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こっち向いて、運命。ー半神騎士と猪突猛進男子が幸せになるまでのお話ー
手を握るだけでもいいよ
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「色々言いたいことはクソほど、そりゃあもうたっっくさんあるけどとりあえず飲み込んでおく。」
「サディンが、すみません…」
「うん、とりあえずミハエルちゃんはリラックスしてなさい。なーーーーーんにも考えたらだめ。いいね?」
はい。そう素直に頷いてしまうくらい、ロンの目は笑っていなかった。あの後、ミハエルは国葬でも行っているのかと思うくらいにベンチごと担ぎ上げられて、横並びに並んだ団員たちに見送られながら医術局まで運ばれた。もう顔から火が出るかと思った。絶対に許しては置けないと、己の心の奥底でそんな治安の悪い思いを抱くくらいには、もう本当に、本当に勘弁してほしかった。
「おい、産前で夫婦喧嘩するつもりはないからな!?」
「も、いいですってば、と、とりあえずサディンはあっちいっててください…っ」
「絶対に嫌だ。」
「ハイハイどこにいても良いけど、まだ産まれないからとりあえずサディンは落ち着いて。」
サディンの背後には、部下に持ってこさせたタオルが積み上がっている。いやそんなに使わないから、とロンが呆れて言うくらいには大袈裟な量だ。ミハエルの陣痛は十分間隔で、ロンが見る限りではまだらしい。この地獄のような痛みがまだ続くと考えただけで辛い。痛くてじんわりと睫毛を濡らせば、サディンは真っ青な顔で頭を撫でてくる。どうせ撫でるなら腰を撫でてほしいが、それを言ったら摩擦熱で赤くなるまで撫でられそうだ。
「う、い、いたっ、うぅ、…っ」
「ダラスは!?」
「長引きそうだからご飯買いに行ってる。」
「そんな悠長で大丈夫か!?」
「大丈夫大丈夫、ダラスだって二人取り上げてるんだから。焦ったってそんなすぐ生まれないよ。」
ロンは飴を咥えたまま、ミハエルの腹の魔力を観察している。波長はゆっくりとしたものに変わっているので、陣痛は小康しつつある。また振り上がるとしたら十分後だろう。
「さ、」
「なんだ、」
「し、しごと、もどってくださ…っ、う、産まれるとき、言いますから…、」
「絶対にいやだ!」
「子宮口あと6センチあくまでは無理だよ、長引くだろうし1、2時間位なら席外しても大丈夫だとおもうけど。」
「絶対にいやだっていってんだろ!」
「声うるさ。」
呆れた顔をしたロンが、早々に匙をなげる。ミハエルからしてみたら、たしかに見届けろと言ったのは自分だが、こんな藻掻くような痛みを堪えて醜態を晒すなら、サディンには表に出ていてもらいたかった。
「うぁ、あっい、いぅ、うっ!」
「え、感覚短くなってる?お腹触るよ、」
ぢくん!と内側で何かが轟くような衝撃的な痛みが断続的に続く。やっと収まったと思ったのに、またこの痛みだ。ミハエルはハアハアと荒い呼吸を繰り返しながら、枕に爪を立てる。
「こ、っ」
「こ!?」
「こつ、ばんが…っ…わ、われるうう…っ」
ひぐっ、と顔を涙でべしょりとさせたミハエルが、サディンの聞いたこともない痛みに呻く声で恐ろしいことを言う。どうやら余程恐ろしい想像を掻き立てたらしい。サディンは手で乳児くらいの大きさを思い描き、ミハエルの小さな尻を見て更に顔を青褪めさせる。
「それは死ぬだろう!?」
「うるっさいなきみ!?今ミハエル頑張ってんだから水さすんじゃねえーーー!!」
「ぅあ、あーーーっ!!!い、いうぁ、あっ!!」
「み、っ!」
悲痛な叫びは部屋の外にも響いた。医術局、ミハエルが運び込まれた病室の外では、カルマとシス、ヨナハン、そして騎士団で食堂に居合わせた者たちがオロオロしながら屯していた。
「ぎゃああ悲鳴あげてる!!悲鳴あげてるよおお大丈夫かなあああ!!」
「ちょ、シスうるさ、そりゃ声出るでしょうよ!!鼻からボール産むようなもんだっていうくらいだし。」
「ど、な、お、おう、おうえんとか」
「ヨナハンはとりあえず落ち着けって、な。」
妻の出産に立ち会った経験をもつ団員達は冷静だが、まあミハエルの体格からして難産になるだろうことはわかるらしい。達観した様子で、俺たちは何もできることはないよ。と口にするものは、むしろ団長がロンの邪魔をしてしばかれるんじゃないだろうか。という方を心配していた。
「お前らどけえええ救世主つれてきたぞおおお!!」
「じ、ジキル!!と、ダラス!!」
「おい!誰だ俺を呼び捨てにしたやつは!!許さんぞ!!」
「ダラスさん昼飯食ってたのかなあ…」
苛立った様子のダラスは、どうやら昼餉の途中だったらしい。齧りかけのパンを片手に紙袋を小脇に抱えたまま、ジキルによって担ぎ上げられて到着した。
「こいつ先生が産気づいたって言ってんのに昼飯買ってたんだぞ!?」
「さわるなバカ犬!当たり前だろう!出産に時間がかかるのなんて明白、これだから所帯を持たぬ男は!!」
「うるせえ今それ関係ねえだろう!?」
どうやら慌ただしくしているときに、ジキルも戻ってきたらしい。シスの食堂での号令でいの一番に駆け出したジキルが、ダラスにさんざん文句を言われながらも走ってこちらまできた。さすが人狼の嗅覚は侮れない。
「どけ、おいロン!どうなっている!」
バン!と勢いよく扉を開け放つ。ダラスの背後から覗き込んだ団員達にぎょっとはしたものの、ロンは渋い顔をしてゆるゆると首を振る。
「陣痛の感覚狭まってきてんのに、産道がなかなか開かない。切開したほうがいいかも。」
「自然分娩は難しいということか?」
部屋の中には、ぐったりとしているミハエルと、死にそうな顔をしているサディンが居た。不穏な会話に廊下がざわつく。サディンはゆっくりと顔をあげると、わらわらと集まる団員達に渋い顔をした。
「ぅぐ、あっ、」
バスン!とミハエルが呻きながら勢いよくベッドを殴った。普段見ないミハエルの様子に、びくんと体をはねさせたサディンが、びゃっと耳と尾を曝け出す。恐る恐るミハエルの背に触れる。途端、ぶわりと黒い炎が膨らんで飛び出してきたサリエルが、へなへなと床に倒れた。
「サリエル、おまえなにしてんの?」
「む、むりだ…ぐあいわるい…は、はやく、ミハエルの情緒を安定させてくれ…」
ロンの足元にへたり込みながら弱々しい声で呟く。ミハエルはサリエルの愛し子だ。なので、その心情が荒れると内のざわめきがダイレクトにサリエルに共有される。尚更今回の出産の苦しみが共有され、サリエルは見たこともないくらいに情けない無様を晒す羽目となったのだ。つまり、そのくらいミハエルは荒ぶっていた。周りが気の毒に思うほどである。
バスン!バスン!ミハエルの無言の圧力とも取れる、痛みを堪えるために物理的にベッドを殴りまくっているその姿に、全員が何かを飲み込んだ。サディンは、どきどきしながら背中を撫でている。痛いが過ぎて、ミハエルはなぜか怒っているかのような雰囲気なのだ。
「み、ミハエル…い、痛いな、あんまり叩くな、手首を痛めるぞ…」
「っ、たい、っ!!!ぃたいっんで、すぅううっ!!」
「わ、わかった、わかったから…」
「わ、かってな、んぃ、いっ!」
ドアから顔を覗かせていた団員は、皆一様に真っ青な顔であった。ミハエルが痛すぎて切れ散らかしているのも怖いのだが、なによりも普段温厚でおっとりとしているミハエルを豹変させるほどの痛みに、サディンが下手くそに寄り添うものだから余計に火に油であった。
「ぉ、おと、さっ…も、き、きって、お、おなかきってくださ、っ」
「もう少し様子を見よう。ミハエル、足を開け。」
「お前ら扉閉めろ!覗いたら殺す。」
「あっ、ハイ」
ぜぇハァと息を切らしながら、ダラスの指示でゆるゆると膝を立てるミハエルの前に、サディンが立ちふさがる。足元に転がっているサリエルを踏んづけてまで、金眼を光らせて牽制するのだ。扉から顔を覗かせていた者たちは、その視線の鋭さに無言でうなずくと扉を締めた。触らぬ神に祟りなしである。
「うぁ、あーーーー!!も、やだ、い、いたいいっ!!!」
「うん、開いてきたな。」
「出れそう?」
「ううん…、切開したほうがいいかもしれん。」
「切るのか!?」
ダラスの言葉に、サディンの顔から血の気が引く。ミハエルはもう痛みが長く続くせいで、脂汗を浮かばせながら肩で呼吸を繰り返す。もう、なんでもいいから早くこの痛みから開放してほしい。悩むダラスと、それは駄目だと止めに入るサディンに、ミハエルは少しずつ積もり始めていた苛立ちが、明確に主張をしてくる。
「っ、っも、お…っ…いい、っ…」
か細い声で呟く。ミハエルは、大魔道士とも謳われるダラスの息子だ。そのポテンシャルは計り知れない。そして、人は窮地に立たされるとすぐに結果を求める生き物だ。それは、やはり温厚で聡明なミハエルもまた同じである。そして、この場合の答えは痛みを早く終わらせる。その一言に尽きる。
「うん、なんかいま魔力が…、」
「え?」
ふ、とロンが呟く。室内の魔力量が少しだけ変化したのだ。ぴっ、と機械音を立ててミハエルの魔力にぐんっと変化が起きる。一体何が、とサディンとロンがミハエルの方を向いて、悲鳴を上げた。
「ウワァァア!!!!ダメダメダメダメ!!!!!」
「ミハエ、ああぁあやめろおおお!!」
「はぁあ!?」
やかましく騒ぎ出したサディンとロンの声に、キレかけたダラスが顔を上げる。その目に映ったのは、ミハエルの嫋やかな手の平の上に作り上げられた、極めて鋭い風魔法で練り上げられた鎌鼬であった。飛ばすはずのその術を見事に固定し、瞳孔を開いたミハエルが、それを使って自ら腹を切開しようとしていたのだ。
「っなし、て…っ、ぼ、ぼくがっあ、ぁあっ!」
「局長はやく帝王切開!!!麻酔もってきてえええ!!」
「落ち着けミハエル!!そんな危ない術はさっさと解け!いま、今腹の子を取り出してやるから!!」
真っ青に顔を青褪めさせた三人が、そこまでか!?と酷くうろたえながら、真っ赤な顔で妙な方向に男気を見せたミハエルを前に慌しく動き出す。
サリエルは今のミハエルの情緒が決定打になったらしい、白目をむいて気絶をしていた。
「ぐっ、ち、力強よ…お、お前どこにそんな力、っ」
「痛覚麻痺、俯瞰術、研ぎ澄ます研ぎ澄ます」
「真顔こわいよミハエル!!サディン眠らせてえ!」
「わ、わかった…!っ、なんで避ける!」
サディンがぶつぶつと術を行使するために言葉を組み立て始めたミハエルを邪魔するように、眠らせるための術を使おうとしたときだった。
「っ、ねむ、ったら…!う、産声聞けないじゃないかぁあ!!」
悲鳴混じりのミハエルの声に、サディンもロンも、そこ!?と引きつり笑みを浮かべた。もうパニックになりすぎて、ミハエルはいつも通りには振る舞えない。
それほどまでの苦しみの中で、自分でなんとかしようとした息子を見たダラスが成程然りと頷くと、痛みから逃げるように身をよじるミハエルの腹に手をおいた。
「痛覚麻痺は実にいい手だ。しかし俯瞰術は必要ない。なぜならお前の父である俺が取り上げるからな。」
「う、っ」
びくんとミハエルの体がはねた。深呼吸を繰り返す。冷や汗が吹き出したのだ。唐突な医術魔法で不自然に痛みが引いた不快感に反応したのだ。じんわりと下半身の感覚が無くなっていく。麻酔同様の効果のあるその術はとても強く、唐突な麻痺に思考が追いつかない。
ワンクッション無しに行使されたそれに、ミハエルの素直な体は拒否を起こした。
「ぅ、ぐぇ、っ!」
「おい、っ」
「大丈夫だ、みんなそうなる。」
ごぽりと嘔吐したミハエルに、サディンが取り縋る。ダラスは至って冷静に切開の準備を始めると、ロンがサディンと場所を入れ替えるように立つ。
「大丈夫大丈夫、まじで局長本当うまいから。」
ロンが宥めるようにミハエルの髪をよけてやる。口元を拭うと、その薄い肩を優しく抑えた。
ミハエルだって、こうなることはわかっていた。自然分娩がいいのは、こうした副反応が出ないからだ。
しかしミハエルの骨盤は、このままだと耐えられそうにない。ロンもダラスも、苦痛に喘ぐなかで自ら帝王切開を希望したミハエルを褒めるように寄り添う。
「意識は持ってたいって言ったのミハエルちゃんでしょ。ほら、起きて。」
「っ、う、うー…」
痛みが和らいで、漸く素直に泣けるようになったらしい。愚図るように顔を濡らすミハエルの手をサディンが握ると、ゆるゆると弱い力で握り返された。
そうだ、自分はサディンの子を一番に抱いてあげなきゃと思っていたのだ。
「っ、っぅ…」
ミハエルはその瞳に強い光を宿した。だって、こんなに待ち望んでいたのだ。サディンにこの子を見せてあげたかった。だからどんなに辛くても、ミハエルはその生の瞬間を見届けたかった。
「ミハエル、ミハエル…!」
ひくりと喉が引きつる。こんな辛い思いをして、ミハエルはサディンの子を産もうとしているのだと実感すると、何もできずに慌てふためくだけの自分にくやしそうな顔をする。声をかけ、手を握ることしかできない。まるで縋るかのようにミハエルが握り返した途端、びくりとその体が跳ねた。薄い唇を震わし、ぎゅっと瞑った瞼から涙がまろい頬を伝ったとき、ダラスが手早く処置を終えたのであった。
「ーーーー!」
「あ…、」
まるで箍を切ったかのように、取り上げられた乳児が元気な産声を上げた。ミハエルはぐったりとしながらも、ゆるゆると呆けているサディンの頬に触れると、涙と汗でぐしゃぐしゃになった、一番見られたらやだなあと思っていた顔で、ちょっとだけやりきったような表情を見せつけた。
その顔は、サディンが今まで見てきたミハエルの中で、一番格好良かったという。
「サディンが、すみません…」
「うん、とりあえずミハエルちゃんはリラックスしてなさい。なーーーーーんにも考えたらだめ。いいね?」
はい。そう素直に頷いてしまうくらい、ロンの目は笑っていなかった。あの後、ミハエルは国葬でも行っているのかと思うくらいにベンチごと担ぎ上げられて、横並びに並んだ団員たちに見送られながら医術局まで運ばれた。もう顔から火が出るかと思った。絶対に許しては置けないと、己の心の奥底でそんな治安の悪い思いを抱くくらいには、もう本当に、本当に勘弁してほしかった。
「おい、産前で夫婦喧嘩するつもりはないからな!?」
「も、いいですってば、と、とりあえずサディンはあっちいっててください…っ」
「絶対に嫌だ。」
「ハイハイどこにいても良いけど、まだ産まれないからとりあえずサディンは落ち着いて。」
サディンの背後には、部下に持ってこさせたタオルが積み上がっている。いやそんなに使わないから、とロンが呆れて言うくらいには大袈裟な量だ。ミハエルの陣痛は十分間隔で、ロンが見る限りではまだらしい。この地獄のような痛みがまだ続くと考えただけで辛い。痛くてじんわりと睫毛を濡らせば、サディンは真っ青な顔で頭を撫でてくる。どうせ撫でるなら腰を撫でてほしいが、それを言ったら摩擦熱で赤くなるまで撫でられそうだ。
「う、い、いたっ、うぅ、…っ」
「ダラスは!?」
「長引きそうだからご飯買いに行ってる。」
「そんな悠長で大丈夫か!?」
「大丈夫大丈夫、ダラスだって二人取り上げてるんだから。焦ったってそんなすぐ生まれないよ。」
ロンは飴を咥えたまま、ミハエルの腹の魔力を観察している。波長はゆっくりとしたものに変わっているので、陣痛は小康しつつある。また振り上がるとしたら十分後だろう。
「さ、」
「なんだ、」
「し、しごと、もどってくださ…っ、う、産まれるとき、言いますから…、」
「絶対にいやだ!」
「子宮口あと6センチあくまでは無理だよ、長引くだろうし1、2時間位なら席外しても大丈夫だとおもうけど。」
「絶対にいやだっていってんだろ!」
「声うるさ。」
呆れた顔をしたロンが、早々に匙をなげる。ミハエルからしてみたら、たしかに見届けろと言ったのは自分だが、こんな藻掻くような痛みを堪えて醜態を晒すなら、サディンには表に出ていてもらいたかった。
「うぁ、あっい、いぅ、うっ!」
「え、感覚短くなってる?お腹触るよ、」
ぢくん!と内側で何かが轟くような衝撃的な痛みが断続的に続く。やっと収まったと思ったのに、またこの痛みだ。ミハエルはハアハアと荒い呼吸を繰り返しながら、枕に爪を立てる。
「こ、っ」
「こ!?」
「こつ、ばんが…っ…わ、われるうう…っ」
ひぐっ、と顔を涙でべしょりとさせたミハエルが、サディンの聞いたこともない痛みに呻く声で恐ろしいことを言う。どうやら余程恐ろしい想像を掻き立てたらしい。サディンは手で乳児くらいの大きさを思い描き、ミハエルの小さな尻を見て更に顔を青褪めさせる。
「それは死ぬだろう!?」
「うるっさいなきみ!?今ミハエル頑張ってんだから水さすんじゃねえーーー!!」
「ぅあ、あーーーっ!!!い、いうぁ、あっ!!」
「み、っ!」
悲痛な叫びは部屋の外にも響いた。医術局、ミハエルが運び込まれた病室の外では、カルマとシス、ヨナハン、そして騎士団で食堂に居合わせた者たちがオロオロしながら屯していた。
「ぎゃああ悲鳴あげてる!!悲鳴あげてるよおお大丈夫かなあああ!!」
「ちょ、シスうるさ、そりゃ声出るでしょうよ!!鼻からボール産むようなもんだっていうくらいだし。」
「ど、な、お、おう、おうえんとか」
「ヨナハンはとりあえず落ち着けって、な。」
妻の出産に立ち会った経験をもつ団員達は冷静だが、まあミハエルの体格からして難産になるだろうことはわかるらしい。達観した様子で、俺たちは何もできることはないよ。と口にするものは、むしろ団長がロンの邪魔をしてしばかれるんじゃないだろうか。という方を心配していた。
「お前らどけえええ救世主つれてきたぞおおお!!」
「じ、ジキル!!と、ダラス!!」
「おい!誰だ俺を呼び捨てにしたやつは!!許さんぞ!!」
「ダラスさん昼飯食ってたのかなあ…」
苛立った様子のダラスは、どうやら昼餉の途中だったらしい。齧りかけのパンを片手に紙袋を小脇に抱えたまま、ジキルによって担ぎ上げられて到着した。
「こいつ先生が産気づいたって言ってんのに昼飯買ってたんだぞ!?」
「さわるなバカ犬!当たり前だろう!出産に時間がかかるのなんて明白、これだから所帯を持たぬ男は!!」
「うるせえ今それ関係ねえだろう!?」
どうやら慌ただしくしているときに、ジキルも戻ってきたらしい。シスの食堂での号令でいの一番に駆け出したジキルが、ダラスにさんざん文句を言われながらも走ってこちらまできた。さすが人狼の嗅覚は侮れない。
「どけ、おいロン!どうなっている!」
バン!と勢いよく扉を開け放つ。ダラスの背後から覗き込んだ団員達にぎょっとはしたものの、ロンは渋い顔をしてゆるゆると首を振る。
「陣痛の感覚狭まってきてんのに、産道がなかなか開かない。切開したほうがいいかも。」
「自然分娩は難しいということか?」
部屋の中には、ぐったりとしているミハエルと、死にそうな顔をしているサディンが居た。不穏な会話に廊下がざわつく。サディンはゆっくりと顔をあげると、わらわらと集まる団員達に渋い顔をした。
「ぅぐ、あっ、」
バスン!とミハエルが呻きながら勢いよくベッドを殴った。普段見ないミハエルの様子に、びくんと体をはねさせたサディンが、びゃっと耳と尾を曝け出す。恐る恐るミハエルの背に触れる。途端、ぶわりと黒い炎が膨らんで飛び出してきたサリエルが、へなへなと床に倒れた。
「サリエル、おまえなにしてんの?」
「む、むりだ…ぐあいわるい…は、はやく、ミハエルの情緒を安定させてくれ…」
ロンの足元にへたり込みながら弱々しい声で呟く。ミハエルはサリエルの愛し子だ。なので、その心情が荒れると内のざわめきがダイレクトにサリエルに共有される。尚更今回の出産の苦しみが共有され、サリエルは見たこともないくらいに情けない無様を晒す羽目となったのだ。つまり、そのくらいミハエルは荒ぶっていた。周りが気の毒に思うほどである。
バスン!バスン!ミハエルの無言の圧力とも取れる、痛みを堪えるために物理的にベッドを殴りまくっているその姿に、全員が何かを飲み込んだ。サディンは、どきどきしながら背中を撫でている。痛いが過ぎて、ミハエルはなぜか怒っているかのような雰囲気なのだ。
「み、ミハエル…い、痛いな、あんまり叩くな、手首を痛めるぞ…」
「っ、たい、っ!!!ぃたいっんで、すぅううっ!!」
「わ、わかった、わかったから…」
「わ、かってな、んぃ、いっ!」
ドアから顔を覗かせていた団員は、皆一様に真っ青な顔であった。ミハエルが痛すぎて切れ散らかしているのも怖いのだが、なによりも普段温厚でおっとりとしているミハエルを豹変させるほどの痛みに、サディンが下手くそに寄り添うものだから余計に火に油であった。
「ぉ、おと、さっ…も、き、きって、お、おなかきってくださ、っ」
「もう少し様子を見よう。ミハエル、足を開け。」
「お前ら扉閉めろ!覗いたら殺す。」
「あっ、ハイ」
ぜぇハァと息を切らしながら、ダラスの指示でゆるゆると膝を立てるミハエルの前に、サディンが立ちふさがる。足元に転がっているサリエルを踏んづけてまで、金眼を光らせて牽制するのだ。扉から顔を覗かせていた者たちは、その視線の鋭さに無言でうなずくと扉を締めた。触らぬ神に祟りなしである。
「うぁ、あーーーー!!も、やだ、い、いたいいっ!!!」
「うん、開いてきたな。」
「出れそう?」
「ううん…、切開したほうがいいかもしれん。」
「切るのか!?」
ダラスの言葉に、サディンの顔から血の気が引く。ミハエルはもう痛みが長く続くせいで、脂汗を浮かばせながら肩で呼吸を繰り返す。もう、なんでもいいから早くこの痛みから開放してほしい。悩むダラスと、それは駄目だと止めに入るサディンに、ミハエルは少しずつ積もり始めていた苛立ちが、明確に主張をしてくる。
「っ、っも、お…っ…いい、っ…」
か細い声で呟く。ミハエルは、大魔道士とも謳われるダラスの息子だ。そのポテンシャルは計り知れない。そして、人は窮地に立たされるとすぐに結果を求める生き物だ。それは、やはり温厚で聡明なミハエルもまた同じである。そして、この場合の答えは痛みを早く終わらせる。その一言に尽きる。
「うん、なんかいま魔力が…、」
「え?」
ふ、とロンが呟く。室内の魔力量が少しだけ変化したのだ。ぴっ、と機械音を立ててミハエルの魔力にぐんっと変化が起きる。一体何が、とサディンとロンがミハエルの方を向いて、悲鳴を上げた。
「ウワァァア!!!!ダメダメダメダメ!!!!!」
「ミハエ、ああぁあやめろおおお!!」
「はぁあ!?」
やかましく騒ぎ出したサディンとロンの声に、キレかけたダラスが顔を上げる。その目に映ったのは、ミハエルの嫋やかな手の平の上に作り上げられた、極めて鋭い風魔法で練り上げられた鎌鼬であった。飛ばすはずのその術を見事に固定し、瞳孔を開いたミハエルが、それを使って自ら腹を切開しようとしていたのだ。
「っなし、て…っ、ぼ、ぼくがっあ、ぁあっ!」
「局長はやく帝王切開!!!麻酔もってきてえええ!!」
「落ち着けミハエル!!そんな危ない術はさっさと解け!いま、今腹の子を取り出してやるから!!」
真っ青に顔を青褪めさせた三人が、そこまでか!?と酷くうろたえながら、真っ赤な顔で妙な方向に男気を見せたミハエルを前に慌しく動き出す。
サリエルは今のミハエルの情緒が決定打になったらしい、白目をむいて気絶をしていた。
「ぐっ、ち、力強よ…お、お前どこにそんな力、っ」
「痛覚麻痺、俯瞰術、研ぎ澄ます研ぎ澄ます」
「真顔こわいよミハエル!!サディン眠らせてえ!」
「わ、わかった…!っ、なんで避ける!」
サディンがぶつぶつと術を行使するために言葉を組み立て始めたミハエルを邪魔するように、眠らせるための術を使おうとしたときだった。
「っ、ねむ、ったら…!う、産声聞けないじゃないかぁあ!!」
悲鳴混じりのミハエルの声に、サディンもロンも、そこ!?と引きつり笑みを浮かべた。もうパニックになりすぎて、ミハエルはいつも通りには振る舞えない。
それほどまでの苦しみの中で、自分でなんとかしようとした息子を見たダラスが成程然りと頷くと、痛みから逃げるように身をよじるミハエルの腹に手をおいた。
「痛覚麻痺は実にいい手だ。しかし俯瞰術は必要ない。なぜならお前の父である俺が取り上げるからな。」
「う、っ」
びくんとミハエルの体がはねた。深呼吸を繰り返す。冷や汗が吹き出したのだ。唐突な医術魔法で不自然に痛みが引いた不快感に反応したのだ。じんわりと下半身の感覚が無くなっていく。麻酔同様の効果のあるその術はとても強く、唐突な麻痺に思考が追いつかない。
ワンクッション無しに行使されたそれに、ミハエルの素直な体は拒否を起こした。
「ぅ、ぐぇ、っ!」
「おい、っ」
「大丈夫だ、みんなそうなる。」
ごぽりと嘔吐したミハエルに、サディンが取り縋る。ダラスは至って冷静に切開の準備を始めると、ロンがサディンと場所を入れ替えるように立つ。
「大丈夫大丈夫、まじで局長本当うまいから。」
ロンが宥めるようにミハエルの髪をよけてやる。口元を拭うと、その薄い肩を優しく抑えた。
ミハエルだって、こうなることはわかっていた。自然分娩がいいのは、こうした副反応が出ないからだ。
しかしミハエルの骨盤は、このままだと耐えられそうにない。ロンもダラスも、苦痛に喘ぐなかで自ら帝王切開を希望したミハエルを褒めるように寄り添う。
「意識は持ってたいって言ったのミハエルちゃんでしょ。ほら、起きて。」
「っ、う、うー…」
痛みが和らいで、漸く素直に泣けるようになったらしい。愚図るように顔を濡らすミハエルの手をサディンが握ると、ゆるゆると弱い力で握り返された。
そうだ、自分はサディンの子を一番に抱いてあげなきゃと思っていたのだ。
「っ、っぅ…」
ミハエルはその瞳に強い光を宿した。だって、こんなに待ち望んでいたのだ。サディンにこの子を見せてあげたかった。だからどんなに辛くても、ミハエルはその生の瞬間を見届けたかった。
「ミハエル、ミハエル…!」
ひくりと喉が引きつる。こんな辛い思いをして、ミハエルはサディンの子を産もうとしているのだと実感すると、何もできずに慌てふためくだけの自分にくやしそうな顔をする。声をかけ、手を握ることしかできない。まるで縋るかのようにミハエルが握り返した途端、びくりとその体が跳ねた。薄い唇を震わし、ぎゅっと瞑った瞼から涙がまろい頬を伝ったとき、ダラスが手早く処置を終えたのであった。
「ーーーー!」
「あ…、」
まるで箍を切ったかのように、取り上げられた乳児が元気な産声を上げた。ミハエルはぐったりとしながらも、ゆるゆると呆けているサディンの頬に触れると、涙と汗でぐしゃぐしゃになった、一番見られたらやだなあと思っていた顔で、ちょっとだけやりきったような表情を見せつけた。
その顔は、サディンが今まで見てきたミハエルの中で、一番格好良かったという。
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