!!可哀想でしょうがあ!!」
「すまぬな、なんだか楽しくなってしまった。やはり一人は嫌だな、うん。誰かと外に出るというのは心地いい。」
「お前、そん、」
「しかし縛られるというのはなあ。やはり気質に合わぬよ。抗いたくなってくるなあ、うん。」
「やめろ頼むから大人しくしててくれ。」
ちょいちょい馬頭の情に熱い部分を刺激してくるのはやめてほしい。呑気な鐘楼の手綱を引きながら、馬頭と背丈の変わらぬ鐘楼は、木陰から恐る恐る覗き込んでくる木霊を視界の端に見とめては、ふわりと微笑む。やはり外は嬉しいらしい。鼻歌でも歌い出しそうなほどにご機嫌である。
「饒河という奴は、どういう奴なのだろう。」
「獣上がりだよ。神気を纏った狐だったが、まあ振る舞いがいけなかったらしいな。神気を剥奪されて、ただの力の強い妖になっちまった。」
「ほう、神気を。」
サクサクと草むらを踏む音を鳴らしながら、饒河のいる縄張りまで歩いて向かう。大変面倒なことに、饒河は妖術を使って己の居場所を分かりづらくしていた。己の力を振り翳して横暴を繰り返していたせいで、獄卒の監視がつくと知れ渡った頃から、饒河から酷い目に遭わされた妖かし達から嫌がらせを受けるようになったのだ。
ある程度居場所は聞いているが、入口は全て違う。獄卒が居場所を漏らすことを恐れて、都度塒への道筋を変えているのだ。
「饒河の私物はあるか。」
「彼奴の髪ならあるぞ。」
「ああ、ありがたい。どれ、それを我に貸してくれ。」
馬頭は、饒河を縛るための縄を編むのに切っておいた髪を取り出した。これはある種の戒めでもあり、次に何かことを起こしたらお前を捕まえに行くぞという脅しも含めているのだ。獄卒はお目溢しをしたものの髪を切り、それに呪をかけて専用の枷を作る。無論、鐘楼を普段縛りつけている注連縄も、牛頭が握る鐘楼の今の枷も、本人の髪が使われているのだ。亡者の場合はまた少しだけ話は変わってくるのだが、これらの枷は力の強いもののみに適用される。
半紙に包まれた饒河の稲穂の髪束に鼻先を近づけると、鐘楼はその赤い瞳を細めた。
「うむ、覚えた。」
「匂いを?」
「ああ、執念のようなものを。」
微笑んだ鐘楼が、馬頭の目の前でブワリと妖力を膨らませた。馬頭の腕に絡まっている手綱が、途端にほろほろと崩れていく。馬頭が目を丸くして己の腕と、目の前の黒い炎のような靄を見比べると、それは引きちぎれるかのようにして消え去り、中からは血のように赤い瞳と、木の枝のような角を持つ。長く黒い体毛の獣が現れた。確か、鐘楼の生前は雄鹿だったと聞いていた。しかし、その見目は鹿のような穏やかな獣のなんかではなく、もっと別物の、禍々しい何かであることには変わりなかった。
「お、おま、」
馬頭よりも大きな四つ足の獣が、ひずめを揃えて長い首で見下ろしてくる。鐘楼の髪を使って強化した呪いで縛っていたというのに、簡単にその枷が燃えてしまったとなれば、鐘楼は馬頭よりもよほど強いということになる。こちらにきた時は痩せこけ、今にも死にそうな顔をしていたというのに、御嶽山での一件で穢れが払われた今、己の力をずっと温存してきたということだ。
「馬頭よ。」
複音の、禍々しい声色で鐘楼が名を呼んだ。まずい、椎葉山で鐘楼を暴れさせでもしたら、馬頭は牛頭もろとも罰されて首を切られてしまう。これは隙を見せた己の落ち度である。馬頭の頭は一瞬にしてさまざまなことが駆け巡り、慌てて鐘楼から距離を取るように飛び退ると、懐から無いよりはマシな枷を取り出そうとした時だった。
「連れて行ってやるから、そばに寄りなさい。なあに、取って食ったりはしないさ。」
「ホェ」
四肢を揃えて、獣姿の鐘楼が口吻を動かして宣う。見た目は非常に怖いし禍々しいが、長く揺れる尾は犬のようである。
「ほうら、きなさい。お前の枷を焼いてしまったのは悪かったが、我の手綱はお前が握っているのだろう。」
そう言って、鐘楼は顔を上げると虚空で何かを加えるように口を動かした。黒い靄で形成されたそれは確かに手綱で、それを加えて差し出すように馬頭に近づくと、絶句している馬頭の顔に落とすように手綱を落とした。
「持ちなさい、我が自分で考えて動くのは気に入った雌の前だけだ。」
そう言って、こづくように馬頭の体を押してくる鐘楼に、馬頭はようやっと張り詰めた気を緩める。ばつが悪そうに鬣をボリボリとかく。馬顔を器用に歪ませると、大きくため息をはいた。
「ようやく居場所を得たからなあ、我は。みすみす己の過ちで失うのなんぞ、もう懲り懲りだ。」
「獄都が居場所とは、難儀な話だぁな。」
「禍津神を手中に収めたと思えば、心強いだろうよ。」
「ちげぇねえや。」
間伸びした口調は、獣姿になっても変わらぬらしい。馬頭は乾いた笑みを漏らすと、ぐいんと引っ張られたのち、己の足が地上を離れた。
「あにやってんだ。」
「面倒臭いから、背中に乗せてやる。安心しろ。穢れはもう無いからな、お前が障る事はないよ。」
「ドワっ」
そのままぶん投げられて、鐘楼の背中の上にボスンと落ちた。馬顔が化け物の背に乗っている絵面というのは、どうなのだろう。馬頭はそんなことを思ったが、鐘楼はのしのしと歩き始める。木々の切間から覗き込むようにして顔を出していた木霊や鬼火が、怯えたように逃げていく。しかしその背に馬頭を乗せている鐘楼は気分がいいらしく、道なき道を尾を引きずって歩いていくのだ。
明るかった木漏れ日が差し込む道が、どんどんと湿気の多い薄暗い山道になっていく。空気の質が変わり、なんとなく重々しいというか、進むのを戸惑うような道のりへと変わり始めたあたりで、鐘楼はその歩みを止めた。
「椎葉山に、こんなとこあるんだなあ。」
「違うよ馬頭。これは怯えがなせる技さ。きっと饒河とやらが作り出した領域だろう。可哀想に、随分と辛気くさい。」
目を凝らすと、廃村のようなものが見えた。周りの木立には引っ掻いたような傷や、焦げた後。獣の毛のようなものが散らばり、なんとも荒れた巣だなあと思う。
「饒河は荒れていると言ったな。」
「企てているとも言った。」
「牛頭は誰から聞いたのだ。
「椎葉の連中からの嘆願書だ。」
「ふむ。」
鐘楼が一歩踏み出した。廃村に向かってその歩みを進めながら、体躯をシュルシュルと縮めていく。馬頭は器用な鐘楼を見て渋い顔をしながらついていけば、獣の姿のまま廃村の中でも唯一形が残っている家屋に近づいていった。
「そこか?」
「ああ、だが留守なようだ。」
「あんだよ、無駄足かい。」
「馬頭はそこにおれ、我は散策してくる。」
ふん、と顔を上げた鐘楼が、耳をピクリと動かした。スンスンと空中に鼻先をむけてひくつかせると、馬頭が口を開く前に駆け出した。
「俺もつい、あ、こら!!」
砂利を跳ね上げ、ひずめを鳴らして唐突に駆け出した鐘楼にギョッとすると、馬頭は大慌てでその背を追うように走り出した。一体なんだというのだ。器用に崩れて地面に落ちた屋根やら、積み上がったままの生垣などを飛び越える鐘楼に、爺のくせになんて俊敏なのかと思った。いくら馬顔だからと言って、馬頭は馬になれるわけじゃない。獣姿の鐘楼に追いつくのはなかなかに骨が折れるのだ。
「ああもうなんでこんな役回りばっかなんだあ!!!!ふざけんな戻ってこいジジイ!!!!」
馬頭の声はしっかりと鐘楼には届いていた。だけれど、それよりも鐘楼の興味を引くものがあったから、その好奇心を止める術がなかったのだ。
鐘楼は高揚していた。この辛気臭くひねくれた妖力が満ちるこの領域で、これを作り出したであろう主の元に向かって全力で走っていた。
「…む、」
鐘楼の好奇心の行き着く先は、小さな掘建小屋であった。木の扉のわずかな下の隙間から、じわじわと漏れ出てくる妖力はジメジメしており、なんだかキノコでも生えてしまいそうな具合だ。鐘楼はもう一度空中に鼻先を突き出して匂いを確認する。ああ、間違いない。ここに鐘楼の心の隙間に入り込むものがいる。自分が憐れむことができて、懐に入れて愛でてやれるような、そんな鐘楼だけの縁。
「饒河と言ったな。我は鐘楼。獄卒の馬頭と共にきた。食い殺したりはせぬから、怯えずにこちらに出てきてくれまいか。」
空気を震わすような鐘楼の声が空気に溶ける。目の前の掘建小屋の中にいるであろう饒河はうんともすんとも言わぬまま、まるで空気に徹しているようであった。
「ふむ。どうだ饒河。お前が来ないなら俺が向かおう。構わぬな。」
かつりとひずめを鳴らして一歩踏み出す。鐘楼がその鼻先を扉に向けた瞬間、まるで内側から弾けるようにして飛んできた火球が、鐘楼の体を包み込むかのように、一気に飲み込んだ。
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