[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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 あの後、柴崎が望むような甘い雰囲気に持ち込み、二回戦目のお手合わせを願うことは敵わなかった。
 理由は簡単で、柴崎の社用携帯が間抜けな音を鳴らしたからである。
 
「信じられねえ。俺たちの甘い朝は!?」
「あ、俺今日休み。」
「今度はお前が連休かよ。」
 
 やはり事後の甘やかなピロートーク、ないし気だるげな朝だなんてドラマだけである。二人して社会人だし、接客業だからカレンダー通りの休みなんてない。
 旭はそんなことを思いながら、柴崎が渋々支度する様子を、ベットの上から見やる。
 前とは逆で、今度は旭が見送る番である。とは言っても、自分も柴崎と一緒に家を出ることになりそうだが。

「んだよ、つまんねーの。」
 
 ちぇー、と呟く柴崎を見て、少なくとも寂しく思ってくれているのだろうかと、都合のいいように解釈することにした。
 思いを確かめてから、二回目のセックスをした。旭はただ昨夜のことを振り返るだけでもじんわりと耳を赤らめてしまうのに、柴崎はというと、至って普通な表情をしていた。…とは言っても、それは旭が気がついていないだけで、実際のところは柴崎も柴崎で旭と心持はあまり変わらないのである。
 要するに、柴崎は柴崎で気恥ずかしさも相待って、ただ不器用に格好をつけているだけだというのが本当なのだが、呑気な旭は気づかない。
 
 そう、柴崎誠也は照れていた。
 
  子供染みた揶揄いをしたかと思えば、大人の余裕をかましたりと、振り幅広く、そして掴みどころのない柴崎誠也が、明確に照れていたのだ。
 
 はるか昔の記憶すぎて、勝手がわからない。想いが通じる前の方が、もっと上手くできていたと思ってしまうくらい、好きなやつとの両思いとはこんな感じなのだと、改めて噛み締めてしまったからである。甘酸っぱいと、感情を最初に味で表現した人物は、多分だがシェフだ。そんな気がする。知らんけど。
 
 とかく、一事が万事こんな具合に柴崎の内側がお祭り騒ぎであるからして、己の旭に対する愛情というか、まあそういうものは旭本人が思っている以上に柴崎は抱いているのだ。
 いい年をした大人が浮かれているなど、旭にバレたら羞恥心で死ぬ。いつまでも憧れてもらえるような、そんな柴崎に戻りたい。だとしたらバレる前にしっかりとシャワーを浴びて、旭のかっこいい柴崎さんを演出しなければ。
そんな時、旭が柴崎を見て、ポツリとつぶやたのだ。
 
「俺も一緒に出ようかな。」
「え、いれば良いのに。」
「え、いいの?」
「お、」
 
 おう、と言いかけて、ゆっくり口を閉じた。柴崎は、旭がそんなことを言ってくるとは思わなかったのだ。ただ、一体どこからくる自信だったのだろう。さも当たり前かのように、むしろ何の疑いもなく旭が夜までいると思っていたのだ。
 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。旭の目の前で、じんわりと耳から顔を赤くしていく柴崎の様子を、呆気に取られたようにして旭が眺める。
 柴崎の反応を見ていた旭が、今度は口を閉じる番だった。きゅむりと唇を吸い込んだかと思うと、旭もじんわりと頬を染める。お互いが、今、言ってはいけないことを口にしかけてやめたのだ。互いが互いに期待した言葉、仕事が同じで、休みも重なりづらい職業だ。
 柴崎は、ぎこちなく己の家の鍵を手に取ると、それを旭に投げて渡した。
 
「わ、」
「悪いけど、俺先出るから戸締まりよろしく。後、」
 
 兎のキーホルダーが旭を見つめている。よく見ると少しだけ汚れている気がしないでもない。
 旭が柴崎に、言葉の続きを促すよにして見つめ返した。一緒に出たかった、というのは少しだけある。
 
「合鍵、作っといて。お前の分。」
「へ、」
「んで、ついでに飯も作って待ってて。じゃ。」
 
 そう言って、柴崎がむんずと脱ぎ散らかした服を片手に浴室へと消えていく。待って、脱いだ服をもう一回着るつもりなのか。
 そんなことを思ったが、柴崎が気恥ずかしそうにしていた後ろ姿を見る限り、どうやら照れているだけに違いない。
 旭は渡された鍵をゆるゆると握りしめると、じんわりと頬を染めた。
 
「おかえりって、言えってことなんかな。」
 
 なんとなく、口にはされていないがそんな気がした。
 なんだか、恋愛って情緒が忙しい。あの人はどれだけ俺を不整脈にさせるのだろう。
 指輪をもらって喜ぶカップルもいるけど、俺はこっちの方が嬉しい。
 
 きゅっと握りしめた鍵に、じんわりと旭の体温が移る。信頼の証、旭は柴崎から渡された鍵を両手で包み込むと、そのままもふりと枕に顔を埋めた。
 どうかこの幸せが、夢ではありませんように。そんなことを、手の内側の熱源にお祈りをした。
 
 

 



 旭は、昨日と今日で、宝物が二つも増えてしまったのだ。それはとてもささやかなものではあったが、それでも、旭にとっては何にも変えられないものであるのは確かだ。
 たった九八〇円出作られた柴崎の家の合鍵。浮かれて揃いのキーケースまで購入して、己の家の鍵と共にその二本を仕舞い込んだ。

 紙袋にそれを入れてもらい、気恥ずかしいからギフト包装はなしでとお願いをした。自分の分は、もうカバンの中にしまったので、旭が大事そうに抱えている紙袋の中には柴崎の分しか入っていない。

 上等な鞣し皮の黒と紺のキーケースを買ったのだ。旭が紺で、柴崎が黒。浮かれているのがバレてしまいいそうで、少しだけ渡すのを躊躇している。もしかしたら、あの草臥れたウサギのキーホルダーをめちゃくちゃ気に入っていたらどうしようとも考えた。
それでも、お願いしたら持ってくれるのではないか、と思い、またそんな想像をして一人で悶える。

「帰ってくる前に、何作ろうかな…。」

 久しぶりに、人に手料理を食べてもらうのだ。旭は少しだけいい材料でも買うことにしようと心に決める。それで作れば失敗はしないだろう。
 再び戻るのは柴崎の家だ。今日渡すかどうかもまだ決めていないのに、柴崎好みの味にできるだろうかということも考えてしまった。まだ手料理の内容も決めていないのに頭の中が忙しい。だけど、それが少しだけ嬉しくもあるのだ。

 旭は立ち止まって、しばらく黙りこくる。そして心拍数を落ち着かせるように胸を撫でると、再び歩き出した。
 だって、気づいてしまったのだ。これってつまり、好きな人のことで頭がいっぱいになるというやつだろう。
紙袋を握る手がちょっとだけ熱くて、誤魔化すように服の裾で熱を散らした。




 
 
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