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小さな痛み

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 イザルは苛立っていた。それは、己の人を見る目に対してだ。
 アルベルのことは知っていた。己の聖剣を安く買い叩いた相手だったというのもあるが、ククルストックで武器屋を営んでいる割に、客を選ぶような言動がいけすかない男。というのがイザルの評価である。
 しかし、ここまで器の小さい男だとは思わなかった。

「お前一人な訳じゃねえだろう、アルベル。てめえいったい何を隠してやがる」
「は、はあ⁉︎ お前、なんで俺を疑う必要がある! こっちは依頼者だぞ!」
「だから聞いてんだ。お前は何しに、ここにきた」

 黙りこくったアルベルの顔の皺が、深く刻まれる。苛立ちか、後ろめたさによる怯えか。アルベルの体はブルブルと震えていた。

「お前の荷物ん中に、俺の剣が入ってんだろ」

 確かな鋭さを持ってアルベルの喉元に突きつけられたイザルの言葉に、太い首がごくりと上下する。

「あるわけねえ、あれは店だ」
「俺がアレの魔力を感じてないとでも思ったか。返せよその剣」
 
 ついにアルベルの震えは、頭のてっぺんにまで到達した。顔を真っ赤にし、イザルの言葉を噛み締めるかのように口髭を動かす。目の前の若造の下に見られているというのも気に食わなかった。

「お、お前がいらないといったんだろう!」

 語気を荒げて吠える姿は、聖剣の価値を理解していることを示していた。
 聖剣に導かれてここまできた。それも、部下と二人でだ。しかし、ともに連れ立ってきた部下の姿はここにはない。この場に一人たどり着いたアルベルは、己が聖剣によって選ばれたのだと信じて疑わなかった。

「手放したお前が、……っお前なんかが俺と並べると思うなよ!」

 イザルの銀灰の瞳が、アルベルの心の荒ぶりを見据える。
 
「なら、買い戻してやるよ。お前が安く買い叩いた値段でな」
「この聖剣は、俺のもんだ!」
「ほらな」

 銀灰の瞳がくらりと光った。整った顔が、嫌味な笑みを浮かべて見下してくる。アルベルよりも頭ひとつ分高く、若い体を持て余しているかのようにも見えるイザルは、愚かを嘲笑うかのように宣った。

「俺はその剣が聖剣だなんて、てめえに一言も言ってねえ」
「むぅ……っ……!」
「お前、魅入られたな。大人しく仕舞い込んでくれりゃあこうはならなかったろうに」

 悪魔のような笑みを浮かべたイザルに、アルベルは己の誤算を悟った。
 つまらない日常に飽きていた。イザルによって売り払われた錆びた剣を手にした時、アルベルは己の体から何かがすり抜けていくよな感覚に陥った。
 その瞬間、この剣は生きているのだと理解した。面白みもない日常を、変えてしまう何かが起こるだろうと、そう思ったのだ。

「俺は言ったよな。処分してくれって」
「一度手放したものを、また手元に戻すか……っ、お前に矜持はないのか!」
「矜持で人が救えるんなら、最初っから勇者なんていらねんだよバーカ」

 イザルが勇者であることは、聖剣の記憶を垣間見たことで知っていた。そして、手にした剣が何を求めているのかも。
 
「こいつの今の主人はこの俺だ!」
「そうかい、ならその剣のお導きでここまできたってこったぁな」
「こいつは魔物を求めている‼︎ 全てはまだ終わっていないと訴えているんだ‼︎」

 アルベルの目は、理性を失ったかのようにひどく血走っていた。インベントリから、朽ちた剣が現れる。赤茶色に錆びついたそれが聖剣だなんて、誰も思わないだろう。
 封じるべき鞘は見当たらない、アルベルは剥き身のそれを振り下ろすようにしてイザルへ向けると、唾を撒き散らし宣った。

「剣は半魔を殺せと言っている‼︎ この国には人間しかいらんのだ‼︎ 王の御心に添えぬ輩の、血を欲しているんだよイザル‼︎」

 アルベルの老いた瞳は、真っ直ぐにシグムントへと向けられていた。切れ味の悪そうなそれを構え、一気に駆け出す。踏み出した一歩が地べたに深く靴跡を残した瞬間、イザルもまた飛び出していた。
 毛を逆立てたネーヨが威嚇をするように唸り声をあげている。剣が空を裂く音が聞こえ、華奢な体は怯えるように身をすくませた。

「……っ!! ……?」

 しかし、身を切られる痛みは訪れなかった。その代わりシグムントの耳に届いたのは、鋼が何かにぶつかる鈍い音だ。ひと呼吸も許されないような緊張感のある空気の中。恐る恐る目に映したもの。それは振り下ろされた剣を間一髪蹴り上げたイザルの姿であった。

「イザル……!」
「いでぇ……!!」

 弾かれた剣が弧を描くようにして瓦礫の隙間に突き刺さると、イザルは地べたに転がったアルベルの頭をがしりと鷲掴んだ。
 
「その剣は魔物の血に引き寄せられる。聖剣なんて名ばかりの呪われた剣なんだよ」
「くっ……」
「半魔を殺したって無意味だ。そんなのもわからねえくせに、ぎゃあぎゃあ吠えてんじゃねえ」

 鷲掴まれたところから、思考に暗幕がかかるかのように意識を奪われる。指の隙間から見たイザルの顔は、無表情だった。感情の抜け落ちたような、人間として欠落しているような表情だ。
 
「お前が、勇者など、笑わせる……」

 戦慄く唇で紡がれた侮蔑の言葉は、イザルの指先に力を込める。魔力を纏った手のひらは、アルベルから記憶を抜くためにゆっくりと浮かび上がった。
 特定の記憶を消し去る術の一つだ。アルベルの頭から浮かび上がった煙を握り込むと、イザルは空気中に霧散させるようにそれを散らした。

「い、イザル」
「……殺してねえ。記憶の一部を抜き取ったんだ」
「え?」
「俺が撒いちまった種だ。証拠隠滅したって構わねえだろうがよ」

 イザルの語気に苛立ちを感じて、シグムントは小さく身をはねさせる。揃いの銀灰の瞳が映す姿は、行き場のない感情に翻弄されているようにも見えた。

「……その」
「まだ終わってねえのなんて、てめえに言われなくたってわかってんだよクソが……」

 悔しそうな声色だ。ままならなさを、イザルは消化しきれないでいるのだろう。その背中に、触れてやりたかった。それでも、シグムントにはそれができなかった。勇気がなかったという方が、正しいかもしれない。

「シグムント」
「ん……?」
「顔見せてみろ。ああくそ、んとにどんクセェなあ……」

 イザルの手のひらが頬に伸びて、柔らかく目元をくすぐった。額から伝う血を拭われたのだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。
 しのぶように向けた目線の先。イザルはいつも通りの不機嫌顔に戻っていた。石をぶつけられ、傷ついたこめかみはジクジクと痛みを主張する。

「あの、……」
「あ?」

 大丈夫か、と言いかけてやめた。シグムントがもし魔族でなければ、臆さずに心配を向けることができるのだろうか。彷徨う手は本体よりも実に雄弁だ。遠慮がちに握りしめられた服の裾を、イザルの目が一瞥する。きっと、この先もイザルは心無い言葉を受けるだろう。シグムントがそばにいることで、周りから向けられる視線は鋭いものになる。
 本当は、シグムントから離れた方がいいということは理解していた。それでも、どうにも離れ難くなってしまった。一度孤独から抜け出したシグムントの心地は、随分と贅沢になってしまっていた。

「アルベルが起きる前に、さっさと町に戻るぞ」
「俺達ハ?」
「もう一匹ヴィホルダーを倒さなきゃなんねえ。もう少し付き合え」

 わかりやすい嫌悪を貼り付ける二匹からは、文句は出なかった。理解した上での確認だったらしい。イザルはネーヨの尻を叩くと、入り口へと視線を向けた。まだもう一匹いる。もしかしたら先の戦闘で、すでに洞窟内部へと侵入しているかもしれないのだ。
 気を抜くことは出来ない。イザルは視線をシグムントへと向ける。俯き、おとなしくネーヨに揺られている姿は参っているようにも見えた。

「……シグムント」
「……ん?」
「あー……、なんだ……」

 苦い顔をして飲み込んだ一言は、シグムントの口にできなかった言葉と同じである。
 声をかけておきながら、イザルはシグムントから背を向けるようにずんずんと歩き出した。足が勝手に向かうのは、瓦礫に突き刺さった一本の剣の元だ。アルベルの手を離れた聖剣は、まるでイザルの行動を興味深そうに観察するように見下ろしていた。

「チッ」
「取リニ行クニモ崩レソウダナ」

 瓦礫に突き刺さったままの聖剣を前に、苛立ちを表すように舌打ちをする。イザルはアルベルを手持ちの縄で縛り上げると、ツルハシの刃先を己の手のひらに突き刺した。

「ナニシテンダオマエ!」
「喚ぶんだよ」
「ア?」

 ギョッとするイマカを置いて、イザルは徐に地べたへと血を落とした。しかし、血は染み込むことなくゆっくりと凝固していく。赤黒く結晶化した血がパキパキと音を立てると、イザルは魔力を声に宿して宣った。

「戻ってこい、鞘」

 その瞬間、結晶が砕け散り、赤黒い帯状の影が噴き上がった。禍々しいそれが、イザルの手にまとわりつくように集まってくる。むせかえるような濃い魔力は、そのままでもイザルの持つ魔力の濃さであった。
 足元から何かが這い上がるような怖気が、その場にいたものの体を苛む。ネーヨの体毛がブワリと逆だったその時、イザルの手には一本の鞘が握られていた。
 
「また一から教え込まにゃいかんのか」

 呆気にとられているシグムント達を放ったまま、イザルは鞘を片手に瓦礫へと足をかける。あっというまに危なげなく登り切ると、錆びついた剣の柄を握り引き抜いた。
 鞘の口を摩擦するように、錆びた剣を収める。金属の擦れ合う微かな音を立てて剣を収めると、柔らかな風がイザルの体を撫でた。聖剣が静かに鼓動した。それは波紋となって風を震わせて一帯に響きわたる。
 イザルの手が再びゆっくりと剣を引き抜くと、鞘から漏れ出る青い光が星屑を散らし、鞘から引き抜かれる。そうして、手に握られていたのは見違えるほど美しく、青を湛えた聖剣であった。

「飾り気のねえ、つまんねえ剣だな」

 気だるげな声で呟く。イザルの握りしめる剣の異様さに、シグムント達は息を呑んだ。鞘は禍々しく。そして剣は実に清廉な空気を纏っていた。相反する魔力がぶつかり合うような、到底人の手には負えないような代物が、イザルへと心を許しているのだ。人が持てば魅入られる。イザルの言葉は、何も嘘ではないのだろう。
 イザルは再び剣を鞘に収めると、柄をそっと撫でる。手のひらの切り傷がじわりと治癒されると、何事もなかったかのように瓦礫から飛び降りる。

「てめえが面倒臭え女みたいだから捨てたんだ。拗ねるくらいなら弁えろ馬鹿が」
「だ、誰に言っている?」
「ああいい、気にすんな」

 相変わらず、イザルの持つ聖剣は妙な魔力を纏っていた。刀身を意味もなく晒し続けるつもりもない。イザルはそれを腰に差すと、しばし瞼を閉じて集中をした。どうやら、アルベルが扱おうとしていたのがよほど不満だったらしい、聖剣の纏う魔力の揺らぎが徐々に収まっていく。

「こっちの話だからよ」

 イザルの言葉は、これ以上触れるなと線を引くようなものであった。シグムントの戸惑う表情までは気が付かない。聖剣の光に照らされて、イザルの影がわずかに濃くなる。選ばれし勇者の持つ剣は、イザルからしてみればただの呪われた剣だった。
 銀灰の瞳がシグムントを映す。魔王と呼ばれるにはあまりにも頼りない、ただの若い見目の魔族がそこにいるだけだった。







 
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