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あれから柴崎が去った後は、洋次から質問攻めにあった。言わずもがな柴崎の元カノの恋愛遍歴である。
そんなことを聞いてどうするのだと思ったのだが、やはり初日に旭と柴崎の気軽なやりとりを見ていたからだろう。だって、柴崎さんのことよく知ってんじゃん。という洋次の一言のせいで、折れてしまったのだ。
でも、旭はというと。その洋次に言葉に促されるように過去を振り返ってみたはいいものの、職場恋愛はしないタイプだと思う。などと的外れも甚だしい珍回答をしてしまった。
「ええ、つまんないっす。」
「いやでも、さっきの反応見る限りはそうなんじゃん?」
「そうかなあ…」
北川と洋次のやりとりを聞きながら、今更ながらに解答を間違えたなどと気がついても遅いだろう。
でも、他に比べようもないのだ。だってどこで出会ったんですかと首を傾げたくなるような元カノばかりである。お金持ちの年上の女性、芸能活動をしている年下の可愛い子、そして極め付けはスポーツカーに乗って迎えにきた外国人の豊満ボディのお姉様だ。世の中の男子が一度は夢見る上等な異性との浮名は数知れず、しかも彼女たちは柴崎にゾッコンで、そして誰もが長続きはしなかった。
そこまで思い出すと、なかなかになかなかである。やはりまともに答えたとしても俄には信じがたいで話は終わってしまうだろう。
「は、はは…」
それにしても、職場恋愛なんてしないなどと、自分に言い聞かせるような回答が咄嗟に出てしまったというのは、地味なダメージである。
笑うしかない、己はやはり馬鹿かも知れないと落ち込んだ。だって、これはまさしく旭の願望の話だ。そうでなければいけないと、自分で勝手に線引きをしたのだ。だって、過去の恋愛遍歴に旭のような男は一切当てはまらない。比べた挙句自分で己の首を絞めたおかげで、一夜の過ち説は濃厚なものになったのだから。
やはり自分は愚か者だ、本日の旭の個人売りはよろしくなかったのも、多分こういったくだらないことを考えたからに違いない。
終業後。なんというか、やっぱり自分は間の悪い男なんだなあと、改めてそんなことを思ってしまった。
仕事終わりの帰り道。いつもご褒美感覚で立ち寄っているカフェで、新作のフラペチーノが発売されていたのだ。
今日は早番で、この後はただ帰るだけだ。その為いつもよりも旭の足取りも軽く、取り過ぎるのをやめて回れ右をして店内に入ったのだ。
「あ。」
しかし、入店早々に、旭は後悔をしてしまった。なんで今日は我慢ができなかったのだろうと。
ぼんやりとスモークが施された自動扉が開く。オレンジライトで照らされたレトロな店内はそこそこに賑わっており、店内に滞在するのは難しそうである。ざわざわと店内の雰囲気に似つかわしくない若者たちの賑わいの中、喧騒に混じるように耳にしたのは、不穏な声のやりとりであった。普通は気にもしない。だけど、聞こえてきた声に思わず旭の顔はこわばった。
「いつになったら答えてくれるの。」
「だから、その気はねえっての。」
なんだか聞き覚えのある声だなとは思ったのだ。それに、よくよく考えてみれば、ここは勤めている百貨店の真向かいのカフェだ。見知った職員がいてもおかしくはない。
旭は、誰がいてもおかしくはないとわかっていたのに、頭の中では、まさかそんな、といった自分に否定的な感情が顔を出す。
嫌だなと思ったなら、見なきゃいいのに。自分の心の声とは裏腹に、目線だけはゆっくりと上がっていく。旭の並ぶ列、二つ前に柴崎はいた。
なんでわかったのか、それは、後ろ姿の男性の尻ポケットに揺れていた、見慣れたウサギのキーホルダー。旭が柴崎の家で見た、あのノベルティだと言っていた、それ。
まだ、旭には気づいていない。背を向けたまま気だるげに言葉を交わしている。どうやらしどけなくもたれかかる女性に辟易しているようだった。見覚えのある女性は、忘年会の時に柴崎の腕を引っ張っていった、あかりであった。
「ねえ、なんでダメなの。」
強請るような声が聞こえた。猫のようにあざとく、計算された可愛らしい声だった。
女を見せつけられたような気になって、旭の指先が震えた。別に何もあかりはは悪いことなんかしていない。だって側から見れば普通のやりとりだ。柴崎のプライベート場面に出くわして、勝手にショックを受けているのは自分なのだから、攻めることもできない。
旭の手が、何かに縋るかのようにゆっくりと握りしめられた。自分の立っているこの空間が、途端に狭くなってしまったかのように。居づらく感じたのだ。
もし自分が女性なら、その人に触らないでということができたのだろうか。嫌だ、ずるい。俺だって、そこに行きたいのに。バクンと心臓が鳴って、醜い感情が顔を出す。ああ、これは、嫉妬だ。
けど、それを柴崎に押し付けて何になる。だって、今目の前の光景は何も変ではないし、旭はそれを咎められる位置にいない。何も、そんな権利などないのだから。
「あ、っ」
小さく声が漏れた。どこからともなく鳴り始めたシンプルな着信音に顔を上げる。思考の海から引き上げられたかのように、途端に肺が酸素で満たされる。酷く咽せこんでしまうような気配がして、慌てて口元を押さえて列から出た。足早に、入ってきた入り口に向かって突き進む。旭の視界の中にいた二人を、これ以上見てい流ことは出来なかった。
でも、旭はやはり間が悪かった。着信音の出どころは柴崎だったらしい、スマートフォンを耳に当てた柴崎が振り返るのと、旭が人にぶつかって振り向いた瞬きの間が重なって、かちりと視線が交わってしまったのだ。
「え、」
一体、どちらが声を漏らしたのだろう。たった一瞬だけのその時間で、旭の血の気は一気に引いて、気がつけば店を出て走り出していた。
感じ悪いと思われるだろうか。言葉を交わす機会があの夜からめっきり減っていたので、きっとなかったことになったのだろうと思っていたのに、旭の方はぜんぜん割り切れてなんかなかった。
背後で、柴崎が何かを言った気がした。それなのに、怖くて足を止められなかった。だって、唐突に湧き上がってきたざらつく感覚が身の内を侵食してきたのだ。嫉妬だ、嫌だ、怖い、汚い。そんな具合に、旭はとにかく醜い感情に支配された己の姿を見られたくなくて、脇目も振らずに柴崎の前から逃げたのだ。
そんなことを聞いてどうするのだと思ったのだが、やはり初日に旭と柴崎の気軽なやりとりを見ていたからだろう。だって、柴崎さんのことよく知ってんじゃん。という洋次の一言のせいで、折れてしまったのだ。
でも、旭はというと。その洋次に言葉に促されるように過去を振り返ってみたはいいものの、職場恋愛はしないタイプだと思う。などと的外れも甚だしい珍回答をしてしまった。
「ええ、つまんないっす。」
「いやでも、さっきの反応見る限りはそうなんじゃん?」
「そうかなあ…」
北川と洋次のやりとりを聞きながら、今更ながらに解答を間違えたなどと気がついても遅いだろう。
でも、他に比べようもないのだ。だってどこで出会ったんですかと首を傾げたくなるような元カノばかりである。お金持ちの年上の女性、芸能活動をしている年下の可愛い子、そして極め付けはスポーツカーに乗って迎えにきた外国人の豊満ボディのお姉様だ。世の中の男子が一度は夢見る上等な異性との浮名は数知れず、しかも彼女たちは柴崎にゾッコンで、そして誰もが長続きはしなかった。
そこまで思い出すと、なかなかになかなかである。やはりまともに答えたとしても俄には信じがたいで話は終わってしまうだろう。
「は、はは…」
それにしても、職場恋愛なんてしないなどと、自分に言い聞かせるような回答が咄嗟に出てしまったというのは、地味なダメージである。
笑うしかない、己はやはり馬鹿かも知れないと落ち込んだ。だって、これはまさしく旭の願望の話だ。そうでなければいけないと、自分で勝手に線引きをしたのだ。だって、過去の恋愛遍歴に旭のような男は一切当てはまらない。比べた挙句自分で己の首を絞めたおかげで、一夜の過ち説は濃厚なものになったのだから。
やはり自分は愚か者だ、本日の旭の個人売りはよろしくなかったのも、多分こういったくだらないことを考えたからに違いない。
終業後。なんというか、やっぱり自分は間の悪い男なんだなあと、改めてそんなことを思ってしまった。
仕事終わりの帰り道。いつもご褒美感覚で立ち寄っているカフェで、新作のフラペチーノが発売されていたのだ。
今日は早番で、この後はただ帰るだけだ。その為いつもよりも旭の足取りも軽く、取り過ぎるのをやめて回れ右をして店内に入ったのだ。
「あ。」
しかし、入店早々に、旭は後悔をしてしまった。なんで今日は我慢ができなかったのだろうと。
ぼんやりとスモークが施された自動扉が開く。オレンジライトで照らされたレトロな店内はそこそこに賑わっており、店内に滞在するのは難しそうである。ざわざわと店内の雰囲気に似つかわしくない若者たちの賑わいの中、喧騒に混じるように耳にしたのは、不穏な声のやりとりであった。普通は気にもしない。だけど、聞こえてきた声に思わず旭の顔はこわばった。
「いつになったら答えてくれるの。」
「だから、その気はねえっての。」
なんだか聞き覚えのある声だなとは思ったのだ。それに、よくよく考えてみれば、ここは勤めている百貨店の真向かいのカフェだ。見知った職員がいてもおかしくはない。
旭は、誰がいてもおかしくはないとわかっていたのに、頭の中では、まさかそんな、といった自分に否定的な感情が顔を出す。
嫌だなと思ったなら、見なきゃいいのに。自分の心の声とは裏腹に、目線だけはゆっくりと上がっていく。旭の並ぶ列、二つ前に柴崎はいた。
なんでわかったのか、それは、後ろ姿の男性の尻ポケットに揺れていた、見慣れたウサギのキーホルダー。旭が柴崎の家で見た、あのノベルティだと言っていた、それ。
まだ、旭には気づいていない。背を向けたまま気だるげに言葉を交わしている。どうやらしどけなくもたれかかる女性に辟易しているようだった。見覚えのある女性は、忘年会の時に柴崎の腕を引っ張っていった、あかりであった。
「ねえ、なんでダメなの。」
強請るような声が聞こえた。猫のようにあざとく、計算された可愛らしい声だった。
女を見せつけられたような気になって、旭の指先が震えた。別に何もあかりはは悪いことなんかしていない。だって側から見れば普通のやりとりだ。柴崎のプライベート場面に出くわして、勝手にショックを受けているのは自分なのだから、攻めることもできない。
旭の手が、何かに縋るかのようにゆっくりと握りしめられた。自分の立っているこの空間が、途端に狭くなってしまったかのように。居づらく感じたのだ。
もし自分が女性なら、その人に触らないでということができたのだろうか。嫌だ、ずるい。俺だって、そこに行きたいのに。バクンと心臓が鳴って、醜い感情が顔を出す。ああ、これは、嫉妬だ。
けど、それを柴崎に押し付けて何になる。だって、今目の前の光景は何も変ではないし、旭はそれを咎められる位置にいない。何も、そんな権利などないのだから。
「あ、っ」
小さく声が漏れた。どこからともなく鳴り始めたシンプルな着信音に顔を上げる。思考の海から引き上げられたかのように、途端に肺が酸素で満たされる。酷く咽せこんでしまうような気配がして、慌てて口元を押さえて列から出た。足早に、入ってきた入り口に向かって突き進む。旭の視界の中にいた二人を、これ以上見てい流ことは出来なかった。
でも、旭はやはり間が悪かった。着信音の出どころは柴崎だったらしい、スマートフォンを耳に当てた柴崎が振り返るのと、旭が人にぶつかって振り向いた瞬きの間が重なって、かちりと視線が交わってしまったのだ。
「え、」
一体、どちらが声を漏らしたのだろう。たった一瞬だけのその時間で、旭の血の気は一気に引いて、気がつけば店を出て走り出していた。
感じ悪いと思われるだろうか。言葉を交わす機会があの夜からめっきり減っていたので、きっとなかったことになったのだろうと思っていたのに、旭の方はぜんぜん割り切れてなんかなかった。
背後で、柴崎が何かを言った気がした。それなのに、怖くて足を止められなかった。だって、唐突に湧き上がってきたざらつく感覚が身の内を侵食してきたのだ。嫉妬だ、嫌だ、怖い、汚い。そんな具合に、旭はとにかく醜い感情に支配された己の姿を見られたくなくて、脇目も振らずに柴崎の前から逃げたのだ。
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