[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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 家賃は可愛くないが、セキュリティがしっかりしていることと、好立地なのが決め手であったマンションを出て、目的地へと向かう。
 ここへ住むメリットとしては、なんと言っても駅から近いこと。商業施設が近くにあるため、大体は事足りる。それにマンションの中には内科が入っているので、体調を崩してもすぐに病院に行くことができる。
そして、ここのマンションはフロントスタッフがいるので、たとえこのマンションから出てくるものがホームレスのような浮浪者じみた男でも、全くもって怪しまれる必要はない。まあ、変な目では見つめられるが。

 ここは、身だしなみが最悪だとしても、ある程度の信用がなくては入居できないマンションだ。おかげさまで榊原は、虹色の眼鏡に毛玉だらけのスウェットでエントランスから出ても文句は言われない。どうやら仕事モードの時の榊原とは全くの別人だと思われているようだった。
 それに気がついたのはつい最近で、おなじフロアに住んでいる未亡人から、弟さんとお住まいなんですか?などと聞かれたのだ。
 榊原はなんのこっちゃと戦慄したが、どうやら話を聞く限りそれは休みの日の自分のことであった。
 何かとアプローチの多い奥様である。これ幸いと便乗させてもらい、弟は在宅で仕事をしているんです。などと嘘八百をでっち上げた。それ以来家に突撃をしてくることはなくなった。榊原としても、持て余した熟女とは火遊びはしたくない。

 しかし、自分のオンオフがメリハリがつきすぎているせいか、なんとも人の勘違いとは面白いものである。今日はスウェットで百貨店の紙袋を携えて帰ることになりそうだから、ますます私生活は謎に包まれた、いもしない弟の噂が広まるのだろう。

「なんだか面倒臭くなってきたなあ。」

 ホームセンターで三百円という破格で売られていたサンダルを引きずるように歩きながら、榊原は百貨店を前に立ち竦んでいた。あれから電車に乗ってここまできただけでも、自分を褒めてやりたい。なんで面倒臭いかというと、試着がだるいのだ。榊原は尻ポケットから高級ブランドの財布を取り出すと、札入れのところに挟んでおいた、以前のオーダースーツの寸法のメモを取り出した。
 着替えるのも面倒臭いので、もはやこのメモを渡して良きに計らってもらおう。そう決めると、再びサンダルを引きずるようにして百貨店の中に入った。目指すは紳士服売り場である。エレベーターガールが、もさい格好でエレベーターに乗り込んできた榊原にも変わらぬ笑みを浮かべてくれる。
 やはり百貨店にきた以上は、お客さまは神様らしい。紳士服フロアでエレベーターが止まると、榊原はドアを開けて待ってくれたお姉さんにペコリとお辞儀をしてエレベーターの外に出る。
 そのまま、目の前のブランドに真っ先に入れば、店頭スタッフはギョッとしたように二度見をしてきた。
 
「いらっしゃいませ。」

 強いていうならマネキンがスーツを着ていたのが決め手だったのだが、どうやら冷やかしの客のように思われたのかもしれない。店頭には四人もスタッフがいるのに、元気よく声をかけてきてくれたのは、黒猫のような雰囲気の男性スタッフだけであった。

「お探しのものはお決まりでしょうか。」
「んー、」

 耳心地の良い、構えてもいないであろう自然な声色で話かけられる。男性スタッフは榊原よりも小柄で、アシンメトリーに整えられた青みがかった黒髪がよく似合う、不思議な魅力のある青年だった。
 榊原は少しだけ逡巡するかのように辺りを見回すと、手前にかかっていたグレーに上品なガンクラブチェック模様が織り込まれたスーツを手にした。

「これで。」
「ありがとうございます、ただいまご試着室に」
「試着なしで買うから、悪いんだけどこの寸法にあう在庫をお願いできるかな。」
「…へ、あ、ご、…少々お待ちください。」

 榊原のぶっきらぼうな言葉に面食らったのか、目の前の青年は少しだけ動揺はしたが、さすがプロなだけあり、すぐさま切り替えてストックへと引っ込んでいった。サイズがなければ、あるものでいいか。そんなことを思いながら待っていれば、首からメジャーをかけた先ほどの青年が、いくつかスーツを持ってきた。
 どうやら急ぎだということがわかったらしい。榊原が指定したスーツは在庫がなかったようだが、何も言わないでも寸法にあった似よりのスーツを持ってくるあたり仕事ができそうである。

「御用命の生地は在庫を切らしておりまして、代わりに寸法に合う似よりのものをお持ち致しましたので、ご確認ください。」
「ああ、せかしてごめんね。ありがとう。」
「とんでもありません。その、ジャケットのみでもお試しされませんか。」
「うーん…じゃあ、」

 青年の言葉が聞こえなかったわけじゃないが、スウェットを脱ぐのが面倒くさい。榊原は適当なチーフとネクタイを数本選んで、濃いグレーの小紋柄のスーツの上にそれを乗せると、ポケットから出したクレジットカードをカウンターの上に置いた。

「大丈夫。これで一括でお願い。裾はシングルで仕上げてもらえるかな。」
「かしこまりました、一時間ほどお修理にはお時間を頂戴いたしますが、よろしいですか。」
「うん、いいよ。さっき渡した寸法でお願い。」
「かしこまりました。」

 スーツの値段は気にはしていなかったが、どうやらグレードが一番高いものだったらしい。イタリア製のスーツは何着か持ってはいるが、袖のメーカータグを見つめていれば、そちらもきちんと外しておきますねと声をかけられた。

「ああ、ありがとう。使ったことのない生地だったから見ていただけだよ。」
「そうでしたか。お急ぎなようでしたら、ベントの仕付け糸もお取りたしましょうか。」
「お願い。」

 差し出された修理伝票に名前と住所を記入し終えると、決済を済ませた。渡された青年の名刺には大林梓と書かれており、試着なしで購入したことで、何か問題が発生したときはいつでも連絡をくださいという念押しも含まっているよだった。律儀すぎる気もしたが、高い買い物なので、と言われて、それもそうかと納得した。
 まだ若いだろうに、接客は申し分ないものであった。飛び込みで入ったとはいえ、いい店だなと思えたのはひとえに大林の力によるところが大きそうだ。
 どうやら仕上がったら電話をしてくれるという約束もしてくれたので、甘えることにする。
 普段自分自身が客先のことで頭がいっぱいになるほど気配りをするので、彼のお客さま第一主義の接客が少しばかしくすぐったい。業務外ではあまり他人に対して興味を持つことはないのだけど、チラりと見えた大林の耳に開けられたピアスホールの多さに少しだけ驚いた。
 もしかしたら、このこには裏と面があるのかもしれない。自分と同じように。そう思うと、彼のオフはどんなものなのだろうと、榊原は少しだけ興味が湧いたのであった。

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