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馬が合わないアイツ 

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 イザルには、この世で一番と言っても過言ではないほど、馬が合わない男がいた。そいつは実に理知的で効率的な男であり、行き当たりばったりなイザルと違って性格は質実剛健。顔立ちも整っているし、婦女への扱いもこなれている。市井に繰り出せば黄色い悲鳴が当たり前。雰囲気顔面共に、実に華のある男であった。
 しかし、これは表の顔である。

 ならば裏の顔とはどういうものか。その為には、まず簡単な説明が必要だろう。
 前提として、男は城の魔物を討伐する遊撃部隊の副隊長をしていた。遊撃部隊は近衛兵とはまた違った特殊な訓練を受ける。無論、城を守る近衛が決して弱いわけじゃない。近衛が城を、そして遊撃部隊はその近衛が守る城に魔物を近づかせないように、先陣を切って討伐する部隊である。
 遊撃部隊は少数精鋭だ。だからこそ、縛りが少ない。文字通りの遊撃が許されているので、戦闘に対する自由度や能力が高いものが多い。基本は上官の指示を仰ぐが、必要であれば事後報告でも許される。ただ、過去に事後報告を行った奴はいない。
 悪に打ち負かされるのなら共死にをせよ。これが遊撃部隊唯一の決まり事。戦線は過酷を極める。近衛兵までもを国民として背中に回す彼らは、誇り高き味方からは嫌われる最強の肉の盾である。
 そして、少数精鋭で生き残った遊撃部隊の者たちには、人として欠落したものが多い。唐突な死と隣り合わせの世界に長年身を置くと、人間の質というのも擦れていくものなのだ。
 
「お帰りいただきてえんだがよ」
 
 イザルの苛立った声が、静かに森の中に溶ける。青々とした木々がさわめく心地よい空間が終わりを告げる瞬間でもあった。
 この世でイザルが心から嫌いな人間が、視界の中央を陣取っている。男の名前は、ルシアン。背格好も、体格もイザルと変わらぬ。仮面でその顔を隠したルシアンは、冷たい視線をイザルへと向ける。
 
「俺に手間をかけていいのは、……女性だけなんだがな」 

 言葉尻を引き摺るような気だるげな話し方が、ルシアンの癖であった。そして、その癖はイザルの神経を逆撫でするのに最も適している。こんな朴念仁がモテるとは、世の中の婦女は男の価値を見目だけで判断しているのだろうか。イザルからしてみたら、人を蔑むことに美徳を見出しているかのような、そんな嫌味ったらしい口調と、斜に構えた態度ばかりが鼻につく。
 己の目の前に立つルシアンが、イザルはとにかく嫌いであった。そして、ここまで嫌悪を覚える、もう一つの理由があった。

「実兄がこうも愚か者だと、やはり皺寄せは弟に来るな。全く、いい迷惑だ」

 鼻で笑うように宣うルシアンの言葉に、ぴくりと反応を示す。最も容易くイザルの導火線に火を着けるのは、顔を合わせるたびのことだ。イザルの銀灰の瞳が射殺さんとばかりにルシアンを睨みつける。イザルは、己に向けられた侮蔑の態度をそのまま返してやった。

「勝手に人の魔力の残滓を追いかけてきやがって、気色悪いったらねえぜ」

 斜に構え、見下すような口調はイザルもまた同じであった。この二人は似たもの同士であった。互いに威圧を向けても動じる事はない。争いは同じ実力の物でしか起こり得ないというのを、静かに二人は示している。
 イザルが語ったことは、なんの誤りもない。ルシアンにはそれが出来るのだ。討伐対象の魔力を覚え、大体の居場所の目星をつけることが。
 己の実兄でもあるイザルの魔力を、ルシアンは転移の指標にしたのだ。その誤差は十数メートル。そんな芸当ができるのは、対象がイザルだからだ。指標とは、普通は魔力の多い魔物や魔族が選ばれる。術者の魔力など、視覚にとらえても微々たるものだ。だから、指標にするには適していない。 
 
「お兄様が分かりやすく道筋を示してくれたからな。全く、弟思いで助かるよ」
「ルシアン、お前はもう少しばかし可愛げを身につけろ」
「不要」
 
 ルシアンは仮面を外すと艶然と微笑んだ。イザルよりも素直で、少しだけ短い黒髪を風に遊ばせる。二人の顔立ちは、実によく似ていた。違いは、黒の双眸と髪型くらいだ。
 イザルとルシアン、美しい顔立ちの美丈夫が二人向かい合う姿は、まるで一枚の宗教画のようにも見える。その実、口を開けば辛辣さを極めた言葉の応酬が繰り出される事は、容易に想像がつく。

「一人か」
「なんだ、俺一人じゃご不満か。そんなつれないことを言わないでくれよ」
「普通お兄ちゃんに会いに来る為に、扉なんて壊さないんだぜ」
「勢い余って」
 
 睦言を囁くかのように、ルシアンは笑みを浮かべて宣った。悪びれるそぶりなんて持ち合わせてはいないのだろう。無邪気な言葉に、イザルはくはりと笑った。

「よく言う、殺意余っての間違いだろうが」

 イザルの銀灰の瞳が、くらりと光る。その瞬間、ルシアンは放たれた威圧に口元を釣り上げて笑みを見せた。
 勇者にしてはあまりにも禍々しい、放たれた魔力に混じる殺意が肌をひりつかせる。強敵を前にした時と同じ高揚を、互いに感じていた。
 イザルの周りから噴き上がった旋風が、砂を巻き上げる。目眩しにしてはあまりにもお粗末な術である。しかし、ルシアンの気が緩む事はなかった。

「笑わせるな」

 光の粒子が明滅しながらルシアンの周りに侍る。まるで不可視の弓を引き絞るように腕を持ち上げると、その指先をイザルへと定めた。周りの魔力が、ぎゅるりと渦を巻いて光の矢を形成していく。
 指先から放たれた実体のない矢は、その衝撃波を波紋状に広げながらイザルへと襲いかかった。イザルを守るように動いた砂塵を散らし、矢は風の防壁を容易く貫いた。
 魔力が散って、防壁が消えていく。開けた空に、ルシアンの望む結果は待ってはいなかった。イザルは簡単には死なない。結界術を行使すれば、より安全は確保されたであろう。生ぬるいただの防壁は、イザルからルシアンへのわかりやすい嫌味だ。
 間髪入れずにルシアンは二投目を放った。しかし矢がとらえたのはイザルの服の切れ端だ。

「俺は本気で仕留めに来た。風の防壁などとお遊びはやめろ」
「なにがっすかね」
「は」

 ルシアンに影が差す。慌てて頭上を見上げれば、太陽を背負うイザルがいた。振り下ろされた足を、横に飛びすさり避ける。イザルの回転を加えた蹴りが地べたをえぐると、飛んできた小石がルシアンの頬に赤い線を引く。風属性の防壁展開はブラフ。ルシアンはイザルに身体強化をさせる猶予を与えていた。
 虫唾が走る。ルシアンのこめかみに、青筋が走った。人間離れしたイザルの跳躍がその答えだ。魔力消費の少ない防壁を展開した本当の理由は、ルシアンに無意味な魔力を使わせるためだったのだ。

「どこに術向けてんだ下手くそ」
「殺す」

 鼻で笑ったイザルを前に、ルシアンは魔力を霧散させた。攻撃態勢を解いたわけではない。こうしないと、両手が使えないから解いたのだ。不可視の弓を操っていた手が、指銃の形をとる。霧散させた魔力が再びルシアンの指先に集まっていく。
 イザルは感じていた。周りの空気が変わったことを。ルシアンの放つ確かな圧力が、放たれる魔力の大きさを示している。
 
「クソが」

 着地と同時に、イザルは両手を地べたへと押し付けた。足元の地面がうぞりと蠢く。土の匂いが充満し、イザルの手元から勢いよく土の壁が現れる。砂埃を撒き散らし、地響きを立てながら何重にも繰り出されたそれが、迫り来る壁かのような威圧を放ってルシアンへと襲いかかる。
 しかし、ルシアンは動じなかった、口元を歪ませ、笑って見せたのだ。

「悪あがきか」
「──── っ!」

 鋭い音が聞こえた瞬間、イザルの展開した土壁は大きな音を立てて破裂していく。土埃と礫が衝撃波を伴ってイザルを包み込む。
 地震のような揺れが収まり、ルシアンの目の前には道を開くようにえぐれた地べたが続いていた。淀む視界に舌打ちをすると、続け様に風魔法である風刃を素早く放った。

「流石に今のは焦った。兄貴相手にはしゃぎすぎだろう」
「コックローチ野郎」

 
 巨木が悲鳴をあげる。その根本にはイザルが立っていた。ルシアンの攻撃を即座に感じ取り、指先一振りで攻撃を防いで見せたのだ。ルシアンが首を狙うことなんて、とうに見えていたかのような結界術の部分展開。魔力量が多くなければできない芸当を、イザルは嫌味のようにルシアンへと見せつけた。
 蝶番の軋みにも似た耳障りな大きな音を立てながら、見事な枝葉を地面に擦らせ巨木が傾いていく。小鳥たちが葉を揺らしながら飛び立ったかと思えば、イザルの顔色が明らかな焦りの色を宿した。
 
「やべえ!」
「は?」

 まるで戦闘を放棄するかのように、イザルはルシアンに背を向け走り出した。しかし、その理由はすぐにわかった。葉擦れの音を立てながら倒れゆく巨木の枝に、女がしがみついていたのだ。
 
「くそ、そういうことか……!」
「ああ⁉︎」
 
 イザルの真横を、ルシアンが勢いよく駆け抜けていく。緑の光が瞬く間にルシアンの周りへと侍ると、放たれた風魔法が女の体を上空へと押し上げた。圧縮した空気をぶつけ、生じた気流によって敵を投げ飛ばす初期魔法のようなものだ。それを、ルシアンはイザルが木の下に着くよりも早く行使したのだ。
 美しい銀の髪が羽のように広がり、身に纏う長い外套が風にはためいた。怯えるように目を瞑っていた女の瞳がゆっくりと開き、白銀の世界を閉じ込めたような美しい瞳がルシアンをとらえた。涙を風に乗せながら助けを求めるように手を伸ばす姿に、ルシアンの黒い瞳は釘付けになった。

「──── っ‼︎」

 ルシアンのブーツが勢いよく地べたを削る。黒い外套が翼を伸ばすようにはためき、強化魔法をかけた両腕が広げられる。風魔法により助けられた女の真下へと滑り込むと、ルシアンは地べたに体を擦り付けるように華奢な体を抱き止めた。

「ひゃ、っ」
「っ、く……っ」

 黒い外套に体を巻き付けるように、ルシアンは女と共に転がった。籠手のついた腕の隙間から溢れる銀髪と、かすかに身じろぐ様子から無事を確かめる。
 イザルが駆け寄ってくる足音がして、ルシアンは呻き声を上げながら腕の中の女を見た。

「大丈夫か、君」
「す、すまない、下敷きにしてしまって……‼︎」

 女にしては少しだけ低い、泣きそうな声がルシアンへと向けられる。起き上がったルシアンの腰にまたがる形で収まった女が、ゆっくりとその瞳にルシアンを捉える。
 透き通った白磁の肌に、少しだけ眠そうな幅広の二重、長い睫毛に縁取られた銀灰の瞳が、戸惑ったように揺れている。まるで異国の王族かと思うほど、見目麗しい上等な女が、ルシアンの腕の中にいた。助けられて媚びる様子の一才ない、純粋な心配を向ける目の前の女に、わかりやすく体中の細胞は沸きたった。ルシアンの手がまろい頬についた土汚れを拭おうと伸ばされた時。不躾な声が降ってきた。

「シグムントから離れろ。ルシアン」
「シグムント……? 君は、シグムントというのか」
「あ、ああ……」

 イザルからその名を告げられたことが少しだけ悔しかった。ルシアンの眉間が寄せられると、返事の代わりに舌打ちで反応を示す。無骨な手はシグムントの腰に回ったまま、離れる気配はない。
 そんな弟の様子を見て、渋い顔をしたのはイザルだ。己と同じ顔であるのに、ルシアンのその瞳は実に雄弁であったのだ。どうやら弟は実にわかりやすく、シグムントに惚れたらしい。熱を宿して黒い瞳を輝かせる弟を前に、イザルは心底面倒臭いと渋い顔をした。




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