25 / 73
いい加減にしろ
しおりを挟む
「イマカはゴブリンだ。俺と仲良くしてくれていたんだ」
「そんなことはどうだっていい」
イザルの外套に身を包んだシグムントが、両脇に魔物を侍らせてふくふくと笑う。ここにきてやっと元魔王らしき片鱗を見せているが、イザルにとっては面倒な依頼を早く終わらせることが優先事項だ。銀灰の瞳が、小さな緑色の塊に向けられる。にわかには信じがたいが、どうやらイマカと呼ばれたゴブリンには理性があるらしい。意思疎通の可能な魔物もいることは聞き及んでいたが……と、まじまじとイマカを見つめる。
シグムントの背中にへばりつき、時折警戒するかのように背後を振り返る。この中では、一番危機感を持っていると言ってもいい。
「これで終わりじゃねえ。一匹は仕留めたが、まだ外にもヴィホルダーはいる。まさかこいつがユニーク種だとは思わなかったが……つか、どっちがお前を連れ去ったのかはわかんねえけどよ」
「オ前、ツレサラレタノカ?」
「む。ああ、……あ。そうだ、アルベルを見つけなければ!」
シグムントが慌てたように立ちあがろうとするが、うまくはいかなかった。よろめいた体がイマカを巻き込むようにへたり込む。シグムント風に言い訳をするのなら「地面に愛されているから」だろう。しかしその実単純に魔力が枯渇して体力がなくなっているから、が正解だ。
「お前、いい加減自分の鈍臭さに気がついたほうがいいぜ」
「ぅわ、っ……す、すまない」
「ったく、弱えくせにでしゃばりやがって」
口調は悪いが、イザルにしては存外優しくシグムントの体を引き寄せる。縺れた足につまづいて、胸板へと飛び込む形になってしまったことを咎めもしない。細い足が踏ん張りきれなかったことを木にか蹴るように、己の腕を腰に回して支えてやる。
「あ、ありが」
「ノロマ」
「オオイ‼︎ サッキカラナンダオ前‼︎ モウ少シ優シクシテヤレヨ‼︎」
「ああ⁉︎ なんでお前に俺が指図されなきゃいけねえんだコラ‼︎」
下から飛んできた抗議の声に、イザルの顔の治安がグッと悪くなる。まさかゴブリンと口喧嘩する日が来るとは思わない。棍棒を振り翳して憤慨するイマカがなぜそこまでシグムントに懐いているのかは知らないが、イザルなりの不器用な優しさを下手くそと言われたようで、わかりやすく苛立った。
「コイツハ俺を守ッタ。ダカラ生キテル。コノ借リヲ返スマデ俺ハオ前等二協力スル。ダカラオ前モ優シクシテヤレ」
「ああ……?」
真偽を確かめるような目つきで、イザルは睨んだ。しかし、イマカの金色の瞳は怖じる事なく見つめ返してきた。本気の様子に、イザルの眉間に深い皺が刻まれる。
静かな沈黙の中での探り合いも、結局はシグムントの呑気さによって掻き乱されてしまったが。
「なあ、ワンちゃんに名前はあるのか」
「ねえよ」
「ネーヨかあ、ふふ、お利口さんだなあ」
「ねえっつってんだろ」
フォレストウルフ、基ネーヨの口がパカリと開く。隣ではイマカの名前を与えらた故の仲間意識でも芽生えたのだろうか。小さな緑の手が慰めるようにネーヨの体を撫でている。
頭が痛い。イザルは渋い顔をして項垂れた。問題は何も解決していない。いつも肝心な時に限って、シグムントによってあやふやにされている気もする。
イザルの手が、シグムントの体を担ぎ上げる。細い体を容易く持ち上げると、疑問の声が出る前にネーヨの背中に跨らせる。
「とりあえず武器屋の親父だ。あいつはどっちへ向かった」
「さっきまでいたんだよ。だけどはぐれてしまってなあ」
困ったように宣う。シグムントの細い足が、ネーヨの胴を挟んでいる。
大きな狼は存外大人しい。時折助けを求めるような目をイマカに向けているが、取り合ってはもらえないようである。
「イマカが最後にアルベルを見ていたな。場所はわかるか?」
「ォワッ」
シグムントの手がイマカの小さな手を掴むと、ひょいと持ち上げて足の間に座らせる。さながらゴブリンライダーもかくやな見栄えだ。呆れたイザルの目線を感じたのか、イマカの顔が悔しそうに歪む。
「……アンタヲ置キ去リニシタ男ダロウ。気ニシナキャイイノニ」
「ダメだ。こんな寂しいところで、一人はいけない。それに、彼は助けを求めているのだから」
「逃げ足はええから今も生きてんだろ。ならどっか隠れてんじゃねえの、面倒くせぇな……」
シグムントに絆された影響かは知らないが、気がつけばイザルとイマカは普通に会話をしていた。イザルの過去からしてみれば、想像もつかないような大きな変化だ。これも、シグムントに絆されてしまったからだろうか。
イザルはインベントリから取り出した縄でネーヨの首を括ると、その先をシグムントへと握らせた。不満そうに唸る唸るネーヨの首を、白い手が優しく撫でる。
「唸るな。お前が大人しく走るなら別だが、コイツの運動神経皆無だぞ」
「苦労をかけるなあ、ネーヨ」
「………ゥグ」
どうやら想像がついたらしい。ネーヨが顔に不本意を貼り付けるままに、大人しく手綱がわりの縄を受け入れる。
「ふふ、どうだイザル。俺は勇ましいだろうか」
「外套んなか素っ裸で威張るんじゃねえ……つかシグムント。お前武器屋の親父の匂いがついたもん持ってねえか」
「サッキノ場所二、アイツノ武器ナラ落チテルゾ」
「おお、そうだった。あのとんがったハンマーみたいなやつ」
シグムントよりもイマカの方が頼りになるかもしれない。イザルは小さな手が指さす方向へと目を向ける。ここまでくるときに見かけたツルハシのことを言っているのだろうか。小さく舌打ちをすると、シグムントに背を向けきた道を戻る。その影を追いかけるように、ネーヨもまた続く。
こんなところを普通の人間が見たら、確かにありえないと憤慨するだろう。それとも、非国民扱いが妥当だろうか。目的のものはすぐに見つかった。
「ネーヨ」
「…………ヮウ」
ツルハシを指さすイザルへと、渋い顔をしたネーヨが不服を漏らす。フォレストウルフとしての矜持はまだ捨てていないのかもしれない。今にも噛みつきそうな怖い顔でイザルを睨んでいる。それでも、思いの外ネーヨの本能は素直であった。表情は嫌悪を貼り付けてはいたが、四つ足は渋々地べたを進む。威嚇をしながらも鼻先をツルハシに寄せるあたり、素直さが見られる。
「………」
「ネーヨちゃん、何かわかりそうか」
「ネーヨチャンハヤメテヤレ」
「フン……ッ」
ネーヨの大きなお耳が、へたりと下がる。シグムントの言葉に鼻息で返事をしたネーヨは、ツルハシの柄をがじりと咥えて顔を上げる。その鼻先が示すのは、アルベルがいるであろう場所だ。イザルはというと、ネーヨの咥えたツルハシをしっかりとインベントリにしまっていた。
乾いた黄土色の道を、二人と二匹で探索することとなった。イマカは棍棒を持ったまま辺りを警戒しているが、基本的な戦力はイザル一人である。
ビスケットのような脆い壁が地面にいくつも生えているこの場所は、上から見れば迷路のような作りであった。もう一匹のヴィホルダーの不意をついて侵入したはいいが、この遺跡内に現れたヴィホルダーはシグムント曰くユニーク種だという。
火炎耐性がなければ焼き殺されていただろうに、己の窮地にもイマカを優先させる自己犠牲精神というのは非常にいただけない。イザルは道中、シグムントに守られたという目の前のゴブリン相手に、聞きたいことが山ほどあった。
故に、その視線は自然と剣呑なものになる。おかげで、数分の道のりが長い距離に感じるほど、イマカは息苦しい思いをしたのであった。
「てめえも連れてこられた、だあ?」
「嘘ジャナイ。俺シカ生キ残ッテナイガ」
「うむ、可哀想なことをした」
「シグムントハドッチノ味方ダ……」
「無論、お友達の味方だぞ!」
ニコニコとシグムントは頓珍漢な返事をする。
イマカ曰く、ゴブリンはこの周辺を縄張りとして暮らしていたようだ。しかし突然現れたヴィホルダーに群れを散らされ、三匹は玉砕覚悟で棍棒片手にヴィホルダーに挑んだもののあえなく失敗。ついにはここに投げ込まれ、色々あってイマカ一人となったという。
「ナンデダカハ知ラネエ。備蓄食料扱イカモナ」
「なら俺もそうかあ。お揃いだなあイマカ」
「嫌ダワソンナオ揃イ! マ、オ前ノ騎士様ハ自分カラ来タガナ」
イザルの目が静かにイマカを検分する。ヴィホルダーによって群れを絶やされても生き残ったのは、純粋にイマカが他のゴブリン達よりも秀でていたからろう。小型の低級魔物がここまで言語を解すのは異常である。
そして、シグムントも理性のある魔族だ。アルベルは最初から遺跡に入っていたと言うから、ヴィホルダーによって連れ去られたわけではないだろう。イザルは、妙な違和感を感じていた。そもそも、ヴィホルダーはここらでは見ない魔物のはずである。
「ヴィホルダーは、いつから出た。」
「三日前ダ。シカモ、人間ガ来テカラダ」
だから、人間がヴィホルダーを召喚して差し向けたのかと思っていた。イマカはそう言葉を続けた。
フォレストフォールを塒にしてから随分と経つが、今までこんなことはなかったという。
「アノ人間ガ仕掛ケタト思ッタ」
「……だから攻撃したのか」
「俺達ニモ本能ハアル。誰モ死ニタクハナイ」
イマカの言葉に、イザルは居心地が悪くなった。
シグムントといい、イマカといい、ネーヨといい、理性的な魔物がいることに少しばかし動揺したのだ。目的の為に剣を奮い続け、屠ってきた中にも、そういうものがいたのだろうか。相手が敵という立場だからこそイザルの振る舞いは咎められなかったが、見方を変えればただの理不尽だったかもしれない。
イマカの言葉に黙りこくってしまったイザルの表情を、シグムントは静かに見つめていた。かける言葉がなかったわけではないが、イザルの中で小さな変化が生じていることに気がついていたから、何も口にはしなかったのだ
しかし、静かな時間は突然終わりを迎えた。イマカが物音に気づいて振り向くと同時に、何かが空を切る音がした。
「あいたっ」
「アイツ!」
こめかみを押さえて間抜けな声を上げたシグムントに、イマカは声を上げた。その指先は、一点へと向けられている。イザルが素早く瓦礫の影へと飛び込むと、間髪入れずにぎゃあっと声が上がった。
「うう、目にゴミが……」
「ゴミジャナクテ、血ダ!」
「ええ‼︎ 怪我をしたらイザルに怒られる‼︎ 治してくれイマカ!」
「俺ニ頼ムナ!」
騒がしい二人を置いて、ネーヨの鼻先がイザルの消えた方向へと向けられる。アルベルの丸い体を片手で引き摺りながら姿を現したのは、不機嫌極まりないイザルであった。
「手間かけさせやがってくそが!」
「や、やっぱり俺の知ってるイザルじゃないか‼︎ 嘘つき男め‼︎」
「ああ⁉︎ 何訳わかんねえこと言ってんだバァカ‼︎」
「ウヒャアッ」
イザルが放り投げたアルベルが、ネーヨの足にぶつかり悲鳴を上げる。余程逃げ回ったのだろう。砂埃まみれのアルベルが腰を抜かすようにネーヨを見上げれば、イマカとともに騎乗するシグムントと目があった。
「ででっ、出たな生き汚い半魔め‼︎ イザルを利用して何企んでやがるんだ‼︎」
「え、いや、何も」
「嘘をつくな‼︎ どうせ魅了魔法で洗脳したんだろう‼︎ くそ、助けを呼んだってのに、こんなことになるだなんて……‼︎」
アルベルは、この状況に酷く取り乱しているようだった。怒鳴り散らかすなり、インベントリから剣を取り出した。明確な敵意を放つその姿からは、出会った時の優しさは微塵も感じられなかった。
「半魔は堕界へと帰れ‼︎」
苛立ちを声に乗せてぶつけられる。シグムントは、アルベルの豹変に怯えるように肩をすくませた。
半魔も、堕界も、初めて耳にする言葉ばかりであった。何がいけないのかを、問いかけようにも隙を与えない。アルベルは最初からシグムントと言葉を交わすつもりがないのだろう。剣先が、青い光を放ちながら振り上げられる。無防備なシグムントへと、鋭利な悪意が振り下ろされそうになった、その時だった。
「囀るな。こいつを貶していいのは俺だけだ」
「うぎゃあ……っ‼︎」
イザルの手が、アルベルの剣を持つ手を掴んでいた。剣先がかすかに揺れている。ギチギチと乾いた肉が擦れ合う音が、イザルの力の強さを示すかの王だった。
「い、イザルお前……っ俺を助けにきたんじゃないのか!」
「俺は聖剣を取りにきただけさ。たまたまお前がいねえってんで、仕方なくここまで来たんだ。クソ面倒くさいとこで遭難しやがって、俺に迷惑をかけておいて、随分なご挨拶じゃねえか」
「は、半魔だぞ……し、正気か……っ‼︎ なんで庇い立てするんだ‼︎ そんなやつ‼︎」
半魔は、きっと己のことを指すのだろう。シグムントは、二人のやりとりを静かに見つめていた。アルベルが敵意を向けるのは、また知らぬうちに過ちを犯したからに違いない。苛立ちの原因となっていることは、容易に受け取ることができた。
また俺は間違えたのか。この国には求められていないのだと痛感してしまう。良かれと思ったことが、迂闊な行動となってしまう。現に今もこうして、イザルが矢面に立ってくれている。
ネーヨの手綱を握る手に、力が入る。シグムントは、顔を上げるのが下手くそになってしまった。
「そんなことはどうだっていい」
イザルの外套に身を包んだシグムントが、両脇に魔物を侍らせてふくふくと笑う。ここにきてやっと元魔王らしき片鱗を見せているが、イザルにとっては面倒な依頼を早く終わらせることが優先事項だ。銀灰の瞳が、小さな緑色の塊に向けられる。にわかには信じがたいが、どうやらイマカと呼ばれたゴブリンには理性があるらしい。意思疎通の可能な魔物もいることは聞き及んでいたが……と、まじまじとイマカを見つめる。
シグムントの背中にへばりつき、時折警戒するかのように背後を振り返る。この中では、一番危機感を持っていると言ってもいい。
「これで終わりじゃねえ。一匹は仕留めたが、まだ外にもヴィホルダーはいる。まさかこいつがユニーク種だとは思わなかったが……つか、どっちがお前を連れ去ったのかはわかんねえけどよ」
「オ前、ツレサラレタノカ?」
「む。ああ、……あ。そうだ、アルベルを見つけなければ!」
シグムントが慌てたように立ちあがろうとするが、うまくはいかなかった。よろめいた体がイマカを巻き込むようにへたり込む。シグムント風に言い訳をするのなら「地面に愛されているから」だろう。しかしその実単純に魔力が枯渇して体力がなくなっているから、が正解だ。
「お前、いい加減自分の鈍臭さに気がついたほうがいいぜ」
「ぅわ、っ……す、すまない」
「ったく、弱えくせにでしゃばりやがって」
口調は悪いが、イザルにしては存外優しくシグムントの体を引き寄せる。縺れた足につまづいて、胸板へと飛び込む形になってしまったことを咎めもしない。細い足が踏ん張りきれなかったことを木にか蹴るように、己の腕を腰に回して支えてやる。
「あ、ありが」
「ノロマ」
「オオイ‼︎ サッキカラナンダオ前‼︎ モウ少シ優シクシテヤレヨ‼︎」
「ああ⁉︎ なんでお前に俺が指図されなきゃいけねえんだコラ‼︎」
下から飛んできた抗議の声に、イザルの顔の治安がグッと悪くなる。まさかゴブリンと口喧嘩する日が来るとは思わない。棍棒を振り翳して憤慨するイマカがなぜそこまでシグムントに懐いているのかは知らないが、イザルなりの不器用な優しさを下手くそと言われたようで、わかりやすく苛立った。
「コイツハ俺を守ッタ。ダカラ生キテル。コノ借リヲ返スマデ俺ハオ前等二協力スル。ダカラオ前モ優シクシテヤレ」
「ああ……?」
真偽を確かめるような目つきで、イザルは睨んだ。しかし、イマカの金色の瞳は怖じる事なく見つめ返してきた。本気の様子に、イザルの眉間に深い皺が刻まれる。
静かな沈黙の中での探り合いも、結局はシグムントの呑気さによって掻き乱されてしまったが。
「なあ、ワンちゃんに名前はあるのか」
「ねえよ」
「ネーヨかあ、ふふ、お利口さんだなあ」
「ねえっつってんだろ」
フォレストウルフ、基ネーヨの口がパカリと開く。隣ではイマカの名前を与えらた故の仲間意識でも芽生えたのだろうか。小さな緑の手が慰めるようにネーヨの体を撫でている。
頭が痛い。イザルは渋い顔をして項垂れた。問題は何も解決していない。いつも肝心な時に限って、シグムントによってあやふやにされている気もする。
イザルの手が、シグムントの体を担ぎ上げる。細い体を容易く持ち上げると、疑問の声が出る前にネーヨの背中に跨らせる。
「とりあえず武器屋の親父だ。あいつはどっちへ向かった」
「さっきまでいたんだよ。だけどはぐれてしまってなあ」
困ったように宣う。シグムントの細い足が、ネーヨの胴を挟んでいる。
大きな狼は存外大人しい。時折助けを求めるような目をイマカに向けているが、取り合ってはもらえないようである。
「イマカが最後にアルベルを見ていたな。場所はわかるか?」
「ォワッ」
シグムントの手がイマカの小さな手を掴むと、ひょいと持ち上げて足の間に座らせる。さながらゴブリンライダーもかくやな見栄えだ。呆れたイザルの目線を感じたのか、イマカの顔が悔しそうに歪む。
「……アンタヲ置キ去リニシタ男ダロウ。気ニシナキャイイノニ」
「ダメだ。こんな寂しいところで、一人はいけない。それに、彼は助けを求めているのだから」
「逃げ足はええから今も生きてんだろ。ならどっか隠れてんじゃねえの、面倒くせぇな……」
シグムントに絆された影響かは知らないが、気がつけばイザルとイマカは普通に会話をしていた。イザルの過去からしてみれば、想像もつかないような大きな変化だ。これも、シグムントに絆されてしまったからだろうか。
イザルはインベントリから取り出した縄でネーヨの首を括ると、その先をシグムントへと握らせた。不満そうに唸る唸るネーヨの首を、白い手が優しく撫でる。
「唸るな。お前が大人しく走るなら別だが、コイツの運動神経皆無だぞ」
「苦労をかけるなあ、ネーヨ」
「………ゥグ」
どうやら想像がついたらしい。ネーヨが顔に不本意を貼り付けるままに、大人しく手綱がわりの縄を受け入れる。
「ふふ、どうだイザル。俺は勇ましいだろうか」
「外套んなか素っ裸で威張るんじゃねえ……つかシグムント。お前武器屋の親父の匂いがついたもん持ってねえか」
「サッキノ場所二、アイツノ武器ナラ落チテルゾ」
「おお、そうだった。あのとんがったハンマーみたいなやつ」
シグムントよりもイマカの方が頼りになるかもしれない。イザルは小さな手が指さす方向へと目を向ける。ここまでくるときに見かけたツルハシのことを言っているのだろうか。小さく舌打ちをすると、シグムントに背を向けきた道を戻る。その影を追いかけるように、ネーヨもまた続く。
こんなところを普通の人間が見たら、確かにありえないと憤慨するだろう。それとも、非国民扱いが妥当だろうか。目的のものはすぐに見つかった。
「ネーヨ」
「…………ヮウ」
ツルハシを指さすイザルへと、渋い顔をしたネーヨが不服を漏らす。フォレストウルフとしての矜持はまだ捨てていないのかもしれない。今にも噛みつきそうな怖い顔でイザルを睨んでいる。それでも、思いの外ネーヨの本能は素直であった。表情は嫌悪を貼り付けてはいたが、四つ足は渋々地べたを進む。威嚇をしながらも鼻先をツルハシに寄せるあたり、素直さが見られる。
「………」
「ネーヨちゃん、何かわかりそうか」
「ネーヨチャンハヤメテヤレ」
「フン……ッ」
ネーヨの大きなお耳が、へたりと下がる。シグムントの言葉に鼻息で返事をしたネーヨは、ツルハシの柄をがじりと咥えて顔を上げる。その鼻先が示すのは、アルベルがいるであろう場所だ。イザルはというと、ネーヨの咥えたツルハシをしっかりとインベントリにしまっていた。
乾いた黄土色の道を、二人と二匹で探索することとなった。イマカは棍棒を持ったまま辺りを警戒しているが、基本的な戦力はイザル一人である。
ビスケットのような脆い壁が地面にいくつも生えているこの場所は、上から見れば迷路のような作りであった。もう一匹のヴィホルダーの不意をついて侵入したはいいが、この遺跡内に現れたヴィホルダーはシグムント曰くユニーク種だという。
火炎耐性がなければ焼き殺されていただろうに、己の窮地にもイマカを優先させる自己犠牲精神というのは非常にいただけない。イザルは道中、シグムントに守られたという目の前のゴブリン相手に、聞きたいことが山ほどあった。
故に、その視線は自然と剣呑なものになる。おかげで、数分の道のりが長い距離に感じるほど、イマカは息苦しい思いをしたのであった。
「てめえも連れてこられた、だあ?」
「嘘ジャナイ。俺シカ生キ残ッテナイガ」
「うむ、可哀想なことをした」
「シグムントハドッチノ味方ダ……」
「無論、お友達の味方だぞ!」
ニコニコとシグムントは頓珍漢な返事をする。
イマカ曰く、ゴブリンはこの周辺を縄張りとして暮らしていたようだ。しかし突然現れたヴィホルダーに群れを散らされ、三匹は玉砕覚悟で棍棒片手にヴィホルダーに挑んだもののあえなく失敗。ついにはここに投げ込まれ、色々あってイマカ一人となったという。
「ナンデダカハ知ラネエ。備蓄食料扱イカモナ」
「なら俺もそうかあ。お揃いだなあイマカ」
「嫌ダワソンナオ揃イ! マ、オ前ノ騎士様ハ自分カラ来タガナ」
イザルの目が静かにイマカを検分する。ヴィホルダーによって群れを絶やされても生き残ったのは、純粋にイマカが他のゴブリン達よりも秀でていたからろう。小型の低級魔物がここまで言語を解すのは異常である。
そして、シグムントも理性のある魔族だ。アルベルは最初から遺跡に入っていたと言うから、ヴィホルダーによって連れ去られたわけではないだろう。イザルは、妙な違和感を感じていた。そもそも、ヴィホルダーはここらでは見ない魔物のはずである。
「ヴィホルダーは、いつから出た。」
「三日前ダ。シカモ、人間ガ来テカラダ」
だから、人間がヴィホルダーを召喚して差し向けたのかと思っていた。イマカはそう言葉を続けた。
フォレストフォールを塒にしてから随分と経つが、今までこんなことはなかったという。
「アノ人間ガ仕掛ケタト思ッタ」
「……だから攻撃したのか」
「俺達ニモ本能ハアル。誰モ死ニタクハナイ」
イマカの言葉に、イザルは居心地が悪くなった。
シグムントといい、イマカといい、ネーヨといい、理性的な魔物がいることに少しばかし動揺したのだ。目的の為に剣を奮い続け、屠ってきた中にも、そういうものがいたのだろうか。相手が敵という立場だからこそイザルの振る舞いは咎められなかったが、見方を変えればただの理不尽だったかもしれない。
イマカの言葉に黙りこくってしまったイザルの表情を、シグムントは静かに見つめていた。かける言葉がなかったわけではないが、イザルの中で小さな変化が生じていることに気がついていたから、何も口にはしなかったのだ
しかし、静かな時間は突然終わりを迎えた。イマカが物音に気づいて振り向くと同時に、何かが空を切る音がした。
「あいたっ」
「アイツ!」
こめかみを押さえて間抜けな声を上げたシグムントに、イマカは声を上げた。その指先は、一点へと向けられている。イザルが素早く瓦礫の影へと飛び込むと、間髪入れずにぎゃあっと声が上がった。
「うう、目にゴミが……」
「ゴミジャナクテ、血ダ!」
「ええ‼︎ 怪我をしたらイザルに怒られる‼︎ 治してくれイマカ!」
「俺ニ頼ムナ!」
騒がしい二人を置いて、ネーヨの鼻先がイザルの消えた方向へと向けられる。アルベルの丸い体を片手で引き摺りながら姿を現したのは、不機嫌極まりないイザルであった。
「手間かけさせやがってくそが!」
「や、やっぱり俺の知ってるイザルじゃないか‼︎ 嘘つき男め‼︎」
「ああ⁉︎ 何訳わかんねえこと言ってんだバァカ‼︎」
「ウヒャアッ」
イザルが放り投げたアルベルが、ネーヨの足にぶつかり悲鳴を上げる。余程逃げ回ったのだろう。砂埃まみれのアルベルが腰を抜かすようにネーヨを見上げれば、イマカとともに騎乗するシグムントと目があった。
「ででっ、出たな生き汚い半魔め‼︎ イザルを利用して何企んでやがるんだ‼︎」
「え、いや、何も」
「嘘をつくな‼︎ どうせ魅了魔法で洗脳したんだろう‼︎ くそ、助けを呼んだってのに、こんなことになるだなんて……‼︎」
アルベルは、この状況に酷く取り乱しているようだった。怒鳴り散らかすなり、インベントリから剣を取り出した。明確な敵意を放つその姿からは、出会った時の優しさは微塵も感じられなかった。
「半魔は堕界へと帰れ‼︎」
苛立ちを声に乗せてぶつけられる。シグムントは、アルベルの豹変に怯えるように肩をすくませた。
半魔も、堕界も、初めて耳にする言葉ばかりであった。何がいけないのかを、問いかけようにも隙を与えない。アルベルは最初からシグムントと言葉を交わすつもりがないのだろう。剣先が、青い光を放ちながら振り上げられる。無防備なシグムントへと、鋭利な悪意が振り下ろされそうになった、その時だった。
「囀るな。こいつを貶していいのは俺だけだ」
「うぎゃあ……っ‼︎」
イザルの手が、アルベルの剣を持つ手を掴んでいた。剣先がかすかに揺れている。ギチギチと乾いた肉が擦れ合う音が、イザルの力の強さを示すかの王だった。
「い、イザルお前……っ俺を助けにきたんじゃないのか!」
「俺は聖剣を取りにきただけさ。たまたまお前がいねえってんで、仕方なくここまで来たんだ。クソ面倒くさいとこで遭難しやがって、俺に迷惑をかけておいて、随分なご挨拶じゃねえか」
「は、半魔だぞ……し、正気か……っ‼︎ なんで庇い立てするんだ‼︎ そんなやつ‼︎」
半魔は、きっと己のことを指すのだろう。シグムントは、二人のやりとりを静かに見つめていた。アルベルが敵意を向けるのは、また知らぬうちに過ちを犯したからに違いない。苛立ちの原因となっていることは、容易に受け取ることができた。
また俺は間違えたのか。この国には求められていないのだと痛感してしまう。良かれと思ったことが、迂闊な行動となってしまう。現に今もこうして、イザルが矢面に立ってくれている。
ネーヨの手綱を握る手に、力が入る。シグムントは、顔を上げるのが下手くそになってしまった。
21
お気に入りに追加
264
あなたにおすすめの小説

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。

パラレルワールドの世界で俺はあなたに嫌われている
いちみやりょう
BL
彼が負傷した隊員を庇って敵から剣で斬られそうになった時、自然と体が動いた。
「ジル!!!」
俺の体から血飛沫が出るのと、隊長が俺の名前を叫んだのは同時だった。
隊長はすぐさま敵をなぎ倒して、俺の体を抱き寄せてくれた。
「ジル!」
「……隊長……お怪我は……?」
「……ない。ジルが庇ってくれたからな」
隊長は俺の傷の具合でもう助からないのだと、悟ってしまったようだ。
目を細めて俺を見て、涙を耐えるように不器用に笑った。
ーーーー
『愛してる、ジル』
前の世界の隊長の声を思い出す。
この世界の貴方は俺にそんなことを言わない。
だけど俺は、前の世界にいた時の貴方の優しさが忘れられない。
俺のことを憎んで、俺に冷たく当たっても俺は貴方を信じたい。

支配者に囚われる
藍沢真啓/庚あき
BL
大学で講師を勤める総は、長年飲んでいた強い抑制剤をやめ、初めて訪れたヒートを解消する為に、ヒートオメガ専用のデリヘルを利用する。
そこのキャストである龍蘭に次第に惹かれた総は、一年後のヒートの時、今回限りで契約を終了しようと彼に告げたが──
※オメガバースシリーズですが、こちらだけでも楽しめると思い

生意気な弟がいきなりキャラを変えてきて困っています!
あああ
BL
おれはには双子の弟がいる。
かわいいかわいい弟…だが、中学になると不良になってしまった。まぁ、それはいい。(泣き)
けれど…
高校になると───もっとキャラが変わってしまった。それは───
「もう、お兄ちゃん何してるの?死んじゃえ☆」
ブリッコキャラだった!!どういうこと!?
弟「──────ほんと、兄貴は可愛いよな。
───────誰にも渡さねぇ。」
弟×兄、弟がヤンデレの物語です。
この作品はpixivにも記載されています。

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

婚約破棄された冷血小公爵はライバルの最狂ヤンデレ騎士にらちかんされました
ひよこ麺
BL
「『姫』であるマリーノ・ゴールド伯爵令息より拒絶され婚約破棄となったため、フレデリック・コルヌイエ・リシュリュー小公爵より、『騎士』の資格を剥奪する」
その言葉を皇帝陛下から言い渡されたフレデリック・コルヌイエ・リシュリュー小公爵は絶望した。男しかいないこの世界では『姫』と『騎士』と呼ばれるふたつの役割により生殖をおこなう。
『姫』とは美しい花のような存在で『騎士』から愛され守られる存在で、『騎士』とは『姫』に忠義を捧げて守り愛し抜く存在であるとされている。
『騎士』は自らが愛する『姫』を選び、『騎士』に選ばれることで『姫』となる。『騎士』は『姫』に選ばれなかった者がなり、愛と忠義を捧げる『姫』を求める存在となる。
全ては愛される『姫』が優位な世界。
その世界で、一度忠義を捧げた『姫』から拒絶された『騎士』は『落伍騎士』とされ以降『姫』への求婚を禁じられる。
自身が『姫』となる以外では、事実上、独り身で生きることが確定する。
一般市民であればそれでも構わないが公爵家の嫡男であるフレデリックにとってそれは最大の瑕疵となり、家を繋ぐことができない以上は家督も継げないため家からも追い出されることを意味していた。
プライドの高いフレデリックは絶望からその場にへたりこんでいた。周囲で嘲り笑う声が響く中、ある男がフレデリックの側に進み出た。
それはずっとフレデリックをなぜかライバル視してきた辺境伯にして現在帝国最高の騎士と誉高いマティアス・ベラドンナ・バーデンだった。
「……辺境伯卿、私に何か御用ですかな」
「もう、そのように無理をしないでください。美しい姫君にこの冷たく汚れた床は似合わない」
何故かお姫様抱っこでマティアスに持ち上げられたフレデリックにさらに信じがたい言葉が聞こえる。
「では……皇帝陛下の甥であり《《麗しい青薔薇の姫君》》である、フレデリック・コルヌイエ・リシュリュー小公爵との婚姻を認めて頂きたい」
初恋拗らせヤンデレ騎士に連れ去られてらちかんされたフレデリックの運命はいかに!?
※が付くところは背後注意な性的な表現があります。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる