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二匹の魔物の行く末は 

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 イザルは己の心臓の奥が冷たくなっていくような、そんな心地に苛まれていた。
 今まで魔物を殺してきたイザルは、残された黒い魔石には無頓着に戦場を駆け抜けてきた。時には金になる討伐部位すら放置をしていたほどである。単純に、殺めた魔物で飯を食う、そんな環境に身を落とさなくてはならなかった。その事実が嫌だったからだ。そんなことをして何になる。イザル自身一番理解していたことだ。

 けれど、今目の前で起きたことがイザルを突き落とす。今まで行ってきた勇者としての当たり前が、過ちだったんじゃないかと問いかけてくるのだ。

「魔石の中身を、聖剣が吸収した……?」

 シグムントの言葉に返事を返す余裕はなかった。なぜ、今なのだ。魔石の特徴については聞き及んでいた。それなのに、無意識下で体は自然と動いていた。剣で魔石を貫くべきだと、行動を起こしたのだ。己が幾つも倒してきた魔物相手には、そうはならなかった筈である。一体、何が起きたと言うのだ。まさか、勇者自身が剣に操られているとでもいうのか。
 静寂が、辺りを包み込む。剣を鞘に戻すと、浮かび上がってきた恐ろしい考えを振り払うかの様にシグムントを見た。

「……今はいい。帰んぞ」
「イザル、」

 もし、魔石を貫くところまでが完結だとしたら、イザルはそこまでしてはいない。今までの勇者としての役割が、無意味なものになってしまう。余裕がなかったことが言い訳になるのなら、イザルに残された逃げ道は無くなってしまう。
 切り開いてきた道筋に、再び魔物は湧くのだろうか。もしそうだとしたら、シグムントを討伐しなかったことも含めて、国にバレたらいよいよ殺される。
 そうやすやすと殺されるつもりは微塵もないが、手配書がばら撒かれて仕舞えば余計に生きづらくなってしまう。
 舌打ちをした。小さな音だった。それでも、イザルの小さな不安の積み重ねが音になったそれは、やけに耳に残った。

「オレタチハドウスリャイイ」

 逡巡の間、イザルに声をかけてきたのはイマカであった。大きな金色を両目に収めた小柄なゴブリンは、自分の行く当てを迷うかの様な表情で問いかける。
 そんな目で見られてもどうしてやることもできない。この剣で、イマカの仲間たちを何匹屠ってきたと思っている。口に出来ない思いは、自然に語気へと反映される。

「俺らの仕事は終いだ、森へ帰んな」

 吐き捨てる様に宣ったイザルに、イマカは渋い顔をした。イザルと同じで、イマカにはもう戻る場所も群もない。今更別の群れへと頭を下げて入れてもらうのも愚か者を晒す様で嫌だった。
 イマカの真下では、ネーヨが居心地悪そうに耳をへたらせている。同じ魔物同士、境遇には通じるものがあるらしい。

「ソウダナ」
「嫌だ。俺は反対だ」
「俺達ハ別行動……エ?」

 声を上げたのはシグムントであった。手のひらを見せつける様に天高く伸ばし、不服を勇ましく宣言する。

「いいか、魔王は懐に入れたものを手放す様な愚かはしない。それは、相手の気持ちを裏切ることになるからだ」
「……シグムント、そういう話をしてえわけじゃねえんだ」
「自分を慕ってくれたものを、大切に出来ないで何が魔王だ。俺の両腕は確かに短いが、それでも誰かを抱き締めることは出来るのだぞ」
「てめえはもう魔王じゃねえだろう」
「ああ……だから今は、もっと沢山のものを大切にできる」

 真っ直ぐにイザルを見つめるシグムントの銀灰の瞳は、イザルの否定を受け入れるつもりは毛頭ない様だった。
 今はもう、魔王という立場からは引きずり下ろされた身だ。だからこそ、できることが増えたと胸を張る。何にも縛られず、手を差しのべることができる。シグムントにとっての魔王とは権力そのものではなく、ただの枷であると言外に言ってのけたのだ。誰かの力になりたいという気持ちに、下心を入れなくて済む。素直になれる今、シグムントは前よりも我儘になっていた。

「元魔王だから、我儘なんだ。イザル、俺は彼らを仲間にしたい」
「シグムント」
「一人は怖いんだよ、イザル。それに、俺もいつかはお前から離れる時が来ると思う。その時に、俺自身が寂しくない様にしたいのだ」

 ずいぶん身勝手な言葉だと、イザルは思った。それでも、嘘などつけぬ不器用な男であると知るのもまた、イザルであった。
 シグムントは魔族の癖に、なんの取り柄もなくなってしまった。けれど、イザルの咎の一つとして隣を汚すつもりは毛頭なかったのだ。
 人間は、魔物や魔族を嫌悪する。それが世の中の常識であることを、シグムントは知ってしまった。だからこそ、いつまでもイザルの隣にはいられないだろうことも理解していた。

「深夜の国の側を通ったら、俺を置いていってくれ。俺は彼らと国に帰る。イザルにはすまないが、そこまでついてきてほしい。護衛としての代金は、道中相談させてくれ」
「お前は、ひどい奴だな」
「元魔王だからな」
「元魔王…。俺はここまで助けてやったのに、お前の懐には入ってねえというわけか」

 シグムントの細い両腕で縋りつかれた時、悪くないなと思ってしまったのに。シグムントはあの時のイザルの自己肯定感を踏み躙る様なことを言うのだ。これが、ひどい以外の言葉でどうやって言い表せようか。
 不安に思っていた魔石のことを端によけ、イザルは真っ直ぐにシグムントを睨み据えた。戸惑った様に瞳を揺らすシグムントから視線を逸らさぬまま、イザルはずんずんと歩み寄る。あっという間にその距離を縮めると、シグムントの手を掴んで引き寄せた。
 
「ひゃ」
「お前が始めたことだろう。勝手に俺を差し置いて自己完結するんじゃねえ」
「い、イザル、しかし」

 ネーヨの上から落ちてきた体を抱き留めた。背中に回るイザルの腕は、シグムントが離れることを許さないとでもいう様に力強い。

「大袈裟にふんぞりかえったんなら、俺のこともまとめて大事にしろ馬鹿野郎」
 
 イザルは腹がたっていた。せっかく命を拾ってやったのに、なんで置いてかれなきゃいけないのか。不満はありありと表情で語っている。一人では何もできないくせに。シグムントに必要なのは脆弱な魔物どもでもなんでもない。己自身だろうと自負すらしていたのだ。
 イザルは最初から、自己肯定感を高めるためにシグムントの体を求めた。こいつは俺がいなくては生きられない。こいつだけは裏切らない。こいつだけは、何があってもそばにいる。
 触れた熱が予想以上に心地よくて、空いた穴にその存在がかちりとはまってしまったのだ。つまり、責任をとってもらわねばなるまい。シグムントには、イザルが腑抜けてしまった重い責任を、背負ってもらうべきである。
 暴論にも程がある。身勝手な欲。ぶっきらぼうな言葉を前に、シグムントは、絶句をしていた。
 イザルの香りは安心する筈なのに、肺いっぱいに吸うと苦しくて仕方がない。せっかく振り絞った勇気を無碍にされたのに、シグムントはそれが嬉しかった。
 本音は、怖かったのだ。イザルがシグムントの言葉に同意をして、終わりが決まってしまうことが。人肌が恋しかったシグムントに、イザルは嫌悪なく触れてくれたのだ。初めての独占欲を、教えてくれたのだ。離れ難い理由としては、弱いだろうか。
 それでも、イザルはシグムントが触れることを許してくれる。こうして抱きしめてもくれる。それが当たり前ではないことを、知っているのはシグムントだけだろう。
 厚みのある背中に細い腕が回される。胸元に顔を埋めたシグムントが、服越しにもわかる程の熱い吐息を漏らした。イザルはただ細い腰に片手を腰に添えたまま、好きにさせていた。

「く、苦労、か、かけてしまう、かもしれん、っ」
「かけねえ努力をしろ」
 
 イザルの胸元から、シグムントがゆっくりと顔を上げる。銀色の瞳はトロトロに溶けて、鼻の頭は真っ赤になっていた。
 黙っていれば、本当に顔がいい。それなのに、惜しげも無く不細工な泣き顔を向けるものだから、それが、ほんのちょっとだけ可愛いかも知れないと思ったのは秘密だ。

「い、イザルが、き、嫌われ、ものに、なるかもしれぬよ、っ」
「元々そんな好かれる性格はしちゃいねえよ。」
「そ、そうだな、うん、……うん、っ」
「そこは全肯定すんじゃねえ馬鹿が」

 不器用なイザルの手が、シグムントの髪を乱雑に乱す。涙で濡れた唇に目を奪われて、思わず引き寄せられた。鼻先が触れ合って、踏みとどまる。そのまま目線をシグムントの背後に向ければ、小さな手のひらでネーヨの視界を覆うイマカの姿があった。

「ドウゾ」
「…………てめえらも一蓮托生だかんな」
「エーー‼︎」
「っイザル!」
「グゥエッ」

 ネーヨの背中から降りたシグムントが、イザルの体に飛びついた。華奢な体を慌てて抱き留めると、イザルは大きな声で調子に乗るなと叫んだのであった。


 

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