アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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犬猫とは違う 

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 ベッドは一つしかない。その意味はわかってんのか。と言われたので、あれからシグムントはずっと考えていた。
 答えは一人暮らしだから。だろう。けれどイザルは短気だ。故に、ここに住まわせてもらう以上は先手を読んで行動をしたほうがいい。シグムントの考えるイザルへの配慮としては、つまりはそういうものであった。

「だからって、生活環境を整えようとするのは居候初日からじゃねえだろう……」

 イザルは己の斜め上を行くシグムントを前に、呆れたような顔をして宣った。

「俺は間違えているのか?」
「間違えているかで言ったら間違えてはいねえけどな……」

 夜に同じベッドで寝るにしても、こんな間抜けに襲われることもないだろうと踏ん切りをつけたイザルが、風呂上がりに部屋に戻ったときのこと。
 半透明な水色の大きな球体が二つ、イザルの寝床に横並びするように置かれていたのだ。 

「なにそれ」
「スライムの死骸だ」
「ああ、それを二つ並べて……ベッドということか……」

 イザルのベッドの高さと同じくらいの謎の物体は、スライムであった。スライムとは雑食で、体に水分を多く含む。打撃に弱く幼児でも倒せる雑魚魔物だ。それが、二つピッタリと縦にくっついている。ではなぜイザルがベットだと分かったのか。答えは簡単で、シグムントがその上で仰向けに寝ていたからだ。

「というか、魔素になんねえのかコレ」
「ならぬよ。これは自然に生まれた魔物だからな」

 シグムントはスライムベットの上で、若干揺れながら宣った。微動だにしないように心がけているのだろう。まるで棺桶にでも入っているかのように仰向けになったまま、腹の位置に手を組み天井を見上げている。
 
「魔物……」
「魔物は人型にはなれぬものだと言ったろう」
「いや括りの話をしてんじゃねえ、自然由来って妖精みてえなやつか」
「ああ、いいな。その表現は彼らにとっても嬉しいだろう」

 スライムの気持ちなど慮ったつもりはないのだが、イザルの言葉を耳にしたシグムントが嬉しそうに笑う。
 俺は違う言語で話しているのだろうかと、少しだけ不安になるほどだ。イザルの意図がシグムントへ額面通りに伝わったことなど今のところはないので、もはや諦める方が早いかもしれないが。

 そんなイザルに、シグムントは困ったように微笑んだ。やはり国同士歩み寄らなかった代償か、魔物や魔族があまり良くない印象を受けているのは寂しいと感じてしまったのだ。銀灰の瞳が、遠くを見つめるように細まる。口を開かなければ、シグムントは名画から抜け出たかのような美しさだ。


「悪意の種はわだかまりの中で育ち発芽する。その体にもやを纏い、襲い、負の感情の中を生きる。霧の魔物はな、俺達のように血を受け継いで、生活をして、歴史を重ねていくことはないんだよ」
「器?」
「悪意の種は器となった人間を蝕む。体は名の通り入れ物になるのさ。どんなに仲が良かった相手でも、ある日突然それはやってくる。そのものがそのものでなくなる日がな」

 シグムントは、多くは語らなかった。魔族側のことわりなどイザルは知らない。知りたいとも思わなかった。ただなんとなく、口を挟むような気にはなれなくて、シグムントの話を黙って聞いていた。
 悪意の種を身に宿す魔物達は、寂しい生き物だ。様々な感情から生まれ、そして理性もない為逃げるということを知らない。
 そういった魔物は、深夜の国にも出る。あそこもまた、負の感情が生まれやすい場所だからだ。

「魔物や魔族は、ただその姿で生まれただけだ」

 銀灰の瞳が、柔らかな眼差しでイザルを見つめる。

「人もいるだろう、衝動的になるものが。理性のコントロールが出来ぬものが」

 霧の魔物は同じように生まれ、育まれ、宿し、その種が花開く。等しく生活を営んでいた誰かの命が、発芽によってある日突然変異する。そして芽吹いた者の未来があっけなく閉ざされる。わかっているのは、種を宿したものの感情が強く揺さぶられることが引き金だということ。中には、蝕まれたものに歩み寄ろうとするものもいた。悲しいことになってしまったが。
 そのもやを纏ってしまった者は、もう戻らない。理性も無く、快楽を目的とした蹂躪が始まるのだ。
 魔石とは、魔物の核のことだ。そして、霧の魔物になってしまったものたちは、本来の色を宿せない。死してなお美しく輝くことはなく、ただ闇を取り込んだ黒い魔石へと変貌する。
 悪意の種に蝕まれたものは、やがてその思想や思い込みが体の自由を奪う。話も通じず、我慾のままに生きるのだ。助ける方法は、情を持たずに屠り、魔素にし、そしてまた次の生へと繋げてやること。
 シグムントは、そういう危うい者たちの側に寄り添ってきた。深夜の国にも霧を纏った魔物は産まれるのだ。害された国民もいる。太陽の国も、深夜の国も。皆生きていることには代わりはないのに、見た目のせいで霧の魔物と一括にされるのは違う。

「見分けは霧だけか」
「ああ」
「なんでそんなもんが生まれるんだ」
「わからない。しかしそれは人にも言えるだろう。己の信念のもとの行動は、時として他者を害することもあるようにな」

 シグムントの瞳がイザルを映す。理知的な瞳だった。
 イザルは興味を持った。目の前にいる正直で素直で純粋な馬鹿が、何を思って太陽の国に憧れを抱いたのかを。

 無言で見つめるイザルに、何かを悟ったらしい。シグムントは緩く微笑むと、ポツリと呟いた。

「……俺たち魔族と人の間に隔たりなどないように、まあ気軽に行き来できるような関係になりたかった」

 シグムントの言葉に、イザルが呆れたような目を向ける。あまりにも考えなしの言葉に、苛立ちすらも怒らなかった。
 なんの脅威もなく、気軽に行き来出来るようになれば、確かにいいのかもしれない。しかしそこには深夜の国と太陽の国での共通の常識が必要なのだ。シグムントは、全てが滞りなく円滑に進む未来を求めている。そんなもの、できるわけがないのに。無知は罪だ。そして、純粋な無垢もまた、イザルにとってはただの邪魔でしかない。シグムントの言葉は、イザルにとって愚かな野心でしかなかった。
 しかし、続くシグムントの言葉は、イザルの想像の範疇を超えたものであった。

「とは言っても、深夜の国ではな、手形を持っていれば太陽の国には行けるのだ」
「は?」
「ああ、安心してくれ。その手形を発行するには厳しい審査がある」
「審査?」

 頭に疑問符を散らすイザルへと、シグムントは実に明快に説明をしてくれた。交易手形というらしいそれは、人型ないし、人型を取れる魔族に限り、発行されるものだという。交付するにあたりいくつかの条件が設けられており、重要視されるのは深夜の国へと学びを反映させることができるもの。そして、太陽の国の人々との交流を厭わないものへと向けられた手形だという。
 その中には、戦争の火種になるべからずの重要項目があり、手形を持つものが太陽の国の人間の生死に関わる危害を加えた場合、シグムントの許しなく本性には戻れないという呪いもかけられているという。
 イザルは、あっけにとられたようにシグムントを見つめていた。ことの前提を聞いていなければ、諜報員そのものである。深夜の国からの魔族が、太陽の国で商いを行っているだけでも衝撃を受けた。しかし、現時点ではなんの問題ごとも起こしていないというから驚きだ。イザルは側頭部に頭痛を感じ、再び両手で頭を抱えた。

「どうしたイザル、気分が優れぬのか」
「思った以上に俺たちが鈍感だってのは理解した」
「見識を深めるのは美しいことだ。おめでとうイザル。お前はまた人として得難い知識を得たということだな」

 シグムントはニコリと笑った。イザルの感じる疲弊感は、微塵も伝わってはいないようだった。図太いというか。鈍感というか。弩級のマイペースにどれだけ振り回されれば終わりが見えるのだろうか。
 イザルは疲れた顔でシグムントを見る。とんでもない美貌が、だんだんとアホ面に思えてきた。

「んで、お前らは人間界の何を知って学んだ」
「ああ、ぶりき」
「ブリキ?」

 まさかそんな言葉が出てくるなんぞ思わなかったイザルが、つい間抜けにも聞き返す。
 シグムントはというと、まるで恋をしたかのように頬を染めている。うっとりとした表情は見つめるに値するが、いかんせん口からまろび出る言葉の間抜けさは、その表情ではどうにも誤魔化せはしなかった。

「ブリキは、水を運べるだろう」
「は……?」
「そして、土を掘れる。素材はわからぬが、あれはいい。魔力に頼らずの豊穣の要となる偉大な発明だ」

 水性の魔物は、習性柄中々大地を踏まぬだろう。シグムントはそう言って、深夜の国の農地産業での枯水問題について語り出す。
 どうやらブリキのバケツを深夜の国へ持って帰ってきてからは、水の運搬問題も解消したらしい。
 今まではスライムを放って土壌を潤していたそうだが、作物に与えるべき栄養までスライムが喰らうので、なかなかに育ちにくかったようだ。
 しかし、ブリキは違う。小さなバケツに拡張魔法を施して水場の魔物に水を貰えば、それを零さずにインベントリに仕舞えるのだ。
 そしてブリキのスコップだって手を傷めずに土を掘れるのだ。如雨露も、満遍なく土壌に水を与えられる。人が作ったそれらを、シグムントは凄いものだと思って大切に使っていたようだ。太陽の国へと行商に出ていた者たちから持ち帰られたそれは、シグムントいわく己の認識を改めるべき発見だったそう。


「まて、行商? お前らは、俺達の国で何を売ってたってんだ」
「ああ、シーサーペントの脱皮した皮を売ったり、オーガの生え変わった齒や、ホーンの抜けた角などだな。お前たちは不思議なものを欲しがるから、欲しいならと成長過程で出る不要物を卸していたのだ」
「…………」

 イザルは開いた口が塞がらなかった。太陽の国にまれに現れる怪しい素材売り、通称魔物屋。まさかそれがシグムントのいう、交易手形を交付した魔族だというのだろうか。不定期で、滅多に来ない。そのかわり恐ろしく質のいい魔物素材を取り扱う雑貨屋。イザルも一度利用したことがある。薬を作るのに、どうしても月夜草とイリスの羽が必要だったのだ。
 今では新参冒険者が真っ先に会いたい行商人として、魔物屋を見かけた情報は売買される対象だ。出会うたびに行商人の見た目が変わるので、進出鬼没な上に特徴も掴めない。いわばレアリティの高い存在である。

「道理で……傷もねえ良品が多いと思った……」
「利用してくれたのか。ありがとう。何を買ったんだ?」
「イリスの羽。だが難易度の高い魔物素材をあんな破格で卸すな。もう少し値を上げろ。おかげでギルドの素材売りが上がったりだと嘆いていた」
「それはすまない。だが不要なものだしな…イリスの羽も生え変わった古いやつだぞ」
「だから、そういうのは言わなくていい……」

 たった一日でこんなに思考が停止することが起こるとは思わなかった。イザルにはこれ以上話を聞く余力が残ってなかった。要するに、疲れていたのだ。
 スライムベットの上で仰向けになるシグムントの上に、乱暴に毛布を被せる。驚いたらしいシグムントが微かにその身を跳ねさせた瞬間、パァン! と軽い音を立ててスライムベッドが破裂した。
 イザルの目の前で、シグムントがゆっくりとスライムの水分に包まれていくのが見える。あっ、と声をあげる頃にはもう遅く、破裂したスライムはイザルと家の床中を水浸しにした。
 
「…………」
「…………」

 スライムは打撃に弱い。ただでさえ簡単に破裂するモンスターだというのを、イザルだって痛いほど理解していたはずだ。ということは、シグムントはそれをわかった上で微動だにせず仰向けで寝ていたということか。
 なんだその無駄な気遣い。マジで馬鹿じゃねえの。こめかみに青筋を走らせたイザルが、見下すような目でシグムントを睨みつける。
 間抜けにくしゃみをして小さく身震いをした姿を前に、イザルは苛立ちを堪えるかのようにわなわなと震えながら、犬猫より質が悪いと思ったのであった。
 

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