アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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氷の女王とじいちゃん魔王

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「なるほどなあ。お前はそういった成り行きで仲良しになったのかあ」
「ウォン」
「ああ、良い良い。お前がそうだと申すのならそうなのだろう。何、シグムントはイェネドがきちんとお利口なのは知っておるよ」
「アゥ、ウゥォンッ」
「ふふん、もうネーヨちゃんとは呼ばぬよ。俺の伸び代はこういうところで発揮されるのだ」  

 同じことは二度繰り返しては行けないのだぞ。シグムントはのんびりとした声で宣うと、イェネドの天鵞絨のように滑らかな毛並みを撫でる。
 なんとも微笑ましい光景だ。暖かな陽光が降り注ぐ部屋のベットの上で、麗人と黒い毛並みの狼が戯れる。
 日差しを浴びてキラキラと輝く埃っぽさだけが、妙に現実感を知らしめる。

「てめ、きったねえんだよ‼︎ 使ってねえなら埃除けの布でもかけとけやクソが‼︎」
「もので溢れているわけではないさ。水拭きだけで済むんだ、面倒臭いわけあるか」
「それはルシアンが自分で掃除する前提で許される言葉なんだけど⁉︎」

 セタンナがルシアンの部屋に来る。そう告げたメイディアが続け様に放った言葉は、埃をひとつも残すな。である。
 部屋の掃除が行き届いていないものが、戦場で細部にまで目を配れるか。セタンナの持論からもわかるように、遊撃部隊の隊長殿は実に几帳面な性格なのだ。
 汚いなら、清潔魔法をかければいい話だろう。そんな一言も、セタンナの前では通用しない。遊撃部隊は業務から離れても精神は崩さず、常に敵の奇襲に備えるべし。入隊から耳が腐るほど聞かされるそれは、もはや訓練でついた傷に嫌というほど染み付いている。
 日々の生活の中での無駄な魔力消費は、いざという時の魔力枯渇に繋がる。セタンナが碧い目を光らせて叩き込んだ教えは正しく作用し、こうして大の大人を動かすのだ。

「なんだか俺ばかり休んでいて申し訳ないなあ。俺も手伝おうか」
「てめえはそこから動くな。イェネド、お前も体毛撒き散らしたらタダじゃおかねえからな」
「アゥア……」

 はたき片手に凄むイザルは、いつもの治安の悪さが半減しているようにも見える。シグムントとイェネドはしっかりとステイを言い渡されたわけである。
 白い手が手持ち無沙汰にふかふかの頬を揉み込むのを、イェネドは意外にも許している。ここ数日で己がウェアウルフであることを忘れているのかもしれない。
 太い尾の先をパタパタと揺らしていたイェネドの濡れた鼻が、ヒクヒクと反応を示す。そのまま扉の先へと耳をそばだてる姿は、どこからどう見ても大きな犬であった。

「来る」
「げえっ」

 棚を拭いていたルシアンが、緊張感を宿した声色で、端的に宣った。
 その言葉をきっかけに、イザルたちはにわかに慌ただしくなった。メイディアが着ていたエプロンを大慌てで脱ぎ、イザルは手にしていたはたきを窓の外に放り投げた。まるで取り繕うかのように身だしなみを整えると、敵陣へと乗り込む傭兵のような慎重さで、ルシアンが扉の横に身を潜めた。
 いいしれぬ緊張感が、部屋の中に漂っていた。メイディアはルシアンの黒い瞳に宿された指示に小さく頷くと、そっとドアノブに手をかける。
 そして狼の瞳が、覚悟を問うかのようにシグムントへと向けられた。

「準備はいいかい」
「う、うむ。いつでもきなさい」
「…………」

 ふんすと意気込むシグムントの様子に、イザルだけはひしひしと嫌な予感を感じていた。
 わずかに開いた扉の隙間から、ゆったりと白い冷気が入り込む。床板にわずかな霜が降りた瞬間、メイディアは勢いよく扉を開け放った。

「お疲れ様です」

 ゴツリと軍靴が床を叩く音がして、シグムントは顔を上げた。銀灰色の瞳に映るのは、一分の隙も無い軍人であった。遊撃部隊の黒い軍服を纏うのは女性のはずである。しかしそこに市井の乙女のような柔らかさは見当たらない。軍帽の隙間から見える金髪は短く整えられ、切長な碧い瞳に睨まれれば、おそらく同性であろうと婦女なら色めき立つだろう。
 室内に足を踏み入れるだけで、その場の空気が引き締まる。氷の麗人と呼ばれる遊撃部隊隊長セタンナは、冷たい瞳にシグムントの姿を映す。
 飾り気はないが形のいい口元が、シグムントヘと微かに笑みを浮かべたように見えた。

「驚いた。随分と勇猛な女性がいるものだ」
「ばっ」

 ばっかじゃねえの。という声を慌てて飲み込んだのはメイディアである。その代わり、信じられないものを見る目をシグムントへと向ける。
 緊張感の漂う部屋で、一人だけ呑気に笑みを浮かべる。セタンナに向けて女性と言葉を放つシグムントは、間違いなく悪い意味での大物である。

「……見たところ貴様がイザルの大切か。半端者の魔族のようだが」
「ううん、大切はルシアンのことだ。この俺は、ただ二人の仲を取り持っただけのこと」
「……イザルの大切が、ルシアンだと」

 言いやがった。この状況で、またしてもマイペースを遺憾なく発揮しやがった。イザルの表情はまさしくそう語っていた。
 シグムントが超弩級のマイペースであることは、もはや周知の事実である。むしろ周りの渋い空気を知った上であえての発言だとしたら、イザルは元魔王の恐ろしさをまじまじと見せつけられたと思うだろう。
 しかし、とうのシグムントは気がついていない。己以外の男が、皆一様に吐きそうな顔をしているということに。

「貴様はルシアンを知り、イザルを理解した上での発言か」
「む?」
「どうやら貴様は随分と愉快な男らしい」
 
 シグムントの体に影がさす。セタンナが碧の瞳で見下ろしたのだ。その歩みを確かに注視していたはずである。それが、あっさりと触れ合う距離を許してしまった。
 ルシアンとイザルの表情に、わずかな焦りが宿る。しかし、あろうことかセタンナは二人の緊張を裏切った。シグムントのいるベットへと、何の躊躇いもなく腰掛けたのである。

「……男の横になるベットの上に腰掛けるのは、よした方がいい」
「私は私のやりたいようにする。貴様の窘めなどいらぬさ」
「ふむ。なら俺が降りよう。どれ、イザル。そこの椅子を貸してはくれないか」
「私はこの距離で貴様と話をしたい」

 イザルを呼ぶためにあげた手は、セタンナによって囚われた。白いグローブ越しの手は、女性の割にはしっかりとした力の強さがあった。
 しかしシグムントが見つめていたのは、グローブに隠されているのであろう、火傷の痕跡。銀灰色の瞳が戸惑うように揺れて、助けを求めてイザルを見る。

「どうしようイザル。俺は女性とのふれあいに慣れていない。お前もきてくれないか!」
「絶対に断る。断固拒否」
「なんだと! 俺にどうしろというんだ!」

 セタンナを前にしても女性扱いを揺るがせないあたり、シグムントの呑気は寝起きでも通常運転だ。イザルからしてみれば、男よりも勇猛だと言われているセタンナを前にそう振る舞える方がよっぽど異常である。
 しかし誰からも助けを得られないと判断したのか、シグムントはひどく情けない顔をしながらセタンナと向き合った。その手は、徐に手首を掴むセタンナの手に添えられる。

「……貴様、これはなんのつもりだ」
「嫌なら離すが、お嬢さんが先に俺の手を掴んできたのだろう」
「わかった、なら私の手を離せ。話が進まん」
「話すのは構わない。まずは互いを知るところから、だな」

 まるで、初めて出会った婚約相手への振る舞いにも見える。照れ臭そうにセタンナの手を握りしめるシグムントに、周りの冷や汗と緊張感はもはや頂点に達している。
 後一つ何か不敬を犯せば、きっとシグムントの首と体は永遠にバイバイすることになる。そんな未来が容易にできるのが恐ろしい。
 
「わかった。なら私から身元を明かそう」
「セタンナさんだろう。ルシアンの部隊の隊長だということは、なんとなく話の流れで聞いているよ。それ以外で君のことが知りたい。ダメだろうか」
「……なら貴様からだ。私は、お前がイザルの隠し玉だということしか認識をしていない」
「隠し玉? なんだと、イザル! お前は俺のことをそう評価していたのか。水臭いじゃないかなんでもっと早く褒めない!」
「おい、今はこちらの質問に答えろ」

 セタンナを前にして発揮されるシグムントのマイペースは、どんどんと磨きがかかっている。イザルは名前を出された途端に青い顔をし、身振り手振りで後にしろと指示を送る。当然シグムントがセタンナのいう隠し玉なはずがない。そもそも隠せるなんて思ってもいないのだから。
 しかしシグムントは未だ照れ臭そうにしている。そして、最もイザルが望まない形で自己紹介をした。
 
「ううん、ふふ、まあまず名乗ろうか。俺はシグムント、……そうだなあ、イザルの女、というところだろうか」
「誤解を招く発言をするんじゃねえぶっ殺すぞ‼︎」

 間髪入れずにイザルからの訂正が飛んでくる。美人局まがいなことをしろと言ったのを、律儀に覚えていたが故の悲劇だ。
 セタンナはというと、眉を一つ動かすのみであった。シグムントの様子からして、ここまでで嘲るような振る舞いは見受けられない。ともすれば純粋なるバカなのだろう。碧い瞳は、実にしっかりと値踏みを終えていた。

「……貴様がイザルの雌なのかどうかはどうでもいい」
「イザルだけではありません、彼は俺の雌でもあります」
「ルシアン、その発言と病欠が関連付くというのなら、私は目を瞑ってやることはできないぞ」
「あ」
「あ、じゃねえよルシアンの馬鹿野郎……」

 三人の大の大人が揃って顔を青ざめさせる。その様子は、己の死に様を見届けたかのような表情だ。
 そんな様子に助け舟を出すかのように、シグムントはセタンナの手を離してクッションを引き寄せた。今間違いなく状況を最悪へと運んでいる張本人が、妙な心遣いを見せたのだ。

「セタンナさん、お話をするのだろう。ならこれをどうぞ」
「……貴様に聞きたいことがある。まずはなぜイザルが貴様の存在を隠すのか」

 受け取ったクッションを、セタンナは脇に避ける。
 シグムントは、その質問にわかりやすく眉を下げた。後ろめたい何かがあるというよりは、まるで秘密を明かしてもいいのかと確認をするようにイザルを見る。

「これは、言ってもいいのかわからないんだが。……すまないがイザルに許可をもらってくれるか」
「いい、話していいからこっちに振るな」
「だそうだ。私に理由を話せ」

 セタンナを前に、困り果てているシグムントを見る。イザルはわかりやすく表情を硬くしていた。嫌味な女だというセタンナへの評価は、イザルの中で一層上がる。何せ前日の夜に、誘導尋問のように問い詰められたばかりなのだ。

──── お前の大切は、随分と利用価値がありそうじゃないか

 あの時の嫌味な笑みときたら、イザルは今でも脳内再生することができる。
 イザルはセタンナが接触してきた時点で、ルシアンをけしかけた理由に気がついてしまった。ずば抜けて知能の高い女だ。その辺の市井の女のようにあしらうこともできるはずがない。おそらくセタンナは、至極面倒臭いことに巻き込もうとしている。それも、イザルが最も望まない形でだ。

──── 何も取って食おうと言うつもりはない。お前の大切がどこまで有用かを確かめるだけさ
 
 
 それ以上の言葉は必要なかった。イザルは、セタンナのたった一言で全てを理解したのだから。
 一人になりたいと言って城をでたイザルが、こうして再び旅に出ることになった時点でセタンナの目は光ったのだろう。己が矛盾な行動をとっていることは、イザルが一番理解している。そしてルシアンの無断行動がセタンナにとって都合のいい形で作用して、こうしてイザルを追い詰める。
 建前上は、イザルの不信行動を見張るためのルシアンだった。だがセタンナは、シグムントがイザルの弱みになると言ったのだ。何も持たないイザルの弱みは、王命に背く事実のみ。そしてその推測は、人を寄せ付けないイザルが仕方なく連れ歩く人物から繋がってくる。あの夜の問いかけに動揺した時点で、すでにセタンナに負けているのだ。
 碧い瞳がイザルを見つめる。一つの覚悟を迫られているようだった。

「イザル。職務を果たせ。しかし協力はしてやる」
「職務とかよお……俺はてめえの部下じゃねえっての」

 イザルの口ぶりに、セタンナは笑みを浮かべた。二人の中での決着がついたのだ。
 シグムントの不安げな表情は、より色を濃くしていた。イザルは深いため息を吐くと、揃いの銀灰の瞳を見つめ返して頷いた。

「シグムント」
「え……」
「お前の秘密を口にしてもいい。……

 最後の言葉は、シグムントへの言外の牽制でもあった。ここは魔物を討伐することを生業にする遊撃部隊の本拠地だ。そして、目の前にはその隊長であるセタンナがいる。当然、そのことをシグムントも理解していると信じている。
 イザルのまっすぐな視線に、細い喉がかすかに上下する。シグムントは意を結したようにセタンナを見ると、イザルの信頼に答えるように、誠意を持って宣った。

「……俺は元魔王、シグムント。そしてルシアンとイザルの心の架け橋でもあ」
「そこまであけすけに言えとは言ってねえええええ‼︎」
「ひゃいんっ‼︎」

 スパァン! と勢いよく放たれたイザルの掌が、シグムントの頭を強打した。
 五人と一匹が集う一室が、しん、と静まり返っている。時計の針の音だけがカチコチと進む中、イザルはゆっくりと両手で顔を覆うと、ずるずると床に座り込んだ。



 
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