アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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間抜けな男

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「元魔王、貴様が……?」

 セタンナの声色は、疑いの色を含んでいた。しかしそれも無理もない。何せ、そう名乗った男は今、イザルの拳骨によって鼻をすすって泣いているからだ。碧眼は必然的にイザルへと向けられる。
 セタンナはシグムントの存在が隠し玉だとあたりをつけたが、せいぜい、魔族何がしと通じているくらいだと思っていたようだ。

「貴様が魔王だという、証明は」
「ヒック、ぃ、イザルが打ったから、っ、い、いたくてっ、そ、それどころじゃない……」
「魔王だとしたら、物理耐性くらいあるだろう。何をそんなに痛がる」
「ぉ、俺は、も、元だから、ひぅ……、っ」

 ともすれば、シグムントを気にかける大きな狼も魔物なのだろう。
 セタンナの鋭い視線に、イェネドも何かを感じ取ったらしい。シグムントの膝に鼻先を押し付けるように慰めながらも、セタンナを警戒する。しかしその態度が肯定となった。
 ため息を吐く声がして、イェネドの体毛がブワリと逆だった。弾かれるようにベットに飛び上がると、大きな前足でシグムントを押し倒すように乗り上げる。

「イェネド!」
「っ隊長‼︎」

 イザルとルシアンの声が重なった。
 二人の目前には、氷のレイピアを向けられたイェネドがいた。その大きな体でシグムントを下敷きにし、悪意ある鋒から遠ざけたのだ。
 切り裂かれた寝具から漏れ出る羽毛が舞う様子は、張り詰めた空気にやけに不釣り合いだった。
 イェネドは歯を剥き出しにするように、雷鳴にも似た唸り声をあげる。己のボスと認知するイザルの大切への危害は、ウェアウルフにとって何よりも大罪であった。

「セタンナテメェ‼︎ ……っ」
「喚くな野良犬」

 イザルがシグムントの前へ出ることは叶わなかった。薄玻璃が空気に弾ける音と共に、イザルの喉元には氷の荊が首輪のように現れたからだ。それは、セタンナの操る氷魔法に他ならない。歯向かうものへ与えられる首輪は、その氷の棘を徐々に伸ばして喉を貫く。遊撃部隊員達が、嫌というほど目にしたセタンナ固有の折檻魔法の一つ。
 
「躾直してやろうか イザル。お前の行動一つで私はシグムントの命を奪えることをゆめゆめ忘れるな。この場の主導権は、常に私の手の中にある」
 
 ルシアンとメイディアだけは、決してその場を動かなかった。その答えを、セタンナによって突きつけられる。言外に、イザルは無鉄砲だと罵られたのだ。
 こめかみに浮かぶ血管は、イザルの苛立ちを如実に表す。飛び出そうとした体勢のまま、顎だけをゆっくり上へと向ける強制力も全て気に食わなかった。

「敵意のねえ奴に剣向けんのかてめえは」
「元でも魔王を名乗る男に、はいそうですかと気を許すとでも思うのか。……しかし」

 再び空気の凍る音がして、レイピアの鋒がシグムントの喉元へと伸びる。セタンナの氷でできた刀身は、長さも形状も実に自在である。

「お前が元魔王であるのなら、私の攻撃をいなすことで証明としてやろうか」
「っ、やめろ‼︎」
「中身のない嘘などつかぬ方が身のためだ。シグムント、命が惜しいのなら、素直に私に協力をすることだ」
「ゥグルウウウ‼︎」

 イェネドの牙が刀身へと襲いかかる。しかし、セタンナの氷は姿を変える。牙がへし折った鋒が鳳仙花のように弾けると、鋭い棘の一つがシグムントの白い頬に赤い線を引いた。

「シグ‼︎」
「……イェネド、退いてくれ。守ってくれてありがとう」

 白い手がイェネドの体に添えられる。赤い瞳は、シグムントの真意を問いかけるように静かに向けられた。氷の剣に噛み付いたイェネドの口端は赤くなっている。シグムントは笑みを浮かべると、頬に滲む赤い血をゴシリと手で拭いとる。
 
「……セタンナさん。俺を殺したら、この命を生かしてくれたイザルもまた殺される。そんな状況で、動くなという方が無理なものだ」
「随分と大きくでたな。ならば、その理由を言えばいい」

 冷気の漂う室内で、イザルは何もできずにいた。魔王の討伐証明が角ではないことは、生きているシグムントが示している。つまり、シグムントが死ねば王に渡した角も消える。故に、イザルは己の嘘がバレないように、シグムントを生かし続けなければいけない。
 イザルが端的に言い続けてきた言葉を、シグムントはきちんと理解していた。理解した上で、納得していたということだ。そのほうがイザルとしても都合がいいというのに。改めてシグムントの口から聞くと、心の奥がざわついた。
 
「くそ……っ」

 セタンナのレイピアは、再び氷によって形成された。その鋒が、掬い上げるようにシグムントの顎を持ち上げる。全てを受け入れるかのように節目がちになるシグムントの顔は、無垢な聖人のように美しかった。

──── そこは、俺だけの場所なはずだろ

 同時に襲ってきた、独占欲からくる嫉妬。イザルは、目の前の光景と魔王城での邂逅を重ねていた。
 シグムントの命はイザルのものだ。それは、誰にも侵害されてはならない権利なはずだ。だって、イザルが生かして、イザルが拾った。稚拙な嫉妬からくる苛立ちが、イザルから冷静さを奪う。
 握りしめた拳に、血管が浮かび上がる。皮膚の擦れ合う鈍い音を耳にしたルシアンが眉を寄せてイザルを見た時だった。

「すまぬな、イザル」
「は……」

 シグムントの手が、頭の角に巻きつけた認識阻害の布を解いた。魔王であることを隠すためでもあり、人間を振る舞うための薄い布きれ。それが、あっけなく寝具の上へと落ちた。

「お前、何して……‼︎」
「その角は……」
 
 誰かの息を呑む声が聞こえた。シグムントの頭には、国王に献上された角と同じものが生えていたからだ。見間違えるはずもない、長く立派なそれは、龍の角にも似ている。黒曜石に似た美しい光沢は、時折紫紺の光を内側に宿す。
 本来の姿を晒したシグムントに、普段のおっとりとした様子は見受けられない。銀灰色の瞳にオパールのような偏光を宿し、セタンナを静かに見つめる。

「俺が君の望むままに姿を晒すことは、敵意のない証明になるだろうか」
「……いいだろう」
「ならば話す前に条件を一つ。君は俺に友好でなければならない。良いか」

 随分と下手くそな脅し文句だと、セタンナは内心で笑った。肯定を示すように、レイピアをしまう。先程まで鼻の頭を赤くして泣いていた人物とは、似ても似つかない。
 碧眼は確かめるようにイザルへと向けられた。そこには、戸惑う元勇者の姿があった。

「構わない」
「二言はないか」
「無論。私は有益なやりとりをしたいだけなのでな」
「……わかった」

 セタンナの言葉に、シグムントは小さく頷いた。成人男性にしては小さな手を、そっと己の胸元に当てる。呼吸を整え、冷静でいようと努めるかのようである。しかし、実際は違った。
 
『その誠を暴け』
「な、っ」

 シグムントの声は、不思議な反響音を伴っていた。まるで、その場の一挙手一投足が緩慢に見えるのは、それほどまでにシグムントの放った術の魔素が濃いからだ。
 踊りに誘うように、シグムントの手のひらがセタンナへと向けられたその時。室内は熱を伴って明るく照らされた。
 本当に突然、セタンナの体を包み込むように炎が牙を剥いたのだ。
 
「隊長……‼︎」
「魔族うううう‼︎」
 
 ルシアンの叫び声を掻き消すメイディアの怒声が響き、シグムントは声も許されぬまま首を掴まれた。薄い体は力任せに床へと叩きつけられる。メイディアの狼の瞳は、鋭くシグムントを見据えていた。

「かふ、っ」
「イェネド‼︎」
「邪魔するなら殺すぞ‼︎」

 イザルの声が聞こえて、シグムントの首を絞めるメイディアの腕にイェネドの牙がめり込んだ。細い首を圧迫する腕の力は、一向に弱まる気配はない。唇を戦慄かせ、呼吸もままならないシグムントは、すでになんの魔力も感じられなかった。
 メイディアの空いている手に、徐々に魔素が集まり氷の短剣を形成していく。刃をシグムントへと向けるように振りかざす。その鋭い鋒で、喉を貫くつもりだった。
 
「待て、メイディア‼︎」
「止めるなルシアン‼︎ 俺は、こいつを」
「っ、隊長は死んでない‼︎」
「……あ?」

 ルシアンの黒い瞳には、ごうごうと燃え盛る炎が確かに映っていた。しかしそれは、ただの魔力を帯びた炎ではない。まるで、意志を持って形作るように、姿を変えたのだ。

「ど、うなって……」
「……なるほど、私の秘密と交換というわけか。シグムント」

 こめかみに青筋を浮かばせたセタンナが、軍靴でシグムントの銀髪を踏みつけた。炎を体にまとわり付かせながらも、衣服はおろか火傷の後も一切ない。セタンナの姿は異常である。
 視界に飛び込んできたセタンナの姿に、メイディアは呆気にとられたかのように見上げていた。
 手から滑り落ちたのは、握りしめていた氷の短剣だ。その鋒がシグムントへとあたるすんでのところで、何かに弾かれるように短剣は壁へと突き刺さった。代わりに床へと落ちたのは、ベットのサイドテーブルに置かれていたはずの水差しだった。

「っ、離せ馬鹿野郎」
「うわ、っ」

 それを投げたのは、イザルだった。咄嗟の判断は培ってきたものがあるからこそだろう。伸ばした手がメイディアの肩を鷲掴み、シグムントから引き剥がす。床に倒れ伏した体を引き寄せると、セタンナから守るように抱き寄せた。

「ふん、首輪が外れたか」
「てめえ、その炎なんなんだ」
「ぅ、……けほ、っ」

 イザルの問いかけに、セタンナは行動で示した。火傷を隠した手を、そっと虚空へと持ち上げる。その五指に誘われるように絡み付いた炎は、みるみるうちに人の手の形を模していく。
 イザルの目の前で、炎は徐々に姿を変えていく。オレンジ色の炎は白く染まり、成人の男の姿へと変わっていく。明らかに人ではないそれは、魔物にも見えなかった。瞳孔は炎の色をしている。人外の目は穏やかに細まると、セタンナの手を握り返して宣った。

『このかたの前では、姿を隠せない』
「精霊のくせに、魔族を敬うか」
『違うよセタンナ。彼が彼であるからだ』

 精霊。それはこの世にあって魔族や魔物とついをなす神的存在である。それはあらゆる現象そのものであり、魔力とはまた違う力を宿し操るという。
 イザルの腕の中で、シグムントがみじろいだ。イザルの説明を求めるような瞳に気がつくと、柔らかな唇をしまいこむように口をつぐむ。

「シグムントてめえ……」
「はい」
「説明」
「……むうう……っ」

 シグムントの顔が、クチャっと歪む。まるで、これからイザルに怒られるのを理解しているかのような態度である。メイディアによって、誤解とはいえど殺意を向けられたのだ。それなのに、随分と平気に振る舞う。
 イザルは大丈夫なのか。やら、どこか痛いところは。と、聞きたいことが山ほどあったがなんとか飲み込んだ。

「うぅ……っ、だ、だって、こうでもしなきゃ、イザルは殺されるのだろう……?」
「ああ……こういうことができるなら事前に知りたかったがなあ……‼︎ だが今回はお前の機転でどうにかなりそうだぜ」
「なら、怒らないのか? もう今日はグーで打たないって約束するか?」
「多分な」

 シグムントの手によって暴かれた秘密は、それほどまでに大きい。あの冷静なセタンナが、わかりやすく苛立ちをあらわにしたことが何よりの証拠だ。そもそも、保有する属性と真逆の精霊を使役しているということ自体が不自然である。
 げんに、ルシアンやメイディアもその秘密を知らなかったらしい。呆気にとられたまま、動きを止めている。
 尾を振りながら、イェネドがチャカチャカとイザルへ歩み寄る。シグムントを守ったことを褒めるように頭を撫でてやれば、イェネドは誇らしげに鼻息で返事をした。

「フレディ、消えろ。今日のことは気にしなくていい」
『わかった。ごめんね』

 耳心地の良いテノールがセタンナに答えると、再びその身を炎に変え、セタンナの手のひらの中に吸い込まれていく。小さな火種を消すように握りつぶす。バツが悪そうに舌打ちをすると、被っていた軍帽を外して髪をかき上げた。

「セタンナ。今のはなんだ」
「……フレアディモンテ。私の家に封印されていた精霊だ」
「属性が違う精霊を使役されてるんですか……⁉︎」
「黙れメイディア。そう急くな……、きちんと話してやる」

 セタンナの態度から、この説明が乗り気ではないことは明らかである。
 イザルはシグムントを抱き上げると、再びルシアンのベットへと下ろした。服を握りしめる手がかすかに震えている。どうやら今頃になってメイディアに殺されかけた恐怖がきたようだ。離される気配のない己の服を諦めるように、イザルはどかりとベットに腰をおろす。
 
「こうまでされたんだ。シグムント、お前の正体が元魔王であることについては、決して口外しない。誓おう」
「嘘だろ、お前本当にセタンナか」
「また下半身を凍らせてもいいのだぞ」
「それは勘弁しろ」

 物分かりのいいセタンナに驚愕を示したイザルは、シグムントが伏せっている間に生殖機能を奪われかけたのだ。閑話休題。ルシアンのわざとらしい咳払いに、イザルは渋い顔をして口をつぐむ。

「シグムント。私は貴様のことを口外しない。その代わり、私が望むことはただ一つ。魔物の討伐への協力要請だ」
「嫌だね」
「俺は構わないが、紙に書いてくれないか。私はシグムントの秘密もバラさないし、イザルを誓って殺しませんって」
「おいこら勝手に話を進めんじゃねえ」

 シグムントの言葉に、セタンナは片眉を上げる。要求は予想の範疇だったらしい、文句を言うイザルを無視するようにインベントリから紙とペンを取り出す姿は、普段の振る舞いからは想像もつくまい。

「セタンナ隊長が人の言うこと聞いてる」
「黙れメイディア、これは現実だ」
「聞こえているぞ二人とも。随分と楽しそうな話題じゃないいか。ええ?」
「すみませんなんでもありません‼︎」

 それにしても。イザルの目は、セタンナの背に向けられていた。先程の精霊の話について、まだ聞きたいことが山ほどある。シグムントの秘密がイザルの命に関わることは確かだが、晒されたセタンナの秘密もまた、
 どう問いただすべきか。イザルが逡巡したとき、シグムントの間抜けな声が飛んできた。

「イザルー! セタンナに書いてもらったぞ、契約書! 俺が持つよりも確実だろう、どれ受け取りなさい」
「あ、ああ……」
「いや、やはり女性だからか字が美しいんだ。このスペルの跳ね上がりなんて特に」
「セタンナ隊長」

 手招きまでして契約書を渡してきたシグムントの声を、ルシアンが遮った。その真剣な声色に、ギョッとしたのはメイディアだけである。
 すでにセタンナは、何を言われるかを理解しているのだろう。ルシアンへと向き直るその表情は、かすかに笑みを浮かべていた。

「精霊を宿しているなら、報告義務違反ですよセタンナ隊長。国王の耳に入る前に、きちんと申請を」
「異属性だぞ。構わんさ、イレギュラーがないと見越して作られた義務など、所詮どこかで綻びが出るというもの。お前達が告げなければ問題はない」

 ルシアンのいう通り、セタンナは己の部隊はおろか、国にも精霊を使役していることを秘匿していた。魔族や魔物とは違い、精霊は善性の存在と言われている。そして、通常は同じ属性を持つ精霊しか使役することはできない。
 報告をしなかったということは、セタンナはフレディを戦力の一つとして扱うつもりがないということだ。つまり、何があっても国の有事にはその力を発揮しないと看做される。 

「どうしたんですか、そんな投げやりになって」

 セタンナのらしくない様子に、ルシアンが眉を寄せる。
 指摘されたからといえど、子供のように不機嫌を振る舞うたちではないことは、誰よりも理解している。しかし、セタンナは目を細めるだけであった。まるで、言っても無駄とでもいうように。
 勝手にされたであろう線引きに、ルシアンはわずかに口端を噛んだ。ずっと隣で見てきたセタンナに一つも打ち明けられなかった。それが、まるで信頼を寄せられていないようで悔しかったのだ。

「少しいいだろうか」
「シグ……」

 どことなく重苦しい空気を、あっけなく変えてしまったのはシグムントだ。いつから挙手制の発言になったのかは定かではないが、唐突な主張に全員の目が小さな体へ向けられる。

「もしセタンナが今更精霊保持の報告するのなら、その報告を促したものがいるとみられるぞ。一筋縄ではいかぬ彼女の性格だ、きっと理由を辿られて、俺たちの秘密までもが芋づる式にバレてしまう。そうすると、俺の首だけで済むのかな」
「シグ、……確かに」
「だろう。無論俺は死にたくはないし、イザルを殺したくもない。そして遊撃部隊は兵舎に魔物を手引きしたこととなって吊し上げられるだろう。そうしたら、多くの隊員が路頭に迷うのではないか」
「……」

 シグムントの言葉は、起こりうる最悪の未来について示していた。しかし、セタンナの閉口もまたシグムントと同じ理由だったらしい。碧眼が面白そうに華奢な姿を捉えていた。
 元魔王らしい見識の広さは、普段の様子からは微塵も汲み取れない。シグムントの先を見据えた発言に、イザルはただ静かに驚くことしかできなかった。


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