上 下
45 / 53

静かな夜

しおりを挟む
 暗闇に紛れるようにして、見えぬ何かが囁きかけてくるかのような、そんな夜。エルマーは寝静まったナナシを置いて、レイガン家の屋根の上であぐらを掻いていた。
 脇には、昼間にバルからくすねてきた酒瓶が置かれている。いつもは必ず横にいるナナシがこの場にいないのは、今日の共寝をシューロに譲ったからに他ならない。
 本当はすごく嫌だったのだが、ナナシがシューロにくっついて離れなかったのだ。何やらお兄ちゃん風を吹かせているなとは思っていたが、まさかあそこまで感情移入をしているとは思わなかった。
 一人で酒を飲むのは好きだが、今宵の酒は少しだけ舌に苦く感じるのも、おそらくそのせいだろう。

「エルマー。」
「んだ、呼んでねえんだけどお。」
「人様の家の屋根でくつろいでおいて、可愛げのないことを言うんじゃない。」
「はは、」

 渋い顔をしたレイガンが、エルマーの隣に腰掛ける。どうやら晩酌に付き合ってくれるらしい。エルマーはインベントリから干し肉を取り出すと、バルでくすねた酒と共に差し出した。
 似たような体格の男が横並びで、静かに酒を煽る。二人して、言葉には出来ない霞がかった感情が心模様に影を差していた。ただ、その目線は真っ直ぐに海の方へと向いている。
 津波から守るかのように、カストール国内の海沿いの居住区は塀で囲まれている。ここからでは、海の全貌を見ることはかなわない。それでも、囁くような波の音はしっかりと聞こえていた。
 潮風が、レイガンの青みを帯びた銀髪を擽る。紫の瞳をわずかに伏せると、控えめな口調で宣った。

「……当たり前のことだが、海に住む魔族も営んでいるのだなと思った。」

 ポツリと呟いたレイガンの言葉に、エルマーが反応を示す。ちろりと横目でレイガンを見ると、再び海の方へと視線を向けた。その横顔は、何を考えているかわからない。
 レイガンは、酒瓶を口に運ぼうとしたまま動きを止め、ゆっくりと持つ手を下ろす。膝に当てた酒瓶の水滴が、穿いていたボトムスの色をじんわりと濃くした。

「ネレイスも、羅頭蛇も、俺は今日まで知らなかった。ましてや、こうしてコミュニケーションが取れるなんて、思いもよらなかった。」
「龍が人になって生まれ変わることができたんだぜ。そんなもん、探せばいくらだって出てくんだろうよ。」
「ああ、……そうだな……。」

 エルマーの番いであるナナシは、龍である。だからこそ、シューロの番いが同族のものではないということに関しても、妙な価値観を押し付けるでもなく話を聞くことができた。
 レイガンは、その眉を寄せたまま再び酒に口をつける。
 そんなに考え事をしながら飲む酒は美味いのかとも思ったが、そもそもエルマーは胃の腑に強化魔法をかけて酔わないようにしている。そんな己が口を挟むのも妙な話かと、エルマーは閉口した。

「目の前で番いを喰われるのを見るのは、きついな。」
「本能って言ってたろ。そいつらの理を理解して番ったんなら、文句は言えねえだろう。」
「お前、それ絶対にシューロの前で言うなよ。」
「どうかな。」

 エルマーは、何も考えぬまま相槌を打つかのように返事をした。いつになく読めない感情を顔に貼り付けるその様子は、シューロの話に少しでも引きずられた感情を誤魔化しているようにも見えた。

「明日、やるのか。」
「……ガキに振り回されんほど癪なことはねえ。」
「答えになっていない。まあ、お前が意外と律儀なことは知っている。」
「キモいこと言うなっつの。…ああ。ゴツい男と飲む酒は美味くねえから、俺ぁもう寝る。」

 赤毛を雑に掻いたエルマーは、残りの干し肉を口に放り込む。口いっぱいに頬張る様子は、これ以上会話をしないという子供じみた意思表示にも見えた。
 レイガンは呆れたようにその背を見つめると、続くように、残りの酒をグビリと煽った。
 シューロにナナシを譲ったために、エルマーは今晩一人寝をするのだろう。屋根を軋ませながら降りる赤毛を見送ると、レイガンは溜め息を吐いた。
 エルマーには悪いが、レイガンは遠慮せずにユミルと寝るつもりだ。人前では出せない感情の行き場は、ユミルにしか受け止めてもらえない。

 己の大切を目の前で奪われたら。レイガンは、一体どうするのだろう。きっと、冷静ではいられぬまま、シューロと同じ行動をするだろうなと思った。
 たとえそれが、力量の差が歴然の相手だとしても、きっとレイガンは剣を取るだろう。大きく違うのは、レイガンとユミルは同じ人間で、本能に支配されて、同族と殺し合うようなことはないということ。

 誰も、大切な人を目の前で失う目になんてあいたくないだろう。その可能性がある未来を、理解して番ったのだとしても、当たり前のように来ないことを願うだろう。
 レイガンは、エルマーのように振る舞うことはできなさそうだ。おそらく、エルマーも腹で溜めている思いはあるだろうが、文句は言えないと切り捨てることはできない。
 感情に引きずられるな。切り離して考えなければ、その先は見えてこない。頭ではわかっていても、そういうのは少しだけ苦手だ。

「……青臭い、これは弱みの一つだな。」

 少しだけ、参った。ユミルがいなければ、考え方は違ったのだろうか。そんな不毛なことを考えてしまうくらいには、引きずられてしまった。
 ゆっくりと、気持ちを落ち着かせるかのように深呼吸をした。それでも、いつものようにユミルの前で振る舞うのは、出来なさそうだった。






 体が重いのではない、きっと、宿した魂がシューロを前にして慟哭しているのだ。
 狭いベットの上、互いにくっついて眠るシューロとナナシを見下ろすようにして、ニアは蜷局とぐろを巻いていた。

「とても嫌だ……。こんなにもニアの情緒に影響するのなら、お前なんて受け入れなければよかった。」

 白く、細長い体をいつもよりも縮めながら、ニアは紫の瞳に煩悶はんもんの色を乗せていた。その小さな体に、シューロの番いでもある羅頭蛇の、身を引き裂かれるような激情を感じている。
 シューロの番いである羅頭蛇、ラトの魂をこの世に縛る未練は、シューロそのものだ。呪いのような本能に縛られる、個で生きることを是とする種族が知った、番いという存在。
 
「異端の羅頭蛇め、お前はシューロを買い被りすぎだ。愛することが下手くそなら、なんで最初から番ったんだ。」

 悲しませる未来が、見えていなかったわけじゃないだろうに。
 ニアの言葉は、ラトの独白のようにも聞こえた。紫の瞳からポロポロと涙を零す。こんなに忙しない感情を覚えたのも、全部この二人のせいだ。ニアの体を満たす泉が、悲しみの色を濃くしている。
 ラトは、シューロがこれ以上戦おうとするのを拒んでいる。そのきっかけを作ってしまった、己の本能を嘆いている。

「愚か者、ニアは、お前のことをそう評価するぞ。お前がこの子を弱くした、シューロはもう止められない、今この子を否定したら、きっと堕ちてしまう。止められないんだよラト、死んだものが生きているものに口を出すことは許されない。」

 お前には、全てを見届ける責任というものがある。ニアは己の身を擦るようにして蜷局を解くと、その長い体でベットを滑るようにしてシューロの側に近寄った。

「お前もこの子も、なんて不器用に生きるんだ。」

 陸だから生きづらいとか、そんな理由で駄々をこねるのなら可愛げがあるのに。ラトもシューロも、直情すぎてゆとりがない。なんで頑張るんだ、なんで必死になるんだ。二人して生き急いで、結末へ向かうには早すぎるだろう。
 ニアは神様だから、平等でなくてはいけないのに。それができないから、今でも末端のままなのだ。もし、ニアが不器用なのを知って頼ってきたのなら、馬鹿にするなと丸呑みにしてやったのに。

「私も大概に愚か者だなー。ああいやだ、ああ、……もう、気が滅入って仕方がない。」

 シューロのあどけない寝顔を瞳に映したニアは、赤くなった目元をちろりと舐めた。その身をシューロの枕元に落ち着かせると、再び蜷局を巻き直す。
 瞼を閉じようとして、再び鎌首をもたげる。やはり、今宵は眠れそうにない。ニアはその紫の瞳にシューロを映すと、何も言わずに寝顔を見つめていた。夜が明け切るまで、穏やかな寝息を漏らすシューロの様子を、目に焼き付けるかのように。

 海の向こうから、ゆっくりと太陽が姿を現した。燃えるような朝焼けに空が染まるまでの十分間。その、僅かな時間だけは、空と海の色が重なるように、美しい青が全てを支配する。
 紺碧の光が、室内を青で飲み込んでいく。
 幻想的なひとときは、誰にも気が付かれることなくゆっくりと過ぎ去っていく。
 誰かの悲しみを置き去りにして、時だけが変わらずに流れていくのだ。



しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~

戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。 そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。 そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。 あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。 自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。 エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。 お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!? 無自覚両片思いのほっこりBL。 前半~当て馬女の出現 後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話 予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。 サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。 アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。 完結保証! このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。 ※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

触手生物に溺愛されていたら、氷の騎士様(天然)の心を掴んでしまいました?

雪 いつき
BL
 仕事帰りにマンホールに落ちた森川 碧葉(もりかわ あおば)は、気付けばヌメヌメの触手生物に宙吊りにされていた。 「ちょっとそこのお兄さん! 助けて!」  通りすがりの銀髪美青年に助けを求めたことから、回らなくてもいい運命の歯車が回り始めてしまう。  異世界からきた聖女……ではなく聖者として、神聖力を目覚めさせるためにドラゴン討伐へと向かうことに。王様は胡散臭い。討伐仲間の騎士様たちはいい奴。そして触手生物には、愛されすぎて喘がされる日々。  どうしてこんなに触手生物に愛されるのか。ピィピィ鳴いて懐く触手が、ちょっと可愛い……?  更には国家的に深刻な問題まで起こってしまって……。異世界に来たなら悠々自適に過ごしたかったのに!  異色の触手と氷の(天然)騎士様に溺愛されすぎる生活が、今、始まる――― ※昔書いていたものを加筆修正して、小説家になろうサイト様にも上げているお話です。

本日のディナーは勇者さんです。

木樫
BL
〈12/8 完結〉 純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。  【あらすじ】  異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。  死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。 「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」 「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」 「か、噛むのか!?」 ※ただいまレイアウト修正中!  途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。

孤独な蝶は仮面を被る

緋影 ナヅキ
BL
   とある街の山の中に建っている、小中高一貫である全寮制男子校、華織学園(かしきのがくえん)─通称:“王道学園”。  全学園生徒の憧れの的である生徒会役員は、全員容姿や頭脳が飛び抜けて良く、運動力や芸術力等の他の能力にも優れていた。また、とても個性豊かであったが、役員仲は比較的良好だった。  さて、そんな生徒会役員のうちの1人である、会計の水無月真琴。  彼は己の本質を隠しながらも、他のメンバーと各々仕事をこなし、極々平穏に、楽しく日々を過ごしていた。  あの日、例の不思議な転入生が来るまでは… ーーーーーーーーー  作者は執筆初心者なので、おかしくなったりするかもしれませんが、温かく見守って(?)くれると嬉しいです。  学生のため、ストック残量状況によっては土曜更新が出来ないことがあるかもしれません。ご了承下さい。  所々シリアス&コメディ(?)風味有り *表紙は、我が妹である あくす(Twitter名) に描いてもらった真琴です。かわいい *多少内容を修正しました。2023/07/05 *お気に入り数200突破!!有難う御座います!2023/08/25 *エブリスタでも投稿し始めました。アルファポリス先行です。2023/03/20

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

処理中です...