アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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カルマイン編

夢を見ている

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「な……」

 尾で体を支えるように浮かんでいたシグムントは、ルシアンの目の前でべしょりと地べたへ落ちた。木から飛び降りいたイザルが、慌てた様子でシグムントを抱き起こす。
 白い尾が再会を懐かしむようにシグムントの腰に絡みつくと、グエっと情けない声を漏らした。
 
「なんだ今の……‼︎ シグムント、あれはなんて術だ‼︎」
「んえ、あ、あー……なんだろうなあ。えいってやったら出ちゃった」
「で、出ちゃったじゃないですよおお‼︎ 僕の瞬発力がなかったら、危うく僕も魔石になるところでしたあ‼︎」

 悲鳴混じりにグランドマタンゴとクレイワームの死骸を跨いできたヒネクレは、その手で麦わら帽子の両端を引っ張るかのようにして喚く。
 そのヒネクレの頭へと、拳骨を落としたのは他でもないイザルだった。

「てぇえめェはよおォ‼︎ シグムントが焼却しなかったら毒粉撒き散らされてたかもしれなかったんだぞクソが‼︎」
「ギニャァア‼︎ そ、その時は毒消しあげるってぇえ‼︎」
「わ、わああイザルどうどう‼︎」

 シグムントがイザルの腕に取り縋るようにしがみつく。白い尾っぽも喧嘩の仲裁をするかのようにイザルの腰に巻き付いた。
 ルシアンの血をひと舐めしただけで、随分な威力である。魔王として君臨していた割に蔑ろにされているから弱いのかと思っていたが、実はそこそこに強いのかもしれない。イザルは半べそになっているシグムントを見下ろすと、頭痛に苛まれながらも認識を改める。

「俺はお前とやり合うことにならなくて良かったよ」
「俺もそう思う」
「ム、すまんがなんの話だろうか」

 ルシアンもこれには同意した。シグムントはというと、アングリと開いたままのイェネドの口に気がつくと、両手でしっかりと閉じてやる。
 ヒネクレはそそくさと逃げようとしたが失敗し、イザルによって後ろ手に捕まえられていた。

「こっちはやることやったんだ。出すもんだしてもらおうか。ああ?」
「そうだなヒネクレ。まさか商人ともあろうものが約束を反故にするなんて、ないよな?」
「ヒェ……」

 顔面の出来が無駄にいい兄弟に、揃って治安悪く見下ろされる。ヒネクレは尾を膨らませるようにして妙な声を漏らすと、ぶんぶんと首を振って荷物に飛びついた。

「出すよう‼︎ 出せばいいんでしょう出せば‼︎ ほら認識阻害ベレー帽‼︎」
「最初っから出しゃあいいんだよ。ったく、手間ばっかり増やしやがってクソが」
「シグムントォ‼︎この人本当に勇者⁉︎ 言動の横暴さが魔王のそれなんですけどお‼︎」
「まあ、そういう男だからなあイザルは」

 濃紺のベレー帽を手渡された。シグムントがそれを確かめると、どうやら認識阻害だけでなく、異空間収納もかかっているようだった。ヒネクレのお耳はこれで隠しているらしい。これなら、頭に妙なリボンを結ばなくても間抜けにはならなさそうだ。
 早速装備するかとベレー帽を持ち上げれば、ルシアンが横からひょいと奪った。

「あ」
「こういうのは、被せてもらった方が嬉しくない?」
「おお、ならここは一つ頼もうか」

 ルシアンの心配りに、シグムントがふくふくと笑う。その隣では、相変わらず不機嫌を顔に貼り付けたイザルが、ケッと吐き捨てる。どうやら二人が急接近したのが面白くないらしい。
 シグムントは戴冠式のようだなあと内心で思いながら、ルシアンへ向けて頭を下げた。

「なんでお辞儀したの?」
「おお、あ。そうだったそうだった。ルシアンのほうが背も高いものなあ、あはは」
「逆にお前が俺等よりもでかかった時がいつあったよ……」
「アゥン」

 イェネドもひと鳴きで同意を示す。呆れた目線を一身に受けながら、そのへんにしておいてくれ。とふてぶてしく言い返すシグムントは、どこか誇らしげである。
 こうしてシグムントはしなびたリボンから、濃紺のベレー帽へと装備を変えた。心なしか背筋も伸びている気がする。分かりやすい態度の変化に、癒やされているのはルシアンだけだ。

 そんなことをしているうちに、ヒネクレはさっさとクレイワームとグランドマタンゴの討伐部位を回収していた。強かな猫の魔物は、漸く目的のものを手にしてご機嫌そうである。

「さて、クレイワームの核とグランドマタンゴの根本をゲットできたんで、僕は満足です‼︎ うひょお~‼︎ これで材料が揃ったぁ~!!」
「ちゃっかりしてるな。んで何を作るんだ」
「作るのは僕ではなくて、懇意にしている錬金術師。これで作るのはしびれ薬ですね~。仕入れたら高く買い取ってくれるって人間がいたもので!」

 にこにこしながら素材を抱きしめるヒネクレのはしゃぎっぷりは、玩具を渡された子供のようだ。無邪気な様子に毒気を抜かれる。
 しかし、それもイザルが素朴な疑問を問いかければ、ガラリと纏う雰囲気を変える。

「そんな気軽に人間と関係持って、バレたらどうすんだ」
「殺しますよ」

 にっこりと微笑みながら、イザルを見上げる。ヒネクレの言葉に、二の句を告げることはできなかった。

「あ、やだなぁ! 勇者さんたちは殺さないですよお! 殺されたくないもん! 僕は頭がいいですからね、自分より弱い相手しか手にかけません。こっちも命かかってるんです、それが平等ってものでしょう!」
「……殺さねえって選択肢はねえのか」
「だって人間は僕らを殺すでしょう! それに」

 ヒネクレの細目が、ゆっくりと開く。金色の瞳孔は縦に伸び、ランランと光を放つ。

「僕らを素材としてみるじゃないですか!」
「それは、……」
「人間の骨で武器を作りますか? 人間の臓物で薬を作りますか? 魔物が死ぬのは運命です、だから殺し合ったら互いの肉に牙を通します。でも人間はそうしない。魔物が人間の肉に牙を通すのに、人間は僕らを汚いものとして牙を通さない」

 それって、人間だけ僕らの死に敬意を払わないってことと、なにがちがうんですか。
 ヒネクレの言葉に、イザルもルシアンも黙りこくった。
 何も言えなかったからだ。己の中に無意識のうちに根付いた魔物への嫌悪を、ヒネクレによって突きつけられる。今日起こった出来事を、面白おかしく語るような口調でぶつけられた言葉に、人間の奥底に眠る心理を暴かれたのだ。
 
「僕らの立場に立って考える機会を、シグムントがあたえてくれたんですよね? それで、何を得られましたか? 勇者達も人間として、人間の体で作った武器で挑んできてほしいなあ。そうしたら、僕らも考え方がかわるかも」

 にゃはは! そう気楽に笑うヒネクレは、言い終わるなりアッと声を出した。

「嫌わないでくださいね! 綺麗事は人間の専売特許ですから! ではシグムント、またどこかで会ったらご贔屓にっ。僕はディミトリ様にバレないように、引き続き人間の街を楽しみます!」
「あ、ああ」
「あんまり人間に夢見ちゃだめですよ! 僕らは搾取される側ですから。ね」

 そう言って、ヒネクレは麦わら帽子をぱっと外して猫の耳を晒す。人間の去り際の挨拶をしたのだ。ここにきて、ヒネクレは人間に合わせてきた。
 小さな背中が、大きな荷物を揺らしながら去っていく。その姿を見送るシグムントの表情は読めなかった。

 イザルは、心臓に冷たい水でも浴びせられたかのような心地だった。同じように生きているのは魔物も同じだ。しかし、人間が理解する生きる者たちの平等の中に、たしかに魔物は存在しなかった。
 閉口するイザルの顔色を伺うように、イェネドがきょとりと見上げてくる。砂利を靴底で擦る音がして、シグムントが振り向いた。
 少しだけ困ったような表情に、イザルは何を言おうかも忘れてしまった。

「夢を見て、なにがわるいんだろうなあ」

 シグムントが、へにゃりと笑いかけてくる。相変わらずの困り眉で、参ったと言わんばかりにだ。

「ルシアンも、イザルも夢を見ている。だからここにいるのになあ」
「俺に、夢なんか」
「シグムント……」

 ルシアンもイザルも、夢なんて抱いているつもりはなかった。それでも、シグムントは夢を見ていると口にしたのだ。
 しかし、言葉尻に嫌味を感じることはなかった。言いたいことがわからないまま、イザルはルシアンと顔を見合わせる。

「霧の魔物の存在理由を知りたい。でもそれは理由であって夢じゃない。いまはその義務が大きくて、夢を見ることができないだけだろう」
「義務っつか」
「約束か?」

 シグムントの眼差しに、ぐっと唇を引き結ぶ。そんな括りでもない気がしたのだ。
 命令されて、しなければいけないこと。だけど、義務と括られると選べる選択肢は限られる気がして窮屈だった。
 ルシアンがゆっくりと顔をあげる。その表情は、少しだけ自信がないようだった。
 
「セタンナ隊長から受けた密命はあれど、旅路の選択肢までは決められていない。義務と言うには堅苦しくて、約束と言うには曖昧すぎる……」
「うん、俺もそう思う。俺もよくわからぬが、四人での旅は楽しいことくらいはわかっておるよ」

 シグムントの言葉に、気が抜けた。相変わらずのおっとりは、随分と雑な括りでこの旅路を評価していた。

「楽しいから、これから何をしようかなあと想像する。それが夢だ」
「……」
「ああ、そうかもな……」

 だろう。そう言うと、シグムントはふくふくと笑った。毒気が抜かれる。もしかしたら年の功と言うやつなのだろうか。
 イザルもルシアンも、ヒネクレによって冷やされた心の温度をシグムントによって取り戻されたような心地になった。
 簡単なことしか考えていない。シグムントは、最初からただ仲良くしたいの一点張りだ。それが夢だとしたら、なんとも頭が悪くてあったかい。

「ほらいくぞ、カルマインは目と鼻の先なのだろう。旅は急げというだろう」
「善は急げのことかな」
「そうしか言わねえんだよ馬鹿。それより尾っぽどうすんだお前」
「うん、これは本当にどうしようワハハ!」

 結局、イザルによって腹に巻きつけられるように固定されて、白い尾は隠された。シグムントの中に宿る魔力が消えれば自然と尾っぽも姿を消すだろうことは知っている。
 まさか弱いと思っていた奴から、こう何度も慰められることがあるとは。イザルは少しだけ悔しそうな顔をした。
 イェネドがシグムントを乗せたまま、勇足でカルマインへと駆けて行こうとする。それを尾を引っ張るようにしてルシアンが止めていた。
 楽しい。そう思ったのなんて、いつが最後だったっけか。それでも、一人で旅をしていた時と比べると、確かに今は悪くないのかもしれない。そんなことを考えて、イザルは眉間を抑えるように俯いた。この頭痛も悪くないと思ってしまうあたり、随分とシグムントに毒されている。

「おーいイザル! 置いていってしまうぞ! そんなところで何をしている!」
「置いていこうシグムント。あいつなら大丈夫だ」
「うるせえ今いく!」

 まさかこうして、誰かに待たれる旅がくるとは。勇者をやっていった時の己がこの光景を見たら、一体何を思うだろう。そんな詮無いことを考えて、思考を振り払う。
 イザルは相変わらずの気だるげな表情を貼り付けて二人を追いかけた。面倒臭いから、走ることだけはしなかったが。
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