[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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「君は、少し自覚を持った方がいいね。」

 少し低い声がした。いつものんびりとした榊原の、大林が聞いたこともない大人な男の声。目線が絡んで、榊原の男らしい節張った指が、濡れて頬に張り付いた大林の髪の毛を耳にかける。
 爪の表面で頬をくすぐられるような、そんなささやかな触れ合いに、大林は思わず肩を揺らした。

「同じ性別で、あんたはノンケでしょ。何言ってんの。」

 腹の奥に燻る熱の正体に気がつかないフリをして、大林は取り繕うようにして宣う。これは一種の強がりだ。目の前の男に、負けてたまるかという、突如として湧き上がってきた謎の闘争心によるもの。
 大林は、あくまでも榊原に雇われている。今この場にいるときだけ、大林と榊原の立場は逆転する。それに、いくら遊び人だからと言って、こちらとしても大火傷をするつもりなんて毛頭ない。小さく笑って唇を寄せたのは、榊原の左手を飾る結婚指輪だ。

「それとも、雇った従業員に手ぇ出すほど溜まってる?」

 かちりと歯を当てる。手のひらの内側に唇を寄せて、嫣然と微笑んだ。もしここで榊原が大林に手を出してきたら、大林も榊原に対しての弱みを握ることができる。ノンケと不倫だなんて笑えないが、対等な立場にはなれるだろう。

「何を考えているか、手に取るようにわかる。君は本当にタチが悪いな。」
「いくじなし。手ぇ出したっていいんだぜ。」
「風邪をひくから、早くあがっちゃおう。悪ふざけはもうおしまいだ。」

 しばらく黙りこくっていた榊原が、何か堪えたものを吐き出すように、溜め息を吐く。大林から手を離すと、榊原はラタンでできた棚からタオルを取り出す。
 
 白くて大きなバスタオルで、大林の肌を透かすカットソーごと包み隠すと、その猫毛をワシワシと榊原が拭う。
 この男は、結構な力で髪を拭うのだなと思ってしまった。大林は榊原に頭を揺らされながら、唇を真一文字に引き結ぶ。そんな榊原の日常を知ってどうするのだ。
 柔らかなパイル地越しに、榊原の掌が首筋に触れた。それがくすぐったくて小さく身を跳ねさせると、ふすりと気の抜けるような声が聞こえてきた。
 榊原が、大林の反応に笑ったのだ。むすりとしたまま見上げると、ごめんと軽い調子で謝られた。無邪気に笑えばいいのに、堪える様子を見て、格好つけてんなよ。と思った。
 大林の負けず嫌いな部分が、再び顔を出す。なんとなく、榊原を本気にさせることが出来たら、気持ちがいいだろうと思ったのだ。
 
 先程は、ある意味お膳立てされてたと言ってもいい状況ですら、手を出してこなかった。
 榊原は大林よりもずっと大人で、面倒臭いしがらみも多いのだろう。悪ふざけという言葉を使って逃げた榊原の、本気で困る顔が大林は見たかった。
 
 今思えば、脳内麻薬が出ていたのだと思う。こんなに抗えない好奇心は初めてだった。
 榊原を困らせたい。主導権を、己のものにしたい。このすまし顔の、取り繕いが上手な男を堕としてみたいと思ったのかもしれない。火傷はしたくない、でも、男同士だったら孕まない。単身でこっちにきているのなら、どうせその場限りで終わるだろう。今までの客と何が違うのだと、心の中で悪魔が囁く。

「着替えを貸してあげるから、部屋に、」

 榊原の声が止まった。大林の掌がその手を引き留めるかのようにして握りしめたのだ。男らしい血管が走る、節張った手。その手を取ると、己の首筋に直に触れさせた。パイル地越しなんかじゃない、素肌に触れさせたのだ。

「…悪ふざけはやめようって言ったよね。大林くん。」
「悪ふざけじゃないよ。俺は、あんたの困った顔が見たい。」
「だから、それを、」

 掌を、胸に抱くようにして滑らせる。大林は榊原を壁に押し付けるようにして身を寄せると、その手のひらを己の胸元に落ち着けた。

「女みたいに、柔らかいおっぱいはねえけど。」
「大林くん、」
「でも、感度なら負けてないつもり。」
「な、」

 押し付けられた薄い胸に主張する大林の胸の突起が、榊原の手のひらの内側に押しつけられる。胸を押して、突き放しても許される行為をされているというのに、大林の上等な顔に切なさが滲んで、榊原は目が離せなくなっていた。

 これは、本当ひどい悪ふざけだ。ある種の仕返しに違いない。濡れた髪の、拭いきれなかった一雫が榊原の掌に落ちる。濡れた大林の体が、もたれかかってくる。スラックス越しの足の間に素肌の大林の足が入り込み、水滴で生地を濡らした。

「俺も、あんたみたいに男らしい首になりたかった。」
「……、」
「あんたは、どんな顔して抱くの。この体で、」

 シャツのボタンを指で弾くようにして、大林が榊原の胸元を晒す。
 こめかみが焼き切れそうだった。乗ってはいけないと、頭でも十分にわかっている。大林が榊原にそういう欲を向けてくるのは、罠だということも十分に理解をしているつもりだ。
 だけど、大林は一つ勘違いをしている。それは、榊原がノンケだと思っているということだ。

 吐息が触れそうなくらいまで、距離が縮まる。榊原は大きな掌をその細腰に回すと、ぐっと身を近づけた。先程大林が口付けた己の左手を、頬に添えるようにして顔を固定する。
 大林の瞳が揺れる。わかりやすく動揺をしたのだ。煽っておいて、それはない。榊原は体の向きを変えるかのようにして、大林を壁に押し付けた。

「う、っ!」

 びくり、と華奢な体が跳ねる。顔の横に肘をつかれ、その男らしい体で押さえつけるかのようにして、榊原が大林を壁に縫い止める。額が重なり、見たこともない欲を瞳の奥に燻らせた目の前の榊原の顔に、大林は己の失敗を悟った。

「ま、まっ、ん、んん…っ」

 待って、という言葉は飲み込まれた。吐息の一呼吸すら飲み込むような口付けをされたのだ。榊原の整った顔が至近距離にある。重なる唇が厚くて、火傷してしまいそうだった。

「ふ、んぅ、っ…」
「は、」

 無骨な指が、大林の下唇を押し開く。角度を変えて深くなった口付けに、縋りそうになった腕を慌てて壁に固定した。背中に腕を回したら、負けてしまう。最初から大林が勝手に始めたそれは、明らかに劣勢であるのに、まだ小さな強がりは続いていた。
 榊原のキスは、信じられないくらい上手かった。歯がぶつかり合うこともなく、最初こそ獣染みていたが、まるで何かを堪えるかのような優しい舌使いは、逆に明確な榊原の欲を感じた。
 膝が震える、縋りたいけれど、それは嫌だった。だから、榊原が押さえつけてくれるのをいいことに、大林は己の体の力が抜けるままに、ずるずると床に座り込む。
 体勢が崩れたことで、ようやく離れた唇に、肺が新鮮な酸素を求めるかのように膨らんだ。

「ふ、は…っ!ひゃ、な、何、っ」
「うるさい。」
「う、うるさ、」

 唇が離れたとおもっったら、唐突に抱え上げられた。大林の言葉をうるさいで返した榊原は、床に落ちたバスタオルすら気に求めずに歩き出す。そのまま大林が夕飯の準備をしたリビングを突っ切って向かったのは寝室だ。
 ギョッとしたのも束の間で、榊原は足で乱暴に引き戸を開けると、そのままシーツを張り替えたばかりのベットの上に、濡れたままの大林を押し倒したのであった。


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