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「売上は出し忘れたので、後でマネージャールームに貼っておきます。」
やせぎすの、少しだけ頼りなさそうに見える。男性マネージャーが言った。
男は木内というらしい。最近就任したばかりで、都内店からきたという彼は、以前は紳士服売り場を担当していたらしい。
「次に、交換台を通してのお客様へのご連絡についてですが、」
朝礼と同じ内容を昼礼で繰り返す。稀に追加の連絡事項などもあるが、基本は遅番出勤者に向けての連絡事項であった。
「…、」
朝からいる旭にとっては、同じことの繰り返しで少しだけ眠たくなってしまう。毎度、朝昼共に旭が参加しているので、百貨店の社員もそういうものだと思っている。なんで二回も出ているかというと、旭以外が手を離せない状況になっているからだ。それが何回か続き、いつからか旭が二回出るのが当たり前になってしまった。別に、メモを取るのは嫌いではない。だから旭としては、頼られているならそれでいいや。というのが本音であった。
しかし、木内マネージャーは違ったらしい。
「これで昼礼を終わります。あ、旭くんは残るように。」
「え。」
流れに沿って帰ろうとすれば、抑揚のない声で呼び止められる。あくびを噛み殺していたのがバレたのかとも思ったが、どうやら違うらしい。他のスタッフが帰る中、去り際の好奇な視線ほど居た堪れないものはない。旭は無言で木内に近づくと、居住まいを正した。
「君は朝もいたけど、なんかあったの。」
「いや、他のスタッフ接客してたんで。」
「毎回?」
「手が離せないことが多いんで。」
他に聞くことがあるだろう。そんなことを思いながら、端的に返す。木内は淡々とした口調ではあったが、神経質そうな瞳が旭を捉えたまま、どこか追求するような口調であった。
「すみません、」
「怒ってるつもりはないんだよ。ただ、毎回見るから気になってさ。」
「はい。でも、ほんとタイミング的な問題なんで。」
「僕の気にしすぎならいいんだ。」
話は終わりだろうと勝手に見切りをつけて、ありがとうございますと一礼をして逃げた。木内は何か言いかけていたが、昼礼から戻るのが遅いと藤崎に小言を言われるのだ。それに、変に心配されるというのも苦手だ。旭にとって、他人の心配など、弱虫と言われていることと同義である。そう言った優しさの受け取り方が、旭はどうにも下手くそであった。
「戻りました、」
「おかえり、お前一人だけ居残りとかヤンキーかよ。」
「またいるじゃん。的なこと言われました。」
「へえ、話したかっただけじゃねえの?」
藤崎の適当な返しに、とりあえず笑っておいた。しかし、内心はそんなわけあるか。と、旭は心の中で言い返す。働き始めて、もうひと月。いい加減打ち解けてもいいはずなのに、旭はまだ、ぎこちないままであった。
平日の静かな時間帯。とは言っても、まあほとんどなのだが、昼も半ばを過ぎると、とりあえず入ってみましたというお客様が増えてくる。
流し見のお客様にも一度くらいは声をかけるようにはしているが、なかなか購買へと繋がるケースは少なく、そういった、いわゆる見なし接客が続くと、若手で経験の少ない販売員は、己の接客が悪いのではないのか。などと落ち込むことが多くなる。
今日は旭と藤崎の二人体制の日であった。
そして、中弛みの時間帯で集客も少なく、旭自身が若手特有の自己嫌悪に苛まれているタイミング。
そんなよくない状況で、暇を持て余した藤崎の、販売員とはなんたるか。という講義が始まってしまった。
「お前の接客は自己満だ。」
威圧感のある喋り方は、北川のいうヤンキー上がりという情報の裏付けをとるかのようであった。
「おい、聞いてんのかよ。」
「はい、」
藤崎は、元々名の知れたハイブランドで長く働いていた経験があるからか、プライドが高く、言葉に棘がある。
その内容が旭にとって実のりあるものならいいのだが、藤崎の威圧感を好きに慣れない旭にとって、地獄でしかないのだ。自分が思っても見ないことを引き合いに出されて、延々と文句を言われる。今回もそれは変わらず、旭はじんわりとかいた掌の汗を誤魔化すようにして握り込んだ。
「入店客全員に声をかけるのは大切だが、明らかに買わないってわかっているお客を延々と接客するのは時間の無駄だろうが。」
「今日は購買に至らなくても、お客さまに楽しんで貰えたなら、次来た時に買ってくれるかも知れないじゃないですか。」
「次っていつ。約束でもしたのか。」
「それは、してないですけど。」
旭は、藤崎の考え方が合わなかった。己が甘いことを言っているつもりはない。販売員だ。接客業でお給料をいただいている以上、その日の購買に至らなくても、まずはスタッフの人柄を知ってもらうことが大切だと思ったのだ。
藤崎の言葉に納得をしていない。というのが態度に出てしまったらしい。藤崎は、あきれたかのように重々しいため息を漏らすと、だからお前はダメなんだ。と吐き捨てた。
「お前が楽しんでもらおうってのは勝手だが、会話が長いんだよ。お客が、じゃなくて、お前が楽しんじまってんだよ。要するに、お前の自己満をお客に押し付けてんわけ。わかる?」
「そんなつもりはないです、だって、」
だって、お客さまも話題を振ってくれて、それで、盛り上がったのだ。最後は、またくるね、楽しかった。とまで言ってくれたのに。
何もわかっていない。そう言わんばかりにため息を吐かれる。その吐息一つで、旭の内側に隠している自信のなさが露呈してしまうのではないかと怖くなった。だって、の続き。自分がなんて言葉を続けようとしたのかが、途端にわからなくなってしまった。
やせぎすの、少しだけ頼りなさそうに見える。男性マネージャーが言った。
男は木内というらしい。最近就任したばかりで、都内店からきたという彼は、以前は紳士服売り場を担当していたらしい。
「次に、交換台を通してのお客様へのご連絡についてですが、」
朝礼と同じ内容を昼礼で繰り返す。稀に追加の連絡事項などもあるが、基本は遅番出勤者に向けての連絡事項であった。
「…、」
朝からいる旭にとっては、同じことの繰り返しで少しだけ眠たくなってしまう。毎度、朝昼共に旭が参加しているので、百貨店の社員もそういうものだと思っている。なんで二回も出ているかというと、旭以外が手を離せない状況になっているからだ。それが何回か続き、いつからか旭が二回出るのが当たり前になってしまった。別に、メモを取るのは嫌いではない。だから旭としては、頼られているならそれでいいや。というのが本音であった。
しかし、木内マネージャーは違ったらしい。
「これで昼礼を終わります。あ、旭くんは残るように。」
「え。」
流れに沿って帰ろうとすれば、抑揚のない声で呼び止められる。あくびを噛み殺していたのがバレたのかとも思ったが、どうやら違うらしい。他のスタッフが帰る中、去り際の好奇な視線ほど居た堪れないものはない。旭は無言で木内に近づくと、居住まいを正した。
「君は朝もいたけど、なんかあったの。」
「いや、他のスタッフ接客してたんで。」
「毎回?」
「手が離せないことが多いんで。」
他に聞くことがあるだろう。そんなことを思いながら、端的に返す。木内は淡々とした口調ではあったが、神経質そうな瞳が旭を捉えたまま、どこか追求するような口調であった。
「すみません、」
「怒ってるつもりはないんだよ。ただ、毎回見るから気になってさ。」
「はい。でも、ほんとタイミング的な問題なんで。」
「僕の気にしすぎならいいんだ。」
話は終わりだろうと勝手に見切りをつけて、ありがとうございますと一礼をして逃げた。木内は何か言いかけていたが、昼礼から戻るのが遅いと藤崎に小言を言われるのだ。それに、変に心配されるというのも苦手だ。旭にとって、他人の心配など、弱虫と言われていることと同義である。そう言った優しさの受け取り方が、旭はどうにも下手くそであった。
「戻りました、」
「おかえり、お前一人だけ居残りとかヤンキーかよ。」
「またいるじゃん。的なこと言われました。」
「へえ、話したかっただけじゃねえの?」
藤崎の適当な返しに、とりあえず笑っておいた。しかし、内心はそんなわけあるか。と、旭は心の中で言い返す。働き始めて、もうひと月。いい加減打ち解けてもいいはずなのに、旭はまだ、ぎこちないままであった。
平日の静かな時間帯。とは言っても、まあほとんどなのだが、昼も半ばを過ぎると、とりあえず入ってみましたというお客様が増えてくる。
流し見のお客様にも一度くらいは声をかけるようにはしているが、なかなか購買へと繋がるケースは少なく、そういった、いわゆる見なし接客が続くと、若手で経験の少ない販売員は、己の接客が悪いのではないのか。などと落ち込むことが多くなる。
今日は旭と藤崎の二人体制の日であった。
そして、中弛みの時間帯で集客も少なく、旭自身が若手特有の自己嫌悪に苛まれているタイミング。
そんなよくない状況で、暇を持て余した藤崎の、販売員とはなんたるか。という講義が始まってしまった。
「お前の接客は自己満だ。」
威圧感のある喋り方は、北川のいうヤンキー上がりという情報の裏付けをとるかのようであった。
「おい、聞いてんのかよ。」
「はい、」
藤崎は、元々名の知れたハイブランドで長く働いていた経験があるからか、プライドが高く、言葉に棘がある。
その内容が旭にとって実のりあるものならいいのだが、藤崎の威圧感を好きに慣れない旭にとって、地獄でしかないのだ。自分が思っても見ないことを引き合いに出されて、延々と文句を言われる。今回もそれは変わらず、旭はじんわりとかいた掌の汗を誤魔化すようにして握り込んだ。
「入店客全員に声をかけるのは大切だが、明らかに買わないってわかっているお客を延々と接客するのは時間の無駄だろうが。」
「今日は購買に至らなくても、お客さまに楽しんで貰えたなら、次来た時に買ってくれるかも知れないじゃないですか。」
「次っていつ。約束でもしたのか。」
「それは、してないですけど。」
旭は、藤崎の考え方が合わなかった。己が甘いことを言っているつもりはない。販売員だ。接客業でお給料をいただいている以上、その日の購買に至らなくても、まずはスタッフの人柄を知ってもらうことが大切だと思ったのだ。
藤崎の言葉に納得をしていない。というのが態度に出てしまったらしい。藤崎は、あきれたかのように重々しいため息を漏らすと、だからお前はダメなんだ。と吐き捨てた。
「お前が楽しんでもらおうってのは勝手だが、会話が長いんだよ。お客が、じゃなくて、お前が楽しんじまってんだよ。要するに、お前の自己満をお客に押し付けてんわけ。わかる?」
「そんなつもりはないです、だって、」
だって、お客さまも話題を振ってくれて、それで、盛り上がったのだ。最後は、またくるね、楽しかった。とまで言ってくれたのに。
何もわかっていない。そう言わんばかりにため息を吐かれる。その吐息一つで、旭の内側に隠している自信のなさが露呈してしまうのではないかと怖くなった。だって、の続き。自分がなんて言葉を続けようとしたのかが、途端にわからなくなってしまった。
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