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イェネドとメイディア
しおりを挟むこうして、三人はセタンナの命令によって、再びの旅路へ出ることとなった。しかも今回は終わりの見える魔王討伐ではなく、霧の魔物の調査名目でだ。与えられた準備期間は、たった一日。すでに角を取り戻すための旅に出ていたイザルたちと違い、ルシアンは長期の旅に慣れていない。結局その準備期間も、立場のあるルシアンの引き継ぎや旅支度などにあてがった。
別れを惜しむやり取りは微塵もない。何せルシアンは建前上副隊長という役職を剥奪されたのだ。故に、部下にも知らせはしなかった。今後は、メイディアがルシアンの後を引き継ぐ。その方が諸々の説明の手間は一気に省けるからだ。
「お前は無駄な物が多いんだよ。なんだその常備薬」
「外傷は治癒で治っても、内からの病には効かないだろう。そんなこともわからんのか兄上殿は」
「ああ? そんなことより、なんで火打石を持っていかねえ。どうやって火ぃつけんだ」
「そんなもの、魔法で起こせばいいだろう。まさか使えないのか?」
「ちげえ、夜営すんなら無駄な魔力は使うべきじゃない。それに油だって必要だ。獣から取れる油で煮炊きしたもんは、臭くて食えねえぞ」
黒髪の隙間から、睨みを効かせるようにイザルが宣う。
ルシアンは兄の言葉に黙りこくると、無言でインベントリに火打石と油を突っ込んだ。旅慣れているイザルによって、考えの及ばぬ部分を補われるというのは中々に癪なようだ。顔に不本意を貼り付けるルシアンに、イザルは至極面倒臭いといった顔をした。
頭の硬い弟をもつ兄の諦観だ。そもそも腹痛を起こしても直に薬草を食らうイザルと、ルシアンの臓腑の作りが同じわけがない。
イザルが見えぬ部分も強靭なのは、ひとえに魔王討伐を行うべく、無理な強行を行った故の副産物だろう。しかし、それを基準として他者へと押し付けるきらいは、年を重ねようとも今だ直らぬままなのだ。
「はあ……」
まさかルシアンも角奪還作戦に一枚噛むことになるとは。イザルは疲れたようなため息を吐くと、部屋を見渡した。そこに見慣れた毛玉の存在はいない。
「たく、あいつどこ行ったんだ」
「俺ならここにいるが」
「ちげえ、イェネドだ」
黒くてもふもふの、赤い瞳が美しいウェアウルフ。今や所在不明で、どこにいるかもわからないと言われた魔族の一人が、まさかのイェネドその人である。
ずっと狼のふりを決め込んでもらっていたが、そういえば乗り込んだ時は人型だったか。イザルは思い出したような顔をすると、シグムントへと視線を向けた。さっきまで一緒にいたことを知っていたからだ。
「イェネドならお散歩だ。メイディアに連れてってもらっている」
「メイディアに?」
「そういえばリードを咥えていたな。あの狼自ら進んでねだりに行っていたぞ」
あっけらかんといってのけるルシアンは、イェネドの正体が何であるをまだ知らない。イザルは二人の言葉を前に、口を開けたまま動きを止めた。
いろいろなことが起きて、すっかりと忘れていたが、イェネドは人型でメイディアと接触をしていたはずだ。となると、あのイェネドの姿は当然なんだという話になる。
それなのに、一度もイザルはメイディアから疑問を投げかけらけられることはなかった。もしかしたら、イザル達三人がシグムントと繁殖している間に、イェネドはイェネドでメイディアと何かがあったのだろう。
「……なんかキナクセェな」
「なんだ。独り言かイザル」
「うるせー。お前らはさっさと支度しろ」
イザルは不遜な表情のまま長い足を組むようにして椅子へと凭れかかると、外へと視線を向ける。兵舎の窓からは、太陽の国を収める国王アルガンのいる城が見える。
汚れを知らないと言わんばかりの白亜の宮殿を、イザルは鼻で笑ったのであった。
「何度言われたって、嫌なもんは嫌なんだよ。大体、こうなっちまったのもお前んとこのシグムントのせいじゃねえの」
「ゥウグ、グァ!」
「いや、まあ確かにうちの副隊長も悪いっちゃ悪いか……」
ここは、遊撃部隊の兵舎からほど近い森の中。一人と一匹は、横倒しの大木に腰掛けるようにして、眼下に臨む大きな湖を見下ろしていた。
メイディアの右側、長い山道を登っていくと白亜の城に辿り着く。王族が狩を楽しむ森は、第一騎士団の詰所側なので、遊撃部隊がいるこの場所までは降りてこない。
城の敷地は広く、攻め込まれにくい崖の上に建てられている。深い森の中は城に向かう為の表門と裏門の二つのルートに分かれており、それぞれを第一騎士団と遊撃部隊が守っている。
今、メイディアがいるのは、そんな裏門側の森の奥。故郷の雰囲気に似ているここが好きで、一人で考え事をするときにはよく来る場所であった。
隣にはイェネドがいる。おすわりをしていても、随分とでかい。メイディアは狼の瞳で睨みつけると、聞き分けのない子供に諭すような口調で宣った。
「話しかけんな、ついて来んなよ。こんなとこ他の奴らに見られたら、俺がやばいんだから」
素気ない言葉は、メイディアの本心である。ただでさえ唐突な副隊長の任命に一杯一杯だというのに、このイェネドときたら、ぶっとい縄を自らの首に巻きつけた状態で、縄の先を咥えながら部屋に入ってきたのだ。
いろんなことがあった翌日だからこそ、メイディアは己の目を疑ってしまった。自室の前でおすわりをするイェネドは、どうやら先に同僚にはバレていたらしい。足元に置かれた骨やらジャーキーを嬉しそうに前足で差し出しながら、グルァ! と治安の悪い声でのモーニングコールをしやがったのだ。
「え? いや、犬のふりして乗り切ったのは知ってんよ。でもお前一応ウェアウルフなんだから自覚持てって」
「アゥアゥア」
「だああ‼︎ もうガウガウガウガウうるせえな‼︎ めんどくせえから人型に慣れってば‼︎」
「グゥ……」
メイディアの語気の荒さに、小鳥が迷惑そうに木々から飛び立った。その隣では、黒い狼だったイェネドの姿が魔素の幕に包まれる。律儀なウェアウルフは、メイディアの希望を汲むように褐色の美丈夫へと転化した。
腰掛けていた大木が、唐突な重量の変化によって大きく傾く。メイディアがギョッとした顔でバランスを崩すと、傾く体へとイェネドの腕が伸ばされた。
「うへぁっ!」
二人分の体重を受け止めた地べたは、木端を散らす。倒れた大木が逃げるかのように転がると、数本の木によってその動きを止められた。
想像していた痛みはこなかった。しかし、締め付けられるように回された腕の拘束が力強くて、圧迫された肺が抗議するように咳き込ませる。
「けほっ、てめ、ふざけんな! いったいなんの真似だ離せっ!」
「俺は何もふざけてなんかない」
地べたで抱き締められたまま、向かい合わせだ。
狼の瞳に映るのは、少しだけ眉を寄せて、何か言いたげなイェネドの表情。黙っていれば、本当に顔がいい。メイディアは真正面から見つめられることが苦手だった。顰めっ面をしたまま顔を逸らすと、擦り寄るようにイェネドが頬を寄せてきた。
「……嫌だよメイディア、副隊長になんかならないで、俺と番いになって」
「だからなりたくてなってるんじゃねえっての」
「だって、お前は俺と同じだろう。なんで人間のふりをしなくちゃいけないんだ」
「っ、だからっ」
グゥ、と変な声が出た。メイディアの顎の下に、イェネドの顔が埋まったのだ。性的なふれあいではない。子犬が親犬に甘えるかのような仕草に、妙な心地になってしまう。
食いしばるように、息を止める。こうでもしなくては、メイディアの隠し通してきた素直な部分はすぐに出てしまいそうであった。
「俺が、どんだけ努力して馴染んできたと思ってんの……」
「やだ、やっと見つけた仲間なんだ。寂しいよメイディア、俺と群れを作って、イザルの下で幸せになろう」
「俺のボスは、ルシアンだ‼︎」
グルァ、メイディアの喉から獣の声が漏れた。焦茶の髪の隙間から、立派な狼の耳を生やしたメイディアが、牙を剥くようにしてイェネドに苛立ちを向ける。
それでも、目の前の若い雄は諦めなかった。黒い耳をへたらせながらも、赤い瞳で真っ直ぐにメイディアを見つめていた。
年下だというのに、この威圧をものともしない。やりづらい、ウェアウルフの雄というのは、こんなやつばかりだったっけ。記憶を探るように口を閉じる。
メイディアの困惑などお構いなしに、イェネドは鼻先をメイディアの顎にくっつける。そのまま絆すようにベロリと舐められて、思わず尾が跳ねた。
「ぅ、っ」
「お願い、もうウェアウルフの生き残りは、俺しかいないと思ったんだ」
やめろ、そんな目で見つめてくるな。メイディアは、赤い瞳に懇願を宿すイェネドを拒絶をするように顔を背ける。それでも、一向にめげてはくれなかった。
「うゎ、っ」
気がつけば、メイディアはイェネド越しに青空を見上げていた。足の間に引き締まった腰が入り込み、雌のように足を開かされる。こんな大胆なことをするくせに、イェネドは顔色を窺っている。自信のない雄に、雌は靡かない。許可なくメイディアの尾に絡もうとするイェネドの尾を振り払うと、泣きそうな顔で見下ろしてくる。
「俺が乗るのは許してくれるじゃないか」
「違う。俺も人間に馴染んだんだ。人間の雄は、興味のない雄に乗っかられても動じない」
「なんで、俺に興味を持ってよ。俺の子供を産んで、俺の雌になって」
「お前はまだ若い。それに、俺にはここを離れられない理由がある。俺は、絶対に霧の魔物を殺さなくちゃいけない、ほんとならこんなところで踏みとどまってちゃいけないんだよ!」
メイディアだって、本当ならルシアンについて旅をしたかった。何より、己が唯一認めたボスだ。その下で悪態を吐きつつも、群れを統制する背中を見て心を満たしてきたのだ。
傅く相手は、セタンナじゃない。ルシアンがたてるから、それに倣ってきただけだ。今更ボスを失って、メイディアが代わりを務めろというのは話が違う。人間社会でいちばんの面倒臭い状況は、メイディアから心の余裕を少しずつ奪っていく。
「メイディア……」
「お前は群れを求めた。ならわかるだろ、群れのボスを奪われる俺の気持ちが」
決意したウェアウルフは、一番融通が効かない。同じ種族だからこその特性を十分に理解しているイェネドは、望みが通らないことを理解した。
「……でも、番いになって欲しい」
「しつこい。お前はボスを追いかける理由が弱いから、そんなに不安定なんだ。お前はお前のボスの下で、つくす理由を見つけろ。うわついた雄に、俺は絶対に腹を許さない」
「……メイディアの」
「ああ?」
イェネドの赤い瞳が、じんわりと潤む。この雄ときたら、メイディアよりもずっと立派な体格をしているというのに、若いせいか感情の制御が効かないようだった。
土で汚れたメイディアの頬に、ぽたりと雫が落ちる。
「め、メイディアの、やることが終わったら、俺と番いになってくれる……?」
「なんで俺なんだよ……」
「そんなの、俺にもわかんないよ。だけど、メイディアじゃなきゃ嫌なんだ、これが、本能なんじゃないの……」
「あ、こらっ」
メイディアの、土で汚れた白い頬にイェネドの赤い舌が這わされる。
ペしょぺしょと、毛繕いをするかのように頬を舐められる。雄からの愛情表現の一つであるそれを、メイディアは黙って受け入れた。これで襲われでもしたらぶん殴ってやろうとも思ったが、下手くそに気持ちを向けられると、どうしようもなくなってしまう。
イェネドの腕の拘束が緩む。メイディアは子をあやすように、両腕を広い背中に回してやった。
「落ち着け、泣くな。強い雄になるんだろう」
「……うぅ」
メイディアの手のひらが、イェネドの後頭部に回される。こんな大きな雄のくせに、まるで子供のように感情の起伏が激しい。もしかしたら、体格はルシアンと同じ位かもしれない。メイディアは、子供をあやすように、そっとイェネドに頬を寄せる。
「俺は俺の群れで、お前はお前の群れで霧の魔物を討伐する。そうしたら一石二鳥で、俺の目的も果たされる」
「イッセキニチョウ……」
「頭を働かせろイェネド。お前が俺と番いたいなら、そっちの方が手っ取り早いだろう」
「よくわかんないけど、メイディアがそうして欲しいんなら、俺はそれを理由に頑張るよ……」
「どんだけ俺に惚れてんだよ。残念な雄だなお前」
イェネドの素直な言葉に、メイディアは哀れみを向けてしまった。これはきっと、自分以外のウェアウルフと出会ったことによる一種の刷り込みで、本能ではない。より上等な雌が現れたら、簡単にイェネドの気持ちは心変わりする。
この先の未来が容易く思いつく若い雄に、割いてやる時間はない。それでも、肯定してやることでこの状況が収まるのであれば、メイディアは悪い大人を振る舞うだけだ。
「いいぞ。霧の魔物を討伐し終えたら、番いになってやってもいい。それまでに、お前は聡明な雄になれ。俺はバカが嫌いだからな」
「本当、本当に? 終わったら、俺の番いになってくれるの!」
「うわっ、尾っぽ振るな‼︎ 砂埃が立つだろう‼︎」
ガバリと抱き締められ、喉の奥から妙な声が漏れた。ブォンブォンと振り回される黒い尾は、乾燥した砂を巻き上げる。強く吹いた風がそれを攫うと共に、メイディアはクシャリとした顔をした。
砂埃が目に入ったのだ。風から逃げるように、イェネドの肩口に顔を埋める。鍛えられた野生味のある褐色の素肌が視界に入ってくると、メイディアはハッとした。
「なんで服着てねぇんだクソ犬 ‼︎」
「ギャインッ‼︎」
メイディアの持ち上げられた膝が、しっかりとイェネドの中心部を直撃した。
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