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誰かが逃げろと叫んだ。
地響きとも、爆発音とも取れる衝撃が洞窟全体に響き渡り、砂埃があたり一帯に充満した。アルベルとゴブリン達は顔に驚愕を貼り付けて先に逃げ出し、素早い動きができないシグムントは、一人出遅れてしまった。
「ぅわ、っ」
地べたに転がった杖を手繰り寄せる。大地がずれるような振動が大きくなる度に、シグムントの心臓もバクバクと嫌な音を立てる。
壁伝いに、なんとか逃げる。砂埃が収まり、ようやく視界が開けてくる。土壁でできた建物の影に身を潜めると、シグムントは恐る恐る背後を振り返った。
「ヴィ、ヴィホルダー……‼︎」
それは間違いなく単眼の巨人、ヴィホルダーであった。灰色の三つ指で入り口の壁を握り、巨躯をかがめるようにして洞窟の中へと侵入してくる。体毛のない熊の様な灰色の体は人型にも見える。その顔の半分を占める巨大な目玉をぐるぐると回し辺りを見渡す様子から、まだこちらには気がついてはいなさそうだった。
緊張感から早鐘を打つ脈拍を鎮めようと、ゆっくりと呼吸を整える。瓦礫を剥がすような音が聞こえることから、きっと獲物を探しているのだ。シグムントは隙間を縫うように、壁伝いに歩く。
「ひぅ……っ」
どこかでゴブリンの悲鳴が上がった。きっと食われたのだ。シグムントは震える手のひらを握り込むことでごまかすと、集中をするように瞼を閉じた。
考えなくてはいけない。ヴィホルダーにとって、この場所は土属性の術を活かせる恰好の場所だ。一塊になっていればすぐに的にされてしまうことから、今回の散開は生き延びるためには有効だろう。
魔物の知識を活かせれば、きっと有事の際には役に立つことだって出来る筈だ。胸元に手を添える。身の内に流れているイザルの魔力を確かめると、シグムントは目を開けた。まるで、何かを決意したかのような真剣な表情である。
そして、目にしてしまった。ヴィホルダーの姿に気が付かぬまま、大慌てでこちらへと向かってくるゴブリンの長の姿を。
「イザルがいるなら、俺はやれるさ」
ボソリと小さく呟く。このままでは、ゴブリンが食われてしまうだろう。蹌踉めきながらも踏み出した一歩が、シグムントの覚悟の表れだった。身を隠してやり過ごすこともできた。しかし、このまま犠牲が増えていくのをただ眺めるだけなのは、どうしてもできなかった。
開けた場所へと姿を現した。覚束ぬ足どりで歩く姿を捉えたのか、ヴィホルダーの生々しい威圧感がシグムントへと向けられる。
「オマエ!」
「ゴブリン、大丈夫。俺は体力だけは自信があるんだ」
滲む冷や汗を隠すようにして、シグムントはゴブリンを背に立ちはだかった。大きな影が小さな二人を飲み込んで、俯いたシグムントの視界に灰色のつま先が見えた。頭のてっぺんを見下ろされている。シグムントは服の裾を握りしめながらゆっくりと上を向くと、赤い瞳孔に金の虹彩を持つ異形の魔物と目があった。醜悪な姿の魔物が、突き出た牙を見せつけるように歪に笑う。
「っ、……い、痛いのは、……っ、いけない」
魔王だった頃には感じなかった明確な恐怖を前に、声を出すのにも苦労をした。
ヴィホルダーの瞳孔が赤い、ということは火炎魔法を使えるということだ。通常のヴィホルダーと違うユニーク種は、瞳の配色でわかる。小さく息を詰めたシグムントの手のひらが、じんわりと光る。
何か策があってのことだろう、魔力を手のひらに集中させるシグムントの姿を、ゴブリンが怪訝そうな顔で見つめていた。
「ぁ、い……っ!」
振り上げられたヴィホルダーの手のひらが、大きく振り下ろされる。シグムントは転がるようにして避けると、光を蓄えた両手を地べたへと押し付けた。
まるで囮は任せろと言わんばかりに立ちはだかったくせに。ゴブリンは、這いつくばって忙しなく動くシグムントを前に、どうせこいつも死ぬんだろう。と思った。灰色で肉厚な手が華奢なシグムントの体を鷲掴む。ヴィホルダーの気がそれているうちに、ゴブリンは逃げるつもりだった。しかし、事態は予想だにしない方向へと動いた。
「ひゃ、っ」
「ンナ、ッ」
突然、ヴィホルダーの巨体が、何かに足を取られるかのようにして大きく体勢を崩す。細い体が弾みで放り投げられると、ゴブリンはその小柄な体を下敷きにするかのようにシグムントを受け止めた。
「ギャッ」
「ぅわ、わ、っすまない!」
「ド、ドケ! オ前ナニシタ!」
「地べたを緩めただけだ、っ危ない!」
シグムントの言葉を追求する時間は与えられなかった。二人の真横に、ヴィホルダーの放つ火炎の息吹が地べたを焦がす。振り返れば、片足を地面に取られたヴィホルダーが、酷く苛立った様子で地べたへ拳を打ち付けている。怒り心頭の巨躯の魔物を前に、シグムントとゴブリンはわかりやすく顔を青くする。
「怒ラセタ! 殺サレル!」
「すまない、分解魔法で力を使い果たした。俺には何も残っていない」
「敵ウワケナイ! 嫌ダ死ニタクナイ!」
ゴブリンの必死な叫びに、シグムントは小さく唇をつぐむ。薄い手のひらは、何かを決意するかのように握り込まれる。
「大丈夫だ。じきにイザルが助けに来てくれる。それまでは俺が君を守ろう」
「マ、守ル?」
ゴブリンにとってはあり得ない言葉だ。満月のように丸く見開いた金色に、緩く笑みを浮かべるシグムントが映る。
背後では、ヴィホルダーが再び大きな口を開けていた。赤く光る魔素が徐々に集まり、再びの火炎魔法を放ってくることは明白だ。きっと、目を閉じて、次に瞬きをする頃には死んでいるのだろう。
ゴブリンは小さな体を丸めるようにうずくまった。その小柄な背に、シグムントの手のひらが添えられる。何が、と問いかける言葉は見つからなかった。衣擦れの音がして、シグムントの両腕がゴブリンを抱きしめたのだ。
「ナニッ……‼︎」
風の焼ける音がした。体感温度が一気に上昇し、息苦しく感じてしまうほどの熱が襲いかかった。周りの色を塗り替えるかのように火炎が辺りを染め上げる。恐ろしいほどの火力は、体から少しずつ水分を奪う。
キツく抱きしめられた緑の体は、動けなくなっていた。命を奪う炎から、シグムントがゴブリンを守っていたからだ。
人間から酷い扱いを受けてきた。しかし、それが当たり前のゴブリンだ。憎しみを募らせて暴力に変えたこの体を、身を挺して守り通す。そんなことが現実に起こっていること自体が信じられなかった。
「ぅ、……っ……」
シグムントの口から、微かな呻き声が漏れた。しかし、今はなすすべもない。腕の内側で身じろぐゴブリンが、遅行しないことだけが救いに感じている。
火炎が収まり、ようやく肺呼吸がまともにできるようになった。腕の中のゴブリンが、満月のような瞳を向けてくる。
「オマエ」
「だ、大丈夫……俺は、炎にはつよいんだ……」
笑みを向ける余裕はあった。それでも、魔力が底をついてしまったせいで立ち上がることは難しい。シグムントに火炎は無効だとしても、それは魔力が潤沢にある時のみだ。傷こそはついてはいないが、その炎は間違いなくシグムントの体力を奪っていた。
「死ヌナ、寝覚メガ悪イ!」
「……なあ、君はなんて名前だ。そういえば聞いていなかった」
「イマカ⁉︎」
「イマカ……不思議な響きだな……」
違う、それは名前じゃない! しかしゴブリン、基イマカの声は届かなかった。シグムントは体力を使い果たしていた。いっそのこと、放っておいてくれた方が、どれほど良かったか。しかし、イマカの口からそんな言葉が出ることはなかった。
力の抜けた体から、なんとか抜け出る。シグムントの意識は、まだ微かに繋ぎ止められていた。イマカの目の前には、沼地のようになった地べたから這いあがろうとする、ヴィホルダーがいる。同じ土属性を持つ魔物でも、どちらが格上かは言うまでも無いだろう。
本能は逃げ出せと騒がしいはずなのに、体は反発するように棍棒を握りしめていた。
「い、まか……にげ、」
「シニタクナイ!」
シグムントの言葉を遮るように叫んだ。意地汚いゴブリンだから、意地を張ってみようと思ったのだ。
ヴィホルダーの大きな手が振り上げられた。属性攻撃をするほどでもないと思われているのだ。小さな緑の体は、転がるように駆け出した。稀に見る愚か者のゴブリンは、きっとイマカが初めてだ。
手のひらと地面がぶつかる、大きな振動に体は弾き飛ばされそうになった。それでも、棍棒を持つ手だけは離さなかった。足がもつれて、無様に転がって、イマカはなんとか懐まで潜り込んだ。そうして振り上げた棍棒は、目前にあったヴィホルダーの爪目掛けて振り下ろされた。
「ギャッ」
シグムントの体に、弾き飛ばされたイマカの体がぶつかった。大きな影が二人を飲み込む。イマカの短い手が、守るように目一杯広げられたその時だった。
「シグムント……‼︎」
「エエエエエ!」
ヴィホルダーの背後から飛び出した黒い影が、勢いよくその頭蓋を蹴り飛ばす。勢いを殺せぬままに、巨躯は壁を突き破った。おおよそ人の為せる蹴りの威力ではない。あっけに取られたように動きを留めていれば、影から飛び出してきた巨大な黒い狼が牙を剥く。
状況が飲み込めぬイマカを置いて、事態は進んでいく。ヴィホルダーの血で足を染めた見知らぬ男が、幽鬼のようにシグムントへと目を向けた。
「シグムント、おい‼︎ 起きろ‼︎」
「ぅ……」
「んなとこで寝こけてんじゃねえ! 死にてえのかクソジジイ‼︎」
血まみれの不穏な足跡を地べたに刻み、イザルは血相を変えてシグムントへと歩み寄った。着ていた服が焼けてしまうほどの火力を浴びせられたのだろう。白い肌はそれでも傷ひとつついていなかったが、与えた魔力が枯渇しているのは一目瞭然だった。
焼けて煤になった服を手で払う。薄い体を抱き寄せるように仰向けにすれば、シグムントのまつ毛がかすかに震えた。
「シグ、ッ」
「うせろ」
駆け寄ろうとしたイマカの足元に、冷たい光を放つダガーが突き刺さった。
明確なイザルの牽制は、なぜゴブリンがここにいる。と問うている。体から滲む夥しいほどの魔力は、イマカの体を内側から怯えさせる。イザルのはなつ威圧は、上級魔族のそれと同じであったのだ。到底人間が宿せるような魔力量ではない。
異様で異質な異端の男。イザルを人間として括るなら、それ以外は言い表せないだろう。喉元を締め上げるように酸素を奪う。イマカの足が崩れたその時、シグムントの掠れた声がした。
「イマカ、無事か……?」
「ア、アア」
「い……っ、それは、よかった……」
シグムントの意識が戻ったことに安堵するまもなく、イザルの表情はわかりやすく歪んだ。腕の中の存在が、真っ先に気にかけたイマカ、という名前を持つものが、この場には一つしかいなかったからだ。
「てめえ……また面倒ごとを作りやがったな……」
「ああ……イザルもお友達を連れてきたのか。随分とでっかいワンちゃんだなあ」
イザルの顔の横から鼻先を突き出すように、黒いフォレストウルフが顔を出す。おかげで口から出かけた文句は喉の奥へと引っ込んだ。イザルからしてみれば、気軽に魔物と仲良くするなと言いたいところである。銀灰の瞳が、再びイマカへと向けられる。緑色のゴブリンは小さく体を撥ねさせると、大慌てで物陰へと隠れた。
「んふふ、なんだ。くすぐったいぞ」
「貸してやった服燃やしやがって、ったく……」
イザルの手によって、壁にもたれ掛けられたシグムントの胸元に、フォレストウルフの鼻先が寄せられる。黒い毛並みを流すように撫でている姿を見ると、イザルも気が抜けてしまいそうだった。
目のやり場に困るから、と流石に口にはしなかったが。イザルは晒されたシグムントの白い肌を隠すように外套を巻き付ける。
「炎耐性あるからって、あんま調子乗ってんじゃねえぞ」
「うふふ、すまない。でも、俺にしてはよく頑張ったのだぞ」
「知らねえよ馬鹿」
本当は、無闇に肌を晒すなと起こりそうな己が嫌で誤魔化した悪態だ。素直に心配をしてやれるほど、イザルは器用じゃない。目を離すと、すぐにこれだ。イザルの預かり知らぬところで魔物と心の距離を縮めている。シグムントの博愛は種族を跨いで満遍なくだ。
物陰に隠れるイマカに手招きをするシグムントを前に、イザルは諦めたようにため息を吐いた。
地響きとも、爆発音とも取れる衝撃が洞窟全体に響き渡り、砂埃があたり一帯に充満した。アルベルとゴブリン達は顔に驚愕を貼り付けて先に逃げ出し、素早い動きができないシグムントは、一人出遅れてしまった。
「ぅわ、っ」
地べたに転がった杖を手繰り寄せる。大地がずれるような振動が大きくなる度に、シグムントの心臓もバクバクと嫌な音を立てる。
壁伝いに、なんとか逃げる。砂埃が収まり、ようやく視界が開けてくる。土壁でできた建物の影に身を潜めると、シグムントは恐る恐る背後を振り返った。
「ヴィ、ヴィホルダー……‼︎」
それは間違いなく単眼の巨人、ヴィホルダーであった。灰色の三つ指で入り口の壁を握り、巨躯をかがめるようにして洞窟の中へと侵入してくる。体毛のない熊の様な灰色の体は人型にも見える。その顔の半分を占める巨大な目玉をぐるぐると回し辺りを見渡す様子から、まだこちらには気がついてはいなさそうだった。
緊張感から早鐘を打つ脈拍を鎮めようと、ゆっくりと呼吸を整える。瓦礫を剥がすような音が聞こえることから、きっと獲物を探しているのだ。シグムントは隙間を縫うように、壁伝いに歩く。
「ひぅ……っ」
どこかでゴブリンの悲鳴が上がった。きっと食われたのだ。シグムントは震える手のひらを握り込むことでごまかすと、集中をするように瞼を閉じた。
考えなくてはいけない。ヴィホルダーにとって、この場所は土属性の術を活かせる恰好の場所だ。一塊になっていればすぐに的にされてしまうことから、今回の散開は生き延びるためには有効だろう。
魔物の知識を活かせれば、きっと有事の際には役に立つことだって出来る筈だ。胸元に手を添える。身の内に流れているイザルの魔力を確かめると、シグムントは目を開けた。まるで、何かを決意したかのような真剣な表情である。
そして、目にしてしまった。ヴィホルダーの姿に気が付かぬまま、大慌てでこちらへと向かってくるゴブリンの長の姿を。
「イザルがいるなら、俺はやれるさ」
ボソリと小さく呟く。このままでは、ゴブリンが食われてしまうだろう。蹌踉めきながらも踏み出した一歩が、シグムントの覚悟の表れだった。身を隠してやり過ごすこともできた。しかし、このまま犠牲が増えていくのをただ眺めるだけなのは、どうしてもできなかった。
開けた場所へと姿を現した。覚束ぬ足どりで歩く姿を捉えたのか、ヴィホルダーの生々しい威圧感がシグムントへと向けられる。
「オマエ!」
「ゴブリン、大丈夫。俺は体力だけは自信があるんだ」
滲む冷や汗を隠すようにして、シグムントはゴブリンを背に立ちはだかった。大きな影が小さな二人を飲み込んで、俯いたシグムントの視界に灰色のつま先が見えた。頭のてっぺんを見下ろされている。シグムントは服の裾を握りしめながらゆっくりと上を向くと、赤い瞳孔に金の虹彩を持つ異形の魔物と目があった。醜悪な姿の魔物が、突き出た牙を見せつけるように歪に笑う。
「っ、……い、痛いのは、……っ、いけない」
魔王だった頃には感じなかった明確な恐怖を前に、声を出すのにも苦労をした。
ヴィホルダーの瞳孔が赤い、ということは火炎魔法を使えるということだ。通常のヴィホルダーと違うユニーク種は、瞳の配色でわかる。小さく息を詰めたシグムントの手のひらが、じんわりと光る。
何か策があってのことだろう、魔力を手のひらに集中させるシグムントの姿を、ゴブリンが怪訝そうな顔で見つめていた。
「ぁ、い……っ!」
振り上げられたヴィホルダーの手のひらが、大きく振り下ろされる。シグムントは転がるようにして避けると、光を蓄えた両手を地べたへと押し付けた。
まるで囮は任せろと言わんばかりに立ちはだかったくせに。ゴブリンは、這いつくばって忙しなく動くシグムントを前に、どうせこいつも死ぬんだろう。と思った。灰色で肉厚な手が華奢なシグムントの体を鷲掴む。ヴィホルダーの気がそれているうちに、ゴブリンは逃げるつもりだった。しかし、事態は予想だにしない方向へと動いた。
「ひゃ、っ」
「ンナ、ッ」
突然、ヴィホルダーの巨体が、何かに足を取られるかのようにして大きく体勢を崩す。細い体が弾みで放り投げられると、ゴブリンはその小柄な体を下敷きにするかのようにシグムントを受け止めた。
「ギャッ」
「ぅわ、わ、っすまない!」
「ド、ドケ! オ前ナニシタ!」
「地べたを緩めただけだ、っ危ない!」
シグムントの言葉を追求する時間は与えられなかった。二人の真横に、ヴィホルダーの放つ火炎の息吹が地べたを焦がす。振り返れば、片足を地面に取られたヴィホルダーが、酷く苛立った様子で地べたへ拳を打ち付けている。怒り心頭の巨躯の魔物を前に、シグムントとゴブリンはわかりやすく顔を青くする。
「怒ラセタ! 殺サレル!」
「すまない、分解魔法で力を使い果たした。俺には何も残っていない」
「敵ウワケナイ! 嫌ダ死ニタクナイ!」
ゴブリンの必死な叫びに、シグムントは小さく唇をつぐむ。薄い手のひらは、何かを決意するかのように握り込まれる。
「大丈夫だ。じきにイザルが助けに来てくれる。それまでは俺が君を守ろう」
「マ、守ル?」
ゴブリンにとってはあり得ない言葉だ。満月のように丸く見開いた金色に、緩く笑みを浮かべるシグムントが映る。
背後では、ヴィホルダーが再び大きな口を開けていた。赤く光る魔素が徐々に集まり、再びの火炎魔法を放ってくることは明白だ。きっと、目を閉じて、次に瞬きをする頃には死んでいるのだろう。
ゴブリンは小さな体を丸めるようにうずくまった。その小柄な背に、シグムントの手のひらが添えられる。何が、と問いかける言葉は見つからなかった。衣擦れの音がして、シグムントの両腕がゴブリンを抱きしめたのだ。
「ナニッ……‼︎」
風の焼ける音がした。体感温度が一気に上昇し、息苦しく感じてしまうほどの熱が襲いかかった。周りの色を塗り替えるかのように火炎が辺りを染め上げる。恐ろしいほどの火力は、体から少しずつ水分を奪う。
キツく抱きしめられた緑の体は、動けなくなっていた。命を奪う炎から、シグムントがゴブリンを守っていたからだ。
人間から酷い扱いを受けてきた。しかし、それが当たり前のゴブリンだ。憎しみを募らせて暴力に変えたこの体を、身を挺して守り通す。そんなことが現実に起こっていること自体が信じられなかった。
「ぅ、……っ……」
シグムントの口から、微かな呻き声が漏れた。しかし、今はなすすべもない。腕の内側で身じろぐゴブリンが、遅行しないことだけが救いに感じている。
火炎が収まり、ようやく肺呼吸がまともにできるようになった。腕の中のゴブリンが、満月のような瞳を向けてくる。
「オマエ」
「だ、大丈夫……俺は、炎にはつよいんだ……」
笑みを向ける余裕はあった。それでも、魔力が底をついてしまったせいで立ち上がることは難しい。シグムントに火炎は無効だとしても、それは魔力が潤沢にある時のみだ。傷こそはついてはいないが、その炎は間違いなくシグムントの体力を奪っていた。
「死ヌナ、寝覚メガ悪イ!」
「……なあ、君はなんて名前だ。そういえば聞いていなかった」
「イマカ⁉︎」
「イマカ……不思議な響きだな……」
違う、それは名前じゃない! しかしゴブリン、基イマカの声は届かなかった。シグムントは体力を使い果たしていた。いっそのこと、放っておいてくれた方が、どれほど良かったか。しかし、イマカの口からそんな言葉が出ることはなかった。
力の抜けた体から、なんとか抜け出る。シグムントの意識は、まだ微かに繋ぎ止められていた。イマカの目の前には、沼地のようになった地べたから這いあがろうとする、ヴィホルダーがいる。同じ土属性を持つ魔物でも、どちらが格上かは言うまでも無いだろう。
本能は逃げ出せと騒がしいはずなのに、体は反発するように棍棒を握りしめていた。
「い、まか……にげ、」
「シニタクナイ!」
シグムントの言葉を遮るように叫んだ。意地汚いゴブリンだから、意地を張ってみようと思ったのだ。
ヴィホルダーの大きな手が振り上げられた。属性攻撃をするほどでもないと思われているのだ。小さな緑の体は、転がるように駆け出した。稀に見る愚か者のゴブリンは、きっとイマカが初めてだ。
手のひらと地面がぶつかる、大きな振動に体は弾き飛ばされそうになった。それでも、棍棒を持つ手だけは離さなかった。足がもつれて、無様に転がって、イマカはなんとか懐まで潜り込んだ。そうして振り上げた棍棒は、目前にあったヴィホルダーの爪目掛けて振り下ろされた。
「ギャッ」
シグムントの体に、弾き飛ばされたイマカの体がぶつかった。大きな影が二人を飲み込む。イマカの短い手が、守るように目一杯広げられたその時だった。
「シグムント……‼︎」
「エエエエエ!」
ヴィホルダーの背後から飛び出した黒い影が、勢いよくその頭蓋を蹴り飛ばす。勢いを殺せぬままに、巨躯は壁を突き破った。おおよそ人の為せる蹴りの威力ではない。あっけに取られたように動きを留めていれば、影から飛び出してきた巨大な黒い狼が牙を剥く。
状況が飲み込めぬイマカを置いて、事態は進んでいく。ヴィホルダーの血で足を染めた見知らぬ男が、幽鬼のようにシグムントへと目を向けた。
「シグムント、おい‼︎ 起きろ‼︎」
「ぅ……」
「んなとこで寝こけてんじゃねえ! 死にてえのかクソジジイ‼︎」
血まみれの不穏な足跡を地べたに刻み、イザルは血相を変えてシグムントへと歩み寄った。着ていた服が焼けてしまうほどの火力を浴びせられたのだろう。白い肌はそれでも傷ひとつついていなかったが、与えた魔力が枯渇しているのは一目瞭然だった。
焼けて煤になった服を手で払う。薄い体を抱き寄せるように仰向けにすれば、シグムントのまつ毛がかすかに震えた。
「シグ、ッ」
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駆け寄ろうとしたイマカの足元に、冷たい光を放つダガーが突き刺さった。
明確なイザルの牽制は、なぜゴブリンがここにいる。と問うている。体から滲む夥しいほどの魔力は、イマカの体を内側から怯えさせる。イザルのはなつ威圧は、上級魔族のそれと同じであったのだ。到底人間が宿せるような魔力量ではない。
異様で異質な異端の男。イザルを人間として括るなら、それ以外は言い表せないだろう。喉元を締め上げるように酸素を奪う。イマカの足が崩れたその時、シグムントの掠れた声がした。
「イマカ、無事か……?」
「ア、アア」
「い……っ、それは、よかった……」
シグムントの意識が戻ったことに安堵するまもなく、イザルの表情はわかりやすく歪んだ。腕の中の存在が、真っ先に気にかけたイマカ、という名前を持つものが、この場には一つしかいなかったからだ。
「てめえ……また面倒ごとを作りやがったな……」
「ああ……イザルもお友達を連れてきたのか。随分とでっかいワンちゃんだなあ」
イザルの顔の横から鼻先を突き出すように、黒いフォレストウルフが顔を出す。おかげで口から出かけた文句は喉の奥へと引っ込んだ。イザルからしてみれば、気軽に魔物と仲良くするなと言いたいところである。銀灰の瞳が、再びイマカへと向けられる。緑色のゴブリンは小さく体を撥ねさせると、大慌てで物陰へと隠れた。
「んふふ、なんだ。くすぐったいぞ」
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目のやり場に困るから、と流石に口にはしなかったが。イザルは晒されたシグムントの白い肌を隠すように外套を巻き付ける。
「炎耐性あるからって、あんま調子乗ってんじゃねえぞ」
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「知らねえよ馬鹿」
本当は、無闇に肌を晒すなと起こりそうな己が嫌で誤魔化した悪態だ。素直に心配をしてやれるほど、イザルは器用じゃない。目を離すと、すぐにこれだ。イザルの預かり知らぬところで魔物と心の距離を縮めている。シグムントの博愛は種族を跨いで満遍なくだ。
物陰に隠れるイマカに手招きをするシグムントを前に、イザルは諦めたようにため息を吐いた。
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小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
鹿水の子
かろ丸
BL
時代は変わり山の信仰は薄れた。信仰をなくし消える神、山を切り開かれ体をなくし消える神、あまたの髪が消えていく中、山神に使える鹿水(かみ)の子である水月はこのままでは大好きな山神様が消えてしまうと山神様の信仰を取り戻そう!計画を始めた。村人とも仲を深め少しずつ山神への信仰心を取り戻していった水月だったが、村人たちの様子は次第に変わっていき……
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