[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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 なんとも面倒臭いことになったな。柴崎はそんなことを思った。
 
 職場でもある百貨店の側のカフェ。フラペチーノが有名なその店の中で、柴崎は先ほどから己の横を陣取られ、右腕の主導権をあかりによって握られているこの状況に辟易としていた。
 
「約束、覚えてないの?」
 
 同じ職場の同僚でもあるあかりは、ここ最近は旭にご執心らしい。柴崎の後輩であるとわかってからは、頻繁に話を強請られたり、間を取りもて、きっかけを作れとせっつかれ、とかくまあうるさいのなんの。こうしてことあるごとにくっついてきては、ミャアミャアと喧しい。まるで発情期の猫のようだった。
 
「高身長イケメンはどうした。」
「だって望み薄いじゃん。柴崎は私がアピールしても振り向いてくれなさそうだし。」
「待て。俺は今お前から告白と同時に他の男を紹介しろって言われてんのか。」
「告白じゃないよ。私切り替え早い方なの。」
「そりゃあよかった、だけで話は終わらなそうなのがまた面倒臭え…」
 
 だって柴崎は誰にだって優しいじゃん。とまで続けられた。存外よくみている。あかりは長い睫毛を瞬かせながら、キョロリと柴崎を上目で見つめた。茶色のカラーコンタクトに縁取られた瞳。人工物の色は違和感しかなくて、柴崎はふい、と目を逸らした。
 
「ほら。可愛いって思ってくれなさそうだし。」
「胸押し付けんなって。」
「ねえー、旭君に話してよ。お願い、柴崎に私の恋愛邪魔する権利ないでしょ?」
「………。」
 
 ないから困っているんだろう。整った眉がグッと寄せられる。柔らかな二の腕に腕を絡められ、谷間に埋められる己の腕。職場の男性社員からは羨ましがられているのは知っている。柴崎にとっては、力強く振り払うことのできない厄介な相手だ。
 
「ね、いつになったら答えてくれるの?」
「だから、その気はねえっての。」
 
 細い肩を、やんわりと押して己の腕の救出を図るが、それは締め付けを強めるだけであった。腕に押し付けられる胸が、旭の胸ならいいのに。そんなことを考えて、あいつは絶壁だしヒョロイからこうはいかねえなあと思い至る。
 たったそれだけの妄想だけで、少しだけ胸が軽くなる。まあ、また明かりによって上書きされてしまうのは癪だが。
 
「覚えてるけど、色々あんだよ。」
 
 まさかお前だって俺と旭を取り合ってるとか思ってねえだろ。そう言ってやれたらどれだけいいか。ただ、言った瞬間好奇の目に晒されるのは旭だ。柴崎は構わないが、もしそんな目に旭が会えば、この気持ちの行き場は消えてしまう。ただでさえタイミングが悪くて、己の恋路の方向は最悪な進み方になっているというのに。
 そして何よりも、この恋愛において、やはり女の方が有利なのだということを、柴崎はよくわかっていた。
 
 女の柔らかい体は最大の武器だ。甘い匂いも、庇護欲をそそる見た目も。柴崎はそこに並べない。言えるのは、お前よりも俺の方が、という口にできない気持ちだけ。
 
「色々って何。」
「私じゃ不満ってこと?」
「お前、もう黙れよ。」
 
 可愛い系は好きだけど、童顔だからちょっとな。
 以前あかりが言った言葉。旭はてっきり当てはまらないと余裕をかましていたのが仇となった。どのタイミングで目をつけたのかはわからない。だけど、旭くんって優しいよね。などと薄っぺらい賛辞を夢見がちな顔で宣ってからは、流れが変わった。
 
 周りから見たら、今のこの状況はただの痴話喧嘩に違いない。再び腕を抜こうとするも、もたれかかり擦り寄られる。こんな尻軽に、なんで俺が負けなきゃいけねえの。そんな邪な感情を全面に出して、力一杯振り払えたらいいのに、性別の壁がそれを許さない。
 距離感が近い女だとは常に思っていた。旭を気にし出してからあかりに優しくしたのは、矛先を己で止まらせる為だったのに、何をまかり間違ったのか、ただのフェミニストになってしまった。
 反吐が出る。己の愚かさに。
 チープな香水の甘ったるい香りにも、吐き気がしそうだった。
 
「旭くんのこと好きなの。」
 
 一瞬、己に問いかけられているのかと思った。拳を握る。小さく息を吐いた。あかりの声が耳障りだ。お前がそうやって衒いもなく言葉を伝えられることを、俺がどれだけ羨んでいると思っている。
 お前はあいつの肌を知らないくせに。そんな、仄暗い感情がじんわりと顔を出す。脳みそから、妙な分泌物が出ている気がした。きっとこれが、嫉妬なのだろう。
 
「前みたいなクソビッチには関わらせねえよ。」
「え、旭くんって童貞なの?」
「目を輝かせるな。」
 
 あかりがぐい、と詰め寄る。側から見れば可愛いと言われる部類ではあるが、男遍歴に関して説明をするなら一晩じゃ足りないのだ。そして、何よりも旭を下の名前だと勘違いをしているあかりに、柴崎は先を越されたくはなかった。

 己の余計な一言で、高揚しだしたあかりにため息しか出ない。柴崎が三度目の己の腕の救出を図ろうとしたとき、ピリリ、とスマートフォンが着信を知らせた。
 旭の代わりとして紹介、もとい生贄に捧げようとしていた後輩が、ようやく駅に着いたようだった。この話はあかりには言っていない。ただ飯でも食いに行くかと誘った本当の理由を知らぬまま、ホイホイと着いてきたのだ。
 サプライズとかそういうのが好きだというのは事前情報で聞いていた。出会いの場が突然セッティングされたことで、用意した男に興味を示せば重畳。まさかその後輩が遅刻して、こんなな目に会うとは思っても見なかったが。
 文句の一つでもいう心積りで、スマートフォンを耳に当てる。あかりに財布を預けると、これで適当に頼んで待っててと言って、今度こそ自然に己の腕を救出することができた。
 
 店を出るために振り向く。目端に何か捕らえた気がして、引きずられるように目線がそちらに向いた。
 ざわついて、うるさいくらいだった喧騒が一瞬止まった気がした。柴崎にとっては目立つ、薄い背中が人とぶつかってよろめいた。そのタイミングでかちりとあった視線に、柴崎はポカンとしてしまった。

「あ。」
 
 気がつけば、声がポロリと落ちていた。
 
 旭、お前。いたの。
 
 列が進むのは遅かった。それだけ人が並んでいたからだ。そういえば、ここのカフェの新作は欠かさず飲むって言っていたっけ。ぬかった。お前は、いつからそこにいたんだ。
 
 ブォン、自動扉の開く音が鮮明に聞こえて、止まっていた柴崎の思考が巡り出す。スマートフォンの先で、後輩が何か言っていた気がしたが、そのまま通話を切った。
 
 今、それどころじゃないんだよ。
 
 視線が交わったあの一瞬、旭の表情がこわばった気がしたのだ。もし会話が聞こえていたら、その理由に柴崎は、少しでも期待をしてもいいのだろうか。
 そんな考えが頭をよぎる。自動扉がゆっくりと閉まるその瞬間、柴崎は足早に入り口へと向かっていた。
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