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こっち向いて、運命。ー半神騎士と猪突猛進男子が幸せになるまでのお話ー

ジキルとマリー 3

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 しかし、そんなシスにとっては不得手な状況が続いていたのだが、楽しそうにそのやりとりを見つめていたマリーのお耳が突然ぴくんと反応したのだ。

「う、」
「マリー?」

 あわあわとあたりを見回したかと思えば、その身をシスとミハエルの後ろに隠す。二人もなんとなく流れのままに身を寄せ合って壁を作ってしまったのだが、その理由に気が付いたのはサリエルだけであった。

「獣臭いのがきたな。」
「サリエルがそれを言いますか?」
「ぶほっ、」

 ミハエルとサリエルのやり取りに吹き出したシスが、笑いを堪えるかのように見を屈ませたときだった。

「あー…、なんで雁首揃えてんだ?」
「あ、噂をすれば。」

 どうやら敏感にマリーが感じ取っていたのはジキルの匂いだったようだ。そこには草臥れた姿で兵舎に戻ってきたジキルが、なぜだか横並びになっている二人を見て不思議そうにする。
 ふよふよ浮いてきたサリエルが、ふんふんとジキルの匂いを確かめるように鼻を引くつかせると、ハッと不遜な態度を取りながら鼻で笑う。

「ああ!?」
「やはり獣臭い、ミハエル!俺よりもこいつのが獣臭いぞ!」
「ああもう!わかりましたから大人しくしててください!」
「わかりましたってなんだあ!!」

 疲れて帰ってきたのに何だこの仕打ち!!ジキルの叫びに、シスはもう堪えきれなくてゲラゲラと笑う。慌てて弁明を図るミハエルの後ろで、なにやら見慣れた黒い耳と尾に気が付いたジキルは、ずんずんとマリーに近づいていった。

「何してんだお前。」
「ぅわっ!」

 びゃっ!と尾を膨らませたマリーが、わたわたとよつん這いで逃げようとする襟首を掴まえて持ち上げる。親に咥えられた獣のようにぷらんとつまみ上げられたマリーは、漸く観念したらしい。尾を抱きしめて大人しく縮こまってしまった。

「なんでこんなとこまで来てんだ。迎えに行くって行ったろ。」
「マリーはジキルさんにお話があるんですよね?」
「み、ミハエル!」

 なんで言うの!とマリーがミハエルに抗議する。サリエルは獅子の姿をとると、ぐいぐいとシスとミハエルの隙間に顔を突っ込んで真ん中を陣取った。

「お前にほのかな執着の匂いを感じるぞ、ふふ、おやあこれは野暮だったかしら。」
「サリエル、お静かに。」
「後でブラッシングしてくれるなら考えよう。」

 ふふん、と鼻を鳴らして犬歯を見せつける。獰猛で怖い顔をしている神様の鼻筋をくしくしと片手間に撫でるミハエルの度胸にシスが感心していると、観念したらしいマリーが、大きなお耳をへたらせたままゆっくりとジキルによって地べたに降ろされた。

「んで、それは今じゃなきゃ駄目なのか。帰ってからで構わねえならそっちのがいいんだが。」
「う…」

 疲れた顔をしているジキルを見上げ、マリーのなけなしの勇気が揺らぐ。ジキルの声が重々しいのは、任務で草臥れているからだと理解はしているが、それでも少しだけ怖かった。

「ジキル、お前そういうとこ。」
「ああ!?」
 
 シスのしょうもないものを見る目が苛つくと言わんばかりに、ジキルが治安の悪い顔をする。マリーは悶々と考えてはいたが、家に戻ったら結局話さないままだろうと自分の中では分っていた。ここまできて怖気づくな。マリーはきゅうっと口を噤むと、だっと駆け出してジキルに抱きついた。

「ぐへぇっ!」
「あ、ご、ごめ…」
「ぅご、ほっごほごほっ!な、なんだっつーんだまじで…」

 小柄なマリーの抱きつきは、どうやら勢いが付きすぎてタックルになっていたようだ。げほごほと涙目で咽るジキルに申し訳無さそうにしながらも、その身が振り払われないことにホッとしていた。

「じ、ジキル、さん。」
「あんだよ、俺今汗臭えから離れてくれや。」
「く、臭くないからへいき…」

 頬を赤らめながら、そんなことを言うマリーに、ミハエルもシスもぐっと拳を握って密やかに応援する。サリエルと居合わせた騎士共は、皆一様に何を見せられているのだといった具合である。
 そんな周りの目線を気にして、ジキルがなんとも言えない顔をしているが、力が強いことを知っている分、無理に引き剥がして怪我をさせたらどうしようとも思っていた。
 持ち上げた手を彷徨かせながら、ここは心を鬼にするかとマリーの体を離そうと、肩に手を置いたときだった。

「ば、馬鹿でごめんなさい、あの、き、昨日は勘違い、してて…」
「勘違い…?」
「だっ、」

 口を震わしたマリーが、顔を染め上げてジキルを見上げた。

「抱いてくれるのかと思って、ふ、服を脱いだこと!!」
「ーーーーーー!!!」

 ざわめきすら起きなかった。マリーがあまりにも顔を真っ赤に染めたまま、しこたま大きな声でそんなことを宣うものだから、ジキルはキーンという耳鳴りに苛まれた後、居合わせたモテからは疎遠な者達の物凄い視線と空気感に、一気に血の気が引いたのだ。無論、絶句したのはシスたちもなのだが、もはやどう止めていいかわからずに固まってしまっていた。
 無情にも、マリーの必死な弁明は続く、その言葉がどんどんジキルの顔を青褪めさせているとは知らずに。

「だ、だって!僕は育ちが悪いから、寝るってそういう意味だと思ってたし、」
「ま、マリー落ち着け」
「それにそれにっ、体で返せってジキルさんも言ってたからっ、」
「いってねええええそれ労働って意味だぁあ!!」
「ヤらせろって言ってくれなきゃ、僕は何も返せな、」
「まてまてお前これ以上俺の株を下げさせるな!!!」

 ヒイイ!!と情けない悲鳴と共に、ジキルがマリーの口を塞いだ。不味い、この絵面は最悪である。帯剣している騎士達は、仲間であろうとも公正に己の目で真偽を見定める。可憐な見た目のマリーはというと、目に涙を浮かべながら、まだ話は終わってない!とジキルの腕の中で藻掻くのだ。真っ青なジキルは悟った、圧倒的不利はこちらだと。

「マリー!あなた、そうではないでしょう!まずはなぜそう思ったのか過程を説明しないと、ジキルさんは悪者になっちゃいますよ!」
「いいではないか、面白いし。」

 ナイスアシストミハエル先生、サリエルは殺す。ジキルの色々な感情が綯い交ぜになった視線で二人を見つめると、なぜだか怯えられた。泣いてもいいだろうか。
 ジキルは漸く大人しくなった腕の中のマリーを解放してやると、しょんもりとしながらジキルの胸板に手をついて体を離した。

「…ごめんなさい、あの、つまり何が言いたいかというと…」
「お、お手柔らかに頼むわ…」
「はい?うん、…僕は、」

 ジキルの言葉の意味は解りかねたが、マリーは眉を下げながら、ゆっくりと語りだした。
 ジキルに群れに入れて貰い、精神的に安定したこと。そして、仕事もない自分を甲斐甲斐しく世話をしてくれて感謝をしていること、自傷癖を怒り、窘めてくれる大人はジキルがはじめてだったこと、色んなことをしてくれるジキルに、自分もなにかを返したかったこと。

 マリーは、ぽつりぽつりと話していった。ずっと有り難うを言い続けるだけの自分が嫌だったことも口にした。ジキルになにかしてあげたかったこと。メンタルが不安定だったから、きっと抱かれなかったんだ。そんな思い込みも相まって、ジキルの寝るぞは渡りに船だった。
 顔を青褪めさせていたジキルも、マリーの吐露に耳を傾けていくうちに難しい顔へと変わっていった。そして、マリーの一言に渋顔をしながら宣った。

「やっと、感謝を返せるって思ったんだ、僕…。」
「バカ野郎、んなことガキが気にすんじゃねえってんだ。」
「っ、」

 ジキルの迷惑そうな、それでいて疲れた声色にマリーの薄い肩が跳ねた。やっぱり、マリーは愚図で使えない。不器用だから、全部空回りしちゃうんだ。そんなネガティブが顔を出して、服の裾を握り締めて小さく息を呑む。そうでもしなければ、また泣きそうだったからだ。

「マリー、顔を上げろ。」
「や、やだ」
「お前のボスの命令を聞けねえのか。」

 グル、とジキルの苛立った声色に、本能的に顔を上げた。赤い眼を潤ませ、嗚咽を堪えるような姿に溜め息を吐くと、ジキルがゆっくりとマリーの後頭部に手を添えて、胸元にその小さな顔を埋めさせる。すう、と深呼吸をして胸を膨らませると、ジキルは吠えた。

「俺が怒ったのは脱いだからじゃねえ、おめえがてめえの体を軽視しすぎてんのが気に食わなかったんだあ!!」
「ひゃっ」

 あまりにも苛立ったかのようにそんなことを宣う。マリーはびっくりしたようにジキルを再び見上げると、ブスくれた様子で見下された。

「てめぇのアイデンティティは体だけか!体しか取り柄がねえってか!俺がキレたのはそのスタンスだあ!てめえが何もしてねえかどうかは俺が決めるんだよバーーーカ!!!」
「ふぇ、っ…」
「ジキル!」
「ウッセェ!!外野はだァってろ!」

 ひっく、と嗚咽を漏らしたマリーの頬を、ジキルが大きな手で掴む。眉間にしわを寄せ、こめかみに血管を浮かばせたたいそう治安の悪い顔であったが、ジキルの瞳には迷いの色が見て取れた。

「…お前がてめえを大事にしねえんだから、俺だってどうしていいかわかんねえんだよ、バカ野郎が。」
「ご、ごめ、」
「俺はビビッとこなきゃ世話はしねえ。手も貸さねえ。つまり、そういうこった!わかったかマリー!!」

 くわっ!と脅すような怖い顔で、そんなことを宣った。マリーは怯えたように身をすくませたが、ジキルの言葉を耳にして目を瞬かせた。

「ひぇっ、え、え?」

 今、なんか凄いことを言われた気がする。マリーはもう一度その言葉が聞きたかった。まさか、己の空耳か。だったら嫌だなと思い、ミハエルとシスをちらりと見ると、頬を染めながらぶんぶんと首を縦に振っていた。もしかして、聞き間違いではないのだろうか、マリーの素直な尾が、ゆらりと揺れてしまった。

「じ、ジキルさんっも、もっかい!もっかい言って!」
「ッセェ!!男は二言は言わねェんだよ!おら帰るぞ!!どけてめぇらこっち見てんじゃねえぶわぁぁあか!!!」
「ま、待って!置いてかないでっ!」

 ガラの悪い怒鳴り声で大衆を蹴散らすジキルを、マリーが慌てて追いかける。日中はあんなにしょんもりしていたのに、やはりマリーに前を向かせる特効薬はジキル自身だったらしい。
 ミハエルはどうやら二人の恋が始まったばかりだと言うことを鋭く察知したようで、シスに飛びついて頬を染めながら悶ていた。

「シスさん!!どうしましょう!!恋の始まり見ちゃいました!!わああどうしましょう!!」
「わかったわかった!とりあえず野暮なく見守っとこうね子犬ちゃん!」

 呆れた顔でシスに抱きついて興奮するミハエルを宥めていれば、去り際にマリーがこちらに振り向いて、手をブンブンと振り回した。
 シスとミハエルはそれに答えるように仲良く振り返す。
 人の恋路に振り回されるのは慣れたものだが、まさかジキルにも春が来るとは思わなんだ、シスは誂い甲斐があるじゃないか、といたずらっぽく笑ったのであった。
 
 後日、鍵を返し忘れたことに気がついたジキルがヨナハンに怒られた。それも、雌に現抜かしてるんじゃない!と獣の嗅覚を研ぎ澄ませた上で叱られたのだ、事情を知らないヨナハンはともかく、色々と察したらしい騎士団の面々によって、しばらくはジキルは妬ましげな視線を浴びせられたという。




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