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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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「きったねえ!!」
「ぅえ、っ…ケホ、っ、」

 新庄の悲鳴が聞こえた。繋がったままの体を転がして、大林は地べたに肘をつくと、胃を震わしながらいの中のものを吐き出した。尻がいたい、頭がふわふわとする。酩酊間に苛まれれば、その髪を掴まれて地べたに押しつけられた。

「おま、俺のシャツに引っ掛けやがって、ったく、あーあー。」
「う、ぅあ、っ」
「今ので完全にチンコ萎えたわ。ったく、お前の性癖新しすぎんだろ。」

 嫌悪感を滲ませた新庄の声が、うずくまる大林に降り注ぐ。引き抜かれた性器は少量の血が付着しており、それもまた新庄の苛立ちを煽る要因の一つとなった。
 身を投げ出した大林のカットソーで、性器を拭う。己が犯した目の前の青年は、ぼやけた表情のまま動かなくなっている。どうやら媚薬が効きすぎたらしい。半分でちょうどいいものを、腹が立って一錠含ませたのだ。当然こうなる。
 これはある意味事故現場だなと面白そうに笑うと、新庄は己のジャケットからスマートフォンを取り出そうとした。その時だった。









 明日には帰ってくると言っていたから、今度こそ二人でケーキでも食べれたらいいなあと思っていた。
 自分は甘党だ、というか、甘党になった、と言った方がいいのかもしれない。大林と過ごすようになってから、自分の食べるものだけじゃなく、彼に買って言ったら喜んでくれるだろうか。ということまで考えるようになり、気がつけば足が勝手にスイーツショップへと向いていた。
 多分、彼は甘いものが好きだ。家のことをしてもらうようになってから、休憩の時につまめるようにと買い足した洋菓子の減りが目立つのだ。
 せんべいや、羊羹など、じじくさい菓子は榊原の好みだが、彼が帰ってからそれらの菓子の入っているボックスをみると、減り方が露骨に違う。そんな発見も面白い。
 だから、帰省してから榊原の家に来たときに、ケーキがあったら喜ぶかなあと、そんなことを思ったのだ。
 ショーケースに飾られたケーキの数々は宝石のように輝いていて、見た目にも楽しい。顔のいい美丈夫が、真剣な顔をしてシューケースを覗き込むという絵面も十分に面白いのだが、本人はいたって真剣である。
 しかも、オフの日なのに今日はまともな格好をしている。そんなところも大林の躾の賜物で、榊原にとっては大きな変化なのだが、本人はそこに気がついていないようだった。

「オペラと、あとその緑の。」
「ムース・ア・ラ・ピスタシュですね。他にご注文は。」
「以上で。」

 木苺が乗った、艶やかな長方形のチョコレートケーキと、黄緑色のドーム型のケーキ。榊原の中では、ケーキといえばショートケーキとかモンブランなどの王道のものばかりで、味の想像がつかない。それでも、なんとなく大林が好きそうだなという予想だけで購入を決めたそれは、販売員さんからも人気ですよとお墨付きをもらってしまった。
 前回とは違う化粧箱だ。なんというか、こうして箱詰めされるだけで特別感を感じるのは、大人でも変わらないらしい。子供の頃は、この箱を家族が持って帰ってくるだけでお祭り騒ぎだったのだ。
 大林も、喜んでくれるだろうか。榊原は口元に微笑みを浮かべると、大切そうに化粧箱の底に手を添えて店の外に出る。
 あとは帰るだけだが、大林は何時ごろ帰ってくるのだろうか。連絡を入れて、聞いてみようか。もしそれで近いようなら、このまま駅前で待っていてもいいかもしれない。榊原はそんなことを考えた。メッセージにしようかとも思ったが、電話の方が早いだろう。出なければそのままメッセージを入れておけばいい。スマートフォンを操作し、大林の連絡先をタップする。呼び出し音が流れてくるので、繋がった。三日ぶりの大林の声が聞こえるのを、ドキドキしながら待っていれば、近くで着信音が聞こえた。

「…ん?」

 スマートフォンから耳を離すと、辺りを見回す。気のせいだろうか、道は行き交う人々で賑わっている為、偶然かもしれない。榊原は通話を切ると、微かに聞こえていた着信音も途切れた。

「偶然、かな?うーん。」

 同じタイミングで切れることなんてあるのだろうか。微かな音は少し進んだ先から聞こえてきたように思える。もう一度大林に電話をかける。間髪入れずに電話をかけたことで、大林から怒られるかとも思ったのだが、電話は繋がるのに大林が出ないのだ。
 着信音の音が微かに強くなる。榊原が歩みを進める毎に、その音ははっきりと聞こえてきた。もしかしたら、近くまで来ているのかもしれない。なら、なんで電話に出ないのだ。
 その歩みが、少しだけ力強いものになる。もしかして、出れない状況にあるのかもしれない。そんな一抹の不安に駆られたのだ。この近くだ、どこにいるんだろう。
 賑わいのある通りを、視線で一巡した。その時、プツン、と呼び出し音が切れたのだ。意図的に切られたとしか思えない。嫌な汗がじんわりと滲んで、榊原は息を呑んだ。

「大林くん、」

 小さく名前を呼んだその時、己の足元を黒猫が通り過ぎていった。その軽やかな歩みは、どこから来たのかと視線で辿るように背後を振り向くと、榊原の斜め後ろの辺りに、看板で見えづらくなっている細い路地があった。
 もしかして、が頭に浮かんだ。そこの路地にいるのだろうか。でも、大林の帰りは明日のはずで、まだこっちにはいないはずだ。
 道ゆく人は、不自然に立ち止まった榊原を、邪魔そうに避けていく。ケーキの化粧箱を持ったまま、ゆっくりと路地へと近づいた。暗くて、狭くて、汚い場所だ。こんな狭いところなんて誰も通り抜けないだろう、そんな場所。
 榊原が身を横にするようにして中に入ると、中は細長い一本道になっていて、裏通りへと繋がっているようだった。歩みを進めるにつれて、すえた匂いがしてくる。普段だったら、こんなところなんて絶対に入らない。それなのに、なぜか足が急かすように動くのだ。

 真っ直ぐ続いていた道だから、危うく通り過ぎてしまうところだった。榊原は唐突に現れた曲がり角に気がつくと、中を覗き込むようにして顔を出した。

「げ。」

 最初は、何かわからなかった。
 見知らぬ、風体の悪い男が、榊原に気がついてばつが悪そうにする。おそらく、何かやましいことでもしていたのだろう、そう思って、通り過ぎようとした。一歩踏み出そうとして、目端に移ったのは、真っ黒な服を着た人物が倒れ込んでいる姿。室外機の影から、細い脚を見せ倒れている青年を前に、榊原は全身の血が凍りついたように固まった。

「何、をしている…」
「…介抱してんすよ。飲みすぎてゲロっちまって。」
「介抱…?」

 面倒臭そうに頭を描く男の服は、確かに汚れていた。それでも、身を投げ出した青年の姿を見る限り、介抱だけでは無かった事は明らかであった。

「手をかそう、」
「いや、いいって。あっち行けよおっさん。」

 こちらへと歩みをすすめる榊原の様子に、男が僅かに狼狽える。その身で隠すように前に出る男の肩を掴み、乱暴に壁際に寄せれば、どうやら逆鱗に触れたらしい、荒っぽい返事が返ってきた。

「あんたしゃしゃって来んなよ、こっちは」
「悪いけど。」

 男の言葉を、榊原が遮った。その瞳は真っ直ぐにうずくまっている青年へと向けられていた。地べたを汚し、着衣を乱れさせたままぐったりとしているその様子に、榊原は沸々とその身の内側に込み上げる怒りを感じた。人は本当に乱暴な気持ちになる時には、表情は出ないらしい。

「その子は俺のなんだけど。」
「っ、」

 本当に、知らないことばかり彼は教えてくれる。榊原はそんなことを思うと、男の顔の横にめり込ませた拳を震わせた。


 
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