名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

文字の大きさ
上 下
51 / 53

終幕

しおりを挟む

「もおお!!ニアは大変だったんだからなああ!!」

 爽やかな朝とは程遠い、甲高い声色での抗議が室内に響き渡った。
 声の主であるニアは、どうやら御霊流しの後、その身をヘレナによって拘束されて、神々の審議会へとかけられたらしい。なかなかに帰ってこないと思ったが、どうやらコッテリと絞られたようである。
 ニアはまるで脱皮したての蛇かのように項垂れながら、ユミルによって捧げられた白ワインを、水面を揺らすようにして味わっている。

「ニアに全部面倒ごとを押しつけて、お前達は随分と優雅な食卓じゃないかー!!祀れよニアを!!侍れよ男ども!!持ち前の顔面の良さを今活かさないで、一体いつ活かすってんだー!!」
「そんな酒池肉林じみた労り方聞いたことねえ。」
「右に同じく。」

 エルマーが、今日も今日とてナナシの世話を焼く横で、レイガンは丁寧に魚をほぐしている。その足元ではギンイロが皿を咥えておすわりをしているので、どうやらレイガンはギンイロ用の魚の骨取りをしているらしい。

「で、どうだったのだ。神々の審議会というものは。サジの親方様であるセフィラストス様もご降臨あそばされたのだろう。」
「アイッツがイッチバン大っ嫌いだーーーーーー!!!!」
「声でっか。」

 蛇がここまでやかましいことなんて、なかなかにないだろう。どうやらニアは、下級神だからということでお目こぼしをもらったらしい。セフィラストスいわく、「お前程度の神が理を揺らがせただと?そんなもの、水面に葉が落ちた程度のことだろう。」とのことだ。
 神々の審議会はヘレナによって執り行われた、ひとまずの体裁といったところらしい。蓋を開けてみれば、人間界で自由気ままに過ごすニアの気を引き締めるものだったようだ。

「せいぜい神格をあげられるように、職務に邁進しなさいだとよーー!!してるわーー!!ニアがレイガンのおもりしてんだぞーー!!」
「今回ばかりはな。」
「ンマンマ」

 レイガンの手によって解された身を、ギンイロがご機嫌にかっくらう。ニアが消えた後、溶け出した氷上から立ち去るために、ギンイロにも世話になったのだ。アロンダートはサジを、ギンイロはエルマーとナナシを、レイガンはというと、まあ、なかなかにできない方法で海を渡りきった。

「お前は潜るのが好きなのかあ?」
「ナナシもやりたかた、いいなー。」
「あれは潜ったんじゃなくて、飲み込まれたんだ。」

 今思い返しても、冷や汗が出る。ラトの昇天後、割れ始めた氷に気がついて各々が飛び去ったまではよかった。レイガンは水属性だし、ギンイロがナナシ達を陸地に降ろしてから戻ってきてもらうつもりで、殿を務めたのだ。

ー大丈夫、ボクの水魔が陸まで送る。

 氷塊が海へと散り散りになっていく中、シューロがレイガンにそう言ったのだ。
 金色の瞳には、もう悲しみは宿していなかった。ラトとの間で、二人だけの秘めやかなやりとりがあったのだろうか。そう思うほど、シューロの顔付きは、出会う前とは変わっていた。

 そして、操った水魔は海を持ち上げるように動き出し、レイガンを体内へと飲み込んだ。幸い、中は酸素で満たされていた。
 シューロが操る水魔は変幻自在らしく、レイガンを飲み込んだ羅頭蛇型の水魔と共に、大きな古代鮫のようなもう一体が背に船を乗せてエルマー達を追いかけたのだ。
 波の動きが直接体に響くような、そんな激しい渡りであった。おかげでレイガンは大いに酔い、水魔によって身を投げ出されるように陸地へと吐き出されると共に、己もしっかりと嘔吐した。

「今思い返しても笑っちまうよなあ。すんげえ形相で飛んでくるレイガン。」
「まさか受け止めると同時にレイガンの胃の中身まで受け止めるとは思わなかった。」
「アロンダート……だからすまないと何度も……。」

 あれは貴重な体験だった。アロンダートがそう宣うと、相変わらずのすまし顔でカップを口に運ぶ。飲んでいるカップの中身は牛乳である。
 あの後、レイガンはシューロに礼を言おうと思い、振り向いたがすでにいなかった。ただそこには静かな海が広がっていただけ、まるで今までの体験が白昼夢だったのかと思うくらい、実に静かな別れであった。まあ、レイガンの汚い声は響いていたが。

「でも依頼は達成したんでしょ。喜ばれた?」
「それがよお!!」

 ナナシの食べ終わった皿を片すユミルの言葉に、待ってましたと言わんばかりにエルマーが声を上げた。今思い返してもあれはない。レイガンとしては、依頼書をきちんと読み込めと思わなくもないが、まあ、己も似たようなもんなので文句だけは言わないつもりであった。

「記載した金額の桁数を間違えていたそうだ。まあ、結局追っ払うだけですまなかったのだが。そんなものは向こうには関係のないことだしな。」
「こちとら体張ったんだ、危険手当くらいよこせっつの!!ありゃあヒュドラくらいは金額かてえって、もおお!」
「ああ、だからエルマーも機嫌悪かったんだ。まあ仕方ないじゃん、依頼者がそこまで予見できたとも思えないし。」

 レイガンの横に、ユミルが腰掛ける。いつもの癖で椅子を引いてやれば、周りからは変なものを見る目で見つめられた。解せぬ。
 
「エルマー。お前は船一隻せびったんだ。あれを売れば金額はいくだろう。」
「売れるかよ。あんなガラクタじみた骨董品で喜ぶのなんて、アロンダートくらいだぞ。」
「ふむ。エンジンは僕がつけたんだがな。どうやら認識の違いがあるようだ。後で少しお話をしようかエルマー。」
「無理無理。」

 アロンダートの無言の圧にエルマーが全力で顔を逸らしている中、レイガンはメソメソしているニアの小さな頭を指で撫でてやった。
 白くて小さな水の神様は、テーブルのど真ん中で小さな皿に注がれた白ワインをちびちびと飲む。ウワバミなのでこのくらいでは酔わないが、どうやら管を巻きたい気分だったらしい。
 それでもレイガンが文句を言わないのは、今回はニアが活躍したからに他ならない。神格が落ちてしまったのは、己の先祖のせいである。出せる力が限られる分、ニアの本来の能力を駆使出来る活躍の場を与えてやれないことに、思うところはあるのだ。
 そんな心情を、無骨な指先から感じ取ったらしい。ニアは美しい紫の瞳をパチリと開くと、きょろりとレイガンを見上げた。

「……久しぶりだったなー。やろうと思えばできるものだ、ニアだって一応神の端くれだしな。うん。」
「やらなくても、体が覚えているものさ。俺も久しぶりだったが……まあ、助かった。」
「ふふん、信仰してくれていいんだぞ。今回の御霊流しも、ユミルがニアに祈ってくれるからできたようなものだしなー。」
「そりゃ、僕はニアの信徒だからね。」
「よくいうぜ、旦那の神様だからだろうが。」

 なんか文句あるのかと、ユミルがエルマーの胸ぐらを掴んでいるその横で、レイガンがニアとお揃いの瞳で目配せ合う。
 ニアの細長い体が持ち上がると、そのまましゅるりとレイガンの首に巻きついた。爬虫類独特の冷たい鱗が気持ちいい。ニアは定位置であるレイガンの右肩から顔を出すと、ちろりと舌をちらつかせた。

「祈りは、大きな力だ。それはニア達神だけじゃなくて、生きてるものにも大きく影響をする。」
 
 そして、その影響のほとんどは、悲しみの上に成り立っている。強い後悔、悲しみ、抗えきれない憤り。そういった負の側面がないと、祈りは強くならないのだ。繰り返したくない、もう怖い思いはしたくない。想いの強い祈りほど、力は強く、そしてあらゆる面で影響を及ぼす。
 ニアはそれを汲み取って、希望に変えてやるのが神としての務めだった。御霊流しはまつろわぬ魂の解放、そして、残されたもの達の負の連鎖を断ち切るための、一つのとっかかりのようなものだ。

「祈りは希望にならなくてはいけない。浮かばれない魂が安心して逝けるように、神は道標にならなくてはいけない。」

 だから、ニアはニアだ。希望はすぐそこにある。珍しく真面目そうな声色で、そんなことを宣った。
 ニルマイア・ニルカムイ神とは、無から生まれた大いなる神という意味だ。祈りから生まれた、空っぽの神様。初めて存在を得た時は、何をしていいのかはわからなかった。他の神様とは違う、小さな祈りの積み重ねから生まれたニアは、ある時ヘレナに言われたのだ。

「生まれたことに意味があるんだって、その意味を探すために、生きるんだってなー。だから、ニアはその後のことを助けてやろうと思ったんだ。」
 
 生まれたことに理由があるのなら、きっと死んだ理由もあるのだろう。それは寿命だったり、理不尽な何かだったり。ヘレナが司る冥府への扉は、罰せられるべき魂を有無を言わさずに吸い込んでいくものだ。ラトは、それに当てはまらない。そんな魂を、ニアは拾い上げるのだ。まつろわぬ魂がこの世にとどまるのは、生者が縛っているからだ。
 無意識のうちに込み上げる祈りが、鎖となって魂を縛る。美しくて、愚かで、健気な鎖。それは魂だけでなく、生者から希望までもを奪い、自らを陥れることもある。
 だから、ニアはラトに協力した。ラトの話を聞いて、番いが同種じゃないと聞いたから、興味が湧いたのかもしれない。体格の違う魔物と魔族が番うことなんて、成り立つのかという純粋な興味がニアを動かした。きっかけは、本当に些細な好奇心だったのだ。

「でも、ニアは魔族も魔物も、理性のあるものなら送れるということがわかったからな。うん、それがわかっただけでも収穫だろう。」
「神も好奇心で発見すんのな。」
「いったろう、ニアは身近な神なんだ。伸ばせる手の範囲は決まってる。まあ、手なんてないけど。」
「ちげえねえ。」

 エルマーの言葉に、ニアは胸を反らすように自慢げに宣った。そうだ、ニア。レイガンの国の言葉だと、また違った意味になる愛称。レイガンがニアをそう名付けたから、気に入って側にいることにしたのだ。単純に、顔面も好みだったということもあるが。

「まあ、隣神、だからな。」
「りんじん?」
「ナナシにはまだ難しいだろー!ま、ニアよりも神格は上なんだけどなー!」

 レイガンの言葉に反応したナナシが、緩く首を傾げる。ニアはナハナハと笑うと、その小さな頭をぶつけるようにレイガンへと擦り寄った。
 己の愛し子に生かされている今が、どれだけ神の一柱として恵まれているかを、口にはしないが感謝はしている。まるで鱗を擦り付けるように懐くニアに、レイガンは少しだけ辟易とした顔はしたが、文句は言わなかった。






 全てを飲み込む夜が来て、空と海の境界線が消える頃。海が空を映し取ったかのように光る海面に、少年が現れるらしい。
 大きな怪物に跨って、そっと空を眺めるその姿は、何かを探しているようにも見えるという。彼を見た船乗り達は口をそろえて語る。
 あれは、きっと海の守り人ではないか、と。
 それが、どういう存在なのかはわからない。そして、その存在が真なのかも、わからない。
 それは、海だけが知ることだからだ。  
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

ポンコツアルファを拾いました。

おもちDX
BL
オメガのほうが優秀な世界。会社を立ち上げたばかりの渚は、しくしく泣いているアルファを拾った。すぐにラットを起こす梨杜は、社員に馬鹿にされながらも渚のそばで一生懸命働く。渚はそんな梨杜が可愛くなってきて…… ポンコツアルファをエリートオメガがヨシヨシする話です。 オメガバースのアルファが『優秀』という部分を、オメガにあげたい!と思いついた世界観。 ※特殊設定の現代オメガバースです

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...