アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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イザルの苦難 

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 ルシアンがセタンナの横暴によって再びのストレスに苛まれ、胃を痛めているとは露知らず。イザルはと言うと、こちらはこちらで頭を痛めていた。

「出来ない……、なんでだ。これは絶対に構造がおかしいと思うんだが……」
「構造がおかしいのはてめえの頭だ。ああもう俺がやる、貸せ!」
「すまんなあ。イザルはなんでも出来る子だから、俺はつい頼ってしまう」
「穏やかな眼差しで俺を見つめるな」

 慎ましやかな寝床を追われたイザルと、くっつき虫の位置に収まったシグムントの二人は今、イザルのねぐらであった山を降りて麓の町の側まで来ていた。
 ふくふくと笑うシグムントはというと、細く裂いた姿隠しの布を角に巻こうと、四苦八苦しているところであった。角を隠すためのアクセサリーがわりだが、角は見えなくなるだけで質量は変わらない。しかし角を晒したまま呑気に歩き続けるよりは余程いいかと、イザルなりに考えた次第である。
 本音を言うと、シグムントが魔族だとバレて殺されたら、イザルが王に殺される。魔王を討伐しましたとついた大嘘が、自由の身になった今になってバレるのは非常によろしくない。つまりは自己保身のための打算的な親切だ。

「おら。んだよ、頭にリボンなんかついてる魔族なんか見たことねえ」
「おお、どれ。……む、やはり触れると角の感触はあるな。イザル、鏡を持っていないか」
「笑えるぜシグムント。ほらよ、お前それ絶対外すなよ」
「うむ、ありがとう」

 意地の悪い顔で笑うと、イザルはシグムントへと手鏡を手渡した。銀髪の美貌の男が頭にリボンを巻いている様子は、間抜けでおかしい。角のおかげで立体的な髪飾りをつけているかのようにも見える。街の娼婦が己の髪を飾り立てるよりも酷く幼稚ではあるが、幼いシグムントの雰囲気には笑えるくらい似合っていた。

「幼女みてえだなあ。大人のくせに」
「器用なんだなあ。俺はこんなに上手にリボンは結べぬよ。解けないといいなあ。きっと一人ではうまく結べない」
「…………」

 手鏡に己の頭を映しながら、呑気に宣う。イザルとしては、可愛すぎる! やら、男らしくない! と言った文句が飛んでくるかとは思ったのだが、意外にもシグムントは憤ることもない。ほおお、だか、はああ、だの、なんともジジくさい感嘆を漏らすだけであった。
 結局解く気もないらしい。シグムントは角が完全に隠れていることを確認すると、実に満足げな顔で頷いた。

「どうだろう。私は人間に見えるだろうか」

 よたよたと立ち上がったシグムントが、両腕を広げて胸を張った。地べたに胡座をかいていたイザルはというと、面倒臭そうな顔をしながらも、まあ、いいんじゃねえの。と、それなりの回答をした。

 イザルの暮らしていたニルドクリフの山奥をでて、ククルストックという町を目指して丸一日。つまり、シグムントが太陽の国を訪れて八日目の今日だ。
 首都であるイルヴェンドットから王城は遠いとは言っても、転移術を会得しているものならすぐだろう。特にイザルの魔力を猟犬のように嗅ぎつけるのがルシアンだ。所属する遊撃部隊の仲間なら、ルシアン同様いつイザルたちの居場所をみつけ出すかもわからない。だからこそ手間ではあるが、転移で逃げても問題のないように下準備をせねばならない。
 ひとまずククルストックに向かうのは、そう言った意味合いがある。小さな街でも抜かりなく訪れておけば、転移の座標さえ読み取られない限りは逃げ仰ることができるだろう。
 故にシグムントの角隠しだ。まさか角を晒したまま街に入るわけにもいくまい。イザルは街の入り口に程近い森の中でシグムントを弄った。頭に間抜けな姿隠しのリボンを施した以外は、主に道中こさえたかすり傷の治癒である。中途半端に自己治癒能力があるせいか、イザルが治さなかったシグムントの足は傷が塞がってしまっていた。まさかそれが原因で歩くのが下手なのかと、イザルなりに口にはせずとも反省をしたのはここだけの話だ。真実は足の傷だけではない純粋なシグムントの運動神経のなせる技なのだが、当の本人は己の足元がおぼつかないだなんて微塵も思っている気配はない。シグムントは愚かにも、太陽の国の道は随分といたずら好きなのだなあ。と思考する始末であった。
 
「イザルはこの町に用事があるのか? なあに、単純な質問だ。まさか俺に太陽の国を案内してくれる心算でもないだろう?」
「なんで俺がお前をガイドしなきゃなんねえんだ」
「だろう? ふふ、安心するといい。俺はイザルのことをきちんとわかっているからな。俺の前では安心して素直になるといい」
「だから、なんでお前はそんなに元気なんだ……」

 ここに至るまでに様々な問題があったと思っているのはイザルだけなのかもしれない。それほどまでに、シグムントの呑気はイザルの肩を重くする。お揃いの銀灰の瞳がかちりと合うと、なんとも嬉しそうに微笑んでくるのだ。イザルからしてみれば、調子が狂う。の一言に尽きた。
 信頼を寄せられるようなことをしたつもりもないし、元魔王として二面性があると思っていたのに、シグムントの裏の顔というのがどうにも読めない。
 魔王というくらいだ。故に、シグムントの人懐っこさは作り物だと思っていた。しかし、ここまでの道中。まるで遠足かよと言いたくなるくらい大いに燥がれてしまえば、ただの阿呆にすげ変わる。

「すごいなあ! 太陽とはこんなにも美しくあたりを照らすのか! 明るい! 葉が元気に茂っている! 見たかイザル、木にもお花は咲くのだなあ!」

 と、一時が万事こんな具合だ。今にも小鳥を侍らせて歌って踊り出してしまいそうだ。シグムントが実はどこぞのお姫様で、とか言われた方がまだ信憑性がある。
 しかし、シグムントの腰には一本の紐が括り付けられていた。多方面に興味を向けるシグムントを、イザルが見失わないようにするためだ。別名徘徊防止用の紐ともいう。
 本当の意味でもシグムントの手綱を握りしめたイザルは、もはや疲れ切っていた。おそらくこれは介護に違いない。なんで俺がこんな目に。と、その思考はシグムントとは真逆にどんどんとネガティブになっていく。

「このままこいつとお尋ねもんになって、路頭に迷う……? 嫌だ。そんな未来なんかあっちゃいけねえ。頑張れ俺。あの過酷な日々を思いだせ」
「頑張れイザル! お前には私もいる。安心しろ、決して一人にはさせないさ!」
「一人にさせてくれよクソジジイ……‼︎」

 黒髪をかき乱すようにして、イザルは発狂した。何事にも無関心だと思ってきた己に、まさか世話焼きの気質があっただなんて認めたくない事実である。イザルは顔を覆ったまま地べたに転がると、さめざめと落ち込んだ。その横にしゃがみ込んだシグムントだけが、おお、かわいそうになあよしよし。と、見当違いも甚だしい慰めを贈るのだ。
 しかし、いつまでもこうしてはいられない。イザルは下準備だけではない、もう一つの目的があってここに来たのだ。
 
「慰めるんじゃねえ。くそ、お前のせいだってのに」
「いいぞ、イザルの成長のためなら俺を悪者にするがいい。男の子はそうやって悔しい思いをして、強くなっていくのだから」
「そういうことじゃね、ああ、もういい……」

 このままでは、またシグムントのペースである。イザルが学んだことは、シグムントに付き合うと日が暮れるということだ。事実、シグムントの頭にリボンを巻いただけなのに、こんなにも疲れた。

「ひとまず、逃げるにしたって聖剣を手に入れねえと」
「そういえば背負ってなかったな。……インベントリに入ってないのか?」
「入ってねえよ。もう使わねえと思って売っちまったし」
「ほぇ……」
 
 イザルのとんでもない発言に、今度はシグムントがポカンとする番だった。シグムントが元魔王じゃなかったとしてもわかる。聖剣は唯一無二の剣だ。決して手放していいものではないと。
 呆けているところを、イザルが通り過ぎる。くん、と腰に巻いた紐が引っ張られたことに気がつくと、シグムントはお気に入りの長い木の枝を杖代わりに、慌ててイザルの背中を追いかける。

「イザル、聖剣を売るのは良くないと思う。元魔王が言うのも変な話なのだが、年長者の意見の一つとして耳を傾けてほしい」
「やかましいわ。あんな忌々しい剣なんかずっと側に置いてられっかよ」
「お前の気持ちもよくわかる。あれを見てると過酷な日々を思い出すのだろう?」
「あと煙草買うのに手持ち足りなかったしな」
「ホァ……」

 シグムントの思考が、またしても停止しかけた。しかし、一応は聖剣を取り戻す気はあるらしい。今まで聖剣も無しにどうやって魔物達を倒してきたのだろうと思ったが、そもそもイザルは隠居生活を好んでしていたくらいだ。魔物討伐にも出向いていないのだろう。
 イザルからしてみれば、散々世の中のためにやりたくもない勇者家業をさせられてきたのに。なんでこの後に及んで人のために剣を振るわなくてはいけないのだ。と言ったところか。

「ったく、やんなっちまうぜ全く」
「なんというか、豪胆だなイザルは……」
「ああ? ゴータン?」

 聞き慣れない言葉を、イザルが面倒くさそうに繰り返す。
 ククルストックの武具屋に聖剣を売りつけたのは、もう二度と手にするつもりはなかったからだ。それが、今はこうして取り戻しにいくことになっている。何もかもシグムントがきっかけだ。
 しかし逃亡生活に剣は必須である。手に馴染まない剣よりも、馴染んだ剣を腰に下げている方が余程いい。こんなことになるなら、売らないで土に聖剣を埋めておけばよかった。イザルの表情はそう物語る。
 そんなイザルの背後では、おぼつかない足取りで後ろに続くシグムントが、情けなくもべしょりと地べたに転がったところだった。

「うっ」
「うわっ」

 持っていた紐が、くんっと引っ張られる。思わず歩みを止めて振りかえれば、シグムントが盛大に地べたと熱い口付けを交わしていた。
 
「おま、……今度は何で転がった」
「裾を踏んづけてしまった……うう、俺は地べたに愛されているのかもしれない……」
「はいはい」

 だとしても、元魔王が顔から転ぶなと思う。イザルは呆れたようにしゃがみ込む。シグムントが無様に転ぶのは、出会った日から数えて累計四回目である。本人曰く片方の角がないからバランスが取れないだの、この国の地べたはいたずら心がありすぎる。だの、よくもまあ言い訳が出てくるものである。
 決して己の運動神経が悪いことを認めようとしない。そんなシグムントの鼻についた土を拭ってやると、イザルは子猫を摘み上げるようにしてシグムントを引きずりあげる。

「いっ、いててっ」
「んだよ、足でも捻ったか?」
「足は元気だ。しかし、踵が痛い……」
「踵ぉ?」

 やけに小難しい顔をして、随分と情けないことを言う。シグムントの言葉に釣られるように底のすり減った靴を見やれば、確かに白い踵は真っ赤になっていた。
 
「なんですぐ傷こさえんだよ、才能か?」
「どうやら俺はこの国に来てからまた一つレベルが上がってしまったらしい……ふむ、不要な才能だなあ」
「お前がレベルあげんなら運動神経の方にしてくれや」
「そちらはもうカンストというやつだ」

 シグムントの口から、随分と呑気に絶望を叩きつけられる。嘘だろう、要介護から脱却する光明が少しも見えないだと……。イザルはゾッとした寒気を覚えたが、町の入り口はもう目の前である。
 行商の者や、旅の者が二人の横を通り過ぎては、妙なものを見るような目を向けてくる。それも無理はない。まるで絵画から抜け出たかのような美貌の麗人は腰に紐を括り付けられ、そして紐を握る男もまた、随分な男前であった。二人して恐ろしく顔面の作りがいい。しかし、一体どのような関係なのかもわかりかねるようだ。
 銀髪の麗人の方は性奴にしても上等が過ぎる。故に、大変見栄えのする男二人は確実に訳ありだ。ということしか測ることはできないのだ。

 しかし、二人にとって関わりもしない往来の目というのは道端の石と同じである。イザルは土埃で汚れたシグムントのローブを摘むと、生っ白い足を晒し出す。
 履き潰され、そこが薄くなったフラットシューズに収まった踵は赤くなり、生地をずらせば皮膚が捲れ上がって血が滲んでいた。なるほど、足元が覚束ない原因は靴擦れもあったらしい。このまま治癒をしてやってもいいのだが、この靴の有様なら二の舞になるだろう。

「替えの靴とか持ってねえのか?」
「俺の部屋にあるぞ」
「今は持ってねえってことだな……わかった。ちょっとお前肩掴まっとけ」
「ひょわ、っ」

 情けない声と靴を地べたに落としたシグムントは、イザルによって軽々と持ち上げられた。真っ赤になった踵は見るからに痛そうだ。道中痛みを訴えることをしなかったため、気にかけてやることもなかった。悪化の原因は、きっとシグムントの忍耐強さだろう。
 踵の裏が赤く染まったシグムントの靴をインベントリにしまう。
 
「足どうにかしねえと。お前がすっ転ぶ原因の一つはこれだ」
「うわあ、なんだか戦い抜いたような足になっているなあ。いてて」
「戦いに挑む野郎はこんな軽装備なんかじゃねえ」
「それをイザルが言うのかあ。わ、っと」

 あの執務室での最初の出会いのことを言っているのだろう、イザルはシグムントの言葉にむすりとしたが、それ以上は話を続ける気もないらしい。
 運動神経のないシグムントの細腕が、不安定さを回避しようとしたのかイザルの頭を抱きしめる。

「ちょ、顔隠すな。歩けねえだろ」
「なんで俺は抱き上げられている? 一人で歩けるぞ?」
「とりあえず宿までだ。大人しくしろ。放り投げるぞ」

 放り投げられるのは困る。シグムントはイザルからの大人しくしろという指示に慌てて口を真一文字に引き結ぶ。しばらく己の手の位置に迷っていたようだったが、ようやく定位置をイザルの首の後ろへと決めたらしい。
 抱き上げられ、足への負担が軽減した。痺れるような痛みが断続的に続いていた足が、今はイザルによって気を使われている。己が口にしなかったことに気がついて、慮ってもらうのは気恥ずかしい。シグムントはじんわりと頬を染めたが、それに礼をいえばイザルに容赦なく放り投げられそうだ。
 イザルのしっかりとした体に身を寄せたまま、本当にこの男は不器用で可愛らしい。などと、イザルが聞いたら土に埋められそうなことを考える。近い距離は緊張するけれど、シグムントには熱いほどのイザルの体温が、今は心地よかった。


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