[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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「おっと、大丈夫…?」
 
 大林の目の前に立ち塞がるかのようにしてその体を滑り込ませてきた紳士は、鞄でしっかりと相手の拳を受け止めたまま、なんとも気の抜けるような声でそんなことを宣った。
 
「あ?」
「な、なんだお前…!」
 
 自分の腰に回された腕は、こちらが倒れないように支えてくれているらしい。ポカンとする大林よりも先に素早く反応したのは、先ほど逆上させてしまった男の方である。
 
「うわ、ちょっと待ってください。」
「ああ!?」
 
 見慣れぬ紳士は、随分と上等な身なりをしている。そのせいだろうか、なんというか物怖じをしている雰囲気も感じられない。堂々たる振る舞いで相手を制止すると、殴りかかってきた男はまさか止められるとは思わなかったらしい、拳の行き場を迷わせるようなそんな素振りを見せると、もう一度厳しい顔をして、目の前の男を睨みつける。
 
「すみません、うちの弟が何かしたでしょうか。」
「は、おま、何いっどぅわ、っ!」
 
 お兄ちゃんなんていませんが。と言わんばかりに、突拍子もないことを言われた大林はギョッとした顔で榊原を見上げた。
 それは違うと言い返そうにも、まるで空気を読めと言わんばかりに頭を掴まれ、そのまま無理やり頭を下げられる。先程大林の体を支えてくれた紳士的な手のひらが、乱暴にだ。
 
「お前、こいつの兄ちゃんか!?」
「いかにも、私が梓のお兄ちゃんです。」
 
 柔らかい口調でそんなことを言われて、戦慄した。だって、大林はこの見知らぬ紳士に名前なんて教えてはいないのだ。また、先程とは違った方面での恐怖がその身を支配する。
 
「うちの弟が粗相をしたのでしょう?何分親代わりで育てたのが私一人ですから、不自由な思いをさせてしまったせいでスレてしまいまして…ほら、お前も謝りなさい梓。」
「…お、おま、」
「お兄ちゃんです。」
 
 口裏を合わせろと言わんばかりの無言の圧がすごい。
 
「お、オニイチャン…ゴメンナサイ…。」
 
 大林は、本当に心の底から不本意ではあったが、この謎の紳士がどうやら場を収めてくれるらしいということがわかると、警戒心を剥き出しにしつつ、小さな声で呟いた。
 チラリと激昂していた男の顔を見つめる。どうやら硬いものでも殴ったらしい、己の手の甲を痛そうに撫でながら、なんとも言えないような顔つきでこちらを見ていた。
 
「どうでしょう、大の大人がこうして二人揃って頭を下げている。これでも足りないようであれば、ここは穏便に警察の介入をお願いしようかと思うのですが。」
「け、警察…!」
「ほら、こうして目立ってしまっていますし、駅員さんが様子を伺っているので、このままだと僕が呼ばなくても、きてしまうかとは思うんですが。」
 
 なんとも穏やかな口調で、あっという間に主導権を握った紳士は、困ったように微笑んで見せる。大林はこの場の空気を収める目の前の存在が、身なりからしてカタギのものではないのでは、という、そんな異様な恐怖を味わった。
 何この人、めっちゃ怖い。絶対に敵に回しちゃいけないやつだ。
 相手を立てつつ、こちらの思うように誘導する。こういうのは、経験値がないとできないことだ。殴りかかってきた男は、わかりやすく声を裏返させると、ブンブンと手を振って固辞した。
 
「い、いや、俺も大人気なかった。今回の件は水に流すよ。…というか、あんたもそんな弟がいて大変だな。俺がいうのも変だけどよ、ちょっと口悪いぜそいつ。」
「わかりますか、いつまで経っても思春期が終わらなくて。いやあこちらこそ不躾にすみませんでした。ほら、梓。お前ももう一度謝りなさい。」
「ゴメンナサイ。」
 
 掴まれた首を引き上げられるかのようにして、顔を持ち上げられる。言葉がロボットみたいなカタコトの口調になるのは仕方がないだろう。腹に据えかねたものを吐き出さずに堪えているだけでも褒めてほしいくらいである。
 しかし丸く収まるのならこちらに乗る以外の選択肢はない。
 相手も訝しげな顔をしてはいたが、戦意喪失、基、溜飲を下げたのか、もういいよ。と言って去っていった。
 
「…。」
「さてと。」
 
 本来ならば、ここで大林も喜んで退場をしたいところではあるのだが、おそらく己の手綱を握っている紳士が許してくれないだろう。
 
 あんた、本当に誰なの。そう聞きたいのは山々なのだが、果たしてこの質問には答えてくれたりするのかと、少しだけ不安にもなった。
 謎すぎる男は、改めて大林に向き直ると、柔らかく微笑んだ。
 
「君は、いつもそうやって火遊びをするのかな。」
「…待って、さっきのやりとり聞いてたの?」
「聞こえるほどの声だったじゃないか。混ざるつもりはなかったけど、暴力は良くないよね。」
「……?」
 
 先程の饒舌さは一体どこにやったのだろう。なんとも呑気にそんなことを言われて、覚悟を決めていた大林としては少しだけ拍子抜けした。
 改めてまじまじと見れば、随分と顔立ちが整っている。身なりもやはり洗練されているが、なんとなくそのスーツには既知感があり、大林は数度瞬きをしたのち、そのスーツの生地を確かめるように顔を近づけた。
 
「大胆だね。」
「うるさ、ちげえし…ってか、このスーツ…」
 
 もしかしてうちのブランドのものかもしれない、しかも、店舗限定の生地だ。
 大林は、そのことに気がつくと、その整った顔立ちに驚愕を貼り付けて、ゆっくりと顔を上げる。
 
「もう満足かい?」
「ちょ、ちょっとごめんけど、内ポケットみして、」
「内ポケット?って、わあ。」
 
 キョトンとする紳士のスーツジャケットに手をかけると、大林は無言で前合わせを広げ、左胸のネーム刺繍を確認した。
 頭上では、内ポケットってこのことか。などとのんびりとした声が返ってくる。よくよく考えてみれば、おかしいと思ったのだ。なんでこいつは初対面のくせに己の名前を知っているのかとか。店舗限定の生地のスーツを着ているのかとか、なんで、声に聞き覚えがあるんだとか。
 
「サ、サカキバラ様…。」
「その筆記体でよく読めたね。さすが販売員。」
「ヒェ…」
 
 自分の体温が数度程下がった気がした。大林は、顔を真っ青にすると、まるで降参を示すかのように、両手を顔の前まで持ってくる。
 ゆっくりと後退りをして、榊原の全身を視界に入れると、今度は陸に上がった魚のように口をはくはくと動かした。
 
「ああ、そんなに驚かれるとは思わなかったなあ。…あ、大丈夫だよ。心配しないでも。」
 
 絶句する大林の前に、榊原が靴音を立てて歩み寄る。
 ずん、と近づいた体は背が高く、そして上品な香水の香りがした。
 
「会社にはこのこと、言わないからさ。」
「ーーーーーーー!!!!」
 
 榊原の背後に、見えてはいけないものでも見てしまったかのような驚愕の顔を貼り付けて、大林は声にならない悲鳴を上げた。
  
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