[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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 卒業してから風の噂で聞いたのは、目の前の可愛い後輩が夢を叶えたという話であった。
 狭い業界だ。母校が同じだと、瞬く間にそう言った情報は拡散される。その年の卒業生で、唯一のデザイナー職だったらしい。進路指導の教員は、柴崎が母校に挨拶に行ったときにそんなことを宣っていた。
 
 だからこそ、柴崎は驚いた。己の勤め先である百貨店で、旭が挨拶に来たことに。
 お前、こんなとこで何してんだとも思った。
 卒業して、随分と経つ。旭は学生時代よりも痩せていて、心なしか諦観のようなものを纏っていた。それでも、柴崎に気がついた旭は、形の良いアーモンド型の目をまあるくして、帰ってきた飼い主を出迎える犬のように、嬉しそうに笑って喜んでくれたのだ。
 
 
 
 汗をかいたグラスの中で、カロリと氷が涼しげな音を立てる。酒は飲まないようにしているといったその真実を、深掘りするにはまだ早いだろう。同じ皿のものを突きたかったと言うのも、気味悪がられるだろうか。
 
「柴崎さん、レバニラ好きでしたよね。」
「お前の好きなもん注文しろよ。」
「えー、じゃあ麻婆豆腐。」
 
 メニューの中で、シェアをするものを選ぶあたり、遠慮しがちだ。レバニラなんて、旭が食えないものの一つである。
 頬杖をついて、旭を見つめる。柴崎の視線に気付いたのか、不思議そうな顔をして首を傾げた。
 
 一体、こいつはいつの間に、自分の意思を抑えるようになったのだ。
 こんな時まで気を使う旭が、柴崎にはなんだか癪であった。柴崎は不器用な男で、人を思いやる言葉が足りないと、歴代の彼女からもお墨付きをいただいているくらい、気回しが下手である。だから、何から口にしていいかがわからない。わからないから、むすりとした顔になる。目の前の後輩が頼ってくれなくて、不服です。そんな顔で旭を見詰めていたらしい。困ったような顔をして、ゆっくりと目を逸らされた。
 
「…ドリンク。なんか飲む?」
「あ、俺注文しますよ。」
「いや、お前の分。」
 
 取り繕うかのように、氷が溶けて薄くなったドリンクの交換を進める。半分ほどまでに減ったそれは、わかりやすく水の層が出来上がっていた。
 
「ああ、俺、こう言うのあんま気にならないんで。柴崎さんもう一杯くらい飲むでしょ。」
「何杯でも飲むわ。」
「それは流石に嘘でしょ!!」
 
 あはは、と笑ってタッチパネルを操作する。自分のことは後回しにして、結局旭は柴崎用の酒を注文する。
 
「別に、知ってる仲なんだから気ぃ使わなくていいぜ。」
「その言い方やらしくてやだ。女に言ってくださいよ。」
「意識する方が悪いんですうー。」
「うわ、全然可愛くない。」
 
 から回っているなあとも思う。笑ってくれるくらい気分が上がったなら、まあいいか。と落とし所を見つけたのに、旭は急に黙りこくって、慎重に肺を膨らますかのように細やかなひと呼吸をする。旭が見せた、小さなとっかかりを、柴崎は見逃さなかった。
 
 
「…別にさ。」
「またでた!」
「いいだろ別に。」
 
 別に、が続いたことくらいわかってるよ。と思いながら笑う旭を見る。今、何を言おうとしたのかはわからない。だけど、こう言う時くらい先輩風を吹かせても許されるだろう。柴崎は、そう自分に言い訳をする。だって、旭は柴崎にとってのかわいい後輩なのだから、きっとこれは変ではない。
 
「お前が言いたくなきゃいーけど。」
「え、なんすか。」

 言いたくなきゃ別に。そう言って保険をかけるのは、社会人になってから癖になった。言い淀む自分に、先輩風を吹かせるんじゃなかったのかと思い直す。本当は、大丈夫か。の一言でいい。なのに、素直にその一言が出なかった。

「あ、流石にむりなんですけど!って、やべえなってなったら、また飲みに連れてってやんよ。」
「ええ、奢りで?」

 小さく口をつぐんだ。旭は数度瞬きをして、その目元を柔らかく緩める。そんな柔和な顔で、可愛くないことを言うのだ。

「それは時と場合による。」
「ちょっと、甲斐性!」
「やかましい、バイヤーの薄給舐めんなよ!」
「何それめっちゃ夢がない!」
 
 小気味いいやりとりに、ケラケラと旭が声を出して笑う。あぐりと匙で麻婆豆腐を大口開けてかっ喰らえば、柴崎のそんな様子も面白かったらしい。ひとしきり腹を抱えるようにして笑ったのち、目尻に滲んだ涙を拭いながら、呟いた。
 
「ずるいなあ、もう…」

 どっちがずるいんだよと思った。麻婆豆腐の辛さで誤魔化しているつもりなら、下手くそが過ぎるのだ。泣くのにもこじつけが必要なくらい追い詰められているくせに、こいつも大概不器用な奴だなと思う。だからかもしれない。なんとなく見ていられなくて、気がついたら頭に手を伸ばしていた。
 
「…なんすか。」
「お前髪質硬いのな…。」
「それ、固めてんだけですし。」
 
 ワシワシと犬猫を撫でるように、ではない。恐る恐ると言った具合で触れる柴崎に、旭は無言で頭を差し出す。そんなへっぴり腰で撫でてくるなんて思わなかったのだ。だから、つい擽ったくなったらしい。俯きながら小さく呟く。
 
「…二十五にもなって、頭撫でられるとか変な感じ。」
「可愛げとか出してもいいんですよ。」
「うざっ、」
 
 からかい混じりの柴崎の声が耳に残る。端的にしか返せなかった旭の声色は、僅かに震えていた。ずびりと、控え目に鼻を啜る音がして、柴崎は頭を撫でる力を微かに強めた。
 
「下向いてていいよ。」
「…ちょっとだけ、ムカつく」
 
 ぽしょ、と呟く。悔しそうなくせに、反抗する気も起きなかったらしい。柴崎は、そんな様子の旭をちろりと見ると、小さくため息を漏らした。
 
 完全に、無意識だわボケ。頭に触れてから、後戻りができなくなったのだ。柴崎は、自分が不器用だと知っている。だからこそ、自分でもまさかの行動であったのだ。
 耳を赤くして、もういらないっす。などと可愛げのないことを抜かして、旭は手から逃げる。
 狭い丸テーブルを挟んで、互いに取り繕ったような空気が少しだけ心地よい。照れ臭そうにメニューを睨みつける旭を見ながら、柴崎は少しだけ満たされた気持ちになりながら、ビールで。と宣った。
 
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