[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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 唐突に起きた体の違和感は、旭には身に覚えがありすぎる感覚であった。
 ギュルリと喉が鳴り、座っているのに平衡感覚が失われていく。赤と紫色の砂嵐によって徐々に視界が狭まり、チカリと目の前が明滅した。
 自分の体の状況を受け入れがたく、何かのアクティビティかと脳が勘違いしてくんねえかなあ。などと。旭はまるで他人事のように思った。
 違う、思考ができるのなら、まだ大丈夫だ。
 
 滑り込むように、電車がホームに到着する。事務的なアナウンスが流れ、目的地に着いたことを知らせた。ここまで耐えたのだ、人波が去ったら、一呼吸置いて立ちあがろう。右足を踏み出して、踵がついたら左足も踏み出す。
 意識しろ。どうやって歩くんだっけ?大丈夫だ。歩行歴何年だと思っている。今は初心に帰っているだけ、がんばれ、自分の足で立ち上がれ、旭、出来るだろうが。
 
 膝が震える。爺様のように手すりに掴まりながら、ゆっくりと立ち上がった。顔を上げる、自分が今どんな顔をしているかはわからない。ふらつきながら、駅のホームに備え付けられているベンチに向かって、ゆっくりと歩みを進めた。
 
「は、」
 
 言い訳しないと動けないのか?
 
 自分の体の内側から、そんな声が聞こえて息が詰まった。
 
 やめろ、今頑張っているんだから、邪魔をするな。
 呼吸が速くなる。立て、駅員さんに迷惑をかけるな。がんばれ、俺。足に力を入れろ。壁伝いでもいいから、ゆっくり足を動かしてみろ。大人なんだから、やって見せろ。
 
「はは、」
 
 覇気のない、小さな笑いが溢れた。
 電車から降りると少しだけ安堵した。ようやっとベンチに腰掛けると、よろよろと背もたれに身を預ける。
 緩く拳を握り、情けない自分に腹が立って膝を叩いた。力が入らず、口端に唾液が滲む。具合が悪い、酸素が足りていないのか、呼吸が苦しい。泣きそうだ、旭はじんわりと涙を滲ませると、重だるい感覚に抗えずに、俯いた。だから、近づいてくる影に気がつかなかったのだ。
 
「うわ、何。朝っぱらからノリノリか?」
 
 ここ数日で聴き慣れた声が、頭上から降ってきた。ゆっくりと顔を上げると、片手を上げてなんとも呑気に挨拶をする柴崎がそこにいた。
 
「膝叩いて、どうした。」
「柴崎さん、」
 
 昨日ぶりだなあと、気楽に宣うと、旭の顔色の悪さを見て片眉を上げた。具合が悪いから放っておいてほしい。それなのに、柴崎はあろうことかどかりと隣に腰掛けると、嫌味なくらい長い足を組み、隣に腰掛ける旭の体に持たれるかのように体重をかけた。
 
「ちょ、おも」
「可愛い後輩からおはようございますの一つもないなんて寂しくていけないわあ。」
「突然のカマキャラ…?」
 
 あん、とふざけるようにそんなことを言うものだから、顔とのギャップが強すぎて乾いた笑いが漏れる。朝から元気だな、と呆れたようにその体を押し返すと、反発し合うように押し返してくる。なんの意味もないやりとりであった。
 
「ちょ、もうやめ、」
「おはようございます柴崎さん。セイ。」
「は?」
「おはようございます、今日もかっこいいっすね柴崎さん。サンハイ。」
「いやなんか増えてんし、」
 
 どうぞ?と手のひらを裏返して差し出す。リピートしろということらしい。朝から柴崎のペースに巻き込まれているうちに、あんなに顕著だった体の不調は気付かぬうちに消えていた。
 
「朝の挨拶運動ーーーーーー!!!!」
「うるっせ、ちょ、もおおお!!!」
 
 大きく息を吸い込んだ分を吐き出すように、柴崎の大きな声が朝の駅のホームに響く。あまりに突拍子もない暴挙に、一瞬反応が遅れてしまった。旭の体温は急激に上がるほど、とてつもなく恥ずかしい思いをする羽目になったのだ。ふざけるなとも思う。
 慌てて柴崎の口を両手で塞いだが、たたらを踏んで取り縋ってしまう形になった。旭の健闘虚しく、背後ではうら若き女子高生が二人を見てくすくすと笑っている。信じられない。一体なんで朝っぱらからこんな目に遭わなくてはならないのだ。思わず睨みつけると、なんとも底意地の悪い笑みでニンマリと微笑まれた。
 おいやめろ、なんだそのしてやったり的な微笑みは。旭の口元が、脳内の警報に反応してヒクリと引き攣る。
 
「馬鹿ですか!超注目されてる、俺ら女子高生に笑われてる!!!」
「お、学校サボるなよー!行ってらー!」
「やめてまじで!絡まないで頼むから!!」
「あ、振りかえしてくれた。」
「いやお前は振り返すな!!」
 
 まるで不審者だ。旭はゆるゆると手を降っている柴崎の腕を掴んで動きを止めると、ムニリと唇を尖らせ、不服そうに旭を見下ろした。
 
「不審者扱いしやがって。可愛くねえ後輩だなあお前。」
「男に可愛さ求めるのは女だけでいいんですよ!口尖らせても全然可愛くな、」
 
 不自然に口を止める形になってしまった。不意に、現実に引き戻されたのだ。恐る恐る腕時計を見る。旭が思っている以上に時計の針は進んでおり、声のない悲鳴をあげた。
 
「ーーーーーーーー!!!!」
「おお、すげえ顔。」
 
 絶句して、羞恥で上がった体温は一気に下がった。まずい、走らなくては完全に遅刻だ。朝からなんでこんなに柴崎のペースに巻き込まれなくてはいけないのだ。
 
「い、言いたいことは山の如くありますけれど、ひとまず失礼します!!!!!」
「おー、走って転ぶなよおー!」
 
 あんたは急がないのかよ!と思わず口に出そうになったが、ひとまず飲み込んで駆け出した。朝っぱらからやけに疲れた。全く、なんとも出鼻をくじかれる朝のスタートとなったわけである。文句の一つでも言ってやりたいが、それもそれで負けな気がした。
 旭はあんなに体調が悪かったのに、気が紛れていることに気がつくと、悔しそうに口を噤む。今度は、絶対俺が振り回してやる。そんなことを心に決めてみれば、不思議と口元が緩んだのであった。
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