アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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責任の所在

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「え、キャラが違くない?」

 声を上げたのはメイディアだった。指摘されたシグムントはというと、キョトンとした顔を晒している。
 本当になんのことでもない。単純に思ったことを口にしただけなのであろう。しかし、それは逆に異様な空気を読めていない証でもある。

「キャラがどうかとはわからないが、俺は一応国を納めていたからなあ。なんとなくだが、予測を立てることくらいはできる」
「い、いや、ならそれも元魔王の片鱗ってこと? うわ、あっぶね見た目に騙されるところだった」
「セタンナさん、お水をいっぱいいただけるかな」
「水なら俺が汲んでくるから‼︎」

 大慌てで水差しを拾い上げてキッチンに消えていくメイディアは、まるで訓練された軍犬である。
 セタンナは、ため息を吐くと、指を鳴らした。氷で作られた椅子に、シグムントが手渡したクッションを置く。そのままどかりと腰をかけると、部屋のあるじかのように足を組んで手を差し出した。

「茶」
「ここに」
「私が聞きたい事はただ一つだ。魔物のことは魔の者に聞く方がいいだろう。シグムント、霧の魔物とはなんだ」
 
 軍犬、基メイディアは流れるようにセタンナの手にあたたかい茶を差し出した。一応はルシアンの部屋ではあるが、セタンナが訪れればそこは瞬く間に執務室へと変わるのだ。
 冷たい色をした碧眼が、真っ直ぐにシグムントへと向けられる。その視線の先には、イェネドの頬をムニムニと揉み込んで遊ぶ、緊張感のない姿があった。

「えー……っと」
「この部屋でのお前の発言に、俺の許可はいらねえ」
「ふむ……まあ、イザルもそこまでわからぬだろうしなあ……」
「俺ぁなんでも追求する前に切り捨ててきたからなあ」
「よくいう。ものはいいようだな」
「うるせえぞルシアン」

 相変わらず、隙を縫うように二人は言い争いをする。シグムントはというと、少しだけ呆れていた。そんなことを思っているなどとバレて仕舞えば、またイザルに生意気だと怒られる。だから顔には出さないが。
 イェネドの鼻先が、シグムントの顎に押しつけられる。そのままベロリと赤い舌で舐めてきたので、くしくしと頭を撫でてやる。どうやら心配をしてくれたようだ。クッションがわりにイェネドを抱きしめると、ふかふかの毛並みに顎を乗せるように、シグムントは口を開いた。

「誰にでも、その要素はある」

 五指で柔らかなイェネドの毛並みを堪能する。
 ハカハカと舌を出してされるがままのイェネドは、ゆるりと尾を揺らすのみだ。
 
「誰にでも……?」
「魔物や、魔族。そして、人間にも。全ての共通点は心の闇や蟠りだ」

 シグムントの言葉を補うように、イザルが宣う。これは、シグムントから教えられたことだった。その身に感情を宿す命あるものたちは、霧の魔物になりうるのだ。
 小さな悪意は、心情の昂りに影響される。少しずつ積み重ねた、たくさんの理不尽がきっかけとなり発芽するのだ。

「もし俺が発芽させてしまったら、その様子は羽化のように見えるだろう。悪意は体を捨てて生まれ変わる。ある日突然、共に歴史を刻んできたものが魔に染まる。身近なものほど、小さなきっかけは気づきにくいものだ」

 シグムントの言葉を、メイディアとルシアンは黙って聴いていた。二人の頭の中には、あの日の夜のガインの姿が浮かび上がっていた。ずっと一緒に訓練をしてきたのに、ガインの発芽には気がつきもしなかったのだ。
 具現化した悪意は、魔物として生まれ落ちた。羽化という表現以上に、当てはまるものはない。

「誰にでも憎しみはあるだろう、なんでそんなことになるんだ」
「霧の魔物が生まれる理由を確かめるのだろう。小さな心の機微は、表面上には出てこない。吐き出せるものが側にいない孤独なものなら、尚更だ」
「……私が、行き届かなかったとでも」
「何があったかは俺も知らないが……多くを掬い上げるのは無理だ。それは、気を配るのも同じだ。それができていたら、そもそも俺は魔王を続けていただろうし、霧の魔物も生まれることはないだろうよ」

 セタンナの表情の翳りを前に、シグムントは柔らかく笑みを浮かべた。多くのものを救えなかったからこそ。己はここにいる。セタンナのように何かを後悔する余裕さえも持ち合わせていなかった。
 模索の道は果てしなく、手探りで統治した深夜の国では愚王と馬鹿にされる始末。悔しいと思うことのできるセタンナを、シグムントは静かに尊敬した。

「深夜の国にも、霧の魔物は出る。その意味がわかるかな、セタンナさん」
「……それは、心があるということか」
「そうだ。俺達は魔の姿で生まれてきただけだ。気がつけば生きる場所を追われ、虐げられてきた。そんなもの達の行き着く場所が、深夜の国だ」

 魔物や魔族は、人間にとって普通じゃない。普通じゃないから、余計に怖いという道理はわかる。
 シグムントだって、本当は人間が怖い。魔力を失った今、魔物だけでなく人間にも命を奪われかねない立場だと理解しているからだ。
 それでも、もし魔王のままだったとしても、シグムントは人間に対して力を放つことが恐ろしいと思う。誰かを傷つけて勝ち誇れるほど、シグムントは強くない。
 だから、己の力で命を奪う可能性がある限り、シグムントはずっと怯えて生きていくだろう。それが、力を失った今でも変わらないのだから、始末に追えない。

「何がおかしい」
「すまない、角を失った今、俺に魔力はないというに……まだ俺はこんなにも怖がりなままだ」
「よくいう、魔力がないだと? フレディを暴いた力はお前のものだろう」
「あれはイザルとルシアンの魔力だ。俺は、今この身に二つの魔力を宿している。だから使えた、が、今はもうすっからかんさ」

 シグムントの小さな手のひらが、下腹部へと這わされた。シグムントがイザルとルシアンに何をされて寝込んでいたのかは、セタンナもなんとなくは理解している。セタンナもまた、色事の経験がないわけではない。故に、その事後の後に纏う空気感というのが、どうであるかも。
 シグムントは男だ。しかし、意志の強いルシアンやクセのあるイザルを惑わすほど、危うい雰囲気をまとっている。
 白い肌は、衣服で全ての痕跡を隠されている。しかし、服の上からもわかる薄い体付きは、女の性をもつセタンナでさえ容易く扱えてしまいそうなくらい儚い。
 銀灰の瞳が、静かにセタンナへと向けられた。その目には、女であるからという線引きは存在しない。どこか懐かしさを感じるような、あたたかなものさえ感じてしまう。

「……フレディはお前を心配しておるよ。ヤンチャな娘だと思っている、父のようで、兄のようで、……愛情を彼から感じるよ」
「何が言いたい」
「何も。ただ、俺はそういう具合に感じ取った。どう捉えるかは、セタンナさん次第だろう」

 シグムントの言葉に、セタンナが小さく舌打ちをする。ルシアンから受け取ったお茶を一気に飲み干すと、力強くカップをテーブルに叩きつけた。

「私の心の中にも、悪意の種は宿っているというわけか」
「宿っている。それは、身の内側に流れる魔力の凝りのようなもの。宿らぬものとは、魔力のないもののみだ」
「魔力の、ないもの……?」

 シグムントの言葉に反応を示したのはイザルだ。無論、口には出さなかったが、メイディアやルシアンもまた、同じように戸惑いの色を瞳に宿していた。
 魔力のないもの、それは、太陽の国を統べる王家そのものだ。人間は、王家を除いて須く魔力を宿している。それが当たり前の常識として根付いているからこそ気にも留めなかった。
 しかし、悪意の種が宿らない唯一の存在が王家のものだと認識を変えると、そこには作為的なものを感じる。

「なあ……これって、なんでって聞いてもいいやつか」
「メイディア。少なくともお前の問いかけに答えられる奴は、今この場にはいないさ」
「はは、だよな……」

 シグムントの言葉は、わかりやすくイザルたちに動揺を広げたのだ。
 静かな瞳が目を向けたのはイザルの聖剣だ。魔に引き寄せられる剣。霧の魔物を屠るたびに、その刀身に魔力を蓄えていく歪な剣。

「イザルの聖剣もまた、魔を屠るたびにその輝きを増す。まるで、喜んでいるように」
「何がいいてえ、シグムント」
「俺にもわからない。だけど、その聖剣がどうやって生まれたのかは気になるところだ」

 イザルは己の腰に下げたそれを見つめる。聖剣が、どうやって生まれたか。そんなもの、一度も気にしたことはなかった。
 魔力のない王家、悪意の種、聖剣誕生の秘密。どれも、深く考えたことはないものばかりが、泡のように浮上してくる。

 セタンナは、難しい顔をして黙りこくってしまった。静まり返った室内には、ハカハカとイェネドの呼吸音だけが聞こえている。
 シグムントはイェネドの黒い毛並みを流すようにひと撫ですると、セタンナを見た。

「セタンナさん、……霧の魔物の秘密を解き明かして、国が揺らいでも俺は責任を取れない。それでも構わないなら、手伝おう」
「随分な脅し文句だなシグムント」
「こればかりは、命に関わるかもしれん。城の人間は俺たちが嫌いだろう、だから、セタンナさんだけは味方でいてもらわねば困る」

 真っ直ぐに見つめるシグムントの瞳に嘘偽りがないことなんて、セタンナは最初からわかっていた。魔族のくせに、嘘もつけぬ正直者だということも。だからこそ、認識阻害の布切れ一つでここまでやってこれたのだろう。
 その姿で、生まれただけ。セタンナの頭の中で、シグムントの言葉がリフレインする。張り詰めていた気を解くと、セタンナは小さく溜め息を吐いた。

「私の隊からルシアンを除名する。メイディア、お前が副隊長へと昇格だ」
「ちょ、ちょっ待てって!」
「ルシアン、お前はイザルと共にシグムントの手助けをしろ」

 セタンナの行動は、実にわかりやすかった。
 慌てるメイディアの一方で、ルシアンだけはその未来を予測していたとばかりに、静かに頷く。唐突な昇格に、メイディアの悲鳴混じりな声が上がった。
 
「俺のボスは⁉︎」
「何を言ってる。お前のボスは最初からセタンナ隊長だろう」
「そ、そうなんだけど、そうじゃねえっていうかっ」

 ひどく狼狽えるメイディアを、イェネドの赤い瞳が真っ直ぐに見つめる。セタンナはというと、手続きはこちらでしておく。と端的に宣い、もう要はないと言わんばかりに立ち上がる。そのまま扉の前まで歩み寄ると、何かを思い出したかのように振り向いた。
 セタンナの美しい碧眼が、先程とは違う柔らかな色を宿してシグムントに向けられる。

「最後に、一つだけ。……シグムント」
「うん?」
「お前の本当の目的はなんだ」

 この優しい魔族が、全てを成し遂げた先に望むものに興味を持った。セタンナは、純粋に知りたくなったのだ。
 それでも、シグムントは何も変わらなかった。セタンナの問いかけに逡巡もなくにこりと笑うと、最も間抜けで、最もわかりやすい答えを堂々と返す。
 
「俺の角を返してもらう以外は、何も」

 狭い室内で、セタンナの吹き出したような笑い声が響き渡った。
 

 
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