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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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「君のプライベートを一日だけ、僕にくれないか。」
「こちら、中身は改めますか。」
 
 にこりと大林が微笑んだ。
 別に榊原の声が聞こえなかったわけではない。単純に、大林が無視をしたのだ。
 顔に貼り付けた微笑みには、だから職場ではやめろって言ってんだろ。という意味が含まれている。
 榊原という男は悪い男で、大林のその反応も含めて好ましいと思っているきらいがあった。
 要するに、断られるとわかっていて、あえて言ったのだ。だから、他のスタッフに聞こえないような声色を使う。
 
「改めなくても構わないさ。大林くんがもうすでに確認はしてくれているだろう。」
「ええ、一応は。」
「なら、包んでくれて構わないよ。いつもありがとうね。」
「とんでもございません。」
 
 八万ものブリーフケースを、確認不要と辞する榊原の男気に思わず閉口する。信頼してくれているならそれでいいが、後から不具合が見つかったらどうするのだろうか。まあ、そんなこと起こらないように、大林が隈なく検品はしたが。
 困ったように微笑んで、それでは、と不織布にブリーフケースを入れようとした時だった。
 
「梓。」
「っ、」
 
 にこりと微笑まれて、名前を呼ばれた。慌てて顔を上げると、周りのスタッフは接客についていて、こちらの様子には気がついていないようであった。
 してやられた。くそ、不意に名前なんて呼ばれるから。と、大林は悔しそうに顔を顰めると、榊原はやり返してやったといわんばかりににっこりと微笑んだ。
 
 大林は榊原が苦手だ。こうしてマウントを取られるのも嫌だし、その少しだけ掠れたような低く甘い声が名前を呼ぶのも嫌だった。
 
「今日は、帰るよ。」
「…お出口までお持ちいたします。」
 
 取り寄せの際にはもうすでに支払いを済ませていた。だから、大林は榊原にそれを手渡すだけである。
 通例通りに通路側まで購入品を手に持ってお見送りをする。そのまま持ち手を榊原が持ちやすい位置に向けて手渡すと、男らしく太い血管の浮いた手が、その持ち手を握りしめた。
 
「ありがとうございました。」
 
 ペコリとお辞儀をして、お見送りをする。大林の背後からは他のスタッフの挨拶も聞こえてきた。
 榊原が、軽く手を上げて去っていく。その均整の取れたスーツの似合う背中を見送ると、大林はじんわりと耳を染めた。
 大林を揶揄うように言葉を重ねるあの男は、今日は。とわざわざ区切って伝えてきたのだ。だから大林も、またのご来店お待ちしていますとは言わなかったのだ。
 こんな接客はダメだろうなとも頭ではわかっているが、榊原だから許される。
 お客様と販売員の関係が崩れたのは大林の不注意が原因だ。だけど、あの優しげな瞳の奥に、少しだけ意地の悪い色が見えてしまう大林には、今のこの状況や関係も含めて、榊原の策略なのではと思ってしまうのであった。




「うわ。」

 明くる日の休日。大林は、ポコンという音とともに受信した、榊原からのメッセージに辟易とした声を上げた。
 内容は至ってシンプルで、今夜飲みに行かないか。という内容のお誘いであった。職業柄、休日休みの榊原とはなかなか休みが被らない。だからこそ変な安心感があったのだが、まさか翌日の榊原自身の仕事のことなども考えずに誘ってくるとは思いもしなかった。
 大林は構わない。何せ溜まった残業の相殺で連休をもぎ取ったのだ。故に明日も仕事が休みである。でも、もし自分が榊原の立場なら、自分が翌日には仕事に行かねばならないとわかっていたとしたら、絶対に飲み会には誘わない。だって疲れるし、それに早起きをしなくちゃいけない。セーブして飲む酒ほどつまらないものは無い。というのが正直なところではあるが。
 そこまで考えて、やっぱり自分の予定は榊原にばれているのだろうかと思い至って、少しだけ嫌そうに顔を歪めた。

「もしかして、マジに行動パターンバレてたりして。」

 だとしたら怖い。大林は寝起きで儘ならぬ思考のままたっぷりと三十分ほど熟考した。やがて、あくびを一つ漏らすと、夜の八時なら構わないと、あえて榊原の定時退社から二時間後の指定をした。これで断ってくれればいいなと思ったのだ。それに、もし自分なら断る。だって、仕事終わり、二時間もあれば余裕で帰ることができる。
 柴崎の就業時刻を知った上での待ち合わせ時間の指定ではあったが、大林の予想とは裏腹に、榊原の返事は了承の内容であった。

「まじか…暇なの、もう…」

 スマートフォン片手に、もふんと枕に顔を埋める。しばらくこうしてウダウダしていたが、むくりと起き上がった。完全に今までのやり取りで目が覚めてしまった。二度寝する気分でもない。
 大林はサイドテーブルに置いていたもう一台のスマートフォンを手に取ると、たぷたぷと操作する。カバーも何もつけていないそれは、大林のオトモダチ専用のスマートフォンであった。
 今日は昼と夜で相手を変えて楽しもうと思っていたのだが、それもできなくなった。榊原には先客の予定が入っていると伝えれば良かったのだが、むしろああいう相手は断る方が長引くだろう。あくまでもこれは大林の偏見も含まってはいるが。
 ポコンと音がなり、画面を覗き込む。榊原から送られてきたウサギのスタンプに、ムニリと口をつぐんだ。もしかして、了解の返信の後の間は、スタンプを選んでいたのだろうか。そうだとしたら存外可愛いところもあるじゃないかと思い直したのだが、大林は慌ててその思考を振り払った。

「絆されたら思うツボな気がする。」

 ぽそりとつぶやいた。適当なスタンプで返せば長引きそうだたので、そのまま既読無視をする。ひとしきりスマートフォンをいじった大林はというと、まずは準備のためにシャワーを浴びるべく、ベットから起き上がったのであった。


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